【完結】幻のような君を僕だけはずっと憶えている

猪本夜

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07 来年の約束ではなく意気込み

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 兄が病気になって以降の兄の写真は数枚しかない。兄が撮られるのを嫌がっていたからだ。

「お兄さんは何で撮られたくなかったの?」
「……たぶんだけど、化学療法で髪が抜けたり痩せたりしたからじゃないかな。これは自分じゃないって思ってたのかもしれない」

 兄に撮られることが嫌な理由をあえて聞かなかったから、実際の理由は分からないけれど。

「そういう理由なら、私の理由も近いけど遠いかな」
「……どういう意味?」
「病気になってから撮りたくなくなったのは同じだよ。さっき撮られた私は私じゃないっていうのも同じ。今の私はいい子を演じていた私のままであまり変わってない。まだ私は偽物だから撮られたくないの。本当の私を思い出せたら、撮られてもいいかなって思えるかもしれないけどね」
「……本当のサヤって?」
「さあ? 思い出せないから、必死に昔の記憶を思い起こしてるんだ。でも、数年前のことでさえ、記憶がおぼろげ。なんでだろう、あの時の私って生きてたのかな~」
「生きてるから、今日の俺は巻き込まれてるね」
「確かに! 持つべきものは、脅しが効く友達だね!」

 あはは、と笑って彼女は「写真を撮るなら、あっちの景色も良かったよ」と言いながら僕の腕を引っ張って行く。

 彼女は明るい。死ぬなんて嘘ではないかと疑いたくなるくらい明るい。でも、明るい中に何か暗いものを抱えているような――病気以外のことで抱えているような、そんな気がした。

 展望台の後は階段を降りてオルゴールミュージアムへ行く。自動演奏やオルゴールの音を楽しみ、再びロープウェーに乗った。
 お土産らしいものは何も買わず、彼女は一枚も写真さえ撮っている様子はない。彼女は思い出を全て記憶だけに残そうとしているようだった。

 ロープウェーの行きは立っていたけれど、帰りは空いていたので椅子に座る。
 湖だけど海と繋がっているので海の魚もいるとロープウェー内部放送で聞いた彼女は、「さすがにロープウェーからは魚は見えないね」と目を凝らしていた。見えるわけない。

 ロープウェーが駅に到着し、彼女と道路へ出る。

「ロープウェー楽しかったね! あ、ちょうどいいところに! ――ヘイ、タクシー!」
「ヘイって、欧……」

 どこかの芸人のツッコミをしそうになる。
 彼女が手を上げて止めたタクシーに乗り込み、僕らは次の目的地フラワーパークへ向かった。前もって予定していたのだ。ロープウェー乗り場からフラワーパークは近いけど歩くには遠いので、惜しまずタクシーの力を借りる。

 フラワーパークに到着したときは十二時前だったので、園内にあるレストランでランチにすることにした。

「よし、私はアレにする。コウ君は決めた?」
「野菜カレー」
「真似したなー」
「俺が先に言ったけど?」
「私は心の中で言ってましたぁ」

 仲良く野菜カレーを注文し、席に着く。お腹が空いていたので、二人とも食の進みが早い。

「カレーって時々食べたくなるよね」
「俺は週に一回は食べてる」
「家で?」
「学校で。学食あるから」
「あ~、学校のカレーもなぜか美味しいよね~。うちのおばあちゃん料理上手なんだけど、カレーは作らないんだよね」
「リクエストしたら? 自分で作るのもアリ」
「そうしようかな。おばあちゃんに野菜切ってもらって、私はルーを入れる」
「野菜は自分で切らないの」
「この前おばあちゃんのお手伝いしたら、カボチャと一緒に指切った」

 彼女は左指の絆創膏を見せた。

「それからおばあちゃんが包丁を触らせてくれない」
「そうだろうね。おばあちゃんに任せとけ」

 でないと、また流血騒ぎになる。

 ランチを終え、花を見るために移動した。
 七月なので、ハスとバラが特に綺麗に咲いていた。

「うーん、藤の花って四月末かぁ。残念、見たかったなぁ」

 ここは藤の花が白色、紫色、青紫色などが咲らしく、藤棚が素晴らしいとネットには記載されていた。

「……来年見に来る? その時は付き合ってあげてもいいけど」

 四月は彼女の余命一年ギリギリだけれど、今の彼女の調子であれば元気に生きているのではと思っていた。
 彼女は僕を驚いたような表情で見て、嬉しそうに笑った。

「それはぜひとも藤の花が咲くまで生きねばなるまいなぁ!」

 彼女は約束ではなく、そう意気込みを語った。

 彼女は花を目で楽しみ、僕は目で楽しみつつ時々スマホで写真を撮る。
 そうやって散策したあと、カフェでソフトクリームを買って薔薇が咲く傍の日陰のベンチに二人で座る。

「今日は暑いね~。ソフトクリームが美味しい~」
「もう夏だしね……早く梅雨が明けて欲しいよ」

 湿気で余計に汗をかいている気がする。
 ソフトクリームを食べ終えた僕は日陰で涼みつつ、ボディバッグからペットボトルを取り出す。それを見ていた彼女が口を開いた。

「いつもスケッチブックとタブレットって持ち歩いてるの?」

 バッグの中にあるスケッチブックとタブレットが見えたようだ。

「学校以外ではバッグに入れて移動してる。みんなはちょっとした暇時間にスマホ弄ってると思うけど、俺はタブレットで絵を描いてる感じ」
「へぇ~。――ねぇねぇ、人じゃなくて花とかも描ける?」

 彼女のをリクエストと捉え、ボディバッグの上にタブレットを置いた。タブレットのロック画面を解除して、お絵描きアプリのキャンパスを開く。そして目の前に咲く薔薇を見ながら描いていく。

「……すごい。薔薇だ」
「ふっ……まあ、薔薇だね」

 当たり前のことを呟く彼女に笑い、薔薇の輪郭のような線画を描いた後は色をつけていく。

「いつから絵を描いてるの? 何年すればこんなに上手になるの?」
「絵を毎日のように描くようになったのは、十四歳の時かな」
「え、じゃあ約三年でこんなに上手になるの?」
「毎日やってればね。それまでは絵を描くことはなかったけど、学校の授業で絵を描くのは好きな方だったから。……あの時は俺も色々あって暇だったから、最初は暇つぶしのために絵を描き始めたんだ」

 彼女の視線が薔薇の絵から僕に向いた気がした。
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