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最終章
102 婚約1
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朝早い時間、私と母は貴族御用達のホテルに秘密裏に入った。今日は婚約の契約をする日なのである。
私はモップ令嬢でもなく、自分の素顔である。家から持ち込んだドレスやアクセサリーなどを、これから装着していくのだ。私の侍女マリアと、他にもウィザー家の使用人が数名一緒に入り、ドレスアップを手伝ってくれる。私と母は自分で化粧ができるので、今日の化粧は自分で行うことにした。ヘアアレンジなどはマリアに任せている。
母は濃紺のタイトなドレス、私は白と水色のふんわりとしたドレスである。祖母の時代くらいまではペチコートやコルセットをしなくてはならなかったらしいが、今はそういうものをしなくていい時代で助かる。日本のパーティードレスでも通用するから、母のドレスは日本から持ってきたものである。
準備を整えて、鏡でチェックする。私の中では精一杯に仕上げたつもりだが、なんだか不安だ。リンケルト公爵に気に入られなかったらどうしよう。
「あら、いいじゃない。素敵よ」
「……ありがとう、お母様」
「何よ、褒めているのだから、そんな『への字』の眉しないの。私に似て可愛いんだから、もっと胸を張りなさい」
どうして母はこんなにポジティブなんだ。私は時間が近づくにつれて、胃がキリキリしてきていた。
「準備はできましたか?」
私たちほど準備のかからないユリウスは、今ホテルに到着したのだ。
「姉様、可愛いですよ。きっと流雨さんも今日の姉様を見たら喜ぶでしょう」
「そうだといいな……」
ユリウスもささっと着替えて準備が整った頃に、リンケルト公爵と流雨が到着したという知らせを聞いた。それから、私と母とユリウスはホテルの応接室のようにセッティングされた部屋にやってきた。
リンケルト公爵と流雨が座っていたソファーから立ち、私たちを迎えた。流雨が私を見て柔らかく笑ったのを見て、私の緊張も少しだけ落ち着いたような気がした。流雨は我が家に来る時の変装した姿とは違い、フォーマルな服を素敵に着こなしていた。
母が私とユリウスを紹介し、全員席に座った。リンケルト公爵と母が和やかに会話をはじめ、さすが母、社交が得意なだけあって、リンケルト公爵相手でもまったく物怖じしていない。私と言えば、手に汗がびっしょりであるが、顔だけはどうにか薄く笑みを貼り付けていた。そんな私に、リンケルト公爵が顔を向けた。
「今日はウィザー伯爵令嬢に会うのを楽しみにしていたのだよ。ああ、これからはサーヤと呼んでもいいだろうか」
「はい、もちろんですわ」
リンケルト公爵は頷いた。
「知っていると思うが、息子は少し荒々しくてね」
少しですか。
「以前命が危ない目にあった後、急に人が変わって大人のようになった」
ルーウェンが流雨になったときですね。
「乗り気じゃなかった後継者になるための学びも、積極的に行うようになった。何があったのかと聞けば、好きな女性がいると言うではないか。その女性と結婚したいから、これからは家を継ぐために勉強したいと言いだした。それからの息子の成長には目を見張るものがある。それもこれも、息子をやる気にさせてくれた、サーヤのおかげだ」
リンケルト公爵の言葉に驚いて、流雨を見ると、流雨が笑みを向けた。
「サーヤが息子と婚約することは大変喜ばしい。息子が求めるサーヤとの婚約も結婚も、すべて二人に任せる。私は全面的に賛成するから、二人で話し合って決めるといい」
「わたくしも同意見ですわ」
リンケルト公爵の言葉に、母がにこやかに同意する。リンケルト公爵の言葉に安心した。これは全て、流雨が私の事を好意的にリンケルト公爵に伝えてくれているからだろう。
それから婚約の契約のための書類が用意された。流雨と話し合って、あらかじめ内容は決めてある。書類は同じ文章で二つ用意され、それぞれにサインをして、互いが一部保管しておくのだ。
その内容を一読しているとき、話し合っていなかった文章を見て私は驚いた。
「るーく、ルーウェン様、予定のない一文があります! これは消さないと!」
「ああ、俺が『妻はサーヤだけとし、複数の夫人を迎えないこと』という文章なら、追加したんだよ。消さなくていい」
「消さなくていいって……リンケルト公爵家は建国貴族です。第三夫人までは迎えていいと国で決められています。個人間で契約したら、こちらが優先されてしまいます」
「それでいいんだよ。俺は紗彩以外の妻はいらないから」
確かに、先日流雨に私以外の女性に好きって言うのは嫌とは言ったけれど、できればそうして欲しいと今でも思うけれど、それは口約束くらいでよくて、わざわざ明文化は必要ない。建国貴族は第三夫人までは認められているのだから、それを自ら制限しなくていいのだ。
「父も母以外に妻はいないし、俺も紗彩以外に欲しいと思わないから問題ない。父にも話はしているしね」
「ああ、聞いている。私も問題ないと思っている」
「ほらね、紗彩、何も問題ないでしょう」
本当にいいのだろうか。こんな一文はいけないと思うのに、流雨の気持ちが嬉しくて涙が出そうだ。でも泣いては駄目だと、ぐっと我慢し、契約書にサインをする。もう一枚の契約書にもサインをし、流雨もサインするのを確認して、これで婚約は成立である。
リンケルト公爵と最後にもう一度挨拶し、リンケルト公爵は仕事があるからと先に退室した。そして私と母とユリウスと流雨だけになると、母が流雨に話しかけた。
「本当に流雨くんがリンケルト公爵子息になっているなんてね。東京でまだ小学生だった紗彩を、持って帰っていいですかって聞かれたことがあるのを思い出すわ」
「そんなことありましたね」
「あの時、冗談だと思っていいわよって言おうと思ったけれど、目が本気だったから言うのを止めたの。まさか将来本当に持って帰ることになりそうだとは思っていなかったわ。執念ね」
「ははっ、ありがとうございます」
「流雨さん、ありがとうの意味が分からないんですが、今、褒められたところありました?」
ユリウスが少し引き気味に流雨を見ている。
それから、流雨が私と写真を撮りたいと言うので、ユリウスがスマホで撮影してくれた。並んで立つ姿、私が流雨に抱き付く姿など撮影し、流雨が今度は私を抱き上げた。
「いつもすごく可愛いけれど、今日の紗彩はすっごく可愛くて綺麗だ」
「あ、ありがとう、るー君」
いつも以上に熱のこもった流雨の瞳が、なんだか恥ずかしい。それから、先ほど気になったことをもう一度聞いてみる。
「るー君、本当にあの一文消さなくてよかったの?」
「いいんだよ。俺は紗彩がすっと傍にいてくれてさえいれば、他に何もいらないんだから」
「……ありがとう、るー君。大好き」
涙目で流雨の頬にキスをする姿を、ユリウスは写真に収めるのだった。
私はモップ令嬢でもなく、自分の素顔である。家から持ち込んだドレスやアクセサリーなどを、これから装着していくのだ。私の侍女マリアと、他にもウィザー家の使用人が数名一緒に入り、ドレスアップを手伝ってくれる。私と母は自分で化粧ができるので、今日の化粧は自分で行うことにした。ヘアアレンジなどはマリアに任せている。
母は濃紺のタイトなドレス、私は白と水色のふんわりとしたドレスである。祖母の時代くらいまではペチコートやコルセットをしなくてはならなかったらしいが、今はそういうものをしなくていい時代で助かる。日本のパーティードレスでも通用するから、母のドレスは日本から持ってきたものである。
準備を整えて、鏡でチェックする。私の中では精一杯に仕上げたつもりだが、なんだか不安だ。リンケルト公爵に気に入られなかったらどうしよう。
「あら、いいじゃない。素敵よ」
「……ありがとう、お母様」
「何よ、褒めているのだから、そんな『への字』の眉しないの。私に似て可愛いんだから、もっと胸を張りなさい」
どうして母はこんなにポジティブなんだ。私は時間が近づくにつれて、胃がキリキリしてきていた。
「準備はできましたか?」
私たちほど準備のかからないユリウスは、今ホテルに到着したのだ。
「姉様、可愛いですよ。きっと流雨さんも今日の姉様を見たら喜ぶでしょう」
「そうだといいな……」
ユリウスもささっと着替えて準備が整った頃に、リンケルト公爵と流雨が到着したという知らせを聞いた。それから、私と母とユリウスはホテルの応接室のようにセッティングされた部屋にやってきた。
リンケルト公爵と流雨が座っていたソファーから立ち、私たちを迎えた。流雨が私を見て柔らかく笑ったのを見て、私の緊張も少しだけ落ち着いたような気がした。流雨は我が家に来る時の変装した姿とは違い、フォーマルな服を素敵に着こなしていた。
母が私とユリウスを紹介し、全員席に座った。リンケルト公爵と母が和やかに会話をはじめ、さすが母、社交が得意なだけあって、リンケルト公爵相手でもまったく物怖じしていない。私と言えば、手に汗がびっしょりであるが、顔だけはどうにか薄く笑みを貼り付けていた。そんな私に、リンケルト公爵が顔を向けた。
「今日はウィザー伯爵令嬢に会うのを楽しみにしていたのだよ。ああ、これからはサーヤと呼んでもいいだろうか」
「はい、もちろんですわ」
リンケルト公爵は頷いた。
「知っていると思うが、息子は少し荒々しくてね」
少しですか。
「以前命が危ない目にあった後、急に人が変わって大人のようになった」
ルーウェンが流雨になったときですね。
「乗り気じゃなかった後継者になるための学びも、積極的に行うようになった。何があったのかと聞けば、好きな女性がいると言うではないか。その女性と結婚したいから、これからは家を継ぐために勉強したいと言いだした。それからの息子の成長には目を見張るものがある。それもこれも、息子をやる気にさせてくれた、サーヤのおかげだ」
リンケルト公爵の言葉に驚いて、流雨を見ると、流雨が笑みを向けた。
「サーヤが息子と婚約することは大変喜ばしい。息子が求めるサーヤとの婚約も結婚も、すべて二人に任せる。私は全面的に賛成するから、二人で話し合って決めるといい」
「わたくしも同意見ですわ」
リンケルト公爵の言葉に、母がにこやかに同意する。リンケルト公爵の言葉に安心した。これは全て、流雨が私の事を好意的にリンケルト公爵に伝えてくれているからだろう。
それから婚約の契約のための書類が用意された。流雨と話し合って、あらかじめ内容は決めてある。書類は同じ文章で二つ用意され、それぞれにサインをして、互いが一部保管しておくのだ。
その内容を一読しているとき、話し合っていなかった文章を見て私は驚いた。
「るーく、ルーウェン様、予定のない一文があります! これは消さないと!」
「ああ、俺が『妻はサーヤだけとし、複数の夫人を迎えないこと』という文章なら、追加したんだよ。消さなくていい」
「消さなくていいって……リンケルト公爵家は建国貴族です。第三夫人までは迎えていいと国で決められています。個人間で契約したら、こちらが優先されてしまいます」
「それでいいんだよ。俺は紗彩以外の妻はいらないから」
確かに、先日流雨に私以外の女性に好きって言うのは嫌とは言ったけれど、できればそうして欲しいと今でも思うけれど、それは口約束くらいでよくて、わざわざ明文化は必要ない。建国貴族は第三夫人までは認められているのだから、それを自ら制限しなくていいのだ。
「父も母以外に妻はいないし、俺も紗彩以外に欲しいと思わないから問題ない。父にも話はしているしね」
「ああ、聞いている。私も問題ないと思っている」
「ほらね、紗彩、何も問題ないでしょう」
本当にいいのだろうか。こんな一文はいけないと思うのに、流雨の気持ちが嬉しくて涙が出そうだ。でも泣いては駄目だと、ぐっと我慢し、契約書にサインをする。もう一枚の契約書にもサインをし、流雨もサインするのを確認して、これで婚約は成立である。
リンケルト公爵と最後にもう一度挨拶し、リンケルト公爵は仕事があるからと先に退室した。そして私と母とユリウスと流雨だけになると、母が流雨に話しかけた。
「本当に流雨くんがリンケルト公爵子息になっているなんてね。東京でまだ小学生だった紗彩を、持って帰っていいですかって聞かれたことがあるのを思い出すわ」
「そんなことありましたね」
「あの時、冗談だと思っていいわよって言おうと思ったけれど、目が本気だったから言うのを止めたの。まさか将来本当に持って帰ることになりそうだとは思っていなかったわ。執念ね」
「ははっ、ありがとうございます」
「流雨さん、ありがとうの意味が分からないんですが、今、褒められたところありました?」
ユリウスが少し引き気味に流雨を見ている。
それから、流雨が私と写真を撮りたいと言うので、ユリウスがスマホで撮影してくれた。並んで立つ姿、私が流雨に抱き付く姿など撮影し、流雨が今度は私を抱き上げた。
「いつもすごく可愛いけれど、今日の紗彩はすっごく可愛くて綺麗だ」
「あ、ありがとう、るー君」
いつも以上に熱のこもった流雨の瞳が、なんだか恥ずかしい。それから、先ほど気になったことをもう一度聞いてみる。
「るー君、本当にあの一文消さなくてよかったの?」
「いいんだよ。俺は紗彩がすっと傍にいてくれてさえいれば、他に何もいらないんだから」
「……ありがとう、るー君。大好き」
涙目で流雨の頬にキスをする姿を、ユリウスは写真に収めるのだった。
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