逆行死神令嬢の二重生活 ~兄(仮)の甘やかしはシスコンではなく溺愛でした~

猪本夜

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最終章

81 公爵令息の生い立ち ※流雨(兄(仮))視点

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 まさか、死んだ後に他人の人生を生きることになるとは思わなかった。

 流雨がルーウェン・ウォン・リンケルトの記憶を受け継いだ時、最初に思ったのはルーウェンが不憫だということだった。他人から見たなら、人を傷つけることを躊躇わないルーウェンは間違いなく悪だろう。それを否定はしない。しかしルーウェンはただ母を求めていただけなのだ。生まれてから死ぬまでずっと、ただ母の愛が欲しかっただけ。

 ルーウェンは一度も母から愛されたことがなかった。ルーウェンの悲劇は、母から受け継いだ容姿と赤い瞳で生まれたことから始まった。母は父に似た姉のオリヴィアは可愛がるのに、母に似た息子ルーウェンには恐怖を抱いた。

 ルーウェンの母の実家は伯爵家で、母は愛人の子だった。実家は建国貴族ではなかったため多妻が認められず、正妻の子である粗暴な兄に母は執拗にいじめられていたという。大人になった母は、いまだ自身の兄を見ると震えが止まらない。ルーウェンの父と結婚し、ようやく穏やかな日々を手に入れた。

 結婚後、可愛い娘が生まれ、その後待望の公爵家の跡継ぎが生まれた時に息子を見た母は、悲鳴を上げ一切息子を触ろうとしなかった。母と母の兄は似た容姿で、その母から遺伝子を受け継いだ息子もまた、母の兄に似ていた。息子の顔を見るだけで、兄にいじめられた恐怖が蘇る。母は徹底的にルーウェンを避けた。

 姉のことは可愛がるのに、なぜ自分が避けられるのか分からないルーウェンは、いつも母に会いに行こうとするが、母に指示された使用人に母に会うことを止められるルーウェンの悲しみは増すばかり。

 そんなある日、たまたまルーウェンは友人と喧嘩をして互いに怪我をした。いつもルーウェンを無視する母が、この時だけ心配そうな顔でルーウェンの友人と友人の母と会話するために顔を出した。この時ルーウェンは勘違いをした。喧嘩したり怪我をすれば、母は自分に会いに来てくれるのだと。流雨がその記憶を俯瞰して感じたことは、母は決してルーウェンを心配したというわけではないということ。友人の母が母の友人だったため、ルーウェンが怪我をさせてしまったと友人たちを心配しただけにすぎない。

 しかしルーウェンは勘違いしたまま、揉め事を起こすようになった。喧嘩をすれば、怪我をすれば、誰かを傷つければ、母は会いに来てくれるはずだと。それがさらに母の兄を彷彿とさせ、ますますルーウェンから母が遠ざかるとも知らずに。

 リンケルト公爵家に伝わる再生力のある石。その存在をルーウェンは知ってはいたが、怪我することも目的のルーウェンは、そんなものを持ち歩くことはなかった。成長するたび、荒事の経験値が高くなったためか、報復に来た敵など簡単に返り討ちにしてしまうから、怪我をすることもなくなってしまった。

 どこか投げやりに、死に急ぐような日々を送るルーウェンだったが、そんな時に流雨の魂がルーウェンに入った。まさかそのまま、ルーウェンは目が覚めることなく死ぬことになるとは思っていなかっただろう。

 最後まで母に欲していた愛情は、母から受け取れることはなかった。
 母のことは諦め、母の代わりに愛してくれる父や姉にだけ目を向けていれば良かったのにと思うが、それでもルーウェンが欲しかったのは母からの愛だった。

 ルーウェンを不憫には思うが、だからといってルーウェンの代わりに生きるつもりなど流雨にはなかった。あの神の部下だというティカに軽い感じで、ルーウェンの体を貰っていいよと言われても、流雨もさすがに考える時間が欲しいと思った。

 一つの体には一つの魂を入れておく決まりだというから、流雨の魂が抜けるなら、他の魂をルーウェンの体に入れることになる。結局、ルーウェンの体を動かすのは、ルーウェンではなく他人なのだと思うと、だったら流雨が動かしてもいいかもしれないと思った。

 この世界に紗彩がいないと思っていた時は、この世界に未練などなかった。しかし紗彩が生きる世界だと知った今は、自分勝手だと分かっていても、紗彩の傍で生きる可能性に賭けたい。

 とはいえだ、ルーウェンとして生きると決めたものの、最初に紗彩が流雨と目も合わせようとしないことには参った。ルーウェンの容姿の流雨を見るだけで震えるし、冷や汗をかいているように見えるし、流雨を睨む小さい頃の紗彩のほうが、まだ流雨を好きになってもらう希望があったかもしれないと思った。

 しかし幸いルーウェンが流雨だと紗彩は認識はしているので、紗彩を教育するしかないと思った。毎日会って、ハグをして、匂いを覚えてもらう。紗彩が小さい頃に流雨に慣れさせた方法で、紗彩にルーウェンとしての流雨に慣れて好きになってもらえばいい。紗彩は気を許している相手には流されやすいから、それを分かっている上での流雨の行動は卑怯かもしれない。しかし、紗彩だけは他の誰かに渡したくはないので、手段を選んではいられない。

 本当は流雨自身が紗彩に会って甘やかして可愛がりたいだけなのだが、そうやって毎日会う作戦が功を成し、流雨がルーウェンとなって一ヶ月近く経つ頃には、紗彩は流雨に甘えてくれるようになった。そんな紗彩が可愛くて可愛くて仕方がない。

 夕方に紗彩の家を訪ねると、時々紗彩がメイル学園に行っている恰好を見ることがある。紗彩は陰で『モップ令嬢』と呼ばれているらしい姿なのだが、巻き髪が紗彩が小さいころを見ているようで可愛い。しかしなぜ前髪は長く眼鏡もしているのかが分からない。せっかくの可愛い顔が見えなくて不満なんだが、紗彩は要領の得ない説明をする。日本人の容姿だからとか、焦ったときに表情を見られなくていいとか、いろいろと説明していたが、何か別の理由があるように感じる。しかし紗彩はそのあたりを語りたがらない。

 いまだメイル学園は休んでいる流雨だが、もう少しで学年が上がるから、そこから再び通うつもりでいる。紗彩とは同じクラスだと聞いているので楽しみだ。一つ不満なのは、ルーウェンの記憶に紗彩の記憶が全くないことだ。ルーウェンは紗彩という人間をまったく意識していなかったようで、せっかく同じクラスだったのに紗彩が記憶に存在しない。紗彩が帝国でどのように過ごしていたか、その片鱗でも見たかった。

 流雨の目標は、もちろん紗彩と結婚すること。それは東京で生きていたときから変わらない。東京にいたころの紗彩の話では、紗彩は帝国で婚約者を決めたいようだった。だから、ルーウェンとなった流雨となら、紗彩は結婚に頷いてくれるのではないかと、希望を抱いているわけだけれど。

 その前に流雨が紗彩を女性として好きだということを知ってもらう必要がある。しかし流雨が今紗彩に思いを告げても、ルーウェンとなってまだ一ヶ月程度では、紗彩は戸惑うだけで思いを受け止めてもらえない気がする。だから、紗彩にもっとルーウェン姿の流雨に慣れてもらい、流雨を兄という属性だけでなく、男だと意識してもらいたい。東京にいたころは、頬にキスを習慣させる段階で、紗彩は流雨を男だと意識している様子をみせていた。しかし、最近の紗彩はキスを拒否してくる。ルーウェンな流雨に慣れていないからと紗彩は言うが、本当にそれだけなのだろうか。

 キスを拒否されるとまあまあショックを受けるので、最近は様子見しているが、では他にどうやって紗彩に男だと意識してもらうんだ、という謎。いつものように甘やかすのも可愛がるのも、ただ兄としてとしているのだと紗彩は受け取るだろう。じゃあ手っ取り早く男だと意識してもらうために押し倒すかというと、それも違う。それじゃあ流雨を男だと意識はするだろうが、紗彩に怖がられては元も子もない。

 流雨は昔からそこそこモテていたし、女性に自分を好きになってもらうのは簡単と思っていたが、それは流雨が興味のない相手だから、最悪嫌われても問題ないから簡単なだけだと今更気づいた。紗彩だけはどうしても手に入れたい。ずっと傍にいたい。少しでも嫌われたくない。だからどうしても慎重になってしまう。紗彩は目を離したらすぐに飛んで行ってしまいそうだから。
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