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第1章
2 二度目なのに人生は世知辛い
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「サーヤ嬢! ここで君に婚約破棄を宣言する!」
「……急にそんな宣言されても」
私は婚約者であるリアット・ウォン・ジアンク子爵令息に急にこんな宣言をされ、呆然としていた。場所はヴォルフォルデン帝国にあるメイル学園高等部の敷地内で、見物客多め。
私の名はサーヤ・ウォン・ウィザー、伯爵令嬢で十七歳。
事の始まりは、急にヴェラ・ウォン・ノイラート伯爵令嬢に声を掛けられ、ほとんど引っ張られるようにこの場所まで連れてこられたことによる。ここは学園の敷地内ではあるが、普段は特別授業がない限り使用しない建物と建物の間にある中庭だった。だからいつもは人が見当たらない場所なのだ。そう、普段であれば。
今日に限って、特別授業があったらしい。授業が終わった生徒たちが建物から続々と出てきて、この中庭の横を多くの生徒が横切っていた。その最中での婚約破棄宣言である。誰もが私の婚約者の言葉に興味を向けた。
おかしいとは思ったのだ。
急に私に声を掛けてきたヴェラは、普段は上から目線の物言いなのに、今日はなぜかフレンドリー。なんなんだと思いつつも、そのフレンドリーさに拒否できず、こんなところまで連れ出されてしまった。
そして目にしたのは、私の婚約者の浮気。普段使われていない建物の中庭とはいえ、いくらなんでもこんなところで堂々とキスはないと思う。その浮気相手は、可愛らしい女性。確か年齢は私より一つ下だったと思うが、名前が分からない。たぶん男爵令嬢だと思う。
先に私に気づいたのは浮気相手の男爵令嬢だった。私がリアットの婚約者だと知っているのだろう、気まずい表情を浮かべ、その後リアットが私に気がついた。
せめて取り繕うくらいはして欲しかった。しかしリアットが開き直った表情で口にしたのは、これだった。
「サーヤ嬢! ここで君に婚約破棄を宣言する!」
もう呆然とするしかない。
「……急にそんな宣言されても。なぜです? さきほどのを見た限り、浮気したのはそちらでしょう。私にそんな宣言をされる謂れはないはずです」
「浮気ではない! これは真実の愛なんだ! ずっと思っていた。僕に君は相応しくない。モップ令嬢、そう呼ばれる君と僕が似合うと? そんなはずはない、そう思っていた時に彼女と出会ったんだ。彼女こそ、僕に相応しい!」
「……モップ令嬢と呼ばれたことはありませんけれど」
ぼそっと口にした私の言葉など、少し自分に酔いしれたように話すリアットの耳には入っていないだろう。
『モップ令嬢』、私がそのように陰であだ名を付けられていることは知っている。私のうねった長い髪が、モップを連想するかららしい。とはいえ、そのあだ名を私に堂々と言う人は、さすがにいない。
その隠れたあだ名をわざわざ口にするとは、つくづく失礼な男である。
いっぽう、リアットの浮気について知っていたのだろう、私をここへ連れてきたヴェラは、いい気味と言いたげな顔で笑っている。
こんなに見物客が集まる中、堂々とこう宣言されてしまえば、もう明日には学園中にこの出来事が知れ渡ることだろう。
目立つことが苦手な私は、この見物客を前にどうすればいいのか、思考がストップしてしまっていた。
「婚約破棄、結構なことだ。ウィザー家はそれを受け入れる」
「……ユリウス!」
「お前のような無礼な男、こちらから願い下げだ」
後ろから私の肩を抱き寄せ、会話に割って入ったのは、私の一つ年下の弟ユリウスだった。嫌悪感を分かりやすく表情に出し、怒っているのが分かる。
「それと、そちらの不手際による婚約破棄だ。それ相応の対応はするので、そのつもりで」
ユリウスは一方的にそう言うと、私の手をひっぱり踵を返した。
ユリウスは無言で足を進め、止まる様子がない。その行先が馬車停留所だと予想がついて、私は声をあげた。
「どこいくの!?」
「帰るんですよ」
「バッグは!?」
「そんなもの、後から家のものを遣いに出せば済むでしょう」
私もユリウスも手には授業で使った書物や道具しか持っていない。まだこの後も授業は残っており、バッグは教室に置いてきてしまっているのだが、それは使用人に取りに行ってもらうつもりらしい。
馬車停留所に着くと、私たちは馬車に乗り込んだ。この馬車は辻馬車で、いわゆるタクシーのようなものである。代金さえ払えば、誰でも乗れる。
馬車が動き出す。いつも私の横に座るユリウスなのに、今は目の前に座って腕を組んでいた。
(説教モードだわ……)
我が弟ながら、ちょっと怖いと思いつつ、私は口を開いた。
「怒ってる?」
「あたりまえでしょう。どうしてこうなったのか、少しは姉様に原因があるのは理解していますよね?」
「えー? さすがに浮気は私に原因はないはず……」
「浮気のことではないです。分かっているでしょう? 姉様があの男を選んだ方法ですよ! 『どちらにしようかな』だったでしょう!」
「……」
はい、そうです。私は婚約者を『どちらにしようかな』それに続く『天の神様の言う通り』云云かんぬん……で選びました。
「そ、そうだったかな?」
「そうでしたよ。十名いた婚約者候補を、三人まで絞ったところまでは良かったですが、その三人をじっくり選ぼうとしていたら、勝手に『天の神様』に委ねて、決めてしまいましたよね? 僕がそれをマリアに聞いて、慌てて姉様を止めようとしたら、すでに決定の知らせを相手に送った後で、僕が怒ったのを覚えていますよね? たった三ヶ月前の話ですよ。覚えていますよね?」
何度も「覚えていますよね」としつこく口にするユリウスに怒りが表れている。ちなみに、マリアとは私の侍女である。
「だ、だって、三人に絞ったんだよ? もう誰を選んでも一緒でしょ? みんな似たり寄ったりな令息たちで、甲乙つけ難かったし、さすがに浮気するかどうかなんて、調べても分からないよ?」
「もう少し性格は調べられたでしょう。調べてから結論を出すでも、遅くはなかったはずです」
性格を細かく調べても、未来で浮気するかどうかなど、予測は難しいと思う。でもこれ以上ユリウスに話をしても、堂々巡りであろう。そして、私も少しは悪いと思っているのだ。天の神様なんて信じていないのに、そんなものに結論を委ねてしまった私は、反省が必要なのは確かである。
「……ごめんなさい」
「……本当に反省してますか?」
「してるよぅ」
「ではもう二度と『どちらにしようかな』で決めないでくださいね。あんなもの、どこから始めるかで結果なんて最初からすぐに分かる代物ですよ。何かに委ねているようで委ねていないのと同じですからね」
「はぁい」
私の反省で少しは怒りが収まったのか、ユリウスは組んでいた腕を解いた。
「ねぇ、ユリウス。私も一応ショックを受けているの。いつものように隣に座ってよ。私を慰めて欲しいな」
ユリウスは小さくため息をつくと、私の隣に移動した。そして私の肩を抱き寄せる。私はユリウスの肩に頭を乗せた。
「……また、婚約者候補選びからかぁ。やっと決まったばかりだったのに」
「そんなに急いで決める必要ありますか? 姉様に相応しい人は、僕はじっくり決めたいです」
「でも来年デビュタントの予定なのよ? その時には、婚約者が必要だもの」
「婚約者は絶対に必要なわけではないでしょう? デビュタントには僕が同伴します」
「……婚約者は必要なの」
「いつもそれですね。姉様は、どうしても婚約者が必要な理由は僕に教えてくれないんですから」
「理由なんてないよ?」
「嘘ですね」
「……」
そう、デビュタント、つまり社交界にデビューするまでに婚約者が欲しい理由はある。でもそれをユリウスに教えるわけにはいかないのだ。
私は今、二回目のサーヤ・ウォン・ウィザーという人生を生きていた。
一度目の人生は、この国の第三皇妃として生き、階段から落ちて死んだ。
そして、気が付いたら、私はまたサーヤ・ウォン・ウィザーとして目が覚めたのだ。しかも時間が五歳に逆行していた。
その事実を、私は兄にしか話をしていない。私の兄はこの世界とは離れた世界にいるから、話すことができたのだ。しかし、ユリウスは違う。この世界の住人であるユリウスに話すのは躊躇してしまう。影響がありすぎるから。
だから、ユリウスには話せない。私が人生が二度目であることも、早く婚約者が欲しい理由も。
私が婚約者が欲しい理由を言わないことに諦めたのか、ユリウスは大きく息を吐いた。
「婚約者をまた作りたい、ということは分かりました。ですが、今日婚約破棄したばかりです。さすがにすぐに婚約者を作るのは体裁が悪いことは分かりますね?」
「分かってる。次決めるまでは、少し時間を空けるわ。でも先にリストだけ見繕ってくれると嬉しい」
「分かりました」
それから、互いに少し無言になったが、ユリウスが急に舌打ちをした。
「ユリウスー、行儀悪い」
「……失礼。あの男のことを思い出しまして」
「リアットのこと?」
「そうです。あろうことか姉様があの男に相応しくないと戯言を吐いてましたね」
「……まあ、私が『モップ令嬢』だからでしょ」
私の髪は大きくうねり、足のふくらはぎまで長さがある。どうやら最初はモップ犬に似てると陰で笑われていたようだが、いつのまにかそこからモップ令嬢とあだ名が付いてしまっていたのだ。しかも、私の前髪は鼻あたりまであって長く、その上から大きな眼鏡までしていて、他人から表情がまったく見えないと有名である。
一方、弟のユリウスは端正な顔立ちで女性に人気があるため、私たち姉弟はちぐはぐ姉弟だと、よく言われていた。
私の出で立ちでは、それ単体ならいじめの対象になりそうなものだが、ユリウスがシスコンと有名なため、表立って私をいじめる人はあまりいない。ユリウスに睨まれたくない人は多いのだ。
「ああいう表面だけに目が行く男は、本当の姉様を見れば、すぐに手の平返します。後から何を言っても遅い」
「それはユリウスの弟としての欲目ってやつよ。本当の私と言うほどのものは何も持っていないわ」
「姉様は自分に自信がなさすぎます。姉様ほど可愛い人は、そうそういません」
「見慣れているから、そう思うだけよ……」
ユリウスの言う、本当の私とは、長い前髪に隠れる顔立ちのことを言っているのだ。
私は顔をあえて隠している。しかしそれは特定の人物に顔を見られたくないからである。前髪の下にユリウスの言うような可愛い素材などはないのだ。むしろ、私の顔はこの国の民とは違った顔立ちをしており、一般受けはしないだろう。
ユリウスの賛辞は嬉しいが、私は己というものを知っている。自分に期待するだけ無駄である。
「まあいいです。あの男は後悔させてあげます。始末は僕がつけていいですね?」
「いいよ。……一応聞くけど、どうする予定?」
「――うちの店舗の出禁を十年。あと、あの浮気相手の男爵令嬢家も同様に」
「さすがに十年は長いよ! 一年にしよう?」
「一年!? そんなもの、罰にもなりません」
「なるよ……一年でも十分」
我がウィザー家は料理店と化粧品を扱う事業をしている。特に化粧品を扱う店舗がものすごく人気なのだ。その化粧品を扱う店舗を出禁となるということは、浮気をしたリアットはともかく、彼の母や姉妹、浮気相手の男爵令嬢の家からすると、かなり大問題だろう。
ユリウスの顔を仰ぐと、納得いっていない表情をしている。
「出禁になったとしても、化粧品はどうせ代理で買って使うはずですよ」
「分かってる。でも、うちは大量買いできない仕組みだもの、たとえ友人に代理で買ってもらったとしても、その友人も自分のを確保する必要がある以上、不便はあるはずよ。友人には罪はないでしょう?」
「……分かりました。では三年」
「二年にしましょう」
「……………………分かりました。二年ですね」
「ありがとう」
沈黙の長さに抵抗を感じるが、それでも結果的に肯定をするユリウスはいい子だな、と思いながらユリウスの頬にキスをする。するとユリウスも私にキスを返した。
「姉様の処分がこんなに甘いと、あの男のように付け上がる者がまた出そうです」
「出禁の処分は、十分罰になるわ。少なくとも、家族に女性がいる家では特にね。リアットは家族に相当恨まれるはずよ。出禁の噂はすぐに広まるだろうし、それを見た他人が、ウィザー家に同じことをしようとする人は少ないと思うわよ?」
「そうだといいのですが」
ユリウスは姉思いの子だから、私がまた傷つくことを心配しているのだ。うちの弟、いい子だなぁ、と思う。
「そういえば、明日はどうしますか? 学園に行きますか?」
「あ、そうね。……止めておこうかな。あと一日で週末の休みだものね。今日の明日で、噂の的になるのも嫌だし」
週末明けで学園に行っても噂の的は変わらないだろうが、まだ処分が噂にならないだろう明日と、噂になっているだろう週末明けでは、多少私に対する視線の意味も変わってくる。
「今日の夜は私は仕事の予定はないし、一日早いけれど、夜東京に帰るわ。処分も含めて、いろいろとお願いしていい?」
「もちろん。任せてください」
我がウィザー家の料理店と化粧品を扱う事業は、表向きは本業であるが、実は副業にあたる。実際の本業は別にあり、私は特殊な職業を持っていた。その職業は通称『死神業』である。その死神業は今日は予定していないため、一日東京へ帰る日を繰り上げることにした。
ちなみに、『東京』とは日本の東京のことである。
私は、この国ヴォルフォルデン帝国の帝都と東京の、互いが異世界な二拠点を行き来する、特殊な人間だったのである。
「……急にそんな宣言されても」
私は婚約者であるリアット・ウォン・ジアンク子爵令息に急にこんな宣言をされ、呆然としていた。場所はヴォルフォルデン帝国にあるメイル学園高等部の敷地内で、見物客多め。
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事の始まりは、急にヴェラ・ウォン・ノイラート伯爵令嬢に声を掛けられ、ほとんど引っ張られるようにこの場所まで連れてこられたことによる。ここは学園の敷地内ではあるが、普段は特別授業がない限り使用しない建物と建物の間にある中庭だった。だからいつもは人が見当たらない場所なのだ。そう、普段であれば。
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おかしいとは思ったのだ。
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そして目にしたのは、私の婚約者の浮気。普段使われていない建物の中庭とはいえ、いくらなんでもこんなところで堂々とキスはないと思う。その浮気相手は、可愛らしい女性。確か年齢は私より一つ下だったと思うが、名前が分からない。たぶん男爵令嬢だと思う。
先に私に気づいたのは浮気相手の男爵令嬢だった。私がリアットの婚約者だと知っているのだろう、気まずい表情を浮かべ、その後リアットが私に気がついた。
せめて取り繕うくらいはして欲しかった。しかしリアットが開き直った表情で口にしたのは、これだった。
「サーヤ嬢! ここで君に婚約破棄を宣言する!」
もう呆然とするしかない。
「……急にそんな宣言されても。なぜです? さきほどのを見た限り、浮気したのはそちらでしょう。私にそんな宣言をされる謂れはないはずです」
「浮気ではない! これは真実の愛なんだ! ずっと思っていた。僕に君は相応しくない。モップ令嬢、そう呼ばれる君と僕が似合うと? そんなはずはない、そう思っていた時に彼女と出会ったんだ。彼女こそ、僕に相応しい!」
「……モップ令嬢と呼ばれたことはありませんけれど」
ぼそっと口にした私の言葉など、少し自分に酔いしれたように話すリアットの耳には入っていないだろう。
『モップ令嬢』、私がそのように陰であだ名を付けられていることは知っている。私のうねった長い髪が、モップを連想するかららしい。とはいえ、そのあだ名を私に堂々と言う人は、さすがにいない。
その隠れたあだ名をわざわざ口にするとは、つくづく失礼な男である。
いっぽう、リアットの浮気について知っていたのだろう、私をここへ連れてきたヴェラは、いい気味と言いたげな顔で笑っている。
こんなに見物客が集まる中、堂々とこう宣言されてしまえば、もう明日には学園中にこの出来事が知れ渡ることだろう。
目立つことが苦手な私は、この見物客を前にどうすればいいのか、思考がストップしてしまっていた。
「婚約破棄、結構なことだ。ウィザー家はそれを受け入れる」
「……ユリウス!」
「お前のような無礼な男、こちらから願い下げだ」
後ろから私の肩を抱き寄せ、会話に割って入ったのは、私の一つ年下の弟ユリウスだった。嫌悪感を分かりやすく表情に出し、怒っているのが分かる。
「それと、そちらの不手際による婚約破棄だ。それ相応の対応はするので、そのつもりで」
ユリウスは一方的にそう言うと、私の手をひっぱり踵を返した。
ユリウスは無言で足を進め、止まる様子がない。その行先が馬車停留所だと予想がついて、私は声をあげた。
「どこいくの!?」
「帰るんですよ」
「バッグは!?」
「そんなもの、後から家のものを遣いに出せば済むでしょう」
私もユリウスも手には授業で使った書物や道具しか持っていない。まだこの後も授業は残っており、バッグは教室に置いてきてしまっているのだが、それは使用人に取りに行ってもらうつもりらしい。
馬車停留所に着くと、私たちは馬車に乗り込んだ。この馬車は辻馬車で、いわゆるタクシーのようなものである。代金さえ払えば、誰でも乗れる。
馬車が動き出す。いつも私の横に座るユリウスなのに、今は目の前に座って腕を組んでいた。
(説教モードだわ……)
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「怒ってる?」
「あたりまえでしょう。どうしてこうなったのか、少しは姉様に原因があるのは理解していますよね?」
「えー? さすがに浮気は私に原因はないはず……」
「浮気のことではないです。分かっているでしょう? 姉様があの男を選んだ方法ですよ! 『どちらにしようかな』だったでしょう!」
「……」
はい、そうです。私は婚約者を『どちらにしようかな』それに続く『天の神様の言う通り』云云かんぬん……で選びました。
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何度も「覚えていますよね」としつこく口にするユリウスに怒りが表れている。ちなみに、マリアとは私の侍女である。
「だ、だって、三人に絞ったんだよ? もう誰を選んでも一緒でしょ? みんな似たり寄ったりな令息たちで、甲乙つけ難かったし、さすがに浮気するかどうかなんて、調べても分からないよ?」
「もう少し性格は調べられたでしょう。調べてから結論を出すでも、遅くはなかったはずです」
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「……ごめんなさい」
「……本当に反省してますか?」
「してるよぅ」
「ではもう二度と『どちらにしようかな』で決めないでくださいね。あんなもの、どこから始めるかで結果なんて最初からすぐに分かる代物ですよ。何かに委ねているようで委ねていないのと同じですからね」
「はぁい」
私の反省で少しは怒りが収まったのか、ユリウスは組んでいた腕を解いた。
「ねぇ、ユリウス。私も一応ショックを受けているの。いつものように隣に座ってよ。私を慰めて欲しいな」
ユリウスは小さくため息をつくと、私の隣に移動した。そして私の肩を抱き寄せる。私はユリウスの肩に頭を乗せた。
「……また、婚約者候補選びからかぁ。やっと決まったばかりだったのに」
「そんなに急いで決める必要ありますか? 姉様に相応しい人は、僕はじっくり決めたいです」
「でも来年デビュタントの予定なのよ? その時には、婚約者が必要だもの」
「婚約者は絶対に必要なわけではないでしょう? デビュタントには僕が同伴します」
「……婚約者は必要なの」
「いつもそれですね。姉様は、どうしても婚約者が必要な理由は僕に教えてくれないんですから」
「理由なんてないよ?」
「嘘ですね」
「……」
そう、デビュタント、つまり社交界にデビューするまでに婚約者が欲しい理由はある。でもそれをユリウスに教えるわけにはいかないのだ。
私は今、二回目のサーヤ・ウォン・ウィザーという人生を生きていた。
一度目の人生は、この国の第三皇妃として生き、階段から落ちて死んだ。
そして、気が付いたら、私はまたサーヤ・ウォン・ウィザーとして目が覚めたのだ。しかも時間が五歳に逆行していた。
その事実を、私は兄にしか話をしていない。私の兄はこの世界とは離れた世界にいるから、話すことができたのだ。しかし、ユリウスは違う。この世界の住人であるユリウスに話すのは躊躇してしまう。影響がありすぎるから。
だから、ユリウスには話せない。私が人生が二度目であることも、早く婚約者が欲しい理由も。
私が婚約者が欲しい理由を言わないことに諦めたのか、ユリウスは大きく息を吐いた。
「婚約者をまた作りたい、ということは分かりました。ですが、今日婚約破棄したばかりです。さすがにすぐに婚約者を作るのは体裁が悪いことは分かりますね?」
「分かってる。次決めるまでは、少し時間を空けるわ。でも先にリストだけ見繕ってくれると嬉しい」
「分かりました」
それから、互いに少し無言になったが、ユリウスが急に舌打ちをした。
「ユリウスー、行儀悪い」
「……失礼。あの男のことを思い出しまして」
「リアットのこと?」
「そうです。あろうことか姉様があの男に相応しくないと戯言を吐いてましたね」
「……まあ、私が『モップ令嬢』だからでしょ」
私の髪は大きくうねり、足のふくらはぎまで長さがある。どうやら最初はモップ犬に似てると陰で笑われていたようだが、いつのまにかそこからモップ令嬢とあだ名が付いてしまっていたのだ。しかも、私の前髪は鼻あたりまであって長く、その上から大きな眼鏡までしていて、他人から表情がまったく見えないと有名である。
一方、弟のユリウスは端正な顔立ちで女性に人気があるため、私たち姉弟はちぐはぐ姉弟だと、よく言われていた。
私の出で立ちでは、それ単体ならいじめの対象になりそうなものだが、ユリウスがシスコンと有名なため、表立って私をいじめる人はあまりいない。ユリウスに睨まれたくない人は多いのだ。
「ああいう表面だけに目が行く男は、本当の姉様を見れば、すぐに手の平返します。後から何を言っても遅い」
「それはユリウスの弟としての欲目ってやつよ。本当の私と言うほどのものは何も持っていないわ」
「姉様は自分に自信がなさすぎます。姉様ほど可愛い人は、そうそういません」
「見慣れているから、そう思うだけよ……」
ユリウスの言う、本当の私とは、長い前髪に隠れる顔立ちのことを言っているのだ。
私は顔をあえて隠している。しかしそれは特定の人物に顔を見られたくないからである。前髪の下にユリウスの言うような可愛い素材などはないのだ。むしろ、私の顔はこの国の民とは違った顔立ちをしており、一般受けはしないだろう。
ユリウスの賛辞は嬉しいが、私は己というものを知っている。自分に期待するだけ無駄である。
「まあいいです。あの男は後悔させてあげます。始末は僕がつけていいですね?」
「いいよ。……一応聞くけど、どうする予定?」
「――うちの店舗の出禁を十年。あと、あの浮気相手の男爵令嬢家も同様に」
「さすがに十年は長いよ! 一年にしよう?」
「一年!? そんなもの、罰にもなりません」
「なるよ……一年でも十分」
我がウィザー家は料理店と化粧品を扱う事業をしている。特に化粧品を扱う店舗がものすごく人気なのだ。その化粧品を扱う店舗を出禁となるということは、浮気をしたリアットはともかく、彼の母や姉妹、浮気相手の男爵令嬢の家からすると、かなり大問題だろう。
ユリウスの顔を仰ぐと、納得いっていない表情をしている。
「出禁になったとしても、化粧品はどうせ代理で買って使うはずですよ」
「分かってる。でも、うちは大量買いできない仕組みだもの、たとえ友人に代理で買ってもらったとしても、その友人も自分のを確保する必要がある以上、不便はあるはずよ。友人には罪はないでしょう?」
「……分かりました。では三年」
「二年にしましょう」
「……………………分かりました。二年ですね」
「ありがとう」
沈黙の長さに抵抗を感じるが、それでも結果的に肯定をするユリウスはいい子だな、と思いながらユリウスの頬にキスをする。するとユリウスも私にキスを返した。
「姉様の処分がこんなに甘いと、あの男のように付け上がる者がまた出そうです」
「出禁の処分は、十分罰になるわ。少なくとも、家族に女性がいる家では特にね。リアットは家族に相当恨まれるはずよ。出禁の噂はすぐに広まるだろうし、それを見た他人が、ウィザー家に同じことをしようとする人は少ないと思うわよ?」
「そうだといいのですが」
ユリウスは姉思いの子だから、私がまた傷つくことを心配しているのだ。うちの弟、いい子だなぁ、と思う。
「そういえば、明日はどうしますか? 学園に行きますか?」
「あ、そうね。……止めておこうかな。あと一日で週末の休みだものね。今日の明日で、噂の的になるのも嫌だし」
週末明けで学園に行っても噂の的は変わらないだろうが、まだ処分が噂にならないだろう明日と、噂になっているだろう週末明けでは、多少私に対する視線の意味も変わってくる。
「今日の夜は私は仕事の予定はないし、一日早いけれど、夜東京に帰るわ。処分も含めて、いろいろとお願いしていい?」
「もちろん。任せてください」
我がウィザー家の料理店と化粧品を扱う事業は、表向きは本業であるが、実は副業にあたる。実際の本業は別にあり、私は特殊な職業を持っていた。その職業は通称『死神業』である。その死神業は今日は予定していないため、一日東京へ帰る日を繰り上げることにした。
ちなみに、『東京』とは日本の東京のことである。
私は、この国ヴォルフォルデン帝国の帝都と東京の、互いが異世界な二拠点を行き来する、特殊な人間だったのである。
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愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。
予告なく痛々しい、残酷な描写あり。
サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。
小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。
こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。
本編完結。番外編を順次公開していきます。
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