上 下
44 / 48

44 夫の兄

しおりを挟む
 政務館の最上階のルークの執務室へは、ロニーが場所を知っていたので、ロニーに案内してもらった。侍女のリアは、現在別室で待機中だったので、こちらに来るよう、使用人に伝言を頼んだ。

 ルークは馬車ではなく馬で戻ると言っていたから、そろそろ騎士団の城には到着しただろうか。馬車ではないので、馬なら飛ばせば、早めに着くだろう。

 ルークの執務室からは煙の方向が見えなくて、そわそわと窓辺をウロウロとする。窓から見える目の前に、同じ執務館の建物に付いている塔がある。ここからは十メートルほどしか離れていない。あちらに行けば、もしかしたら国境の様子が見えるかも、と塔へ行こうかと迷っている時だった。

 執務室の扉が開き、人が五名入ってきた。

「これはこれは、愚弟の夫人ではないか」
「……イェロン伯爵?」

 なぜここにイェロン伯爵が入ってくるのか。ロニーが私の傍で警戒している。

「ここは、ルークの執務室です。ルークは今不在ですけれど、ルークに何か御用でしょうか?」
「夫人に用があってね。あれが病弱な妻を娶ったと聞いたときは、放っておいてもどうせ後継などできぬと思っていたが、元気になられてはな。こちらにも都合というものがある」
「……どういう意味でしょう」
「まさか、もう身ごもってはいまいな? それなら、夫人の腹も割く必要が出てくる」
「身ごもっていません!」

 傷つけられるかも、という恐怖と、まだルークと初夜も迎えていないからということで、真実を叫ぶ。ルークがいる時は、後継がどうの、と心配を装おう言葉を言っていたのに、本当は後継などいたら困ると思っていたのか。

「……なるほど、それだけあの愚弟が大事にしているということか? ならば、ぜひ愚弟を招待するためにも、夫人には私と来てもらわなければならないな」
「遠慮しますわ!」
「夫人の意見は聞いていない。どうせ、これから無理にでも連れて行くのだから。愚弟が国境に手間取られているうちにな」

 まさか、あの煙はこのイェロン伯爵が起こしたことなのだろうか。嫌な汗が背中を流れる。

「まさか、わたくしを人質とするために、あの煙を?」
「……ふん、愚弟の夫人にしてはバカではないようだな。あの煙一つ出すのに、どれだけ手間がかかっていると思っている? 夫人は必ず連れて行く」
「い、嫌です」
「夫人にいいことを教えてあげよう。このまま愚弟と婚姻生活を続けても、いつかは離縁することになるだろう」
「……どういうことですか?」

 イェロン伯爵は顔を歪めた。

「愚弟が公爵となれた理由を知っているか? 天恵を持っているからだ。あいつが天恵を持って生まれてこれた理由は、あいつの母親が天恵を持っていたからだ」
「……」
「父と母が天恵を持っていれば、天恵持ちの子供が生まれやすい。あいつが天恵を持てたのは、母親のお陰だ。夫人はどうだ? 天恵は持っていないだろう」
「……」
「いずれ子が産まれたとしても、天恵を持っていなければ、後継者には遠いぞ。愚弟は普通の子しか産めない夫人を捨てるだろう」

 そんなことはない。きっとルークは、天恵を持たない子でも可愛がってくれる。きっと私も捨てないでいてくれる。優しい人だから、きっと。

 そう思うけれど、天恵を持つ子がいないと、いつかルークが回りから冷たい目で見られるのでは、と思うと、それは辛いかもしれない。いつかルークが、回りに私と別れろと言われて苦悩するなら、いまのうちにルークから離れてあげるべきなのでは。

 あまり嬉しくない想像をしてしまい、気落ちする私を見てイェロン伯爵は笑みを浮かべた。

「まだ愚弟の大事な妻であるうちに、私がうまく使ってやる」

 イェロン伯爵が合図をすると、イェロン伯爵の傍にいた四名の男たちが私に近づいてきた。すぐにロニーが対応する。ロニーが子供だと侮っていたのか、一人はあっという間にロニーに頭を床に沈められてしまった。

 怪力という天恵持ちのロニーが本気で対応すると、人間の頭って床にめり込むのだな、と青くなる。たぶん、あのめり込んだ人は、ぴくぴくしているので、死んではいない。

 さすがにロニーを警戒したようで、残りの三人は慎重にロニーと対峙している。あの三人も、荒事に慣れていそうで、ロニーは冷静に対処しているものの、苦戦しそうだ。

 それを見て舌打ちをしたイェロン伯爵は、家具を回って私に近寄ってきた。

「近寄らないで!」

 私は近くの花瓶を持った。それを見て、イェロン伯爵はニヤっと笑う。

「おお、怖い怖い。そんなもので私を倒せるとでも?」

 誰も倒せるとは言っていない。
 私は花瓶を思いっきり窓に投げた。バリンと大きい音を立てて窓が割れ、外のバルコニーにガラスが散った。

「なっ!?」

 大きい音を立てて、ここに人を呼ぶのが目的だ。
 開いた窓から外に逃げる手もあるけれど、さすが執務館の最上階からだと飛び降りは怖い。たぶん死ぬ。隣の塔に綱渡りできそうな技でも習っておくんだった、と後悔する。

 怒りに顔を歪め、足早に近寄るイェロン伯爵に、逃げながら近くの物を投げつける。手当たり次第掴めるものを投げつけるけれど、イェロン伯爵は止まる気配がない。もう投げるものがなくなってきた。

 仕方がない。今なら不意を付けるかもしれない。

 近寄って来るイェロン伯爵に、逆に少し近づくと、一瞬驚いているイェロン伯爵の足のスネに思いっきり蹴りを入れた。

「いっ――!?」

 痛みに顔を歪めるイェロン伯爵に、今度は顔面に蹴りを三回連続で入れた。そして蹴りの反動で戻って来るイェロン伯爵の顔に、トドメとばかりに後ろ回し蹴りをお見舞いする。

 バタンと床に倒れるイェロン伯爵がまだ起き上がるかも、と蹴りやすいスネをもう一度蹴ったけれど、イェロン伯爵の反応がない。

「……あら? まさか伸びちゃった?」

 騎士でも運動が得意ではないというオキシパル伯爵は別として、イェロン伯爵は図体も大きいし、私も渾身の力で蹴ったものの、効かないかもしれないと自信はなかったのだが。

 その時、大きい音がしたと思うと、ロニーが最後の一人を床に沈めていた。そして、ロニーは慌ててこちらに近寄って来る。

「奥様! お怪我は!?」
「大丈夫――」

 その時、大きい音を立てて執務室の扉が開いた。そこからたくさんの騎士とルークが現れた。

「アリス!」
「ルーク!」

 走ってきたルークは、私を強く抱きしめる。そして体を離した。

「アリス、無事か!? 怪我はないか!?」
「元気です。……でも、ごめんなさい」
「……どうした?」
「イェロン伯爵がしばらく起きないかもしれないわ」
「は?」

 ルークはやっと、私の傍で伸びているのがイェロン伯爵だと気づいたらしい。

「六回くらい、蹴っちゃいました。今日のわたくしのブーツは特性なので、少し痛かったかもしれません」
「……」
「青タンくらいですめばいいのですが……。あ、花瓶と窓が割れているのは、イェロン伯爵に賠償請求してくださいね」

 ぶはっとルークは笑い出し、私を抱え上げた。

「ははは! 俺のアリスは最高だな!」

 楽しげに笑うルークの横で、イェロン伯爵を含む五人は、気絶したまま全員騎士たちに連れられて行った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
実は、公爵家の隠し子だったルネリア・ラーデインは困惑していた。 なぜなら、ラーデイン公爵家の人々から溺愛されているからである。 普通に考えて、妾の子は疎まれる存在であるはずだ。それなのに、公爵家の人々は、ルネリアを受け入れて愛してくれている。 それに、彼女は疑問符を浮かべるしかなかった。一体、どうして彼らは自分を溺愛しているのか。もしかして、何か裏があるのではないだろうか。 そう思ったルネリアは、ラーデイン公爵家の人々のことを調べることにした。そこで、彼女は衝撃の真実を知ることになる。

処理中です...