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19 口づけ拒否

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 数日が過ぎた、ある日。いつも通り厨房で仕事をして、騎士たちの昼食を終え、しばらくして私たちの昼食時間。

 相変わらず、リアは昼食後に昼寝、私は他愛もない話をアダムとする。

「最近、団長とずいぶん打ち解けたようですね。あの団長が笑うのをよく見ますし」

 団長とは、ルークのことだ。私も最近はずうずうしくもルークと友人関係と言っていいのでは、と若干うぬぼれていたので、素直に頷く。

「そうですね。旦那さまと仲良くなれたような気がします。旦那様、お優しいですし」

 ルークに愛人がいるかも、ということを除けば、ルークは優しくて人柄も良いと思う。笑いのツボがいまいち分からないけれど、私と話をしていて、よく笑うのを見る。

「優しい……なるほど、アリーさんにはそうなんですね。俺たちには結構厳しい人ですよ」
「それは、わたくしとは立場が違うからでしょう? 騎士は命に係わる大変な仕事ですし、旦那様が厳しくなさるのは、分かる気がします」
「立場だけでしょうか。アリーさんには特別優しい気はします」
「そ、そうでしょうか……」

 今、同じ立場として入っているリアには、ルークはあまり話しかけないし、もしかしたら私が妻だということを再認識して、少しは特別扱いしてくれるようになったのかもしれない。友達のように大事な妻、うん、それもいいかも、なんて思いながら、笑みを浮かべた。

「……そういう笑顔を見ると、俺は完全に負けたのかな、という気分になりますね」
「え?」
「アリーさんが夫を捨てるなら、俺にして欲しいのですけれど」
「夫は捨てませんけれど?」
「団長に乗り換える気なのでは? 言っておきますが、団長は女心に疎いですよ。おすすめはしません。夫人もいらっしゃるし」
「乗り換えるも何も……」

 その団長が夫です、私が夫人です、とは言えない。ルークが侍女アリーは妻だと皆に知らせるならまだしも、ルークが黙っているのに、勝手に私が言いふらすわけにはいかない。だから、曖昧に笑みを浮かべるだけに留めた。

 最近のアダムは厨房以外では口説きモードになるから困る。現在騎士団にいる女性が私とリアだけだから、アダムの口説きターゲットが私になってしまったようだ。

 ちなみに、リアはたくさんの騎士から口説かれている最中で、最近はあしらうのが上手になってきた。もう一人の侍女ミアから、羨ましがられている。リアもミアも婚約者募集中なので、あの二人は交互に連れてきてあげればよかったと、今更ながらに思った。

 昼休みも終わり、仕事に戻って、夕方が来た。
 いつものように、三尾と戯れていると、ルークが来たので、ルークと二人で三尾に乗って散歩に行く。そして、山の頂上の草の絨毯の上に降り立つと、横たわる三尾を背もたれ代わりに、二人で並んで座る。

「数日後には帝都に行く予定だから、しばらく三尾に乗せてやることはできない。悪いな」
「そうなんですね……」

 急にそんな話をされて、なんだか残念なような寂しい気持ちになる。私にとって、この時間は、かなり楽しい時間だった。

「三尾に乗れなくなるのは寂しいですけれど、しばらくは三尾と戯れて楽しむことにします」
「……寂しいのは、三尾にだけか?」
「え?」

 思わず口走った、と言いたげに、ルークははっとした表情をした。

「いや、なんでもない」
「……旦那様に会えないのも、寂しいですよ」

 私にとってのこの時間は、三尾だけでなくルークも含めてなのだから。ずいぶん仲良くなったし、友達として、あわよくば、もう少し夫婦らしい関係になれたら嬉しい、とまで最近は思うことがあった。

「……そう、か」

 ルークは私ではない方を向くが、若干耳が赤い気がする。ルークは軽く咳払いしながら、こちらを見て誤魔化すように口を開いた。

「少しお腹が減ってきたな。今日の夕食は何か知っているか?」
「メイン料理は鶏肉のトマト煮ですよ」
「そうか」

 今日はメイン料理に入れる玉ねぎをたくさん切ったのを思い出す。

「もし、夕食までお腹がもたないようでしたら、パンを差し上げましょうか?」
「パン?」

 私は右ポケットからハンカチの包みを取り出し、包みを広げた。中にはパンが一つある。

「もう一つありますから、こちらは良かったらどうぞ」

 ルークの目が私の左ポケットにいく。そこには、もう一つ、パンが入っている。

 すると、いきなりルークが笑いだした。なんで?

「ポケットが膨らんでいるな、とは思っていたが、まさかパンが入っていたとは!」
「このパン、お昼に食べて美味しかったのです。料理長が持って帰っていいと許可をくださったので、持ち帰ろうと」
「だからって、ポケットに入れるか?」

 だって、私がもらったものだし、いいではないか。食い意地が張っているのは認めますけれども。まだルークは笑っている。いつも思うが、ルークの笑いのポイントがよく分からない。

「帰りの馬車の中で、小腹がすくので、その時に食べようと思ったのですよ。……もういいです、これは予定通り、わたくしが食べます」

 再びハンカチでパンを包んでいると、まだ笑いながらルークが口を開いた。

「いや、せっかくだから、俺がもらう」

 ルークがパンを取ろうとしたので、パンを遠ざけた。

「もうあげません」
「いや、俺がもらう」

 パンをルークが届かないところへ右手を伸ばすが、ルークの腕は長くて届きそうだ。さらに遠くへやろうと、背もたれの三尾からだんだんずれていく。結局、ルークの手がパンに届いた時には、いつの間にか二人とも寝そべり、ルークは私の上に乗っていた。それに気づかず、二人とも笑ってしまいながら口を開く。

「よし、これは俺がもらうな!」
「腕が長すぎませんか? ずるい……と……思……!?」

 自分の顔の目の前に、ルークの顔がある。近すぎる距離に気づいた私たちは、二人とも無言になった。なんだか、視線を逸らしてはいけないような気がして、ルークを見続けるものの、やけに心臓の音が大きく聞こえる。ルークに聞こえてしまいそうで、早く何か言って離れて欲しいと思うものの、自分から何かを言う勇気もない。

 ルークの顔が少しずつ近づいてきている気がする。もしかして、俗にいうキスというものをするのだろうか。そんなこと、してもいいのだろうか。しかし、私たちは表向きは夫婦で、キスをしてはいけない、なんてことはないはずだ。

 それに、ルークにならキスをされてもいい、そんな風に思っている自分もいる。

 ゆっくりと近づくルークの唇は、なぜかあと三センチほどでピタリと止まった。そして、ルークは唇ではなく、額を私の額に押し付けた。ゼロ距離の私たちは、唇だけが三センチ離れたままだ。至近距離で視線が合うけれど、ルークの視線は、どこか葛藤を含んだものに見えた。

「……ごめん」

 ルークはそう言うと、私から体を離して起き上がった。その横顔は、後悔の色を含んでいる。

 私は拒まれたんだと、思った以上にショックだった。恥ずかしくていたたまれなくて、泣きそうになるのをぐっと我慢する。それでも聞きたかった。夫の真意を。

「どうしてですか?」
「……」

 黙るルークに、妻に言い訳もしたくないのか、と悲しくなる。

「……好きな方が、いらっしゃるのですね」
「……そうだ」

 ずっと聞きたかった、夫の真意。遠まわしにでもいいから、夫に恋人がいるのかどうか、ずっと確かめたかった。それが愛人なのか、私と離縁して後妻を迎えたいのかは、もう聞く勇気はなかった。それに、わざわざ聞かずとも、分かった気がする。愛人がいるだけなら、正妻との間に子は作ろうと思っているはずだ。でも、私とはキスさえしたくない、というわけで。きっとルークは本当の恋人を迎えるために、恋人に顔向けできないことは一切したくないのだと。

「……お気持ちは分かりました」

 横になったままの体を起こす。そして、気まずい顔で私を伺うルークに、笑みを向けた。こんなことで泣く必要はない。分かっていたことなのだから。

「そろそろ帰りましょう」

 私は何事もなかったかのように、ルークにそう告げた。ただ、胸がズキズキと痛むのを気づかないフリはできないのだった。
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