最初から勘違いだった~愛人管理か離縁のはずが、なぜか公爵に溺愛されまして~

猪本夜

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02 私、結婚するらしいです

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 なんだか話声が聞こえる。「絶対に死なせるな」とかなんとか。
 ああ、やっぱり私は死にかけているのか、出血多量だったしね、そんなことを思いながら、だんだんと意識が覚醒していく。

 覚醒と同時に、周りにいる複数人の声も、少しずつはっきりと聞こえてくる。兄だろうか、その声に誘われるように私は目をゆっくりと開けた。

「……っ、アリス! 良かった、目が覚めたか!」

 あれ? 知っている声だけれど、期待した声の主ではない。視界に喜びに満ちた兄の美しい顔が、いっぱいに映る。そう、彼は間違いなく、私の兄だ。でも、刺された私のことを心配していた、あの『兄』ではない。

「アリス、一度呼吸が止まっていたんだぞ。覚えているか?」
「……呼吸が?」

 私の口から、掠れた小さい声が出る。呼吸が止まった、ということは、一度死んだということだろうか。

 だんだんと理解する現状。そうか、もう私はあの『私』ではないのだ。『私』はあの時、刺されて結局死んだのだ。そして現在は『佐久間ありす』ではなく、私は『アリス・ル・バリー』であり、バリー伯爵家の娘であった。私は現世で死にかけたことにより、前世が『佐久間ありす』だった時の記憶を思い出したのだ。

「聞いているのか? 受け答えくらい、きちんと――」
「バリー伯爵、妹さんは目が覚めたばかりです。意識がまだ混濁しているのでしょう。お話したければ、もう少し時間を空けた方がよろしいかと」
「だが………………、分かった。いいか、高い金を払っているんだ、明日にはアリスが話せるように治療しておけ」

 むっとした表情の兄は、医師と思われる男に指を指して命令すると、部屋を出ていく。
 うるさい兄が出ていき静かになった部屋で、私は目を瞑った。普段、私に興味のない兄が、なぜ私の部屋にいるのだろう。普段であれば、私が死にかけているからといって、妹を気に掛けるような兄ではないのに。

 バリー伯爵家は貧乏貴族だった。数年前、亡くなった父の代わりに兄が伯爵となり、浪費癖のある兄の管理する伯爵家は、父の代ではちょっと貧乏程度だったものが、兄の代でド貧乏になった。一応、小さい領地持ちではあるが、兄は管理なんてせず他人任せ、そして領地としての収入は全て兄へ渡っている。

 現在、我が家の使用人は、兄に領地の管理を任されている兼任執事、食事作りと掃除も任されている兄と私の乳母、その二人のみである。貴族というのは名ばかりで、生活ぶりは一般的な平民以下かもしれない。

 私はぜいたく品なんて持っていないし、学校だって行っていない。小さい頃に亡くなった母のドレスや宝石は、私が貰ったはずなのに、兄が勝手に売ってしまった。まあ、私も出かけるあてなどないのだから、ドレスなんて持っていても仕方がないのかもしれない。なんせ、私は数年前から、ガリガリにやせ細り、去年にはベッドから起き上がれないほど衰弱してしまっているのだから。

 ああ、いろいろと思い出してきたら、腹が立ってきた。
 現世の私は、兄に勝手にされても反抗などせず、兄に言われるがまま過ごしてきた。兄は学校に通ったのに、お金がかかるからと、私は通わせてもらえなかった。兄はバリー伯爵家の後継者だから、妹の私が我慢するのは当たり前だと思っていた。

 後継者大事の乳母に、兄と差を付けられることも仕方ないと思っていた。良い食材が手に入っても、乳母はそれを兄にしか与えず、私はいつも薄く切った野菜のスープだけだった。そんな食事を続けていく内、だんだんと体力がなくなり、去年の十八歳になった時には完全にベッドの上の住人になった。

 それから一年。とうとう棺桶に足を突っ込みかけたところで、生の世界に引き戻されてしまった。しかも、前世の記憶を思い出したせいで、現世初の怒りの感情が脳内をめぐる。

 だって、おかしくないだろうか。なぜ、兄の物は兄の物、私の物も兄の物なのだろう? 兄のせいで全てを我慢しなくてはならないの? 小さい頃に母が亡くなり、親代わりだった乳母はいつも私に「坊ちゃまのために、我慢しなさい」と言っていたが、兄が食べ残した『良い食材』は、私にはくれずにこっそり乳母が食べていたのだって知っている。

 兄に金を使うなと言われていたのかもしれないが、食材はできるだけ買わない、が乳母の信条らしく、領地で採れる無料のものが食卓の材料であった。

 我が領地の名産品は、目新しさのない畜産物で、乳酸品がメイン。ただそれも領主だからと無料で貰えるはずもない。甘味なんてぜいたく品は、ここ一年は食べていなかった。時々手に入るパンの材料で作った硬いパンと、少しの野菜くらいが食卓に上がるのが常。大抵は野菜スープのみで、そんな食事も、だんだんと受け付けなくなり、死が目前であったのだ。

 しかし、死にかけたことで、私は生まれ変わったと言えよう。前世の記憶を駆使してでも、再び兄のいいように使われないようにしなければ。……でも、どうやって?

 このままでは、また栄養失調な食事を続けることになるだろうし、まずは起き上がれるくらいには元気にならないと、家出もままならない。うーん、うーん、と考えるも、良い案が浮かばないまま、次の日を迎えると、兄に驚愕なことを告げられた。

「……わたくしが結婚、ですか?」
「そうだ。喜べ、相手は、あの西公だぞ! ルーク・ル・アカリエル公爵だ」

 最近は声を出すこともめっきりと減り、カスカスの声を絞り出す私にお構いなしに、兄は上機嫌で続ける。

「役立たずの寝たきりの妹でも、良いと言ってくださったんだ。アリスの結婚の時に支援もしてくれるらしい。これで借金も返せる! 新しい事業を始めるのも、いいかもしれないな!」
「………………」

 兄は妹を金で売るつもりらしい。兄を見れば、兄の頭の中では、すでに「大金で何をしようかな」と妄想が膨らんでいるのが分かる。

「せっかく結婚が決まったのに、アリスが死に損なって焦ったが、生き返ってくれて良かった。あの医者、高い金を払った甲斐があったな。アリスが死んだら責任を取ってもらうつもりだったが、ヤブではなかったようだ」
「………………」

 私に興味のない兄が医師を呼んだことに疑問を持っていたが、そういうことだったのかと納得する。せっかく妹を高く売る算段を付けたのに、死なれては困るから。この兄に期待など皆無だけれど、思っている以上に自分勝手なクズ兄である。前世の兄も面倒な兄だったけれど、人でなしではなかった。時々は妹を大事にしている素振りはあった。そんな前世の兄が懐かしい。

「それでな、明日、アカリエル公爵とアリスの顔合わせがある。準備しておくようにな」
「……あ、明日?」

 んな、無茶な。私、ベッドから起き上がれないんですけれど。私の事情など、どうでもいいらしい。兄の身勝手さに頭が痛くなる。
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