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七ノ段 伊織、忠政公に次第を語り、立ち合うことを求められる事。
(二)
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早朝一番に登城した伊織は、事の次第を小笠原忠政に報告した。
ゆうのことについて逐次報告するようにといわれていたということもあるが、後でたつぞうから津田小次郎が姫路から辻斬りのようなことをしているとも聞き、それも付け加えて話していた。
「岩流――か」
忠政はひとしきり伊織の報告を聞き、何処か興味深そうに頷いた。
「本多殿から話は聞いていた。姫路の方でそのような名前の流派の兵法遣いが暴れておると」
(ああ、なるほど)
そういえば、最初にゆうのことを報告した時にも何か岩流について知っているような素振りであったと思い出す。
趣味人であるということはこの時代では知識人である。博識な君主のことである故に、その流派のことも何処かで聞いたことがあったのだろうという程度に伊織は思っていたのだが、近習としては少し思慮が足りてなかったかもしれない。
「しかし、本当に妙なことになったの。……さて、武蔵殿ならばその津田の何某という若造に負けることなどないだろうが……」
伊織は相槌をうつでもなく、主君の言葉を黙って聴いていた。
内心では「やはり、そう思われるか」と思っていた。
若衆が理由もしれず辻斬りまがいの試合をしているということから、不気味で不可思議な事件ではあると思われていたが、それだけのことである。
兵法者として武蔵に勝てようはずがない。
それだけは確信できる。
忠政も伊織もそのことにはまったく疑う気も起きない。恐らくはその小次郎とやらも、そのことについては解っているのだろう。
「姫路の宮本三木之助に決闘を挑んだりとしておるのは、あるいは武蔵殿に対する揺さぶりもあろうが、まず新免流剣術の太刀筋を見ようとしたものであるやもしれぬな」
忠政はそこまで呟いた。そのことについても、伊織は同感だった。
本命の相手である武蔵の前にその弟子を襲うというのは、太刀筋を探るという手としては悪くないように思える。
直接ではなく、周辺から攻めるというのも揺さぶりとしては有効であるように思える。
だが、やはり危うさがにじみ出ている考え方でもあった。
試合でも悪くすれば不具になることはあり得るのに、決闘を野外で挑めば命の保障など誰もしてくれない。どれほどに自分の腕が立つという確信があるとしても、下手をしたら返り討ちにあって、目的を果たせることなく果ててしまっていただろうに。
「どうにも、考えが浅はかというか……」」
思わずそういってしまった伊織であるが。
「まあ、言ってやるな。いかに腕が立つといっても、所詮は子どもの浅知恵――いや、そうバカにしたものではないか」
「と言いますと?」
「決闘を続ければ、まず、胆力がつく」
忠政は言う。
「戦場を経験していない武士と、そうでない者とはやはり普段は特段の差はないように思えても、いざという時には違いが出る。生来胆力が座っている者もたまにいるが、そうそういない。剣術の決闘も然りであろう。場数を踏み越えて胆力をつけ、武蔵に劣れど武蔵の太刀筋を継ぐ者と戦ってそれを見極めていくというのは――まあ、悪くない。そこまで考えていたのかは、解らぬが。
「は。ご明察、恐れ入ります」
平伏する伊織に、忠政は「しかし」と言葉を継いだ。
「確かに、殺し合いとなれば何が起きるのかは解らないという伊織の懸念も道理だ。考えが浅薄であるにせよ、その者は若くして相当の実力を見につけておるのだろうな」
「そのようです」
三木之助とはほとんど面識はないが、その腕前のほどは知っている。
彼の養父は三木之助兄弟には念入りに武士としての心得、武道を教え込んだのだということは、よく聞いていることだった。
なればこそ兄の跡を弟が継ぐのに何の問題も生じなかったわけだが。
その宮本三木之助をして容易に勝てない相手ということは手紙に記されていたが、それだけでも伊織には脅威に思えた。
「しかしまあ、どのような相手とはいえ、武蔵殿がでれば問題はないだろう」
忠政がそういって、話を打ち切ろうとした。
結局はそこにいたるのだから、自分らが気に病むこともないというのだろう。
伊織は「御意」と同意して下がろうとしたのだが。
その時、
「恐れながら」
と小姓の一人が言った。
(常盤殿か……)
伊織はその声の主をよく知っている。
常盤藤右衛門――この常盤という男と伊織はあまり仲がよくなかった。
それでも伊織は何かあるとこの常盤を推挙していたし、自分を悪くいう相手にも分け隔てなかったと続くのだが、それは伊織の立場が弱かったということに過ぎない。小笠原家に基盤を持たない伊織は、もともとの名門の者たちを立てるような習慣がついていたのである。
それが余計にかさにかかって伊織にくってかかることになっていたということは、さすがに伊織も気づいているのだが、どうしようもないことではあった。
常盤は続けた。
「新免武蔵殿は、すでに隠居の身です」
「ふむ」
「ならば、宮本家の危難は、現当主である伊織殿が解決すべきでしょう」
常盤藤右衛門の言い分はこうだ。
新免武蔵殿はすでに五十を前にした老境に近い年頃である。
そんな年寄りに、いかに剣豪たろうともことの始末を任せるのはどうだろうか。
ここは剣豪たる武蔵の養子であることを示すために、伊織殿が率先してことを解決するべきである。
その津田の何がしとやらと試合をさせてみるのはどうだろうか。
……言いがかりのようなものであるが、いちいち筋は通っていた。
特に武蔵が老齢であるというのは確かである。
忠政はしばしその意見に耳を傾けていたが。
「解った」
と言って。
「伊織は、藤右衛門の意見をどう思う?」
そう話を振ってきた。
言外に、上手く誤魔化せと言われているのが解った。
常盤藤右衛門の言葉は筋は通ってはいるものの、それは為政者としては受け入れ難いものであった。
武蔵に任せるわけにはいかないといえばそうだが、相手は辻斬りまがいのことをしでかしてる。捕縛して処刑するにも充分だった。そういう風に話を持っていかなかったのは、下手な扱いをしたならば武蔵の名誉に関わることになるのではないかという判断からである。
どうにも最近は、得体の知れぬ風聞が飛び交っている観がある。
……勿論、あの新免武蔵という人物が、他人の評価などをあまり気にしていないということは承知の上でのことであるが。
伊織はそれらのことを察しつつ、ちらりと藤右衛門を見た。
じっと、嫌な目で自分を見ていた。
(ふーん……このまま、殿の判断に任せてもいいが……)
忠政の本音は解っている。
武蔵自身に始末してもらうことができないから、その息子がどうにかする――というのは筋が通ってはいる。
しかし、決闘などで伊織が無様に負けようものならば今後の出世は見込めそうにない。そ
れこそが藤右衛門の狙いなのだろう。できるならば笑止と聞き流してさっさと捕縛してしまうことを進言したい。だが、ここでこのように話を振られた後では、伊織が「逃げた」という印象を世間に与えてしまうことにもなりかねない。恐
らく、藤右衛門はそういう展開をも見越した上でこんな話をしたのだろう。未だ、名誉は多くの武士にとっては重い時代だった。
(だが、殿が求めているのは……)
ここで彼に求められているのは、どう藤右衛門の言をかわすか、その機転のほどだ。
近習にまで取り立てた人間を、こんなことで失ってしまうわけにはいけない――というのと、取り立てたのだから、それ相応の才覚を示して見せろ、ということである。
(さて、どうしたものか……)
つまるところは、仕合をするかしないかの二択で考えるから詰むのだ、と伊織は思った。
しばし思案した後、
「常盤殿のご意見、まったくもって道理にあっていると存じます」
と答えた。
「ほう?」
忠政は意外な言葉を聴いたようにそう声をあげたが、やがて口元を綻ばせた。
「では、そのようにするが、いいのだな?」
「御意に」
伊織はそう言って、平伏した。
ゆうのことについて逐次報告するようにといわれていたということもあるが、後でたつぞうから津田小次郎が姫路から辻斬りのようなことをしているとも聞き、それも付け加えて話していた。
「岩流――か」
忠政はひとしきり伊織の報告を聞き、何処か興味深そうに頷いた。
「本多殿から話は聞いていた。姫路の方でそのような名前の流派の兵法遣いが暴れておると」
(ああ、なるほど)
そういえば、最初にゆうのことを報告した時にも何か岩流について知っているような素振りであったと思い出す。
趣味人であるということはこの時代では知識人である。博識な君主のことである故に、その流派のことも何処かで聞いたことがあったのだろうという程度に伊織は思っていたのだが、近習としては少し思慮が足りてなかったかもしれない。
「しかし、本当に妙なことになったの。……さて、武蔵殿ならばその津田の何某という若造に負けることなどないだろうが……」
伊織は相槌をうつでもなく、主君の言葉を黙って聴いていた。
内心では「やはり、そう思われるか」と思っていた。
若衆が理由もしれず辻斬りまがいの試合をしているということから、不気味で不可思議な事件ではあると思われていたが、それだけのことである。
兵法者として武蔵に勝てようはずがない。
それだけは確信できる。
忠政も伊織もそのことにはまったく疑う気も起きない。恐らくはその小次郎とやらも、そのことについては解っているのだろう。
「姫路の宮本三木之助に決闘を挑んだりとしておるのは、あるいは武蔵殿に対する揺さぶりもあろうが、まず新免流剣術の太刀筋を見ようとしたものであるやもしれぬな」
忠政はそこまで呟いた。そのことについても、伊織は同感だった。
本命の相手である武蔵の前にその弟子を襲うというのは、太刀筋を探るという手としては悪くないように思える。
直接ではなく、周辺から攻めるというのも揺さぶりとしては有効であるように思える。
だが、やはり危うさがにじみ出ている考え方でもあった。
試合でも悪くすれば不具になることはあり得るのに、決闘を野外で挑めば命の保障など誰もしてくれない。どれほどに自分の腕が立つという確信があるとしても、下手をしたら返り討ちにあって、目的を果たせることなく果ててしまっていただろうに。
「どうにも、考えが浅はかというか……」」
思わずそういってしまった伊織であるが。
「まあ、言ってやるな。いかに腕が立つといっても、所詮は子どもの浅知恵――いや、そうバカにしたものではないか」
「と言いますと?」
「決闘を続ければ、まず、胆力がつく」
忠政は言う。
「戦場を経験していない武士と、そうでない者とはやはり普段は特段の差はないように思えても、いざという時には違いが出る。生来胆力が座っている者もたまにいるが、そうそういない。剣術の決闘も然りであろう。場数を踏み越えて胆力をつけ、武蔵に劣れど武蔵の太刀筋を継ぐ者と戦ってそれを見極めていくというのは――まあ、悪くない。そこまで考えていたのかは、解らぬが。
「は。ご明察、恐れ入ります」
平伏する伊織に、忠政は「しかし」と言葉を継いだ。
「確かに、殺し合いとなれば何が起きるのかは解らないという伊織の懸念も道理だ。考えが浅薄であるにせよ、その者は若くして相当の実力を見につけておるのだろうな」
「そのようです」
三木之助とはほとんど面識はないが、その腕前のほどは知っている。
彼の養父は三木之助兄弟には念入りに武士としての心得、武道を教え込んだのだということは、よく聞いていることだった。
なればこそ兄の跡を弟が継ぐのに何の問題も生じなかったわけだが。
その宮本三木之助をして容易に勝てない相手ということは手紙に記されていたが、それだけでも伊織には脅威に思えた。
「しかしまあ、どのような相手とはいえ、武蔵殿がでれば問題はないだろう」
忠政がそういって、話を打ち切ろうとした。
結局はそこにいたるのだから、自分らが気に病むこともないというのだろう。
伊織は「御意」と同意して下がろうとしたのだが。
その時、
「恐れながら」
と小姓の一人が言った。
(常盤殿か……)
伊織はその声の主をよく知っている。
常盤藤右衛門――この常盤という男と伊織はあまり仲がよくなかった。
それでも伊織は何かあるとこの常盤を推挙していたし、自分を悪くいう相手にも分け隔てなかったと続くのだが、それは伊織の立場が弱かったということに過ぎない。小笠原家に基盤を持たない伊織は、もともとの名門の者たちを立てるような習慣がついていたのである。
それが余計にかさにかかって伊織にくってかかることになっていたということは、さすがに伊織も気づいているのだが、どうしようもないことではあった。
常盤は続けた。
「新免武蔵殿は、すでに隠居の身です」
「ふむ」
「ならば、宮本家の危難は、現当主である伊織殿が解決すべきでしょう」
常盤藤右衛門の言い分はこうだ。
新免武蔵殿はすでに五十を前にした老境に近い年頃である。
そんな年寄りに、いかに剣豪たろうともことの始末を任せるのはどうだろうか。
ここは剣豪たる武蔵の養子であることを示すために、伊織殿が率先してことを解決するべきである。
その津田の何がしとやらと試合をさせてみるのはどうだろうか。
……言いがかりのようなものであるが、いちいち筋は通っていた。
特に武蔵が老齢であるというのは確かである。
忠政はしばしその意見に耳を傾けていたが。
「解った」
と言って。
「伊織は、藤右衛門の意見をどう思う?」
そう話を振ってきた。
言外に、上手く誤魔化せと言われているのが解った。
常盤藤右衛門の言葉は筋は通ってはいるものの、それは為政者としては受け入れ難いものであった。
武蔵に任せるわけにはいかないといえばそうだが、相手は辻斬りまがいのことをしでかしてる。捕縛して処刑するにも充分だった。そういう風に話を持っていかなかったのは、下手な扱いをしたならば武蔵の名誉に関わることになるのではないかという判断からである。
どうにも最近は、得体の知れぬ風聞が飛び交っている観がある。
……勿論、あの新免武蔵という人物が、他人の評価などをあまり気にしていないということは承知の上でのことであるが。
伊織はそれらのことを察しつつ、ちらりと藤右衛門を見た。
じっと、嫌な目で自分を見ていた。
(ふーん……このまま、殿の判断に任せてもいいが……)
忠政の本音は解っている。
武蔵自身に始末してもらうことができないから、その息子がどうにかする――というのは筋が通ってはいる。
しかし、決闘などで伊織が無様に負けようものならば今後の出世は見込めそうにない。そ
れこそが藤右衛門の狙いなのだろう。できるならば笑止と聞き流してさっさと捕縛してしまうことを進言したい。だが、ここでこのように話を振られた後では、伊織が「逃げた」という印象を世間に与えてしまうことにもなりかねない。恐
らく、藤右衛門はそういう展開をも見越した上でこんな話をしたのだろう。未だ、名誉は多くの武士にとっては重い時代だった。
(だが、殿が求めているのは……)
ここで彼に求められているのは、どう藤右衛門の言をかわすか、その機転のほどだ。
近習にまで取り立てた人間を、こんなことで失ってしまうわけにはいけない――というのと、取り立てたのだから、それ相応の才覚を示して見せろ、ということである。
(さて、どうしたものか……)
つまるところは、仕合をするかしないかの二択で考えるから詰むのだ、と伊織は思った。
しばし思案した後、
「常盤殿のご意見、まったくもって道理にあっていると存じます」
と答えた。
「ほう?」
忠政は意外な言葉を聴いたようにそう声をあげたが、やがて口元を綻ばせた。
「では、そのようにするが、いいのだな?」
「御意に」
伊織はそう言って、平伏した。
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