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27話 ネルフィーネ・バレンティア

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 あれは俺がまだ13歳だった頃。
 俺の婚約者のネル……ネルフィーネ・バレンティアがいたころの話だ。

 俺が住んでいる屋敷には今よりも倍以上の人が働いていた。
 庭には花が咲き誇り、王都の中でも有数の庭園だった。



「ヴァル様! 見てくださいこの花! とっても綺麗じゃありませんか!?」
「待ってくれよネル。そんなに急がなくても花はどこにもいかないよ」

 ネルはいつもせっかちで、じっとしているのは彼女の好きな花を見ている時位だ。
 部屋で話をする時もほとんど身振り手振り動いていて、止まることが出来ないみたいだった。

 そんな彼女はこちらに振り向き、宝石のような紫色の瞳を俺に向けてくる。
 その拍子に揺れる柔らかな金髪が零れた。
 長く、サラサラの髪、一度触らせて貰ったことがあるがすべすべしていていつまでも触っていられた。

「そんなことありませんわ! 少しでも一緒に、ヴァル様と一緒にお花を見ていたんですもの」
「……」
「ヴァル様?」
「すぐに行く」

 俺は嬉しくなって小走りに彼女に近付いていく。

 彼女は俺が近付くと直ぐ近くの花を指さし、俺に見るように話す。

「あそこ! ハチが蜜を取っているんですよ? とっても美味しそう」
「では吸ってみるといい。意外と美味しいよ?」
「え? でも……。これだけ綺麗なんですし……。それに取ってしまうのも……」
「構わないよ。それくらいなら大丈夫」
「そう言われるのでしたら……」

 彼女はそう言ってそっと手を伸ばす。プチっ。花を手折りそれを恐る恐る小さく可愛らしい口に近付け飲んだ。

「甘い……」

 彼女の可愛らしい顔が驚きに変わる。
 そんな顔もとても可愛らしい。

「でしょ?」
「流石ヴァル様。物知りですわ」
「これでも王様になるんだからね。色々と勉強しないといけないんだ」
「凄いです。わたしは先生に怒られてばっかりですから」
「そんなことないよ。ネルは凄いよ」
「本当ですか!?」

 そう言って顔を向けてくる彼女の顔はとても可愛らしく、見ているこちらまで元気にさせられてしまう。
 いやさせてくれると言った方がいいか。

「うん。本当」
「嬉しいですわ。ヴァル様」
「俺も嬉しいよ」
「ふふ」
「はは」

 俺とネルの仲はとても良好だった。

 親に決められた結婚だったけれど、俺は将来この人と結婚して幸せな家庭を作る。
 そう信じて疑わなかった、あの時までは。


 その時は俺とネルは王城での逢瀬おうせだった。

 俺は屋敷に行くとはいえ王族。
 基本は王城の安全な所で生活をしていた。
 そして、ネルも由緒ある家の出としてだったので、問題なく王城の庭園で遊んでいた。

 暫くは大人しく遊びんだ後、護衛であるゼラーテという騎士の目を盗み、2人で抜け出すことに成功した。

「ヴァル様、どこにいかれるのですか?」
「こっち。俺が聞いた秘密の道」
「そんな場所が? 危なくないでしょうか……?」
「大丈夫。教えてくれたのがここの庭師だから」

 俺は最近入った若い庭師に聞いた道へネルと一緒に行く。
 庭師が言うにはそこはかなりいい場所で、人に見つからない上に絶景らしい。
 普段どこかに出掛ける時には多くの人がいる中でしかいけない為、こういう場所は是非とも行きたい。
 子供心の冒険心……という物もあったかもしれない。

「ここだよ」

 俺達以上の背丈の木々が生い茂る庭園の中を駆け抜ける。
 教えて貰った道順は難しいけれど、俺の頭なら難なく覚えられた。

 言われた通りの道はかなり紛らわしく、普通に行こうとしても行き止まりだと思うだろう。
 俺も知っていなければ絶対に引き返していたに違いない。

「ちょっと怖くありません?」
「大丈夫だって。ここは王城だよ? 俺の足元だよ? 安全に決まってるじゃん」
「そうですよね……」

 それからも少し進むと、小さな建物があった。
 本当に小さく、俺達の背丈くらいしかない。
 扉も俺でさえ屈まないといけない様な扉だ。

「ここを抜けたら……?」
「ヴァル様。お願いです。わたし、嫌な予感がします。帰りましょう? こんなにも沢山のお花があるんですもの。わたし、そちらが見たいですわ」

 ネルが怯えているのが少し可愛く、ちょっとしたいたずら心だった。

「その扉を開けるだけだから。そしたら帰ろう?」
「……わかりました」

 怯えているネルを俺が守る。
 この時はそんなつもりでいたのだ。

 俺は左手でネルの右手を掴み、もう片方の手で石の扉の取っ手を掴む。

 少し重たいけれど、手入れがされているのか俺の力でもズズっと音がして開いた。

 扉の中は真っ暗で外からだと何も見えない。

「ネル見てごらん? 何もないじゃないか」
「本当ですわ。でも暗くて怖いです……」
「もう……ネルは怖がりなんだから。それじゃあ帰ろうか」

 そうして俺が扉を閉じる。
 元来た道を戻ろうと数歩歩いた時、ズズ、と音がして扉が開いた。

「え?」

 俺とネルの声は被っていたと思う。
 2人して後ろを見ると、そこには小柄な人が全身を真っ黒に染めてそこにいた。
 顔も炭を縫っているのか真っ黒で表情も分からない。
 分かるのは敵だということ。
 なぜなら手には漆黒のナイフが握られていたから。

「――」

 その人は俺達を見るなり、駆け出して来た。

「きゃああああああああ!!!」
「悲鳴!?」

 ネルは叫び、俺達は元来た道を走り出した。
 この道は狭い。幾ら後ろの人が小柄と言っても俺達よりは遅くなるに違いない。

 それに、ネルの叫びに護衛の声が聞えた。
 きっと近くにいるに違いない。

「ここだ! こっちに来てくれ!」
「ヴァルター様!? 今行きます!」

 近くでバサバサと木々をかき分けて護衛のゼラーテが近付いて来る音がする。

 しかし、すぐ後ろにも敵が近付いてくる音がする。

 俺の心臓がバクバクなっているのが分かる。
 左手から伝わって来るネルの手のひらの体温はきっと忘れないだろう。

 曲がりくねった道を曲がった瞬間、後ろから声が聞えた。

「シッ!」
「あう!」
「ネル!?」

 握っていたネルの手ががくんと重たくなる。

 慌て振り返ると、そこには片膝を着くネルがいた。

「ネル! 立って!」
「わたしの事は構わず行って下さい!」
「出来ないよ!」
「いいからあな」

 ネルがしゃべっている最中に、彼女の後ろからナイフを持った奴が現れた。
 そいつは俺だけを凝視していて、真っすぐにそのナイフを俺の心臓に向かって突き出してくる。

 時間が止まって見えた。
 ナイフがゆっくりと、ゆっくりと俺の方に近付いてきて、ああ、俺は死ぬんだ。そう悟った。
 でも、そうはならなかった。

「――!」
「あ……」

 ズブリ、奴の一撃は、俺の前に出て来たネルに突き刺さっていた。

「ネル!」

 俺が叫ぶのが速いか、奴はすぐさまにナイフを抜き、今度こそ俺に向かって突き出して来る。

「うおおおおおおおおおお!!!」
「!?」

 バキバキバキバキ!!!

 すぐ隣の草木が打ち壊され、ゼラーテが現れた。
 彼は瞬時に敵を悟り、拳を奴に叩き込む。

「――!!!」

 奴はそのまま吹き飛び、木々に突き刺さる。

 騎士はそこで止まることなく奴に接近し、片腕と片足を切り飛ばす。
 そして、すぐさまこちらに戻ってくると、俺とネルを抱えて外に向かって走り出した。

「神官を呼べ! バレンティア嬢が刺された! 誰でもいい! 急げ! それと中にまだ賊が残っているかもしれん! 急ぎ警戒を強めろ!」
「はっ!」

 騎士の声に、外から声が聞えるけれど、今はそんなことはどうでもいい。

「ネル! ネル!」
「ヴァル……様……。ご無事……ですか……?」
「大丈夫だ! ネル! 生きて! ねぇ! ネル! お願い! お願いだよ!」
「降ろします!」

 騎士が俺とネルを降ろす。
 場所はいつの間にか庭園の外に来ていて、近くにはメイドや他の騎士が周囲を固めている。
 神官が来る様子はない。

「ネルを助けて! お願い! ゼラーテ!」

 俺は涙で前が見えない中、必死で近くの騎士ゼラーテにお願いをする。

「今神官を呼んでいます。ネルフィーネ様に話しかけ続けて意識を保たせて下さい」
「わかった! ネル! 聞こえる!? 今神官がきて助けてくれるからね! だから待っていて!」
「ヴァル……様……」
「何!? 花をもっと見に行こう? 一緒に……これからも、ずっと……ずっと一緒にいくんだからね!」

 俺は何でもいいから構わずに話しかけ続ける。
 彼女の話を聞いてしまったらそれで終わってしまう。
 彼女が帰って来なくなると思っていたから。

「わたしは……多分……ダメです……。体に……力が入らないんです……」
「そんなことない! 俺が握っているのが分かるでしょ!? もっと一杯手を繋ごうよ!」

 俺は彼女の冷たい……氷の様に冷たい手を必死で握り締め続ける。
 両手でこれでもかと言わんばかりに握りしめ、彼女をこちらに繋ぎとめる。

 ネルは血の気の引いた顔で優しく笑い返してくれる。

「ごめんなさい……。ヴァル様。貴方とこれからを歩むことが出来なくて……。でも、貴方は死なないで……わたしじゃない……素敵な人を見つけて……。誰からも、尊敬されて……誰にでも幸せを与えてください……。貴族だけじゃない……。平民の方々も、奴隷の方々も皆……皆幸せに……笑えるように……」
「する! するから! 約束するから! だからネルも一緒にいてよ! ネルがいなきゃ嫌だよ!」
「ヴァル様……貴方なら出来ます……。どうか……お元気で……」
「ネル! 行かないで! ネル!!!!!!!!!」

 そしてネルは二度とその可愛らしい口を開くことはなかった。
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