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5話 ヴァルター

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「降りるぞ」

 女騎士がそう言って立ち上がる。彼女は私を見て、先に降りろと目でうながしてきた。

 私は大人しく従い馬車を降りると、眩しい太陽の光に目を細めた。

「止まるな」
「……」

 私はゆっくりと歩き出す。少し時間が経てば目も慣れてきて、周囲の景色が目に入ってくる。

 ここは貴族街の中心部。警備が最も厚く、屋敷を構えている人も侯爵の爵位以上だ。宮殿の様な屋敷しかなく、私の目の前にそびえ立つ屋敷も真っ白で隅々すみずみまで手入れが行き届いているのか美術品の様な建物だ。

 鉄柵の前には2人の兵士が立っていて、私をじっと見つめている。警戒しているのだろう。

 私は目から生気を消し、悲嘆ひたんにくれた奴隷をよそおう。

「行け」
「……」

 私は背中を丸め、俯きながら歩く。ただ言われるままに歩くだけ。そう。指示された事は何でもやる奴隷。今はそれを体に染みわたらせておかなければならない。

 目的はヴァルダーを殺すこと。少しも怪しまれないように、出来る限りの事を何でもする。

 兵士が私をじっと見つめているのが分かるけれど、何もせずにその視線を受け入れる。少しすると、兵士が何も言わずに門を開けた。

 私の前には男の騎士が2人。後ろには女騎士が1人と、男の騎士が3人。全員が私に注意を払っている。

 門の中は綺麗に整備された庭園が拡がっていた。
 色とりどりの花々がそこかしこに咲き乱れ、見る者の目を楽しませる。

 私はそれを見て落胆した。
 綺麗な花はあるけれど、毒物に使えそうな草木は存在しない。
 もしかしたらと思ったけれどないのでは仕方ない。

 屋敷に到着すると3階建ての非常に大きな屋敷だ。
 高価な窓ガラスもハメられており、財力の高さが分かる。
 と言ってもこの国の第1王子の屋敷だ。
 当然ではあるかもしれない。

「ようこそ、クラッツィオ公爵家の方々」

 濃い緑色の髪のを持つ、軽薄そうな顔つきの体格のいい騎士が出迎えてくれた。
 屋敷の中だと言うのに全身白銀の鎧で固めていて、剣も直ぐに取れるように体も警戒している様だった。

 彼の言葉に返すのは、私たちの先頭にいた騎士だ。

「……我々はただの奴隷商の護衛だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「そうですか、ではこちらへ」

 出迎えてくれた彼の案内で、屋敷の中に入っていく。

 屋敷の中は綺麗に手入れされているけれど、物自体はほとんどおいていない。
 調度品があったとしても、花瓶とか、額縁に入った花の絵画等しかおいていなかった。
 王子の屋敷なのにこれほど質素なのは信じられない。

 物は持たない主義なのだろうか。
 それとも別の理由があるのだろうか。

 それに、屋敷の中にいる使用人の数が相当少ない。
 これだけの人数でこの屋敷を回しているのは中々に手が回らないはず。

 1人考えながら歩く。
 階段を2つ登り、私達はとある部屋に到着する。

 軽薄そうな騎士は振り返り、私達に向かって話す。

「さて、奴隷商の方々はここまででよろしいですか? ここからは奴隷とワタシだけで入ります」
「……しかし」
「貴方がたは公爵家と何も関係ない。そうおっしゃいましたよね? であれば、王太子の前に出ることは不敬ふけいだと思いますが?」

 軽薄けいはくそうだと思ったけれど彼の目は笑っておらず、じっと騎士の事を見つめている。
 その声も軽そうなのに中に重たい芯の様な物が入っている様に感じた。

 騎士も観念かんねんしたのか了承の首を縦に振る。

「畏まりました。では我々はこれで失礼させて頂きます」
「ええ、それでは」

 騎士達はそれだけ言うと私を置いて全員帰っていく。
 帰り道は当然の様に知っているのか案内も要らないようだ。
 流石にそういう訳にはいかず、近くにいた屋敷の騎士が後ろからついて行っているが。

「中に入るぞ」

 屋敷の彼は部屋の扉を開けて中に入った。

 私もゆっくりと部屋の中に入る。
 頭をうつむかせ垂れて来た髪の隙間すきまから室内の様子をうかがう。

 部屋は貴族にしては豪華、王太子にしては質素。
 奥の大きな窓からは光がこれでもかと差し込み、部屋の中を照らしている。
 奥から執務机、その手前には向かい合うように置かれたソファとその間には低いローテーブルが。
 手前は着替えたりする為かクローゼット等が置いてある。

 執務机の上には書類が山の様に置かれていて、その中に花瓶にささった一本の黄色いガーベラが目を引いた。

 バタン。

 私が部屋の中に入りきって立ち止まると、騎士によって扉が締められた。

「殿下。お連れしました」

 騎士が少し嫌そうに部屋の中にいる殿下、恐らく私のターゲットであるヴァルダーに声をかけた。

 書類の向こう側がむくりを盛り上がったと思うと、一人の青年が私の事をじっと穴が開くほど見ているのが分かった。

 暫くそうしていると、彼は立ち上がってソファに座った。

「もう少し近くに来い」

 殿下……ヴァルダーから発せられたのだろう。
 透き通るような女の私が聞いても綺麗な声をしている。

「殿下」
「良い」
「……」

 騎士が止めるのも構わずに彼は私をじっと見つめている。

 私は暫くそのままにしていた。

「来い」
「……」

 私は騎士が何も言わないのを待って、ゆっくりと彼に近付いていく。
 今は彼を少しでも観察する時。近くに騎士もいるうえ、武器になる物がない。
 締め技で殺すにしても、手が塞がっているし、後ろの騎士もいる。
 すぐさま首を刎ね飛ばされるだろう。

「……」

 ゆっくり、いつ止まれと言われても言い様に近付いて行くのだけれど、中々止まれと言われない。
 どうしてだろうか。

 そして、彼の、ヴァルダーまで後3歩といった所まで来る。

「止まれ」

 ピタリ。

 私はすぐさま止まった。

「顔を上げろ」

 ゆっくりと顔を上げ、ヴァルダーの顔を私も見る。
 彼は空の様な水色の髪で、目は綺麗な金色の瞳。
 整った顔だちは昔に見た面影が残っているけれど、今は無表情でピクリともしない。

 昔は良く笑う人だったはず。
 ということを思い出すけれど、会わなくなってから時間がある。
 もしかしたら何かあったのかもしれない。

「久しいな? カスミ」
「……お久しぶりでございます。ヴァルダー殿下」

 私は再び頭を下げる。

「どうしてこんなことになったかは知っているな?」
「……」
「どうした? 知っているからこんなことになったと思っていたが?」
「……我が……一族が……ヴァルダー殿下を……暗殺しようと試みたからです」

 私は振り絞って言う。
 絶対にしていない。
 絶対に、絶対に。確信しているけれど、この場でそれを言っても信じて貰えないだろう。
 だから私は歯を食いしばって言う。

「そうか、ではどうしてこうして奴隷として俺の前にいるか分かるな?」
「……私の体。お好きにしてください」

 私は何でも良かった。
 ここで彼に拷問をされようが、おもちゃにされようが、少なくとも生きていられるのであればチャンスはある。

 今の所は出来るだけ従順じゅうじゅんに行動して、彼や彼の騎士からの信頼を得なければならない。

「……まずは奴隷の首輪からだ。パステル」
「はい」

 後ろの騎士がじゃらりと何かを持って私の側に近付いて来る。

 私は動じない。
 どうせこの首輪の効力はすぐに切れる。
 であれば、嘘をつくなと言われたりしても問題はない。

 パステルと呼ばれた騎士はじゃらりと鳴らす物、長い鎖のついた首輪をヴァルダーに渡した。

「本当にいいのですか?」
「ああ、構わない」

 そう言ってヴァルダーは首輪を受け取り立ち上がった。
 そのまま私の後ろに回り込む。
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