上 下
4 / 9

夕食

しおりを挟む
「ご飯よ~!」

「今行く~!」

 俺は速攻でタブレットを消し、ベッドから飛び上がる。この時の速度でビーチフラッグをやれば世界で一番を取れていただろうと俺は確信している。そのままに勢いで俺は下へと走っていく。そして皆で食事をするリビングに来た時におれはあることに気づく。

(あれ?焼きそばの匂いがしない?)

 いつもの焼きそばであればうちの場合はホットプレートを出す。そしてそこで焼きそばを焼きながらスペースが空いてくると、色んな家の残り物だったり何だったりを焼いて楽しむのだ。しかし、今回に限っては焼きそばの香りもホットプレートの音も何も聞こえない。もしかして五感が奪われている?それともなにかそういう能力とかに閉じ込めっられちゃった?分からない。

 俺はその可能性を考慮に入れながらゆっくりとリビングへの扉を開ける。中には大きな机がありその机には椅子が2ずつ向かい合うように置かれている。そこには母と父と弟が既に座っていて、食べるのを待ってくれていたようだ。だが、俺はそんなこと目に入らない。なぜなら彼らの前に置かれていたのがホットプレートではなく、透明な器に盛られていた冷やし中華だったからだ。

 俺は膝から崩れ落ちるかと思った。頭の中の俺自身は全身がバラバラになってしまっていたから、あながち間違ってはいないかもしれない。俺はその光景を見て、何も言えず、固まってしまっていた。だが、そんな俺を許さない者がいた。

「アニキ、何してんだよ。はやく座れよ。麺が伸びちまうだろ」

「あ、ああ・・・わかった・・・」

 俺はふらふらとしながら自分の席に座る。衝撃が強すぎて動けなかったハズだが、弟の麺が伸びるという言葉が引き金になったといっても過言ではない。その言葉が無かったら俺は何も考えずに1時間は止まっていただろう。

「いただきます」

「「いただきまーす」」

「い、いただきます・・・」

 父の号令に合わせて母と弟が合掌して俺が遅れてそれに続く。その言葉だけはいかに眠たかったりしても忘れない。その意識だけが俺の口を動かした。そして皆が食事をし始める中、俺は箸に手を伸ばすので精一杯だった。

「アニキ、いつもみたいに食わねえのか?」

「・・・」

「どうしたんだよおい」

「かあさん」

「私?」

 俺が右隣に座る弟と話していたのに、正面にいる母は話しかけられて首を傾げている。その見た目は40代とは思えないほど若々しく、美しい。茶色に染めた長い髪は纏めて左側に垂らしている。印象的なのは泣き黒子だろうか、左目の側にある物はとても儚さを出してもいた。授業参観に来ればあの美人は誰の母だとなり、50代の禿げた体育教師からは言い寄られたこともあったそうだ。しかし母は父一筋で、そう言ったことには一切靡かなかったが。

 その母の顔が不思議そうにしている。なぜそんな顔が出来るのだろうか。俺にハッピーチャンスセットはとても重要なもの。それはまさにメロスとセリヌンティウスが結んだ約束と言っても過言ではない。その約束をたがえるとは一体どれ程の事があったのだろうか。もしかして家族を人質にでも取られて今夜は焼きそばにするなとでも脅されたのか?そうでないなら一体どうしたというのだろうか。

「今夜は・・・焼きそばって・・・」

「あーその話ね。最初はそうしようと思ってたんだけど、キャベツを買おうとしたら想像以上に高くってねー。それで冷やし中華にしたんだけど、まずかったかしら?」

「・・・そんなこと、ないよ・・・」

 俺は母を傷つけない為に必死に声を絞り出した。本当ならこの冷やし中華を急いで冷蔵庫に持っていき、後数時間してから食べたい。その待っている間に腹の調子を冷やし中華にしておく、そうしたいがそれは流石に迷惑がかかる。本当に何か用事がある時しかそう言ったことは認められていないのだ。ただの腹の気分でといっても変更は認められない。だから母に返す言葉は普通だが、言葉の端々に苦悶の感情が入り込んでしまう。

「そう?ならいいけど」

 母はそう言って自分の分の冷やし中華を食べ始める。俺はそれを見て考える。これからどうするべきかと、このまま腹はソースの味を欲しているままで冷やし中華を食べるのか。それとも何とかごまかし、時間を作って食べる時間を稼ぎ、腹の調子を冷やし中華を受け入れるようにするのか。とても悩ましい。こんなことになるなら腹の調子をロックしておくんじゃなかった。全ての物を食べれる様に変えておけば良かった。

 いつも学校で弁当を食べる時にはそれをやっているのだが、今回はそんなことをしなかった。それはそれでいいが、ロックした方が腹が、体がそれを入れるために万全の態勢になり、味もその幸福も

最高になるからだ。だけど常にロックし続けるにはそれなりに時間もかかるし、それだけだと新しい料理に出会った時にはちょっと苦労するから、ちゃんと母から情報を集めたうえでしか行なっていなかったのだ。そしてこれが最初の方で言った地雷にもなる。今回の様にキャベツの高騰や母の気まぐれで頼んでいた献立が変わることが稀によくあるのだ。

「食べないのか?いつもなら真っ先に食べるだろうに」

 そう言ってくるのは父だ。俺の斜め向かいに座っていた。そろそろ40代も後半で洗面所の鏡で頭を気にしているのを時々見かける。公務員としてそれなりに苦労もしているようでその顔には皺が刻まれているがその苦労を家族の前で話しているのを聞いたことはない。若い時は「それはもうカッコよかったの今でも違ったかっこよさがあるけど」とは母の言だ。生まれた時から見ているのでそうは思わないけれど。

「うん・・・ちょっと悩み事があって・・・」

 俺はそう言って視線を冷やし中華に落とす。その悩みとは腹の調子の問題だ。焼きそばと冷やし中華、同じ麺類と言えど方向性は180度違うと言っても過言ではない。焼きそばがガッツりした攻撃的なハードパンチャーとすると冷やし中華はさっぱり美味しくなった防御主体のカウンタータイプ。事前に決めていた作戦ががらりと変わってしまうため直ぐに直すことを出来ないだろう。

「お前が・・・悩みだと?」

「アニキが?何か悪いものでも食ったのか?」

「あらあら、悩むことだってあるでしょうに」

 何とも失礼な2人だ。俺だって悩むことくらいある。驚きで箸を止めて目を見開くことなんかないではないか。

「どうした?何かあったのなら聞いてやるぞ?」

「だから拾い食いはやめとけっ言っただろうが、何でその歳にもなってするんだよ」

「そんなことしてないって、まぁ、悩みって言っても死にそうとかって訳じゃないから」

 俺はそう言ってゆっくりと冷やし中華に手を伸ばす。この時間稼ぎのお陰で少しだけ焼きそばのロックを外すことが出来た。これで美味しく食べられる。

「それならいいが・・・」

「変なものは食うなよ?」

「何かあったら言ってちょうだいね?」

「はーい」

 それから俺達はいつもの様に食事をし、父と弟が後は食っていいというので残りも貰うことにした。こんなに旨いものを残すなんて有り得ない。

 しかも弟にいたっては何を頓珍漢なことを言っているのか「アニキが毎回作ってくれたら全部汁も残さず食ってやるよ」と言っていた。俺も多少料理には自信があって時たま作ったりしているが、母の料理の味を超えることが出来たことは一度たりとてない。いつかはそれに追いつき、超えることが俺の人生の目標と言えるかもしれない。

 俺は満腹になった体を何とか持ち上げ自室に帰る。勿論食器などの物はシンクに戻す。これだけ美味しいご飯を作ってくれているんだ。それくらいのことはやらなければならない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...