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帰り道

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「今日のご飯は何だろう。昼はオムライスだったから麺とかがいいかな?」

 いつも通りの学校の帰り道。俺は夕飯の事を考えながら帰っていた。時刻はまだ4時くらいで、夏の夕暮れにはまだ早い。気温は高く汗が服に張り付いてくる。都会ならではの隙間風も熱風を送り込んでくるので、当分はこの熱さから抜け出ることは出来そうにない。

 そんな辛い環境を歩かなければいけないので、俺は早足で歩きつつ楽しいことに想像の手を伸ばす。そしてその最たる物がやはり飯だろう。食欲こそが至高、究極の娯楽であることに疑う余地などない。

 それはなぜか?人間の三大欲求を見てみれば明らかだろう。食欲、睡眠欲、性欲。睡眠欲はわかる。気が付くと眠たくなって寝てしまうし、寝ることは楽しい。目覚めた時の爽快感は何物にも代えがたいものがある。だが一つ欠点があった。それはなにか?簡単だ。その寝ている間の心地よさを楽しめないことだ。

 睡眠自体は毎日7時間、昼寝を入れたらもう少し伸びたりする。その時間をただただ過ごすのだ、一瞬で8時間が過ぎ去っている時など恐怖と言っていいのではないか。もっと寝ていたいと思えたら食欲の1位というのも危うかったかもしれない。

 性欲は相手が居なければ満たすことが出来ないとかいう欠陥だらけの欲であって、論ずるに値しない。

 翻って食欲はどうだろうか。一人で食事を楽しむことが出来るし、しかも食べている間はずっとその快楽を味わい続けることが出来る。しかも1日3回も。これこそ神が我々人間に与えた至福の時間と言っていいのではないか。俺はそう思うのだ。

 勿論現代だからこそ、飽食の時代の、それも日本という世界的に見ても類まれな国に生まれて、俗にいう中流階級の家庭で育ったからそんなことが言えるのかもしれない。他の国の貧困な家庭では豆のスープを毎日食べ続けたり、時にはサソリなどのそんなもの食えないだろうと思うような虫だったり物でさえも食べたりするのだ。今の食生活をしている俺からすると忌避感や下手をしたら嫌悪感すら抱くかもしれない。

 だが、それでも俺は食事は神が与えた祝福だと言いたい。なぜなら、たとえ俺達が彼らの食事を貧相に哀れに思ったとしても、それを食べている彼らがそう思っているとは限らないからだ。俺も昔はそんなスープだけとか、虫を食うなんてと馬鹿にして、いや馬鹿にはしていないが、少なくとも憐みの感情はあった。だが、ある時にテレビで見かけたのだ。毎日同じスープでも色んな友達や家族と楽しそうに食事をしているのを。虫を食べるのが大好きで、色んな調理方法を試して楽しそうにしている人を。

 それ以来俺は偏見を止めた。俺が勝手に相手を可哀そうと思っていても、相手はそんな風に思っていないこともある。その価値観を決定付けたのがどこかの社長のインタビュー記事だ。それでその社長は40代で年収1億円を得ているのに、家に帰っても誰も迎えてくれる人がいなくて寂しいといっていた。一人で食事を味わう時間なんかないと言っていた。それにもしどこかに行ったとしても、一人で食べる高級フレンチや懐石料理なんて味が美味しくても、それを一緒に分かち合ってくれる人がいないんじゃ意味がないって言っていからだ。だから俺は食欲こそ、食事こそが神が与えた至高の時間であると断言する。どんな状態であろうが本人が望みさえすれば、幸福を味わうことの出来る素晴らしい術であるとして。

 そんな事を考えつつ俺は家に帰る。家の周りは石壁が道と敷地を仕切っていて、高さは2m位あるので外から見られることはない。家は2階建てで屋根は赤色、壁は白で玄関の右側には青い車の入った車庫が、左側には小さな庭がある。庭の奥には犬小屋もあり、そこでは可愛い中型犬が寝ていることだろう。その構成は有名な春日部在住の4人家族と同じような感じだ。そのせいか俺の小さいころのあだ名はゾウさんだった。けっしてあそこのサイズが素晴らしいとかではない。勿論平均位はあると信じたいが恐ろしくて調べるには至らなかった。

 俺は玄関を開けて中に入り帰還を知らせる。

「ただいまー」

「お帰りー」

 この知らせを告げるのは毎日の恒例行事になっている。もしもそれを行なわないと罰ゲームを受けるということになっていて、例え父だろうが弟だろうが関係なしに何らかの罰ゲームを受けることになっていた。その内容は様々で、母お手製のロシアンたこ焼き(中身はワサビのみ)を一人でやらされたり、食事の時間中、家なのにバケツを持って廊下に立ち、3人の食事風景を眺め続ける等といった正気を疑うような事を続けさせられる。罰ゲームの内容は母の気分で決まり、時には軽くお使いに行ってきてということもあるが、そうでない時の事を考えるとやらない訳にはいかない。

 「かあちゃーん。今夜のご飯は何ー?」

 敵情視察は必須の技能だ。こうやって今のうちから情報を聞き出し、腹の状態をそれに合わせておく。そうやって一食一食を大事に食べる。それが俺のポリシーだ。

「今夜ー?まだ決めてないのよねー。これから買い物に行くけど何か食べたい物あるー?」

 (きた!)

 俺は2階へ上がる階段の途中で足を止める。

 母からは月に数回ある確変、夕飯のメニューの選択権が与えられた。これは毎日の献立を考える母が時々起こすもので、俺や弟からの言葉を参考にして意見を聞いてくれるのだ。弟はこの時決まってチャーハンを頼んでいて、それが彼のお気に入りである。母のそれには時々地雷があるが、それでも嬉しい事だ。俺が帰宅部に在籍?しているのは、毎日真っすぐ家に帰り、母が買出しに行くより前に家にいるようにしている為といっても過言ではない。

 そして今夜のメニューを頼む際に注意が必要だ。それはウチはそれなりのお金があって食うには困らないが、大きすぎる要求は身を滅ぼすという物だ。俺はこのメニュー選択権をハッピーチャンスセットと勝手に呼んでいるが、それでミスを犯した事があった。それは高すぎるようなメニューは頼めないということだ。

 母は料理上手で大抵の物はうまく作れる。毎日食べているのだから当然だろうがそれに舌が慣らされる。そしてその母の腕を見込んで食べてみたい物があった。そう、ステーキや寿司といった一般の家庭で食べるとなった時には何かの祝い事ですか?と聞かれるような時の物を食べてみたくなったのだ。だが、それがいけなかった。母はそんな高い物無理に決まってるでしょう?と一言俺に返すとハッピーチャンスセットを取り上げてしまったのだ。

 その時の俺の絶望感といったら何と言葉に表していいものか。何もない無人島に置き去りにされてしまったかのような感じだった。たった一つのケアレスミスでハッピーチャンスセットに夜ごはんの腹の感じと違ったものになるのを味わうという、一気に二つの損害を被ることになってしまったのだ。賢い諸兄なら大いに理解し、納得して共に悲しみの涙を流してくれるに違いない。

 さて、話が又それてしまった。しかし、俺がいかにこのハッピーチャンスセットを大事に思っているかについて理解してくれたかと思う。そしてここまでは前座だ。本当に大事なのはこれからなのだから。メニュー選択権で一体何を選ぶのかというものだ。そのためには今日の一日から思い出してみなければならないだろう。本当であれば3日前くらいまで、いや、一週間くらい前まで戻って考えたいのだが、その間に母がしびれを切らしてさっさと買出しに行ってしまう。というか以前それをやったので理解している。そうならない為に母がしびれを切らすタイミングをストップウォッチで測り、平均を出したことがあるのだから。因みに平均は5分43秒だった。

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