48 / 55
008 与奪城の月
第47話 アンジュのいる庭。
しおりを挟む
地域を流れる思郷川の河原沿いの道を通り、地上に上がるとすぐに黒駒中学校の校舎が見えてくる。
そのまま学校へと向かう緩やかな坂道の途中、煉瓦造りの長い塀があって、その角を曲がった先にロートアイアンの門扉が構える。
朝は門扉が施錠されていないことを知っている童子山ぴゅあと、三熊蓮花は、門を開きそのまま中に入った。
玄関ポーチに向かう小道にはラベンダーやアヤメが瑞々しく咲き誇り、ローズマリーの低木が両脇を彩る。
「童子山、わたしはこの庭が一番怖いんだよ」
「えー? 何が怖いの? 三熊」
蓮花は庭を見渡しながら、真剣な面持ちで言葉を続けた。
「昨日まで咲いていた花がどこにもない! で、昨日なかったものが増えてる!」
「えー? 植え替えとかしたんじゃないの?」
「毎朝? 誰が? てか道の形すら変わってんじゃん」
この家が管理者によって創られ、管理者によって管理されていることを、ぴゅあも蓮花も承知していた。だからこそ、毎日のように変化する庭の様子に、蓮花はその力の凄まじさを感じずにはいられない。
「ここの管理者って飽き性で完全主義者なんだろうねー。ウケル」
ぴゅあは、重たい空気を一気に吹き飛ばすように、はしゃぎながら言った。
「いや童子山、笑い事じゃないでしょ。やっぱこの家に来るの怖いよ。わたし的にはさ」
「でも来ないわけにはいかないじゃん。薮崎先生に言っちゃったもん。『あたしに任せてください! 春日ならあたしが毎日学校に引っ張っていきますから!』って」
ぴゅあは得意げに、自分の胸を叩きながら言った。それを見て蓮花が、大きなため息を吐く。
——担任の藪崎先生が、不登校の生徒の問題をぴゅあに託したのには、いくつか理由があった。一年生の時のクラスメートであり、当該生徒の抱える事情を知っていて、蓮花も含めて同じコグ——二重世界認識者だということだ。藪崎先生自体もまたコグであり、学校での相談役でもある。
「変な世界に飛ばされてさー、厄介ごとも押しつけられてさー、やってらんないよわたしは」
庭の中程まで来ると、クラシカルなメイド服姿のアンジュさんが、散水ホースで草花に水撒きをしながら、ぴゅあと蓮花に微笑みかけてきた。
「おはようございます、アンジュさん」
「アンジュさん、それ、意味あるんですか?」
アンジュは散水ホースを持つ手を止め、一瞬、自分の服姿のことを指摘されたのかと考え込んだ。しかし、蓮花の視線が水やりに注がれていることに気づき、質問の意図を悟る。
「バイト代、貰ってますからねえ」
早朝と夕方の限られた時間、この家でメイドとして働く高校生のアンジュは、いつもなら登校前で仕出原高校の制服に着替えている時間だ。今朝は珍しく、まだメイド服姿で庭にいた。
「今日は学校の創立記念日でお休みなんです。だからたまってる仕事を全部やっちゃおうと思って」
アンジュは笑顔を絶やさない。この広い屋敷の世話を一人でするのは大変なはずだが、コグでない者に任せるわけにもいかないのだろう。庭の形だけでなく、部屋の間取りさえ、日々変化する特殊な屋敷なのだから。
「で、アンジュさん。今日、春日は学校に来そう? 来なさそう?」
いつもの陽気さを保ちながらも、ぴゅあの問いかけには真剣さが混ざっていた。
「うーん、今日は難しいと思いますよ。シャイニーツリー坊ちゃん、ゆうべは遅くまで起きてたみたいですし……」
シャイニーツリー坊ちゃん……ね、と、ぴゅあと蓮花はそれぞれ思った。
春日シャイニーツリーは、前の世界でのクラスメートだった。ぴゅあも蓮花も、一年生の時に同級生だったシャイニーツリーのことは明確に覚えている。一年生の時から学校を休むことが多く、それでも学校に知らない者はいないような目立った生徒だった。
シャイニーツリーは指定暴力団の組長の息子だという噂が、学校中を駆け巡っていた。その話は、シャイニーツリーを学校の孤立者にしていた。クラスメートは恐れて近づかず、本人も無口を貫き、他人との接点を持とうとはしなかった。
見た目は極めて普通の、いかにも大人しそうな男子生徒。実際、噂話とは裏腹に彼の本質そのものだった。
けれど誰も、シャイニーツリーと深い関係を築こうとはしなかった。関わり方を間違えれば組の報復を受けるなどという話が、いつしか学校中の暗黙の了解となっていたのだ。
それが、春日輝樹の前の世界での話。
今の世界の春日シャイニーツリーとは、まるで関係のない話。
そのまま学校へと向かう緩やかな坂道の途中、煉瓦造りの長い塀があって、その角を曲がった先にロートアイアンの門扉が構える。
朝は門扉が施錠されていないことを知っている童子山ぴゅあと、三熊蓮花は、門を開きそのまま中に入った。
玄関ポーチに向かう小道にはラベンダーやアヤメが瑞々しく咲き誇り、ローズマリーの低木が両脇を彩る。
「童子山、わたしはこの庭が一番怖いんだよ」
「えー? 何が怖いの? 三熊」
蓮花は庭を見渡しながら、真剣な面持ちで言葉を続けた。
「昨日まで咲いていた花がどこにもない! で、昨日なかったものが増えてる!」
「えー? 植え替えとかしたんじゃないの?」
「毎朝? 誰が? てか道の形すら変わってんじゃん」
この家が管理者によって創られ、管理者によって管理されていることを、ぴゅあも蓮花も承知していた。だからこそ、毎日のように変化する庭の様子に、蓮花はその力の凄まじさを感じずにはいられない。
「ここの管理者って飽き性で完全主義者なんだろうねー。ウケル」
ぴゅあは、重たい空気を一気に吹き飛ばすように、はしゃぎながら言った。
「いや童子山、笑い事じゃないでしょ。やっぱこの家に来るの怖いよ。わたし的にはさ」
「でも来ないわけにはいかないじゃん。薮崎先生に言っちゃったもん。『あたしに任せてください! 春日ならあたしが毎日学校に引っ張っていきますから!』って」
ぴゅあは得意げに、自分の胸を叩きながら言った。それを見て蓮花が、大きなため息を吐く。
——担任の藪崎先生が、不登校の生徒の問題をぴゅあに託したのには、いくつか理由があった。一年生の時のクラスメートであり、当該生徒の抱える事情を知っていて、蓮花も含めて同じコグ——二重世界認識者だということだ。藪崎先生自体もまたコグであり、学校での相談役でもある。
「変な世界に飛ばされてさー、厄介ごとも押しつけられてさー、やってらんないよわたしは」
庭の中程まで来ると、クラシカルなメイド服姿のアンジュさんが、散水ホースで草花に水撒きをしながら、ぴゅあと蓮花に微笑みかけてきた。
「おはようございます、アンジュさん」
「アンジュさん、それ、意味あるんですか?」
アンジュは散水ホースを持つ手を止め、一瞬、自分の服姿のことを指摘されたのかと考え込んだ。しかし、蓮花の視線が水やりに注がれていることに気づき、質問の意図を悟る。
「バイト代、貰ってますからねえ」
早朝と夕方の限られた時間、この家でメイドとして働く高校生のアンジュは、いつもなら登校前で仕出原高校の制服に着替えている時間だ。今朝は珍しく、まだメイド服姿で庭にいた。
「今日は学校の創立記念日でお休みなんです。だからたまってる仕事を全部やっちゃおうと思って」
アンジュは笑顔を絶やさない。この広い屋敷の世話を一人でするのは大変なはずだが、コグでない者に任せるわけにもいかないのだろう。庭の形だけでなく、部屋の間取りさえ、日々変化する特殊な屋敷なのだから。
「で、アンジュさん。今日、春日は学校に来そう? 来なさそう?」
いつもの陽気さを保ちながらも、ぴゅあの問いかけには真剣さが混ざっていた。
「うーん、今日は難しいと思いますよ。シャイニーツリー坊ちゃん、ゆうべは遅くまで起きてたみたいですし……」
シャイニーツリー坊ちゃん……ね、と、ぴゅあと蓮花はそれぞれ思った。
春日シャイニーツリーは、前の世界でのクラスメートだった。ぴゅあも蓮花も、一年生の時に同級生だったシャイニーツリーのことは明確に覚えている。一年生の時から学校を休むことが多く、それでも学校に知らない者はいないような目立った生徒だった。
シャイニーツリーは指定暴力団の組長の息子だという噂が、学校中を駆け巡っていた。その話は、シャイニーツリーを学校の孤立者にしていた。クラスメートは恐れて近づかず、本人も無口を貫き、他人との接点を持とうとはしなかった。
見た目は極めて普通の、いかにも大人しそうな男子生徒。実際、噂話とは裏腹に彼の本質そのものだった。
けれど誰も、シャイニーツリーと深い関係を築こうとはしなかった。関わり方を間違えれば組の報復を受けるなどという話が、いつしか学校中の暗黙の了解となっていたのだ。
それが、春日輝樹の前の世界での話。
今の世界の春日シャイニーツリーとは、まるで関係のない話。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる