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008 与奪城の月
第47話 アンジュのいる庭。
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地域を流れる思郷川の河原沿いの道を通り、地上に上がるとすぐに黒駒中学校の校舎が見えてくる。
そのまま学校へと向かう緩やかな坂道の途中、煉瓦造りの長い塀があって、その角を曲がった先にロートアイアンの門扉が構える。
朝は門扉が施錠されていないことを知っている童子山ぴゅあと、三熊蓮花は、門を開きそのまま中に入った。
玄関ポーチに向かう小道にはラベンダーやアヤメが瑞々しく咲き誇り、ローズマリーの低木が両脇を彩る。
「童子山、わたしはこの庭が一番怖いんだよ」
「えー? 何が怖いの? 三熊」
蓮花は庭を見渡しながら、真剣な面持ちで言葉を続けた。
「昨日まで咲いていた花がどこにもない! で、昨日なかったものが増えてる!」
「えー? 植え替えとかしたんじゃないの?」
「毎朝? 誰が? てか道の形すら変わってんじゃん」
この家が管理者によって創られ、管理者によって管理されていることを、ぴゅあも蓮花も承知していた。だからこそ、毎日のように変化する庭の様子に、蓮花はその力の凄まじさを感じずにはいられない。
「ここの管理者って飽き性で完全主義者なんだろうねー。ウケル」
ぴゅあは、重たい空気を一気に吹き飛ばすように、はしゃぎながら言った。
「いや童子山、笑い事じゃないでしょ。やっぱこの家に来るの怖いよ。わたし的にはさ」
「でも来ないわけにはいかないじゃん。薮崎先生に言っちゃったもん。『あたしに任せてください! 春日ならあたしが毎日学校に引っ張っていきますから!』って」
ぴゅあは得意げに、自分の胸を叩きながら言った。それを見て蓮花が、大きなため息を吐く。
——担任の藪崎先生が、不登校の生徒の問題をぴゅあに託したのには、いくつか理由があった。一年生の時のクラスメートであり、当該生徒の抱える事情を知っていて、蓮花も含めて同じコグ——二重世界認識者だということだ。藪崎先生自体もまたコグであり、学校での相談役でもある。
「変な世界に飛ばされてさー、厄介ごとも押しつけられてさー、やってらんないよわたしは」
庭の中程まで来ると、クラシカルなメイド服姿のアンジュさんが、散水ホースで草花に水撒きをしながら、ぴゅあと蓮花に微笑みかけてきた。
「おはようございます、アンジュさん」
「アンジュさん、それ、意味あるんですか?」
アンジュは散水ホースを持つ手を止め、一瞬、自分の服姿のことを指摘されたのかと考え込んだ。しかし、蓮花の視線が水やりに注がれていることに気づき、質問の意図を悟る。
「バイト代、貰ってますからねえ」
早朝と夕方の限られた時間、この家でメイドとして働く高校生のアンジュは、いつもなら登校前で仕出原高校の制服に着替えている時間だ。今朝は珍しく、まだメイド服姿で庭にいた。
「今日は学校の創立記念日でお休みなんです。だからたまってる仕事を全部やっちゃおうと思って」
アンジュは笑顔を絶やさない。この広い屋敷の世話を一人でするのは大変なはずだが、コグでない者に任せるわけにもいかないのだろう。庭の形だけでなく、部屋の間取りさえ、日々変化する特殊な屋敷なのだから。
「で、アンジュさん。今日、春日は学校に来そう? 来なさそう?」
いつもの陽気さを保ちながらも、ぴゅあの問いかけには真剣さが混ざっていた。
「うーん、今日は難しいと思いますよ。シャイニーツリー坊ちゃん、ゆうべは遅くまで起きてたみたいですし……」
シャイニーツリー坊ちゃん……ね、と、ぴゅあと蓮花はそれぞれ思った。
春日シャイニーツリーは、前の世界でのクラスメートだった。ぴゅあも蓮花も、一年生の時に同級生だったシャイニーツリーのことは明確に覚えている。一年生の時から学校を休むことが多く、それでも学校に知らない者はいないような目立った生徒だった。
シャイニーツリーは指定暴力団の組長の息子だという噂が、学校中を駆け巡っていた。その話は、シャイニーツリーを学校の孤立者にしていた。クラスメートは恐れて近づかず、本人も無口を貫き、他人との接点を持とうとはしなかった。
見た目は極めて普通の、いかにも大人しそうな男子生徒。実際、噂話とは裏腹に彼の本質そのものだった。
けれど誰も、シャイニーツリーと深い関係を築こうとはしなかった。関わり方を間違えれば組の報復を受けるなどという話が、いつしか学校中の暗黙の了解となっていたのだ。
それが、春日輝樹の前の世界での話。
今の世界の春日シャイニーツリーとは、まるで関係のない話。
そのまま学校へと向かう緩やかな坂道の途中、煉瓦造りの長い塀があって、その角を曲がった先にロートアイアンの門扉が構える。
朝は門扉が施錠されていないことを知っている童子山ぴゅあと、三熊蓮花は、門を開きそのまま中に入った。
玄関ポーチに向かう小道にはラベンダーやアヤメが瑞々しく咲き誇り、ローズマリーの低木が両脇を彩る。
「童子山、わたしはこの庭が一番怖いんだよ」
「えー? 何が怖いの? 三熊」
蓮花は庭を見渡しながら、真剣な面持ちで言葉を続けた。
「昨日まで咲いていた花がどこにもない! で、昨日なかったものが増えてる!」
「えー? 植え替えとかしたんじゃないの?」
「毎朝? 誰が? てか道の形すら変わってんじゃん」
この家が管理者によって創られ、管理者によって管理されていることを、ぴゅあも蓮花も承知していた。だからこそ、毎日のように変化する庭の様子に、蓮花はその力の凄まじさを感じずにはいられない。
「ここの管理者って飽き性で完全主義者なんだろうねー。ウケル」
ぴゅあは、重たい空気を一気に吹き飛ばすように、はしゃぎながら言った。
「いや童子山、笑い事じゃないでしょ。やっぱこの家に来るの怖いよ。わたし的にはさ」
「でも来ないわけにはいかないじゃん。薮崎先生に言っちゃったもん。『あたしに任せてください! 春日ならあたしが毎日学校に引っ張っていきますから!』って」
ぴゅあは得意げに、自分の胸を叩きながら言った。それを見て蓮花が、大きなため息を吐く。
——担任の藪崎先生が、不登校の生徒の問題をぴゅあに託したのには、いくつか理由があった。一年生の時のクラスメートであり、当該生徒の抱える事情を知っていて、蓮花も含めて同じコグ——二重世界認識者だということだ。藪崎先生自体もまたコグであり、学校での相談役でもある。
「変な世界に飛ばされてさー、厄介ごとも押しつけられてさー、やってらんないよわたしは」
庭の中程まで来ると、クラシカルなメイド服姿のアンジュさんが、散水ホースで草花に水撒きをしながら、ぴゅあと蓮花に微笑みかけてきた。
「おはようございます、アンジュさん」
「アンジュさん、それ、意味あるんですか?」
アンジュは散水ホースを持つ手を止め、一瞬、自分の服姿のことを指摘されたのかと考え込んだ。しかし、蓮花の視線が水やりに注がれていることに気づき、質問の意図を悟る。
「バイト代、貰ってますからねえ」
早朝と夕方の限られた時間、この家でメイドとして働く高校生のアンジュは、いつもなら登校前で仕出原高校の制服に着替えている時間だ。今朝は珍しく、まだメイド服姿で庭にいた。
「今日は学校の創立記念日でお休みなんです。だからたまってる仕事を全部やっちゃおうと思って」
アンジュは笑顔を絶やさない。この広い屋敷の世話を一人でするのは大変なはずだが、コグでない者に任せるわけにもいかないのだろう。庭の形だけでなく、部屋の間取りさえ、日々変化する特殊な屋敷なのだから。
「で、アンジュさん。今日、春日は学校に来そう? 来なさそう?」
いつもの陽気さを保ちながらも、ぴゅあの問いかけには真剣さが混ざっていた。
「うーん、今日は難しいと思いますよ。シャイニーツリー坊ちゃん、ゆうべは遅くまで起きてたみたいですし……」
シャイニーツリー坊ちゃん……ね、と、ぴゅあと蓮花はそれぞれ思った。
春日シャイニーツリーは、前の世界でのクラスメートだった。ぴゅあも蓮花も、一年生の時に同級生だったシャイニーツリーのことは明確に覚えている。一年生の時から学校を休むことが多く、それでも学校に知らない者はいないような目立った生徒だった。
シャイニーツリーは指定暴力団の組長の息子だという噂が、学校中を駆け巡っていた。その話は、シャイニーツリーを学校の孤立者にしていた。クラスメートは恐れて近づかず、本人も無口を貫き、他人との接点を持とうとはしなかった。
見た目は極めて普通の、いかにも大人しそうな男子生徒。実際、噂話とは裏腹に彼の本質そのものだった。
けれど誰も、シャイニーツリーと深い関係を築こうとはしなかった。関わり方を間違えれば組の報復を受けるなどという話が、いつしか学校中の暗黙の了解となっていたのだ。
それが、春日輝樹の前の世界での話。
今の世界の春日シャイニーツリーとは、まるで関係のない話。
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