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004 スモールスモールサークル
第33話 おぼつかない夜。(和の視点)
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『もう寝ましたか? わたしは眠れません』
——もう寝ましたか? わたしは眠れません——
暗闇の中、スマホのディスプレイに映る文字が頭に、脳に固着して離れない。送信元がひよさんであることは、別段確認するまでもなく即座にわかった。ひよさんの方からメッセージを送ってくるなんてことは、これまで一度もなかったにも関わらず、だ。
速やかに返事をしなければ、僕はそう思った。なんでもいいので、言葉を返さなければいけない。けれど返信するということは、朝まで眠れない、眠ってはいけなくなる可能性が高いということでもある。妄念が、僕の指の動きを迷わせる。
『起きてるよ。大丈夫?』
即、既読のサインがついた。そしてすぐに、戸惑うほどすぐに、ひよさんからのメッセージが届く。
『あのね。さっき夢を見ました。もう目が覚めちゃったけど』
悪夢を見てしまって眠り直せなくなった、ということだろうか。僕はひよさんに会話の主導権を持たせるため、簡潔なメッセージを返す。
『眠れなくなったの?』
『わたしは夢の出来事を確かめるために、ここから抜け出したいんだけど、付き合ってくれませんか』
難中の難事。今、何時だろう。
宿泊棟は男子と女子で別棟に分かれている——だから今思えば、アッキーはどちらにせよ合宿に参加するのはハードルが高かっただろうと思う——
ひよさんが抜け出すためには、僕が先にこの建物を出て、女子の宿泊棟の近くで待っていなければならない。当然、バレたら怒られる……というより、厄介な騒ぎになる可能性だってある。
この合宿では、付き合っている二人がこっそり抜け出して……みたいなイベントが起こる可能性はないのだろうか。入学して間もない一年生はともかく、二年生には普通に付き合っているカップルもいそうなものだけれど。
それにしても、時刻が遅すぎるのには違いない。もう日も変わってから、時間が経ちすぎている。
しかしどうして、僕をご指名なのか。それは、ひよさんが僕に好意を寄せているから……なんてわけはなく、あっちの世界に関わる内容だからに違いなかった。
親友の稲継さんを頼らないのは、彼女が、ひよさんがあっちの世界に引っ張られることを快く思っていないからだろう。
もちろん、僕に断るなんて選択はないのだけれど、それでも、
『明るくなってからではだめなの?』
と、尋ねてみる。
『夢の中で夜だったから。だから、明るくなる前に確かめたいです』
敬語でそう言われたらもう、ひよさんに付き合うほかない。
『わかった。外には出れそう?』
『大丈夫。さっき廊下に行った時に確認しました。簡単に出られます』
『じゃあ、今から建物の外に出てみるから、そこで待ってて。出たら、連絡する』
『わかりました』
簡単に出られる……ひよさんがそう言っても、いくつかの難関を突破しなければならない。まず、同室の他のメンバーを起こさないよう、部屋の外に出なければならないし、誰かが見張っているわけではないにせよ、廊下の端まで音を立てずに進み、静かに非常口の扉を開閉しなければならない。
とりあえずベッドから下りるところから始めようと、ふと窓の外に目をやると、小さな光が揺らめいているのが見えた。
向かいの建物の外で、何者かが地面を照らしている。それから、こちらに向かってゆっくりと光が広がる。慎重で、気弱な光。
あれは——ひよさんだ。
なんで先に外に出ちゃうかな。待ってろって言ったのに。
僕は素早くベッドを下りて、迅速に廊下に出て、小走りで廊下の端まで駆けて、もはや何も気にせず非常口の扉を開いて建物の外に出た。
そして、気持ちペースを落として早歩き気味に、ひよさんの突っ立っているところに辿り着いた。
「待っててって言ったのに。問題なかった?」
「うん。あのね。メッセージ送った時、もう廊下に出てたの。だから、じっと待ってるのが怖くなってきて、早く出たくなって」
「問題ないのならよかったよ」
そう言ってから、少々突き放したような言い方になったのでは、と不安になった。
暗がりの中、ひよさんの表情はわからないが、刺激しないよう、ため息だと思われないよう、ゆっくりと薄い息を吐く。
「どんな夢だったのか聞いてもいい?」
「えっとね」
と、ひよさんは丸めた人差し指を唇に当てて、頭の中を整理するようにポーズを取った。
「知ってる子が出てきたの。それで思い出したことがあって」
「思い出したこと?」
「うん。たぶん、あちらの小学校の時から仲良かった子だと思う。名前も顔もわからないけど……その子がね。その子がこの木槌山の施設の、えっとね、炊飯場の脇を進んでいくとヒノキの林道があって、その両側に大きな旗がいくつも立てられているの。それで、その子がそこに新しい旗を挿す夢を見たの」
夢は記憶をそのまま再現するものではない。だから、ひよさんのそれはたまたま作り出された非現実の幻覚であって、わざわざ現実で確かめる必要などまったくない。本来ならば。
だけど、この世界ではそんな常識は通用しない。ひよさんのように記憶に曖昧な部分を持つ者にとっては、たとえ夢であっても、眠っている記憶を呼び戻す取っ掛かりになることもあり得る。
ひよさんはどうして、あっちの世界の記憶にそこまで固執するんだろう。小さなヒントに、いちいちすがろうとするんだろう。
僕は正直なところ、ひよさんには記憶探しに深入りして欲しくないと思っている。それは彼女があっちで大変不幸な境遇にあったことを、僕が知っているからだった。
だって今でさえ、数多くのトラウマに押し潰されそうになって、ただ生活をするだけでも困難を強いられているじゃないか。
だから、稲継さんが僕に対して明らかに嫌っている態度を取り、ひよさんから遠ざけようとする気持ちは理解できる。
でも。それでも。
僕は二度と、ひよさんのことで後悔をしたくない。
——もう寝ましたか? わたしは眠れません——
暗闇の中、スマホのディスプレイに映る文字が頭に、脳に固着して離れない。送信元がひよさんであることは、別段確認するまでもなく即座にわかった。ひよさんの方からメッセージを送ってくるなんてことは、これまで一度もなかったにも関わらず、だ。
速やかに返事をしなければ、僕はそう思った。なんでもいいので、言葉を返さなければいけない。けれど返信するということは、朝まで眠れない、眠ってはいけなくなる可能性が高いということでもある。妄念が、僕の指の動きを迷わせる。
『起きてるよ。大丈夫?』
即、既読のサインがついた。そしてすぐに、戸惑うほどすぐに、ひよさんからのメッセージが届く。
『あのね。さっき夢を見ました。もう目が覚めちゃったけど』
悪夢を見てしまって眠り直せなくなった、ということだろうか。僕はひよさんに会話の主導権を持たせるため、簡潔なメッセージを返す。
『眠れなくなったの?』
『わたしは夢の出来事を確かめるために、ここから抜け出したいんだけど、付き合ってくれませんか』
難中の難事。今、何時だろう。
宿泊棟は男子と女子で別棟に分かれている——だから今思えば、アッキーはどちらにせよ合宿に参加するのはハードルが高かっただろうと思う——
ひよさんが抜け出すためには、僕が先にこの建物を出て、女子の宿泊棟の近くで待っていなければならない。当然、バレたら怒られる……というより、厄介な騒ぎになる可能性だってある。
この合宿では、付き合っている二人がこっそり抜け出して……みたいなイベントが起こる可能性はないのだろうか。入学して間もない一年生はともかく、二年生には普通に付き合っているカップルもいそうなものだけれど。
それにしても、時刻が遅すぎるのには違いない。もう日も変わってから、時間が経ちすぎている。
しかしどうして、僕をご指名なのか。それは、ひよさんが僕に好意を寄せているから……なんてわけはなく、あっちの世界に関わる内容だからに違いなかった。
親友の稲継さんを頼らないのは、彼女が、ひよさんがあっちの世界に引っ張られることを快く思っていないからだろう。
もちろん、僕に断るなんて選択はないのだけれど、それでも、
『明るくなってからではだめなの?』
と、尋ねてみる。
『夢の中で夜だったから。だから、明るくなる前に確かめたいです』
敬語でそう言われたらもう、ひよさんに付き合うほかない。
『わかった。外には出れそう?』
『大丈夫。さっき廊下に行った時に確認しました。簡単に出られます』
『じゃあ、今から建物の外に出てみるから、そこで待ってて。出たら、連絡する』
『わかりました』
簡単に出られる……ひよさんがそう言っても、いくつかの難関を突破しなければならない。まず、同室の他のメンバーを起こさないよう、部屋の外に出なければならないし、誰かが見張っているわけではないにせよ、廊下の端まで音を立てずに進み、静かに非常口の扉を開閉しなければならない。
とりあえずベッドから下りるところから始めようと、ふと窓の外に目をやると、小さな光が揺らめいているのが見えた。
向かいの建物の外で、何者かが地面を照らしている。それから、こちらに向かってゆっくりと光が広がる。慎重で、気弱な光。
あれは——ひよさんだ。
なんで先に外に出ちゃうかな。待ってろって言ったのに。
僕は素早くベッドを下りて、迅速に廊下に出て、小走りで廊下の端まで駆けて、もはや何も気にせず非常口の扉を開いて建物の外に出た。
そして、気持ちペースを落として早歩き気味に、ひよさんの突っ立っているところに辿り着いた。
「待っててって言ったのに。問題なかった?」
「うん。あのね。メッセージ送った時、もう廊下に出てたの。だから、じっと待ってるのが怖くなってきて、早く出たくなって」
「問題ないのならよかったよ」
そう言ってから、少々突き放したような言い方になったのでは、と不安になった。
暗がりの中、ひよさんの表情はわからないが、刺激しないよう、ため息だと思われないよう、ゆっくりと薄い息を吐く。
「どんな夢だったのか聞いてもいい?」
「えっとね」
と、ひよさんは丸めた人差し指を唇に当てて、頭の中を整理するようにポーズを取った。
「知ってる子が出てきたの。それで思い出したことがあって」
「思い出したこと?」
「うん。たぶん、あちらの小学校の時から仲良かった子だと思う。名前も顔もわからないけど……その子がね。その子がこの木槌山の施設の、えっとね、炊飯場の脇を進んでいくとヒノキの林道があって、その両側に大きな旗がいくつも立てられているの。それで、その子がそこに新しい旗を挿す夢を見たの」
夢は記憶をそのまま再現するものではない。だから、ひよさんのそれはたまたま作り出された非現実の幻覚であって、わざわざ現実で確かめる必要などまったくない。本来ならば。
だけど、この世界ではそんな常識は通用しない。ひよさんのように記憶に曖昧な部分を持つ者にとっては、たとえ夢であっても、眠っている記憶を呼び戻す取っ掛かりになることもあり得る。
ひよさんはどうして、あっちの世界の記憶にそこまで固執するんだろう。小さなヒントに、いちいちすがろうとするんだろう。
僕は正直なところ、ひよさんには記憶探しに深入りして欲しくないと思っている。それは彼女があっちで大変不幸な境遇にあったことを、僕が知っているからだった。
だって今でさえ、数多くのトラウマに押し潰されそうになって、ただ生活をするだけでも困難を強いられているじゃないか。
だから、稲継さんが僕に対して明らかに嫌っている態度を取り、ひよさんから遠ざけようとする気持ちは理解できる。
でも。それでも。
僕は二度と、ひよさんのことで後悔をしたくない。
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