上 下
20 / 50
003 玻璃先生は張り詰めない

第19話 任命されたないわ。

しおりを挟む
「実だったら、好きなだけ食べていいんですよ」
 夜澄校長がそう言いながら、前に突き出した手のひらを広げると、中から毒々しい色をした実が現れた。その実の色彩は、まるで警告のように鮮やかで不自然だった。玻璃は、その実を冷ややかな目で見つめた。
変な薬なんていらないんですよ」
 玻璃が、拒絶の意思を込めて言った。
「実って……名前すらついていないじゃないですか。少なくとも仮称くらいは付けるべきでは?」
 夜澄校長は柔らかな微笑ほほえみを浮かべながら答えた。
「そのうち使わなくなるものですからね。おぼろげであった方がいいんです」
「私、怪しい合法ドラッグはやらないんですよ。一応、看護師さんの資格持ってるんで」
 玻璃は突き放すように言った。「看護師さん」と、まるで他人ひと事のことのように語る自分に、玻璃は自嘲の笑みを浮かべた。
 両方の世界の記憶を持ちながらも、前の世界のアイデンティティがより強く残っているからこそ、現在の立場を客観視しているかのようだった。
「それならまず禁煙なさいよ」
 夜澄校長があきれたように言う。しかし、すぐに口調を変えて続けた。
「いいわ。曽我井先生、校長室までついて来てください」
 時間の流れは依然として止まったままだった。夜澄校長は玻璃に背を向けると、凍結した世界を抜けるように校舎の中へと歩み入った。
「やれやれ」
 玻璃はため息交じりにつぶやき、「まだ三パフしか吸ってないのに」と、不満そうな表情で電子タバコをケースに収めた。

 ――校長室。夜澄校長と玻璃は、ソファ向き合って腰を下ろしていた。
「は? 担任? 私が?」
 夜澄校長の予想外の提案に、玻璃の声は驚きで裏返った。対して夜澄校長は、穏やかな笑顔で玻璃を見つめている。
「いやいや、待ってください。うち、子ども三人いるんですよ。末っ子はまだ手がかかって」
 玻璃は焦りを隠せない様子で説明を始めた。この予想外の話をなんとか断ろうと、必死に言葉を探しているようだった。
「話が違うやないですか、ヨスミさん。保健室にいて、生徒たちの悩みを聞いて、の状況をチェックする、そういう立ち位置で雇われたんやなかったんですか?」
 玻璃は身を乗り出し、まくし立て始めた。普段の落ち着いた雰囲気が消え、のキャラクターが表に出ていた。
 玻璃の詰問に、夜澄校長もくだけた口調で応じた。
「緊急事態なのよ。モブ谷先生、いなくなっちゃった……というより、いないことになっちゃったから。代替えを配置しなきゃならないの。申し訳ないけど、玻璃先生以外に選択肢はないの」
 この世界から退ということは、周囲の記憶も含め、かつて存在していたという痕跡すら消し去られ、すべて書き換えられてしまうということだ。
 以外の者にとって、世界にとってイレギュラーな出来事は日常の中に吸収されていってしまうのだ。
 しかし、モブ谷の替わりが自動的に現れる、などということは起こらない。
 教職員の中で自覚している者は、玻璃と校長以外にはいないはずだった。少なくとも屋上で皆、カチコチに固まって動いていなかったのだから。
「ねえ、モブ谷先生、どうなったん?」
 玻璃が尋ねた。先ほどの、モブ谷の最期の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。
「モブ谷先生の体は既に回収されたわ。しかるべき場所に転送されるの」
 夜澄校長は一瞬言葉を切り、玻璃の表情をうかがうように見つめた。
「だけど、再生されて元通りになるかどうかは、不明」
「再生されたら、またここに戻ってくんの?」
 玻璃が、おそるおそる尋ねる。
「それはさせない」
 夜澄校長は表情を引き締め、毅然きぜんとした態度で言った。
「玻璃先生を危ない目に遭わせたんだから、ここには戻さない」
「ヨスミさん、黙って見てたん? ひど」
 玻璃は困惑しつつも、少しあきれたような口調で応じた。千里眼でも持っているのか。一体どこから見ていたのだろう。
「せめて家族に相談するまで、回答を待ってください」
 冷静さを取り戻した玻璃が、真剣な面持ちで申し出た。
「ごめんね。命令。明日からよろしくね」
「いや、めちゃくちゃやん!」
 玻璃は思わず声を荒らげてツッコんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

性転換タイムマシーン

廣瀬純一
SF
バグで性転換してしまうタイムマシーンの話

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

欠損奴隷を治して高値で売りつけよう!破滅フラグしかない悪役奴隷商人は、死にたくないので回復魔法を修行します

月ノ@最強付与術師の成長革命/発売中
ファンタジー
主人公が転生したのは、ゲームに出てくる噛ませ犬の悪役奴隷商人だった!このままだと破滅フラグしかないから、奴隷に反乱されて八つ裂きにされてしまう! そうだ!子供の今から回復魔法を練習して極めておけば、自分がやられたとき自分で治せるのでは?しかも奴隷にも媚びを売れるから一石二鳥だね! なんか自分が助かるために奴隷治してるだけで感謝されるんだけどなんで!? 欠損奴隷を安く買って高値で売りつけてたらむしろ感謝されるんだけどどういうことなんだろうか!? え!?主人公は光の勇者!?あ、俺が先に治癒魔法で回復しておきました!いや、スマン。 ※この作品は現実の奴隷制を肯定する意図はありません なろう日間週間月間1位 カクヨムブクマ14000 カクヨム週間3位 他サイトにも掲載

戦艦大和、時空往復激闘戦記!(おーぷん2ちゃんねるSS出展)

俊也
SF
1945年4月、敗色濃厚の日本海軍戦艦、大和は残りわずかな艦隊と共に二度と還れぬ最後の決戦に赴く。 だが、その途上、謎の天変地異に巻き込まれ、大和一隻のみが遥かな未来、令和の日本へと転送されてしまい…。 また、おーぷん2ちゃんねるにいわゆるSS形式で投稿したものですので読みづらい面もあるかもですが、お付き合いいただけますと幸いです。 姉妹作「新訳零戦戦記」「信長2030」 共々宜しくお願い致しますm(_ _)m

性転換ウイルス

廣瀬純一
SF
感染すると性転換するウイルスの話

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

処理中です...