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本題:テンプレを使うことの合理性とそれの与える爽快感
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前話に宣言した通り「小説を書くための道具としてのテンプレ」のことを定規と表記する。単に「テンプレ」と表記する場合は一般的な意味でのテンプレを指すことにしよう。
本題だ。ネット小説には「読むほうも書く方も文字の読み書きを生業としない人物である」という特徴がある。ネット小説を書く人の大部分はただの趣味なのだから当たり前だ。
では書くことに慣れていない人間がネット小説を書く動機はどこから来るのかというと、「こんな小説を俺も書いてみたい!」「こうやって書けばもっと面白くなるのに!」という衝動からである。そしてこのように書き始める小説のほとんどが既存の作品の展開をなぞったもの、つまりパクりとなる。
パクることは全く悪いことではない。レポートにつけなさいと言われる参考文献だって「この資料をパクりました」という意味だし、そのおかげでレポートが簡潔になったり説得力を増したりするのだから。
アルファポリスの小説検索画面は皆様なら見慣れたものだろうが、あれもパクリばかりのネット小説を探すのに特化した形になっていることに気づいているだろうか。すべての小説が唯一無二の全く新しいものなら、キーワード検索なんて意味をなさず、ジャンルという概念すらも消えて、アルファポリスのトップ画面は「新着小説とそのあらすじ」「文字数で条件を絞る」くらいしかなくなってしまうかもしれない。「転生 俺TUEEEE」と調べるだけで異世界テンプレ小説がヒットするのはパクりのおかげなのだ。
散々パクるという言葉が出てきた。このパクりこそが定規の一側面だ。つまりあなたが小説を書くために使う定規は、あなたよりも以前に小説を書いた人たちによって連綿とパクられてきたものなのだ。つまり異世界転生とか、そこから派生した悪役令嬢ものとかがありふれてジャンルとして体系化されているのは、誰もがみんなそれをパクったからだ。
Q. なぜパクるのか。A. テンプレが合理的だから&定規が面白いだからだ。
合理性とは? 結論から言うと、文字を読み書きを生業としない人物であっても、書きやすいし読みやすいという事だ。パクられ、そのパクりがさらにパクられていく過程で、無駄が淘汰され洗練されていく(その過程は諺が語り継がれる様に似ている)。そうして出来上がった定規があれば、その設定や展開をたどって文章を作るだけで済むから、書きやすい。そして出来上がった作品は予定調和のごとく見たことのある設定や展開となる。読者は詳しく読まなくても最初の数文を読んだだけで「あ、定規で描いた直線だな」と分かるから、読みやすい。小学生でも理解できる説明だ。でも小学生以上の人はここで違和感を感じたのではないだろうか。「という事は、その小説が読まなくても分かる=読む必要のないものなんじゃないか?」と。
答えは否だ。なぜなら定規を使って書いたネット小説は面白い=読者に爽快感を与えるからだ。
ここから後半の爽快感の話をしていく。現代、子どもは全員学校に押し込められ、法で定められた教育を受ける。教育が終われば就職、毎日毎日毎日毎日同じ業務をやらされる。つまり退屈と言う物に疲れているのだ。定規に沿った小説は、その退屈を「読者を英雄にお膳立てする」ことで紛らわせてくれる。どういうことか、まずは次の二例を見てみてほしい。
『異世界に転移したばかりの主人公レオンは、見知らぬ草原で目が覚めたが、チートはない。持っているのは最低限の武器防具と神様からもらった数か月分の食糧と酒の入った魔法袋。幸い目先に集落を発見した。運よく行けば魔獣に見つかる前にたどり着けるだろうし、食糧の何十分の一でも提供すれば快く迎え入れてくれるだろう。そんな時、背後からかすかな戦闘音が聞こえてきた。屈強な狩人達が魔獣と戦っているようだ。彼らは劣勢に立たされていて一刻の猶予も無いかもしれない! 助けに行かなけば!』
『異世界に転移したばかりの主人公ナギは、見知らぬ草原で目が覚め、どこか人里にたどり着くために歩いていた。周りには魔獣がうろついているが、神様からもらったチートなステータスで難なく倒せるし大きな傷も負わないで済んでいる。そんな時、前方から煙が立ち上っている。よく聞くと複数の戦闘音や女の子の悲鳴も聞こえてくる。誰かが襲われているようだ! 助けに行かなければ!』
レオンもナギも、異世界に転移したばかりで絶体絶命な異世界人を発見、正義感を燃やして助太刀に入る、まさに英雄的行動が描かれていることには変わりない。
しかし言うまでもなく前者は10人中9人がブラウザバックする非定規展開であり、後者は親の顔より見た定規展開である。
両者の違いはその動機にある。
前者からは「自らの命が危険だったとしても助けたい」という、純粋に英雄的な動機しか読み取れない。つまりこの主人公レオンは本物の聖人である。しかしわたしたちは「すごい! 俺もレオンみたいに生きたいぜ!」とは思わない。だってむさ苦しい男なんて助けたくないし。どうせ助けるなら女の子が良い。こうしてわたしたちの心はレオンから離れてしまい、それ以降読者が主人公に感情移入することは無いと言っても過言ではない。
一方後者だ。主人公ナギが助けたのは奴隷行商人で、護衛と称して街へ入ることに成功、その報酬で金とかわいい獣人奴隷(ご主人様にメロメロ)がゲットできるのだろうと読者は想像したに違いない。つまり後者には「チートで余裕もあるし、こんなことで恩を売って金と女も手に入るかもなら助太刀しとくか」「もしかしたら街へ続く道を知っているかも、街へ案内してくれるかも」という、とても俗物的な動機が混ざっているのである。
このように定規展開には、英雄的行動の中に俗物的動機が組み込まれている。このような場合、読者は英雄=主人公と全く同じように「助けなければ!」と思わされるので、主人公に感情移入しやすくなる。この感情移入は、人助けの疑似体験であり、定規展開に与えられた擬似的成功体験はわたしたちに爽快感をもたらす。
悪人の男と可哀相なヒロインという単純な勧善懲悪の構図や、力あるものの余裕とかラッキースケベで主人公を意識し始めるチョロインとかは全て定規である。
このエッセイに定規を使うことを否定する意図は全くない。むしろ上に挙げたような成熟した定規は、考えれば考えるほどよくできた展開だと感じる。
まとめだ。
テンプレは小説に限らずありとあらゆる場面で用いられて、必ずしもネガティブな意味で用いられるわけではない。テンプレの一側面とはパクりであり、「書きやすい、読みやすい」という合理性を持っているのだという話を前半に述べた。
ネット小説における定規は、他のあらゆるテンプレとは異なる独自の進化を遂げた。この進化によって定規は、書きやすい、読みやすいだけではない「読者に爽快感を与える」のだという話を後半に述べた。
というわけで定規が小説を書きやすくして、なおかつ面白い小説が書ける便利で合理的な道具である事が示された。しかし現実問題として「テンプレは糞だ」という奴はいる。テンプレの使い方が間違っているのか? 半分正解、半分間違いだ。間違いという根拠は、はじめにでも述べた通りに、面白くても面白くなくても定規小説は酷評を受けるからだ。半分正解と言ったのは、賢いテンプレの使い方を知らない作者が結構多いからだ。
本題だ。ネット小説には「読むほうも書く方も文字の読み書きを生業としない人物である」という特徴がある。ネット小説を書く人の大部分はただの趣味なのだから当たり前だ。
では書くことに慣れていない人間がネット小説を書く動機はどこから来るのかというと、「こんな小説を俺も書いてみたい!」「こうやって書けばもっと面白くなるのに!」という衝動からである。そしてこのように書き始める小説のほとんどが既存の作品の展開をなぞったもの、つまりパクりとなる。
パクることは全く悪いことではない。レポートにつけなさいと言われる参考文献だって「この資料をパクりました」という意味だし、そのおかげでレポートが簡潔になったり説得力を増したりするのだから。
アルファポリスの小説検索画面は皆様なら見慣れたものだろうが、あれもパクリばかりのネット小説を探すのに特化した形になっていることに気づいているだろうか。すべての小説が唯一無二の全く新しいものなら、キーワード検索なんて意味をなさず、ジャンルという概念すらも消えて、アルファポリスのトップ画面は「新着小説とそのあらすじ」「文字数で条件を絞る」くらいしかなくなってしまうかもしれない。「転生 俺TUEEEE」と調べるだけで異世界テンプレ小説がヒットするのはパクりのおかげなのだ。
散々パクるという言葉が出てきた。このパクりこそが定規の一側面だ。つまりあなたが小説を書くために使う定規は、あなたよりも以前に小説を書いた人たちによって連綿とパクられてきたものなのだ。つまり異世界転生とか、そこから派生した悪役令嬢ものとかがありふれてジャンルとして体系化されているのは、誰もがみんなそれをパクったからだ。
Q. なぜパクるのか。A. テンプレが合理的だから&定規が面白いだからだ。
合理性とは? 結論から言うと、文字を読み書きを生業としない人物であっても、書きやすいし読みやすいという事だ。パクられ、そのパクりがさらにパクられていく過程で、無駄が淘汰され洗練されていく(その過程は諺が語り継がれる様に似ている)。そうして出来上がった定規があれば、その設定や展開をたどって文章を作るだけで済むから、書きやすい。そして出来上がった作品は予定調和のごとく見たことのある設定や展開となる。読者は詳しく読まなくても最初の数文を読んだだけで「あ、定規で描いた直線だな」と分かるから、読みやすい。小学生でも理解できる説明だ。でも小学生以上の人はここで違和感を感じたのではないだろうか。「という事は、その小説が読まなくても分かる=読む必要のないものなんじゃないか?」と。
答えは否だ。なぜなら定規を使って書いたネット小説は面白い=読者に爽快感を与えるからだ。
ここから後半の爽快感の話をしていく。現代、子どもは全員学校に押し込められ、法で定められた教育を受ける。教育が終われば就職、毎日毎日毎日毎日同じ業務をやらされる。つまり退屈と言う物に疲れているのだ。定規に沿った小説は、その退屈を「読者を英雄にお膳立てする」ことで紛らわせてくれる。どういうことか、まずは次の二例を見てみてほしい。
『異世界に転移したばかりの主人公レオンは、見知らぬ草原で目が覚めたが、チートはない。持っているのは最低限の武器防具と神様からもらった数か月分の食糧と酒の入った魔法袋。幸い目先に集落を発見した。運よく行けば魔獣に見つかる前にたどり着けるだろうし、食糧の何十分の一でも提供すれば快く迎え入れてくれるだろう。そんな時、背後からかすかな戦闘音が聞こえてきた。屈強な狩人達が魔獣と戦っているようだ。彼らは劣勢に立たされていて一刻の猶予も無いかもしれない! 助けに行かなけば!』
『異世界に転移したばかりの主人公ナギは、見知らぬ草原で目が覚め、どこか人里にたどり着くために歩いていた。周りには魔獣がうろついているが、神様からもらったチートなステータスで難なく倒せるし大きな傷も負わないで済んでいる。そんな時、前方から煙が立ち上っている。よく聞くと複数の戦闘音や女の子の悲鳴も聞こえてくる。誰かが襲われているようだ! 助けに行かなければ!』
レオンもナギも、異世界に転移したばかりで絶体絶命な異世界人を発見、正義感を燃やして助太刀に入る、まさに英雄的行動が描かれていることには変わりない。
しかし言うまでもなく前者は10人中9人がブラウザバックする非定規展開であり、後者は親の顔より見た定規展開である。
両者の違いはその動機にある。
前者からは「自らの命が危険だったとしても助けたい」という、純粋に英雄的な動機しか読み取れない。つまりこの主人公レオンは本物の聖人である。しかしわたしたちは「すごい! 俺もレオンみたいに生きたいぜ!」とは思わない。だってむさ苦しい男なんて助けたくないし。どうせ助けるなら女の子が良い。こうしてわたしたちの心はレオンから離れてしまい、それ以降読者が主人公に感情移入することは無いと言っても過言ではない。
一方後者だ。主人公ナギが助けたのは奴隷行商人で、護衛と称して街へ入ることに成功、その報酬で金とかわいい獣人奴隷(ご主人様にメロメロ)がゲットできるのだろうと読者は想像したに違いない。つまり後者には「チートで余裕もあるし、こんなことで恩を売って金と女も手に入るかもなら助太刀しとくか」「もしかしたら街へ続く道を知っているかも、街へ案内してくれるかも」という、とても俗物的な動機が混ざっているのである。
このように定規展開には、英雄的行動の中に俗物的動機が組み込まれている。このような場合、読者は英雄=主人公と全く同じように「助けなければ!」と思わされるので、主人公に感情移入しやすくなる。この感情移入は、人助けの疑似体験であり、定規展開に与えられた擬似的成功体験はわたしたちに爽快感をもたらす。
悪人の男と可哀相なヒロインという単純な勧善懲悪の構図や、力あるものの余裕とかラッキースケベで主人公を意識し始めるチョロインとかは全て定規である。
このエッセイに定規を使うことを否定する意図は全くない。むしろ上に挙げたような成熟した定規は、考えれば考えるほどよくできた展開だと感じる。
まとめだ。
テンプレは小説に限らずありとあらゆる場面で用いられて、必ずしもネガティブな意味で用いられるわけではない。テンプレの一側面とはパクりであり、「書きやすい、読みやすい」という合理性を持っているのだという話を前半に述べた。
ネット小説における定規は、他のあらゆるテンプレとは異なる独自の進化を遂げた。この進化によって定規は、書きやすい、読みやすいだけではない「読者に爽快感を与える」のだという話を後半に述べた。
というわけで定規が小説を書きやすくして、なおかつ面白い小説が書ける便利で合理的な道具である事が示された。しかし現実問題として「テンプレは糞だ」という奴はいる。テンプレの使い方が間違っているのか? 半分正解、半分間違いだ。間違いという根拠は、はじめにでも述べた通りに、面白くても面白くなくても定規小説は酷評を受けるからだ。半分正解と言ったのは、賢いテンプレの使い方を知らない作者が結構多いからだ。
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