テンプレのトリセツ
このエッセイは、異世界転生を書く作者に向けた「テンプレという道具」の取扱説明書である。
まず前提としてテンプレとは道具である。あなた達は小説を書くとき、「テンプレを使って書く」からだ。しかしその小説が批評されるとき、「テンプレはつまらない」と言われるかもしれない。
ここで冷静になってほしいのが、前者のテンプレと後者のテンプレは全く意味が違うということだ。まずテンプレ=道具とする。前者にこれを代入すると「道具を使って書く」となり意味が通じるが、後者は「道具はつまらない」となり、意味不明だ。すなわち「テンプレはつまらない」と言う指摘は、全くの的外れなので気にしてはならない。
ほとんどのテンプレ批評エッセイでは、テンプレは道具であるという側面を無視して進むことが多い。それは的外れなだけでなく、「道具が生まれるにも理由がある。ではテンプレが生まれた理由とは?」という大事な側面を無視することでもあるのに関わらず……。
【2021.2.16.完結】
まず前提としてテンプレとは道具である。あなた達は小説を書くとき、「テンプレを使って書く」からだ。しかしその小説が批評されるとき、「テンプレはつまらない」と言われるかもしれない。
ここで冷静になってほしいのが、前者のテンプレと後者のテンプレは全く意味が違うということだ。まずテンプレ=道具とする。前者にこれを代入すると「道具を使って書く」となり意味が通じるが、後者は「道具はつまらない」となり、意味不明だ。すなわち「テンプレはつまらない」と言う指摘は、全くの的外れなので気にしてはならない。
ほとんどのテンプレ批評エッセイでは、テンプレは道具であるという側面を無視して進むことが多い。それは的外れなだけでなく、「道具が生まれるにも理由がある。ではテンプレが生まれた理由とは?」という大事な側面を無視することでもあるのに関わらず……。
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小川悟
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私は元々読み専でしたが、2021年6月中旬ごろから小説の投稿を始めました。
気になった事や、わからない事を自分で調べたことなどを書いています。
便利な情報や、間違った情報がありましたら、感想でお知らせください。