マクデブルクの半球

ナコイトオル

文字の大きさ
上 下
57 / 62
詐欺師のナマエ 

4

しおりを挟む

 高校に入学した日、新入生代表として壇上に上がった彼を見た時、文字通り血の気が引いた。周りの音が消え、彼の声だけしか耳に入らず、ただ呆然と目を見開いてその姿を見る。
 数年ぶりに会った彼は、背ものび声も変わり、……けれども、自分の知っている彼そのままだった。
 壇上を下りた彼が、自分の前を通る。
 視線に気付いたのか、或いは何かに呼ばれたのか。ふと彼もこちらを見て、そして眼を見開く。それで十分だった。大仕事を終えて上気していたはずの彼の顔色もまた、一気に引いていた。
 クラスに入り、新しいクラスメイトたちとの会話もそこそこに、解散後、人気のない場所を求めて歩き回った。入学早々の雨で、雨宿りをしているのかどこにもまばらに人がいる。どこか。どこかに───
 ふとその時思いついた。図書室。そこの、一番目立たない場所ならば。
 入学したててでろくに校舎も分かっていない。それは彼も同じはず。ならばポピュラーで尚且つ人が少ない場所を選ぶんじゃないだろうか。
 はじめて図書室に足を踏み入れ、導かれるようにその広い空間の隅を目指す。一番端の、背の高い本段の間にぽつんと、彼はいた。
「コウくん」
 数年ぶりに呼びかけた自分の声は酷く強張っていた。拒絶されたら。冷たくあしらわれたら。もう二度と近付くなと言われたら。震える声で絞り出した勇気は、はっとしたように振り返った彼に受け止められた。
「ミユキ」
 それで十分だった。一瞬で胸がいっぱいになる。音もなく駆け寄り、両手を広げて抱き付く。力強く抱きしめ返され、胸に顔を押し付けるようにして声もなく泣いた。
 そこには性愛も、あるいは友情もなかった。ただただ愛おしく、ようやく取り戻した半身を抱きしめて、やっとひとりに戻れたような気がしていた。
「コウくん、コウくん、コウくんっ……ごめんね、ひとりにしてごめんね。元気だった?」
「違う、ミユキが悪いんじゃない。俺が、俺が無用心だったから。ごめん、痛かったよな、あんなに血が出て、ごめん、本当にごめん」
「違う、コウくんが悪いんじゃない。違うの。それに、ひとりにさせたかったんじゃないの。護りたかった……コウくんのこと、護りたかったの。お願い、信じて」
「分かってた。識ってた。ありがとう。ごめん、ずっと助けられてた。ありがとう」
 それから身を離して、それでも手だけは繋いだまま、小声の早口でお互いの今までを語り合った。周りを気にして、誰もこちらに来ないことを確認しながら、声を殺して。
「お母さんは再婚したの。DNA的には日本人だけど生まれも育ちもアメリカなひとと」
「流石幸絵さん、なんだかちょっとおもしろい感じのことをする」
「おもしろいってなによ……弟も出来たんだよ。父さんの連れ子の。金色の髪と青い目がすっごくきれいなの」
「ミユキがお姉ちゃん? ちゃんと出来てるの?」
「出来てるっ。……はずっ」
 ふは、と彼が笑った。……笑い方も、変わっていなかった。
「ミユキ。……今、幸せ?」
「うん。……ねえ、」
 コウくんは?
 とは。
 訊けなかった。───彼の切なそうな、けれど満足げな笑顔を見たら。
「そっか。……よかった。それだけが心配だったから」
「……うん」
「だからさ。今度は、今度こそ、俺にミユキを護らせて?」
「え?」
 何を護ることがあるのか───瞬いた視線の先で、彼が言う。
「俺の母親が、この学校の保護者の会の会長だ」
「っ、」
「結構な額の寄付をしてる。それで学校に入り込んで、俺がどうしてるかとかの情報を手に入れやすくしてる。校長も担任も全員母さんと個人的に挨拶をしてる」
「……なんで……なんでそんな、監視みたいなこと」
「ずっとそうだよ。友好関係、成績、授業態度、日常生活……全部だ」
 俺は禄にあのひとと喋ったこともないけどね、と、温度なく彼は言った。
「あのひとは、『次期当主』としての俺を管理したいんだよ。ニノという家が総てなんだ。俺はその次期でしかない……『コウ』はどうでもいいんだ」
「そんなの、」
 かっ、と頭に血が上った。ぎゅうっと彼の手を握りしめる。
「そんなの、わたしは、」
「うん」
「わたしはっ、」
「うん」
 涙が滲む。悔しい。悔しい。敗けたくない。
 それが伝わったのか、彼がわたしの頭を撫でた。
「……遠からず、ミユキがこの学校にいることがばれると思う。ミユキ、特待生だよね?」
「うん」
「すぐにばれるよ。また何かしてくるかも」
 左耳の後ろ、今も残る傷跡が、じくり、と疼いた気がした。
「───それ、でも」
「家族もきっと心配する。転校させられる可能性だって。家族に迷惑かけたくないだろ?」
「っ、」
 まだ出来て数年の、漸く歩幅を揃えて歩むことが普通になった、新しい家族。
 父親の収入は安定していて、学費は気にするなと言ってくれている。けれどかからないにこしたことはない。学費免除の違う高校に、今から入れるはずがない。
「だからさ、俺に任せて」
「……コウくん」
「俺とミユキは一緒にいちゃいけない。また同じことになる。自分の管理外の人間が近付いたら、きっとそうなる。───だから、先手を打つ」
「……先手?」
「俺がミユキをもう『どうでもいい存在』、むしろ『目障りな存在』として扱ったら? わざわざ自分が手を下すまでもなく、俺がミユキを拒絶していたら?」
「そしたら───」
 そしたら。何事も起きず、家族に迷惑もかからない───?
「もしかしたら、俺がミユキを虐めることによって他の奴も便乗して虐め出すかもしれない。それは、何とかする。これ以外のことが思い付かない。申し訳ないんだけど、俺には味方がいないんだ」
「わたしがいる」
 きっぱりと首を横に振り、ぎゅうっと手を握る。
「わたしがいる。ずっといた」
「……そうだね。ずっとミユキはいてくれた」
 彼も手を握った。祈るようにその手を額に付け、懐かしむように微笑む。
「俺の半身」
「わたしの半身」
「もう二度と話さない」
「でも二度と離さない」
「これが最後」
「ずっと覚えてるから大丈夫」
「うん」
「うん」
 額を付ける。抱きしめる。
「護ってくれてありがとう。これからは俺が護るから」
「置いていってごめんね。でもあれしか方法が思いつかなかった。大好きなの、信じて」
「識ってる。信じてる」
「わたしも識ってる。信じてる」
 わたしが君のことを好きだ、ということを君は識っている。
 君が識っていることをわたしは識っている。
 それで十分だった。
「……俺の携帯番号」
 彼が告げた数字を、何に残すことなく記憶した。同じように、自分の番号も託す。
「絶対に電話しない。けど、もし、もし全てが終わったら」
 嘘を終わりにしていい時が来たら。
「そしたら、その時は」
 もし、来たら。
「期待しない。でも絶望しない。だから、出来れば笑っていて。……さよなら、わたしの共犯者」
「さよなら、俺の共犯者」
 さよなら。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

月夜のさや

蓮恭
ミステリー
 いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。  夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。  近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。  夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。  彼女の名前は「さや」。  夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。     さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。  その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。  さやと紗陽、二人の秘密とは……? ※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。 「小説家になろう」にも掲載中。  

アークトゥルスの花束

ナコイトオル
ミステリー
大学を卒業し社会人になったミカゲユキと、自他共に認める彼女の在宅ストーカーであるカブラギトモリは、ユキの亡き父が眠る桜の咲き誇る地に来ていた。 そこで出会った少年から二人は結婚指輪を渡され、「遠くでこれを捨てて欲しい」と頼まれてしまう。 これは誰の指輪なのか、どうして少年がそんなにも必死なのかを調べる内に、二人はあるひとたちの心に触れることになる───。 ひとの心はいつだって謎が多く、よく識っていると思っていてもふとした瞬間識らない貌を見せるから。 ───だからこそその先で願わずにはいられないんだ。 これは、たくさんの心と想いに触れることを選んだ『彼ら』の話。

処理中です...