マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と嘘

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 しとしとと、雨が降っていた。酷く空気が冷えている。ともりと二人で歩いて帰った夜の次の日は、そんな日だった。
 フルミのマンションの近くのコインパーキングに停めていった車を回収し(結構な出費だった。痛い)、自宅に帰ってあたたかいコーヒーを淹れた。キョウコのところにはしばらくは行けない。ニノ コウの母親が亡くなったことで、ひょんなことから病院に目が向くといけないとナオミと話し合い、目立つ行為は避けようということになった。キョウコには謝罪の電話をかけた。体調を訊くと、怪我以外の面では特に問題はないらしい。何かあればいつでもスマートフォンに連絡するように何度も言い含めて、電話を切った。
 ともりは大学に行っている。そのあとバイトだ。少しだけ、それを寂しく思った。
 霧雨が降る中、微かな音を聞きながら、ソファーに横たわる。シャツの下にいつもしまってある革紐を手繰り寄せ、真鍮のホイッスルを出した。
「あのさ」
 それに呼びかける。
「すごくすごくさみしいんだけれど、どうしたらいいと思う?」
 答えは、ない。
「……分かってたけどね」
 それでも期待する。一瞬でも、もしかしたら、と。
 それで駄目だったと分かって、期待した自分を馬鹿にするのも、分かっている。
 溜め息をついて、のそりと起き上がる。午後四時。近くのスピーカーからカノンが鳴る。
そろそろ準備をはじめなければならない。備えるのは得意だ……この先何が起こるか分かっている場合は、特に。



 その訪問者がやって来たのは、もうとっくに日が暮れて、コーヒーを淹れながら錠剤を砕いている時だった。粉になったそれを飛ばないように集めてから玄関に向かう。雨はやんでいるが十分に冷えている暗い外、暗がりに隠れるようにして少女は立っていた。
「え……どうしたの、キョウコちゃん」
 驚いた声を出す。病院着に上着を羽織っただけの少女を見、とりあえず中へと促す。
「……コーヒー、飲む?」
「……うん」
 こくりとうなずく。首を傾げながら、とりあえず淹れたばかりのコーヒーをマグに注いで出した。続いて残りをタンブラーにも入れる。両方にさらさらと先ほど砕いた粉を入れて、溶け切るようにちゃんと混ぜた。
「これ飲んで。……タクシーで来たんだよね?」
「うん……」
 歯切れが悪い。ガーゼも包帯も巻いたままの少女をよく乗せてくれたな節穴か! 運転手! と思いながらもダイニングテーブルに座ろうとした少女をソファーに促した。そっちの方がいいだろう。大人しくソファーに腰かけた少女にほっとしながら、私は浄水器の水を飲んだ。
「抜け出して来たんだよね? それとも誰かに言ってきた?」
「……言ってない」
「……そっか。病院に連絡するよ?」
 ぶんぶんと首を横に振った。
「駄目」
「そっか……」
 駄目出しをされたのでスマートフォンをテーブルに置いた。女子高生に気圧された挙句負ける。
 さてどうしたものか、と考えを巡らせる───どうして少女が今このタイミングで来たか、なんて。
 ───誰かの差し金に違いない。
「ナオミさん」
 その名前を出すと、キョウコはぴくんと体を震わせた。上目遣いでこちらを窺う。
「ナオミさんは、私が犯人だと思ってるんだって」
「……そう」
「フルミ ナオキは、キョウコちゃんが犯人だと思ってる」
「え」
 驚いたようにキョウコが顔を上げた。
「なにそれ違うんだけど」
「だ、だよね」
 そこだけ素にならないでキョウコちゃん。
「キョウコちゃんは私が犯人だと思ってたよね」
「……」
「あれだね、多数決だと犯人になっちゃうね、私」
 はは、と笑ったが、キョウコは笑わなかった。
「……ユキは。ユキは、誰が犯人だと思ってるの」
「私? 私は……」
 その時、携帯が鳴った。眼でキョウコに謝り、うなずいたのを確認してからボタンを押す。一応、キョウコに背中を向けた。
「もしもし」
『ミカゲさん?  今大丈夫?』
「大丈夫だよ。どうしたの、フルミくん」
 背後でキョウコが揺らいだのがわかった。
『コウが目を覚ました』
「───そっか」
 ちらり、とうしろを見る。蒼白な顔をしたキョウコが私を見つめていた。視線を戻す。
『それで、多分、警察にこれから色々聞かれると思う。その口裏合わせをしたい。───ミカゲさんには悪いけど、高校時代のことが細かくばれるのは避けたいんだ』
「そうだよね。お互い面倒だし。うん、分かった。でも場所は趣味が悪いけどあのビルでいい? ───会いたいとは思わないけど、姿くらいは見たいかな。あそこなら遠眼でも確認出来るでしょ?」
『俺もそう言おうと思ってた、まだ監視カメラが壊れたままだから記録に残らないし誰も来ない』
「オーケイ、向かうね。ちょっと時間かかるけど」
『大丈夫。じゃあ待ってるね』
 ふつっ、と、通話が切れる。
「……」
 ふと。体に軽い衝撃が走り、一歩足踏みした。背中にあたたかいものが当たり、小さく震えるそれにぎゅっと抱きしめられる。
「……キョウコちゃん?」
「ユキ」
 声は泣いていた。震えながら泣いていた。
 それでも悲痛に染まったか細い声は、突き進むように言葉を紡ぐ。───なにかを犠牲にして、そうやって、進む。壊して、幸せになるため。
「あなたがコウさんを突き落としたのね」
 涙に濡れた声。
 ふは、と、あきらめて小さく笑った。
「うん。───よく分かったね」




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