マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と嘘

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 そんな気はずっとしていた。ずっとずっと、していた。
 恋愛感情はない、けれど前を向いていてほしい婚約者に砦を与え、行き場のない女子高生に未来を与えようとし、自分の感情は押し殺して。ずっとずっと押し殺して。
 とんだいい人だ。どんな聖人だ。人の役に立つだけで、どこまで追っても、いつまで考えても、ニノ コウ個人の気持ちは見えてこない。あなたは誰だ、あの人はどんな人だったか、と問われても誰も答えられないんじゃないんだろうか。いい人、やさしい人、そんな無個性に無理矢理言葉を付けたような単語でしかニノ コウを語れないなんて、そんなの個人がなかったに等しいんじゃないか。誰もニノ コウの人間に触れていないんじゃないか。私を虐めていたニノ コウ、という方がよっぽど人間らしいじゃないか。どんな皮肉な話だよ。
「俺らが六歳の時、当主だったコウの父親が死んだ。病気だった」
 ぽつりぽつりとフルミは語った。
「それからずっと、母親であるカスガさんが当主をしていた。……そういう立場だったから、あまり母親らしいことはしてもらえなかったかもしれない」
 ひとりぼっちのニノ コウ。ぽつんとひとり立つ少年が脳裏に浮かんで静かに消えた。
「けど、今だから言えるけど。……カスガさんも、夫が死んで少しおかしくなってたところがある。寂しさとか、空しさを全部当主という仕事にぶつけて、それでようやく成り立っていたような人だった。……あまり、社交的じゃなかった。どちらかというとごくごく狭い人間関係で過ごすような人で、それで……自分のものに対して、人一倍執着心のある人だった。それを害したり、少しでも掠め取ろうとする人間がいたら全力で排除してた。だからコウに近付く人間は身内でもほとんどいなくて、コウはいつもひとりだった。俺とナオミでさえ、カスガさんに自分の身近な人間だと認識されるまで随分かかったんだ。フルミの名前がなかったら絶対無理だったと思う」
 母親に周りの人間を排除され、誰も自分に近付かない、誰も自分に関わらない。
 それがどれだけ孤独な話なのか。
「普通の子供時代じゃなかっただろうし、幸福な子供時代じゃなかったと思う」
 唇を噛みしめる。誤魔化すように拳を握った。
「ずっといい子だった。大人しい奴だった……だから、高校時代驚いた。そしてほっとした……」
 フルミが顔を上げる。眼鏡の奥の目と、眼が合った。
「ミカゲさんを虐めているコウを見て、俺は本当にほっとしたよ───ああ、こいつにもムカつくとか、理不尽に嫌うとか、そういう気持ちがあったのかって。だから積極的に止めなかった。止める気すらなかった」
 フルミが手をのばす。私の額に影がかかり、手のひらが頬を撫で、髪を一房、さらりと梳かれる。
「コウが人間らしく居られるなら、ミカゲさんひとりぐらい不幸になったっていいと思った」
「知ってたよ」
 答える。手を避けることなく、近付いた相手の目をしっかりと見据える。
「知ってたし、分かってた。だから期待もしてなかった」
 虐めでクラスが団結する、なんて。聞く話だ。
生贄が欲しかった。
彼の人間らしいところを見ていたかった。
「───ごめんね」
 フルミが微笑む。
「このごめんねは、止める気がなかったことに対してじゃなくて。ミカゲさんがそれを知ってることを知ってた上でそれに甘えてたことに対する謝罪だよ」
「うん。許す」
「簡単だね」
「簡単だよ。いろんなことがそうあるべきなんだよ。どいつもこいつも難しく考えて、ややこしく繋げてさらに複雑にして───投げ出しちゃったっていいのに、誰もそんなことをしない。馬鹿みたいって思うよ」
「───ミカゲさんなら、平気かと思ったんだ」
「うん。平気だった」
「たくさん友達、いたもんね。傍から見てうらやましかったよ、あのクラス」
「順序が逆だよ。ニノ コウが私を虐めてたから、それから護るためにあのクラスは団結したんだよ」
「なおさらうらやましいけどね。三十何人に守られてたのか」
「三十七人だよ。教師も入れたら三十八人」
 胸を張る。誇らしい、愛すべきクラスメイトたち。尊敬する教師。
「ひとりじゃなかったから、何も辛くなかった」
「───そう」
 目を伏せる。そんなフルミに、今度はこちらから問う。
「ねえ。───まだ、親戚の女子高生が犯人だと思ってる?」
「───うん」
 うなずく。小さく、けれどもしっかりと。
「あの子が犯人だと思う。けどだからこそこの事件について追求出来ない。未成年だし、結局は身内での事件だ。大きくしたくはない。コウには悪いけど、犯人はいつまでも見付からないでいてほしい」
「───そう」
「ミカゲさんは? ミカゲさんは、誰が犯人だと思う?」
「……私は」
 ぶー、ぶー、と、スマートフォンの鳴る音。ともりだ、と、考えるまでもなく思う。
 眼鏡の奥。疲れたように、小さく笑う目。
 私も小さく笑った。
「私は、」




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