マクデブルクの半球

ナコイトオル

文字の大きさ
上 下
44 / 62
詐欺師と嘘

1

しおりを挟む

 さて、振り返ってみよう。
 我ながら、少しだけ普通とは違う、けれど数奇というにはまだまだ甘い、そんな風な人生を送ってきたように思う。
 ほんのりと、普通というラインから浮いている。
 浮いていて───戻れない。地面を踏みしめようとしても、ふわふわと中途半端に弾むだけ。
 どうしてだっけ───どこからだっけ?



 着替え、洗面道具、その他諸々の細かいもの、それからお見舞いのお菓子。それら全部を合わせるとそれなりの荷物だった。
「重くない? やっぱり半分持つよ? ともり」
「え? 全然大丈夫だよ」
「そっか。……やっぱり男の子だねえ」
「みーさん、俺、男ね。オトコ」
「え? うん。大きくなったねえ。昔はがりがりだったのに。今は……細マッチョ? っていうの? たくさん食べてしっかり筋肉付いて、うん、何だかうれしくって」
「……みーさんがうれしいなら俺もうれしいけどね」
 辿り着いた建物を見上げる。こないだ来て、刑事に出会って引き返した総合病院。ニノ コウが入院している病院。そして今は、キョウコも入院している病院。
 キョウコを保護したあの夜、運転手付きの車でやって来たチグサと合流して事情を説明した。余計な言葉を挟まずチグサは黙って説明を聞き、全て終わると一度だけうなずいてすぐに入院の手続きをした。キョウコの父親に居場所を知られないところ。絶対に安全なところ。
「居場所を知られても構いません。知らないに越したことはありませんが」
 というのがチグサの弁だった。セキュリティがしっかりしている特別病室に入れれば許可なく人の出入りは出来ないし、そもそもロビーに現れた段階で警備員にシャットアウトされると。キョウコの病室にまでは絶対に辿り着けない。そういうことならば確かに知られていても問題はない。知らないに越したことはない、が。
「そこまでのセキュリティが確保出来るのはあの病院しかありません。医療費の問題もあります」
「それは───」
「勿論こちらの問題です。あなた方はたまたま出会って保護して下さった、それだけでございます」
 そうしてくれると有り難かった。
「あの。ナオミさんには伝えないといけないと思うんですが、フルミ ナオキにはこのことは」
「何故でしょう」
「キョウコちゃんに私が関わっていたと知ったら、流石に混乱すると思いますよ。今余計なことに頭突っ込んでる暇もないはずです」
「あなたが気になさることでもないでしょう。ですが、隠せるだけ隠しておきましょう」
 ほっとした。ふう、と息を吐く。寄りかかるキョウコの頭がかくん、とずれそうだったので少し支えるようにしてバランスを取らせた。
 俗に言うリムジン、だろうか。後部座席が向き合うようなボックス席で、チグサが片側、その反対側に私、キョウコ、ともりという順に座っている。三人並んでもまだ余裕がある。高級車すごい。
「もうすぐ病院に着くからね」
 薄っすらと目をあけたキョウコに小さく囁く。それがいけなかった。ぼんやりとした顔のまま、スモークガラスの窓の向こうに目をやり、パニックになったような悲鳴を上げた。
「や! 嫌! いやあ! 行きたくない! いや、お願い嫌!」
「どうしたの! 落ち着いて、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない! 絶対嫌、やだ、あああ、やめて、ユキ、やだあああ!」
 わんわんと子供のように泣きじゃくりはじめた少女に呆然とする。ともりも驚いたようにこちらと視線を合わせ、少女の肩をすっぽりと抱くようにして落ち着かせようとした。
「どうした。何があった。ゆっくりでいいから」
 とん、とん、とともりが背中を叩く。そのリズムに合わせて呼吸が落ち着いてゆき、うろうろとしていた視線が少しずつ定まった。
「この、道。……総合病院に行くの?」
「そうだよ。セキュリティがしっかりしてるから、大丈夫だよ」
「違う、ちがう! そうじゃない、そうじゃない……!」
 いやいやと首を横に振るキョウコは、その度に痛む体にぼろぼろと涙を零した。
「コウさんが入院してるの!」
「うん、だから安全───」
「だからユキ、来てくれない!」
「絶対───え?」
「ユキが来てくれない! もう会えなくなる! そんなの嫌! やだあ!」
 ともりに抱えられたまま泣きじゃくる少女を見て少し放心した。ニノ コウがいるから。ああ、そうか───この子が恐れているのは。こんなに泣き喚いている理由は。
「キョウコちゃん。大丈夫だよ。たくさんお見舞いに行くから。関係ないよ。キョウコちゃんに会いたいもん」
 少女の手を握る。傷だらけの手だった。痛まないようにそっと包み、目を覗き込む。ぼろぼろと泣く少女は、涙こそ止まらないもののこちらを見はじめた。
「ほんと、う?」
「本当。たくさん会いに行くよ」
「うそ、じゃない?」
「嘘じゃない。キョウコちゃんがもう飽きたから会いたくないって言うまで会いに行くよ」
「そんなこと言わない! 絶対言わない!」
「うん、じゃあ何の問題もないね。私はキョウコちゃんに会いに病院に行く。キョウコちゃんは病院でしっかり怪我を治す。治ったらまた一緒に買い物に行く。今度は映画も観る。甘いものも食べる」
「こ、コウさんがいても?」
「ニノ コウがいても」
「……」
 ようやく落ち着いたようで、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら少女は黙った。少し間を置いてからこくりとうなずく。
「……はい。暴れてごめんなさい」
「ううん。そりゃそうだよね。びっくりするよね。でも大丈夫だから」
「うん……」
「うん、いい子」
 にこりと少女に微笑みかけてから、チグサに目でうなずく。うなずき返された、気がした。
 そんな会話があった、数時間後。すっかり日も上り、明るい光が院内にも満ちていた。
 エレベーターを降りると、すぐにカウンターがあった。中にいた看護師さんにぺこりと頭を下げ、「フルミ キョウコさんのお見舞いです」と告げると、親しみと仕事用の合間を見事に縫ったような笑顔で「身分証をお持ちでしょうか?」と返された。ともりと共に免許証を出すと、パソコン上にあるらしいリストと照合される。チグサが上手くやってくれているだろう。
「確認致しました。案内致します」
 ふ、と目配せを受けたもう一人の看護師が先導する。カウンターの先は一本道で、両端には制服を着た守衛らしき男性が二人いる。階段で上ってきたとしてもエレベーターで上がってきたとしても、ここのカウンターを通ることになる。
 セキュリティの高さに感心しながら看護師に続き歩くと、ある一つの扉の前で立ち止まった。壁にあるインターフォンを押すと、ややあって『はい』とスピーカーを通したキョウコの強張った声がする。
「お客様です。ミカゲ様とカブラギ様です」
『はい!』
 固かった声が途端に元気になった。看護師が暗証番号を打ち込むとぴぴっと音がして鍵が解除される。
 スライドドアが開くと、そこは広い空間だった。大きな窓が光を取り込み、病室とは思えないほどの明るさを持つ。
「ユキ、カブラギっ」
 ベッドで上体を起こしていたキョウコがうれしそうに笑った。
「ほんとに来てくれた!」
「もちろん」
 看護師さんに軽く会釈をし別れ、ともりと共にベッドに歩み寄る。
 あちこちに包帯やガーゼを巻かれた痛々しい少女の姿。それでも顔だけはうれしそうに微笑み、点滴を打っていない方の手をこちらにのばす。その手を握ると安心したように笑った。
「すごい広いな。長期滞在も出来るようになってるのか」
 浴室、トイレ、ミニキッチンまである部屋を見回して、感心したようにともりが言った。
「じゃあ簡易じゃなくていいな。売店で牛乳買ってくる」
「牛乳?」
「牛乳で淹れた濃厚ミルクティーか、粉から練って淹れるココアか、どっちか選べ」
「選べない……! なにその残酷な選択肢……!」
「君たち仲良いね」
 呟く。ともりが売店に出かけた隙に身の回りのものを整理して仕舞い(というよりもその時間をわざわざ作ってくれたのだろう)、椅子も出して座り、とりとめのない雑談をしていると、ぽーんとやわらかい音が天井に埋め込まれたスピーカーから鳴った。びくりとキョウコが身を震わせる。
「どうしたの?」
 咄嗟に手を握って尋ねると、血の気が失せた顔でキョウコは首を横に振った。息を潜めるように浅くし、強張った手は微かに震え冷たくなっていく。
「は、い」
『キョウコさん、フルミ ナオミさんがいらっしゃいました』
 先ほどの看護師の声がした。言外にどうしますか、と問われたそれに少女は深く息を吐いて脱力した。握った手はそのまま軽く肩を抱くように身を寄せると、そのままぐったりと体重を預けてくる。
「……はい、お願いします」
 ふつっと、通信が途切れた。
「……大丈夫?」
「うん、ごめんなさい。や、分かってはいるんだけど……」
 苦笑いに失敗したように少女は力なく笑った。
「お医者さんとか看護師さん以外のひとが来る時は、ああやってインターフォンが鳴って取り次がれるの。───ここにいるのがバレたのかと思った」
 少女にばれないように、小さく奥歯を噛んだ。
「……明日から来る直前に電話するね。スマートフォン使えるもんね」
「え、あっ、うん、ごめんなさい、っ、明日も来てくれるのっ?」
「来るよー。退屈でしょう、なんか持って来るよ。DVDとか。映画しかないけど。私チョイスでいい?」
「うん!」
 うれしそうに笑う少女の体に無理なく力が漲ったのを感じ、そっと体を解放した。代わりに頭を撫でる。
 こんこん、と、今度は扉が軽く叩かれた。はい、と返事をするとかちゃりと音がして鍵が解除され、スライドの扉が滑らかに開く。
「こんにちは」
 ナオミが姿を現した。毎日電話で喋っているとはいえ直接会うのは追いかけたあの夜以来で、私を見たナオミに痛みにも似た小さな苦笑が浮かんだ。少しだけ、心が疼くような。
「ナオミ姉さん、ごめんなさい」
 開口一番キョウコが頭を下げた。
「ごめんなさい。迷惑かけて。それから、ありがとうございます」
 ナオミはちょっと虚をつかれたような顔をしたが微笑んだ。
「……ごめんなさいだけじゃなくなったね。前のキョウコちゃんは、謝ることに必死だったから」
「……うん」
「ここは安全だからね。ゆっくり治そう」
 それからナオミは私に説明した。この病室に入るには専属看護師(さっきのアナウンスの人らしい)に会って許可をもらうしかなく、リスト以外の人間はそこで弾かれると。
 病室からは出れるが、外からは解除がなければ決して開かないオートロック。システムが作動している限りキョウコは安全だ。───けれど。
 戻って来たともりと結局飲み物をどっちにするかとわあわあ相談している少女を見て思う。
 どれだけ言葉で拭っても、体は痛みを忘れない。
 どれだけ温かさで包んでも、心は恐怖を忘れない。
 自分が付けられた、あの襲撃事件の時の痣を思う。もうほとんど消えてはいたが、痣を付けられるほど殴られたという事実は消えない。───それでも、それほど恐怖が残っていないのは、
「あ、そうだ。ユキ、ちょっといいですか」
 ちょい、とナオミがドアを指したので、苦渋の決断の末ロイヤルミルクティーにしたらしいキョウコはともりに任せナオミに続いて廊下に出る。ドアをきちんと閉めたのを確認すると、ロックがかかった音がした。念のため軽く引いて開けようとしたが、ドアはぴくりとも動かなかった。振り返ってナオミを見て、
「な、……に。どうしたの」
 脂汗が滲んでいるような蒼白な顔を見てぎょっとした。落ち着きなく視線を巡らせ近くに誰もいないことを確認し、何度も何度も小さく唾を飲む。普通じゃない。
「まだ一部の人間しか知りません。が、今日中に知れ渡ります。私も、当分ここに来れなくなる」
「どうして……」
 ナオミはぎゅっと胸の前で手を握りしめて、言葉を床に這わすように落とした。
「コウさんのお母様───当主が未明に亡くなりました」



 眼が開く。
 呼吸が止まる。



「───、は、」



 がりがりと、嫌な音がする。
 噛み合わず止まっていた歯車を、そのまま無理やり動かしはじめたような。
 朝からこの畏れを抱えていたであろう彼女は───ようやくそれを言葉にして、その事の大きさを改めて認識するように震え出す。
「本日を持って、ニノ家の現当主はニノ コウ様に成りました」
 がりがり。がりがりがり   がり。
 嫌な音がする。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

月夜のさや

蓮恭
ミステリー
 いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。  夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。  近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。  夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。  彼女の名前は「さや」。  夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。     さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。  その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。  さやと紗陽、二人の秘密とは……? ※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。 「小説家になろう」にも掲載中。  

アークトゥルスの花束

ナコイトオル
ミステリー
大学を卒業し社会人になったミカゲユキと、自他共に認める彼女の在宅ストーカーであるカブラギトモリは、ユキの亡き父が眠る桜の咲き誇る地に来ていた。 そこで出会った少年から二人は結婚指輪を渡され、「遠くでこれを捨てて欲しい」と頼まれてしまう。 これは誰の指輪なのか、どうして少年がそんなにも必死なのかを調べる内に、二人はあるひとたちの心に触れることになる───。 ひとの心はいつだって謎が多く、よく識っていると思っていてもふとした瞬間識らない貌を見せるから。 ───だからこそその先で願わずにはいられないんだ。 これは、たくさんの心と想いに触れることを選んだ『彼ら』の話。

処理中です...