マクデブルクの半球

ナコイトオル

文字の大きさ
上 下
38 / 62
詐欺師と記憶

15

しおりを挟む

 帰りは高速道路を使うことにした。夕焼けに染まる空の下、それなりの速度でぶんぶんと走る。
「キョウちゃん寝ちゃったみたい」
「疲れちゃったかな。はしゃいでたしねえ」
 バックミラーでちらりと後部座席を確認する。最後に買ったコスメショップでの袋を抱きしめたまま、少女は眠っていた。ミキが音楽をすっと消す。
「ありがと。ミキも寝てていいよ?」
「いーえ。毎度毎度これくらいしか出来ないからね。眠くもないから大丈夫」
 ミキを車に乗せたことは何度もあるが、助手席に座った時ミキは絶対に眠らない。それはミキの中のルールでもあるし、それに、
「私は運転出来ないからねー」
「優秀なナビじゃん。私逆にそっちが無理」
 ミキは免許を取得しようとしない。彼女の左目は義眼だ。だから車道側は歩かせないし、人ごみの中の時はきちんとエスコートする。右目は見えているといっても、両の目ではないその視界は死角が大きいのだ。
「ありがとね、付き合ってもらって」
「ううん、私も楽しかった。久々に買い物したし。それに」
 ちらり、とミキもミラー越しに少女を見やった。
「多分、必要だったよ。外の世界は今よりも酷いかもしれないし、今よりも佳いものかもしれないって。たぶん、分からせる必要があった」
 他人に受け入れられているという安心感。
 自分の手を引き、必要なものと潤いを与え、一緒に楽しむことの出来る相手。友人。
 歳が離れているから、キョウコにとっては自分たちは姉代わりの感覚かもしれない。友達でも姉でも何でもいい、自分にとっての身近な他人が、自分のために何かをしてくれるということを知ってもらいたかったし経験してもらいたかった。
「あたたかい手は、ひとつでも多いにこしたことないよ」
「うん。……ありがとう」
「いーえ。でも、ちょっと思った」
「何を?」
「ユキは大丈夫なの?」
「……そういう意味では大丈夫」
「違う意味で言うと、警戒し続けてる」
「うん」
「最悪の場合、ちゃんと逃げれるの?」
 こんなに踏み込んで───という言葉は、言われなくても分かった。
「……ともりにも言われたよ、同じこと」
「そりゃ言うでしょうね」
 うめくようにミキは言った。
「あの時───大学二年のあの時、ユキが行方不明の音信不通になって」
「うん」
「何があったのか知らないけど、もう精神的にぼろぼろになって帰って来たのに」
「うん」
「それでも逃げれなかったのは───あの時、ともりくんを拾ったからでしょ」
 シャツの下、肌に触れる真鍮のホイッスルを思う。
 大学二年。二十歳になった春休み。
 ディーから連絡をもらったあと。もう全てに耐え切れなくなって、逃げ出した。逃げ出そうと、した。
 その時ともりと出会った。道に伏せ、もう立ち上がる気力すらなかった、あの時の少年。
 見捨てられなかった。もういないひとを理由に、今いるひとを見捨てることは出来なかった。
「……あんな状態のひとを見過ごすことが出来なかっただけだよ。ともりのせいじゃない。きっかけだっただけ。タイミングが合わなかっただけだよ」
「違うよ。本当に辛くて自分を保つことすら出来なくなるくらいだったら、タイミングなんか見なくて全部投げ出して逃げられたんだよ。普通は、そうするんだよ」
 ミキが悲しそうな声をしているのを、酷く申し訳なく思った。
「それでもそれをしないのが、ユキでしょ。……みんな知ってるよ。私もともりくんも愛すべき担任も愛すべきクラスメイトもユキのお母さんもマノさんも」
「……ん」
 識っている。識ってくれている。それだけが何よりもあたたかく、心を満たす。
 それだからまだぎりぎりやれているし、あの時もぎりぎりやれた。そしてそのことをミキたちは知っている。ミカゲという人間を知ってもらえているからなんとかやれたことを、ミキたちは知っている。受け入れられている。満たされる。
 それをキョウコには知ってほしい、と願った。フルミ ナオミにも。世の中は広く、自分を否定する人間もいるがそうでない人間もいると。
 どのくらい先の話かは分からない。けれど、その時が、そのひとが出来るだけ早く訪れてくれたらいいと、そう祈った。



「おかえりみーさん愛してるよおかえりキョウみーさんとの外出とかうらやましい全力で楽しんだんだろうないらっしゃいミキさん」
「ただいま長いよともり」
「ただいまカブラギ当然全力投球で楽しんだよ」
「おじゃましますともりくんいつも通りで安心した」
 帰宅してすぐ、おいしそうな料理がずらりと並んでいるのは心がほっこりする。
 キッチンだけでは足りず、テーブルの上に用意された大皿を見て思わず笑った。うれしい。
「大皿があるとご馳走! って感じ増すよね」
「ご馳走レベルではないかもだけどね。餃子だよ。今から焼くから」
 既に包まれて焼かれるのを待つ白い餃子たちの量に圧倒されながらもうなずき、他の料理にも目をやった。ミカゲ家レシピのトマトサラダと海老の中華炒めがテーブルにあり、鍋から香ってくるのはわかめスープ。炊飯器には白いご飯。
「あとチヂミも焼く」
「最高です」
 グッジョブ! と親指を突き出すと、自前エプロンをした在宅ストーカーは得意そうに笑った。最近のストーカーは何でもお手の物だ。現実と常識を疑うのはもうやめよう。
 餃子も焼き終わり、荷物を部屋に上げ、四人で食卓を囲み手を合わせた。顔を見合す。
『いただきます』
 四人の声がきれいに重なり、ふは、と全員で笑った。
「うわー、おいしい。作ってくれてありがとともり」
「みーさんによろこんでもらえたなら何より」
「おいしいよーともりくん。ありがとねー」
「いえいえ、たくさん食べてください」
「カブラギ、このトマトサラダおいしい。見た目もきれい」
「これはミカゲ家レシピ。みーさんから教わったの」
「! いいな!」
「今度キョウコちゃんにも教えるね」
「ありがと!」
「ミカゲ家には三大サラダとしてあとサツマイモと柿のサラダとお酢のポテトサラダがある。俺は全て教わった」
「! いいな!」
「それも今度教えるよ」
「ありがと!」
「俺は教えない。俺が次このレシピを伝えるのはみーさんと俺の子供」
「うううん……」
「真顔で言い切れるところがすごいよねえ」
「ユキに似たら絶対かわいい。間違ってもカブラギに似ないようにしなきゃ」
「や、あの、容姿の件に関して言わせて頂くと全く持って自信がないのですがねえ……」
「男も女もほしい。どっちもほしい。可能なら何人でもほしい」
「家族は多い方がいい派なのか」
「確かに、ユキの子なら男の子も女の子も見たい」
「名前ももういくつか考えてある」
「そうなのっ?」
「みーさんとともりだから、ユリ、とか」
「いいね」
「いいね」
「いいだろ」
「いやちょっと待って!」




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

月夜のさや

蓮恭
ミステリー
 いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。  夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。  近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。  夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。  彼女の名前は「さや」。  夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。     さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。  その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。  さやと紗陽、二人の秘密とは……? ※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。 「小説家になろう」にも掲載中。  

アークトゥルスの花束

ナコイトオル
ミステリー
大学を卒業し社会人になったミカゲユキと、自他共に認める彼女の在宅ストーカーであるカブラギトモリは、ユキの亡き父が眠る桜の咲き誇る地に来ていた。 そこで出会った少年から二人は結婚指輪を渡され、「遠くでこれを捨てて欲しい」と頼まれてしまう。 これは誰の指輪なのか、どうして少年がそんなにも必死なのかを調べる内に、二人はあるひとたちの心に触れることになる───。 ひとの心はいつだって謎が多く、よく識っていると思っていてもふとした瞬間識らない貌を見せるから。 ───だからこそその先で願わずにはいられないんだ。 これは、たくさんの心と想いに触れることを選んだ『彼ら』の話。

処理中です...