マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と記憶

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 表情には出ていない自信はあった。その代わり、少し困ったような顔を浮かべてみせる「いとこ、さんが? ……歳上? 歳下?」
「歳下。女子高生だよ」
「……えっ、と……」
「ああごめん、反応に困るよね。まだ俺が犯人だって言って方が現実味があるか」
「いやどっちも同じくらいないよ。何言ってるの……その従姉妹さん、そんなに怪しいんだ……」
「……大丈夫?」
「いや、なんかショックで。同性の、しかも歳下の……ごめん、変な反応しちゃって。失礼過ぎる……」
「いや、当然だよ。俺がおかしなこと言ってるんだから本当気にしないで。……それに証拠があるわけじゃないんだ」
「……でも理由はあるってことなんだよね。……訊いてもいい?」
「うん。───その子、キョウコちゃん……フルミ キョウコって言うんだけど。その子お姉さんがいたんだ。ナオミより二つ年上の」
「うん。……待って、それじゃあ」
「流石、もう気付いた? そう、その子がコウの婚約者だった。フルミの名を持つ年の近い女の子で、資格は十分だった。───でも、」
顔が翳った。
「その子は事故で亡くなった。婚約者は次点で候補だったナオミになって───その数年後、キョウコちゃんが生まれた。ナオミが生まれなかったら、或いは男だったら、婚約者はキョウコちゃんだったんだ」
「……でも、そうしたらそのキョウコちゃんはナオミさんを恨まない? いなければ自分が婚約者になれたのに、って……」
「ナオミのことも恨んでると思うよ。でもね。何より、キョウコちゃんのお母さんが周りに責められたんだ。次期当主の婚約者を殺した母親って。それに耐えられなくなったその人は、まだ小さいキョウコちゃんと旦那さんを残して家を出た。さらにキョウコちゃんの立場は悪くなって、本家からも追い出された。旦那さんは閑職に追いやられて、キョウコちゃんに無関心になった。……当主という存在を恨んでいると思う」
「……」
 家に、その在り方に、当主という存在に生まれる前から振り回されていた少女。
そのせいで母親を失い、父からは愛情を受けることも出来ず、何も得られないままの人生。
 恨んでも───仕方がない。
 広くて狭くて残酷な檻の中を。
「頭のいい子だよ。どうにかしようとして、足掻いてる。勉強も熱心だ。───けどね、やっぱり勉強するにもある程度整った環境が要る。なんにも持っていないのは誰のせいだと思った時、コウを───次期当主を恨んでも仕方ない」
「……そっか」
 小さく呟く。その時ちょうどお手伝いさんがお茶を運んで来てくれたのでその話題は自然と打ち切りになった。うながされてソファーに腰を下ろし、お茶を頂く。仄かな苦味が舌をやさしく撫でた。
「いい部屋だね、ここ」
「ありがとう。家だとどうしても集中出来ない時があるからね」
 コウと借りてるんだよ、という言葉に納得する。そうか。ニノ コウもここで仕事をしたり勉強をしたりしていたのか。
「あっちの家じゃどうにもひとが多過ぎてね。当主さま当主さまとわらわらわらわらうるさいんだよ。ひとの目を気にせず酒を飲んだり仕事したり、は主にこっちだね。殆どの人間がここを知らない。お客さんもミカゲさんがはじめてだよ」
「……そんなとこにのこのこと来たら、そりゃあ誤解されるよね」
「あはは」



 少し雑談をしてからフルミの家をあとにした。こつこつこつ、とヒールが規則正しい音を立てるのを聞きながら───十分に離れたところで全力で走り出す。
「……っ……」
 どういうことだ、どういうことだどういうことだ───どれだけややこしくなれば気が済むんだ。
 ナオミを心配していると言って訪れた少女。
 本当は? 本当はどうなんだ?
 こいつさえいなかったら、結婚の自由はなくても大事にしてもらえたんじゃないかと、幸せな家庭で過ごせたんじゃないかと───そんな風に、恨んだりしないか?
「はっ……」
 普通は恨んだりするよ。言われた言葉が蘇る。
 恨まないよ。ニノ コウを恨んだりしない。そんなことしないとあの時決めた。恨んでない。わたしは恨んだりしていない。
 でも、あの子は? 傷だらけの体で、自由もなく、自由を得るための力をつける機会すら難しく───今後、あの子はどうなる?
「ああ───もう、」
 スマートフォンを取り出す。ディーに電話。相変わらず、すぐに繋がった。
『ハロー。どうしたの?』
「ハロー。ちょっとね。いろいろあったんだけど。ナオミは今なにしてる?」
『最近は例の部屋に篭りっぱなしだよ』
「そう。じゃあ大丈夫……かな」
 ナオミとキョウコをあまり会わせない方がいい気がした。
『あの先輩と少しずつ仲良くやってるみたいだよ。いつか君にも話すんじゃないのかな』
「……そっか。楽しみだな。……ねえ、フルミ キョウコって女の子のことを調べてくれない?」
『またフルミだね。当然身内?』
「うん、そう。───あんまり考えたくないけど、」
 とん、とん、と指先で腿を叩いた。
「容疑者のひとりなんだ」



 帰宅して、そのワンピースを脱いで部屋着に着替えた。化粧も落とし酷くほっとする。マグカップになみなみとお茶を注いでソファーに腰かけ、こうしてどんどんこの形がデフォルトになっていくんだなあと思った。
 ぶーっとスマートフォンが鳴り、確認するとショートメールが来ていた。母からのアプリのメッセージ。『今電話出来る?』とのメッセージには答えず、てっとり早くそのアプリで発信した。
『もしもし? 元気にしてる? ともりくんは?』
「ともりも私も元気だよ。そっちはどう?」
 前回の会話から少し時間が空いていたのでなんだかうれしくなって口元が緩む。母の声は昔と変わらずやさしくて、いつか自分もあんな風に喋れたらいいなといつも思う。
『みんな元気。そっちは問題ない?』
「全く。仕事が大変なくらい」
『あらあら』
「あそうだ。今日からちょっと寝室借りるね」
『え? ともりくんと使うの? 自分の部屋が嫌ならホテルに行けば?』
「お母様何を仰っているの?」
 何故か冷や汗が流れてきた。ついでに泣きたくもなった。
「あんまり問題発言しないで……ダブルベッドでしょ、今ちょっとわけあって女子高生を拾ってて……」
『そっちの方がよっぽど問題じゃない』
「ううん……」
 酷く納得してしまった。
「と、とりあえずともりのことは置いておいて。その子、ちょっと家庭に問題があってね。ひとりで寝るの不安みたいなんだ。昨日は私の部屋で一緒に寝たんだけど、狭いからさ。もし続くようならもう最初からダブルベッドで一緒に寝ようかなと」
『ああ、そういうこと。自由にしなさい』
「ありがと」
『で、ともりくんのことだけど』
「お母さん女子高生を拾ったことについては全然心配してくれないの?」
『どうせしっかり面倒見るでしょ、あなたのことだから……自分のこと後回しにするタイプなんだからそっちを心配してた方が効率いいのよ』
「な、なるほど」
 流石母だった。説得力がある。
『あなたたちいつ結婚するの?』
「お母様が娘を酷く虐めてくる……」
『だってあなた二十四じゃない』
「耳が痛いし心が痛む……そもそも付き合ってないんだけど」
『付き合うのを待ってもらってるだけでしょ。ともりくん、親の目から見てもすごくいい子なんだもの。絶対浮気はしないでしょうし一途だし』
 全てが図星過ぎてぐうの音も出なかった。
『あなた本当に何でもない相手ならきちんと男と女の距離を置くタイプでしょ。変なとこ真面目で潔癖なんだから。それでもなんだかんだともりくんにはいろいろ許して手繋いだり膝枕したりハグしたり』
「お母さんひょっとしてともりから何か聞いてるわけっ?」
『仲良しだもの』
「うれしいなあ!」
『とにかく、そういうこと例えばマノさん? には絶対許さないでしょ』
「そりゃそうだよ、マノさんはいい先輩で愉快な上司だけど、それ以上じゃないもの」
『かわいそう』
「え?」
『我が娘ながら残酷。どうしてこうも鈍感になっちゃったのかしら? お父さんに似たのね、頭いいのに変なところ馬鹿だったから』
「妻にここまで好き放題言われる父も実の母にここまで好き放題言われる娘もかわいそう」
『あ、父さんに代わるわよ』
「そしてあいかわらず自由」
『もしもし、リトルハッピー!』
「久しぶり。元気だった?」
『元気だよ!』
 うれしそうな声。きっと満面の笑みを浮かべているんだろうな、と、機械を通しても分かる。
 中学の時に再婚した養父は、血筋的には純粋な日本人だが育ちは幼少期からアメリカだ。なのでアメリカ人だと思って接している。人懐っこくおおっぴらな性格で実の父とはまた違った性格だが、それでもどちらも大好きだった。
『僕の大切なリトルハッピー、風邪なんかひいてないよね?』
「ひいてないよ。ともりも私もみんな元気」
 養父はこちらのことをリトルハッピーと呼ぶ。小さな幸せ。ある映画でアンドロイドが少女に対してリトル・ミスと呼んでいるところから連想したらしい。僕にとっての、小さなかけがえのない幸せ。───そう、呼んでくれる。
『何か困ったことはない?』
「ないよ。大丈夫」
『早く君に会いたいよ』
 機械の向こう、海と山脈をいくつも越えた先で、養父が夢見るように笑う。
『いつも頑張ってるね。───君のことを思い切り抱きしめたいよ』
「……っ、そっ、か。うれしい」
 不意をつかれて。滲みかけた涙をぐいと拭って逃れた。
 あたたかくて、やさしい言葉。無条件に愛されている。それを思うだけで、こんなにも心が満たされる。
 泣き言を言ったら受け入れてもらえて。両手を広げて駆け寄ったら抱きしめてもらえて。───そんな風に、自分は接しているだろうか。
『無理はしないでね』
「うん、うん」
『いつでも電話してね。僕たちの幸福』
「うん。ありがとう。───じゃあね」
 ふつり。通話を切って、天井を仰いで眼の上に腕を乗せる。
「───きっついなあ……」
 いくつ嘘を吐いた?
 何の問題もないなんて。ひとが聞いたら何て言うだろう?
「ごめんね、親不孝者で」
 呟いた声は、当然、海の向こうに届くことはなかった。



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