マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と記憶

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 キョウコが暗い表情のまま早々に出てこようとしたのでさくっと湯船にユーターンさせた。
「体から湯気がほくほく出るまで出ちゃ駄目だよ。でものぼせないようにね」
 ドアを閉めリビングに向かう。こぼれたお茶の後片付けはともりがやってくれたようできちんときれいになっていた。
「ごめんね、いろいろやらせちゃ───うわ、」
 くい、と手を引かれ、冷たいなにかを手の甲に押し付けられた。タオルに包まれた氷だった。見上げるとともりの渋面が手に落とされていた。
「みーさんも被ってたよね? お茶」
「ちょっとだけね。大したことじゃない」
「大したことじゃなくても俺はもっとみーさん自身を大事にしてほしい」
 精一杯押し潰した声だった。傷付けてしまった、と唇を噛む。こんな風にしたかったわけじゃなかった。
「……ごめんね」
「……ん」
 微かだが返事がもらえてほっとした。ソファーに並んで腰掛ける。氷と、それを押さえるともりの手の重さと。今自分のためにあるものなんだな、と自覚する。
「……みーさんらしいね」
「え?」
「ひと拾ってくるの。俺の次がゴスロリの女子大生で、その次があいつ?」
「ああ……そうなる、のかな」
「俺の前、何人拾ったの?」
「三人……かな」
「多いね」
「……そうかもね」
「俺の前のひとりが、みーさんの恋人?」
「……そうだね」
「みーさん恋人も拾ったんだね。なんかすごい」
「そう言われるとそうかもね。ふらふらしてたからなあ……」
 脳裏に浮かぶ、あの長身痩躯。
 想い出すまでもなく覚えている。
「……いたの、恋人」
 顔を上げると、ほかほかと湯気を立てるキョウコがそこにいた。貸した長袖のシャツとパーカー、スウェットのズボン。問題なさそうだと判断する。
「ごめんね、かわいいの持ってなくて」
「みーさん、かわいい部屋着ってどんなの?」
「なんかこう……パステルカラーで……もこもこしてたりふわふわしてたり」
「今度買う? 是非俺が選びたい。俺が」
「……あったかいかな」
「たぶんあったかいよ」
「じゃあ考えよう。……座りなよ、キョウコちゃん」
 目の前のソファーを促すとキョウコは暗い表情のまま座った。何だかこっちが虐めている気分になる。何か話題は。というより、
「ああ……うん、いた、ことになるのかな、この場合。一応ね」
「……実はコウさんを好きなのかなって思ったの。お風呂で考えてたんだけど」
「えええ……なんでまたそんなことを」
「分からないじゃない。意外とそうなのかなって」
「ねえ小娘その不愉快な話題まだ続く?」
「なにいいじゃないあなた彼氏じゃないんでしょ、というか何で手握ってるの? そのタオルなに?」
 包まれた氷の存在は分からないらしい。それでいいやと思ったのでその件に関しては流すことにした。
「えっと。さっき高校時代の話ちょっとしたよね?」
「……うん。でも、あたしからしたら信じにくいんだけど」
「まあ、こっちを信じろったってなかなか信じられないよね」
「し、信じないとは言ってない! 信じにくいだけ! だってコウさん、誰にでもやさしいし丁寧だし!」
「というかさ、俺に言わればいくらみーさんの許可があったとはいえのこのこ家までついてくるって図々しくない? そこんとこどうなの小娘」
「そう? 昔のともりを思い出してなんだか懐かしくなっちゃったんだけど。というか小娘言わない。あ、そうか、自己紹介してなかった?」
「そうかもしれないけど俺はこんなに礼儀知らずじゃなかったカブラギ トモリ」
「ちょ、ちょっとは思ってるしフルミ キョウコ!」
「仲いいね……。ともり、最初体調悪かったからね。大人しかったのは大人しかったかも」
「弱ってたしね」
「……びょ、病気だったの?」
「栄養失調」
「っ、」
「で、雨の中倒れてたの。だから連れて帰って、でまあいろいろあって、今に至るんだ」
「それは大変だけど、結果オーライかもしれないけど見ず知らずの男を家にいれたの? 襲われたらどうするの!」
「あ? 馬鹿にすんな頭に血が上った一回しか襲ってねえよ」
「襲ってるんじゃない! だ、大丈夫だったのっ?」
「あー、」
「っ! あんた何してっ……」
「キスした。今じゃ猛省してるけど。今度は同意の元にする」
「っ……!」
「でもみーさんも強かったよね、殴って来たし。拳で」
「拳っ?」
「『目覚めよ!』って台詞付きで」
「なんなのそれ!」
「いや、しっかりしろ眼を覚ませみたいな意味合いのことが言いたかったんだけど……」
 こっちも焦っちゃったんだよそこら辺はさらっと流してくれ。
「でも、キスして『目覚めよ』は流石みーさんだよね。いやあ、惚れた惚れた」
 流してくれなかった。
「そこに惚れるあなたも変……」
「そう? 最高の女だなあと思ったよ」
「ナオミ姉さんとはまた違った方向でユキも駄目なんだ」
「そういう頭のゆるいところをカバーするために俺がいるわけ。俺がいなかったら流されっぱなしでどこにでも行っちゃうからね、このひと。俺がしっかり繋ぎ止めて閉じ込めて周りなんか見えなくなるくらい全力でどろどろに愛でてないと」
「ともりっていつか捕まりそうだよね」
 国家権力とかに。
「キョウコちゃん。親御さんにはナオミさん経由で連絡してもらったから。しばらくうちにいなね」
 明るくなっていたキョウコの顔がさっと青ざめて、泣き出しそうな顔になった。
「で……でも、帰らないと」
「うん」
「怒られる」
「そっか」
「み、見たでしょ? 体見たでしょ?」
「見た」
「こ、これ以上増やしたくないの」
「そうだね」
「ナオミ姉さんにも言ってないの」
「じゃあニノ コウには言ったんだ」
 ぐ、と言葉に詰まったようにキョウコは黙った。大きな瞳にじわじわと涙が溜まっていく。
「泣いてもいいし、叫んでもいいよ。でもお家には帰しません。帰してあげない」
 微笑む。酷く優雅に。



「馬鹿にするなよ? ───見逃せるか」



 ささやくように言うと、少女はついに涙をこぼして顔を覆った。
 袖口から覗く傷跡。細い手。
 馬鹿だね、と胸中で呟く。誰に向かってなのかは言わない。
 顔や見える範囲にはない、悪意のある傷付け方。本当に馬鹿だね。吐き気がするよ。
「しばらくここから学校に通いなね。明日学校の帰り、お父さんがいない間に荷物を取ってこよう。部屋は客間になっちゃうけどちゃんとあるから」
 わんわん泣いていて、もしかしたら気付かないかもしれないな。そう思ったけれど、キョウコは顔を覆ったまま何度も何度もうなずいた。何かに縋り付いているみたいな、そんな風に見えた。




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