マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と記憶

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 火傷の方は問題なさそうだった。そのままキョウコにはお風呂に入ってもらうことにする。着替えを用意して脱衣所に置き、家の電話からナオミに電話した。
『……ぅあい、もしもし』
「眠そうなところ失礼、ユキです」
『ごめんなさい、根詰めちゃってて』
 あの部屋にいるのか。今度は何を創っているのだろうか。───あのジオラマを思い出し、込み上げてくる胃の奥の酸っぱさを無理矢理飲み込んだ。
「キョウコちゃんが今うちにいるんですけど、今日うちで預かりますね。というか、しばらくの間。親御さんにはそっちで預かってるってことに出来ますか?」
『……え? キョウちゃんが? なんで?』
「……ナンデデスカネー」
 あなたを心配してですとはもちろん言えない。
「ちょっといろいろとありましてね。それより出来そうですか?」
『ええと、出来ます。そういう面は一応他より発言力あるんで』
 当主代理、か。フルミと共に。
『うち、敷地広いんで。離れにいるってことにすれば大丈夫です。親御さんには……』
 そこで言葉が切れた。離れがあるならきっと母屋もあるのだろう、想像付かないなあなどと考えていた思考はそこで終わらせた。
「お父さんとお母さんどっちですか? それともきょうだい?」
『……お父さんです。お母さんの方はずいぶん前に出て行ったきりで。ネグレクト気味なところがあるので、コウさんも気にかけてはいたんですが』
 ナオミも実情は知らないのかもしれない。これはネグレクトだけではなくて、暴力を伴った虐待だということを。───ニノ コウは?
「ナオキさんはご存知なんですか?」
『いえ。キョウちゃんのお母さんは私たちの父の一番下の妹なんです。キョウちゃんのお父さんは婿入りして、フルミの名を名乗っています』
 ニノの分家とはいえ、フルミもまた古くから繋がる由緒ある家柄なのですよと、ナオミはどうでもよさそうに言った。
『フルミを名乗れるということは大きいんです。一族でやっている会社で出世は約束されています。それだけで生活は保障されるんです。キョウちゃんのお父さんも、それでニノとフルミ以外の人間を貶しているというのは聞いたことがあります』
 フルミ以外にも分家はあるのだろう。だが優遇されるのはフルミのみ。
 名前にしがみ付く人間。
『昔はキョウちゃんもご両親も敷地内に住んでいたんです。けど、キョウちゃんのお母さんが失踪して───当主代理、コウさんのお母さんがそれを裏切りだと言って、キョウちゃんとキョウちゃんのお父さんを追い出しました。会社も追い出されそうになったんですがそれは当時高校生だったコウさんが必死に掛け合って止めさせたんです。でも役職はなくなって、閑職に飛ばされたそうです。それから、キョウちゃんに対して───』
 目を閉じる。染み入るようにはじまった頭痛は、酷かった。
「……変なこと訊いていい?」
 敬語も何もかも棄てて、呟く。どんな言葉が来るのか悟ったのか、電話の向こうでナオミが息を吞むのが分かった。
「……キョウコちゃんがニノ コウを───当主という存在そのものを恨んでいる可能性は?」
 名前に縋っていた男が、妻に逃げられその一族の長から追い出され、見下され。
 残された娘にそのあと、どんな風に接したか。
 そんな風になった原因は? こんな目に遭うように、誰がした?
 広くて狭くて、残酷な檻の中。
『……やさしい子なの。とっても、やさしい子なの』
 吐息みたいな声だった。



『コウさんもかわいがってた。あの子が───あの子が、微笑んだなら』



 微笑んだなら?
 あの階段で───両手を突き出しながら、微笑んだなら?



『コウさんは───それを、受け入れたと思う』



 やさしいひとだから。───そのひとことは、聞こえなかったことにした。



「……くだらないこと訊いてごめんね」
『いいえ。……こっちは上手くやっておくから、キョウちゃんのこと、お願いします』
「うん。連絡は毎日入れるから。……ボロ出さないでね?」
『キョウちゃんで遊ばないでね?』
「努力する。じゃあまた明日ね、ナオミ」
『うん。おやすみユキ』
 ふつり。───電話が切れる。
 容疑者が、増えた。傷だらけの体を抱える女子高生。
「……きついなあ」
 壁に背中を付ける。
 重たい。
 苦しい。
 こんなものをいつも抱えていたのか。
 つくづく───嫌になるね。




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