マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と記憶

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 ナオミと車で話してから、一週間ほど経ったある日のことだった。その視線に気付いたのは恐らく、少し経ってからだ。
 ふ、とスマートフォンから顔を上げる。ブルーライトカットの黒縁眼鏡越しにぐるりと今いる場所───地下鉄のホーム───を見渡すと、視界の端から奇妙に飛び退いた影があった。
 何も気付かなかったふりをしてスマートフォンに視線を落とす。しばらくそのまま操作していたが、電車の到着のアナウンスが流れたことを契機に画面を落として上着のポケットにしまった。
 ぶわっ、と、残像のように電車がホームに滑り込んで来た。速度のあるそれが徐々に徐々に遅くなり、目の前に止まった。ドアが開き中に乗り込む。
 ぷるるるる、と発車を告げるベルが鳴り、ぷしゅうと音を立ててドアが閉まりはじめた───瞬間、すり抜けるようにしてホームに飛び降りた。ばたん、と背後でドアの閉まる音。発車間近の乗り降りはおやめくださいというアナウンスが流れはじめるのを聞きながらくるりと振り返り、ゆっくりと動き出した電車を見つめる。
 窓越しに青褪めた顔をした少女と目があった。女子高生だ。呆然とこちらを見つめて、そして何が起こったのか理解したのであろう、少女の顔が怒りと羞恥で今度は赤くなる。



 ば い ば い



 最後に星印でも付きそうなくらいの笑顔で軽く手を振ると、車内でなにか少女が叫び出し周りの乗客がぎょっとするのが見えた。



 大人気ないことをしたのは分かっていたので、その場から動かずホームのベンチに腰かけた。少し遅くなりそうとともりにのんびりとメッセージを送る。
 しばらく座っていると、先ほど出発した電車の反対、上りになる電車が背後の線路に入り込み止まったのが分かった。がやがやとひとが降りてくるのを肩越しに見ながら立ち上がる。人ごみをじいっと見つめていると、先ほどの少女が長いストレートの髪を揺らしながら怒り心頭という顔付きで降りて来るのが見えた。
「どうも」
 少し声を張って呼びかけると少女はこちらに気付いてずんずんと近付いて来た。ちょっと近いんじゃないんだろうかという距離までやって来て、きっとこちらを見やる。僅かに少女の方が背が高かった。
「舐めた真似して。ずいぶん余裕綽々ね!」
「綽々、って漢字で書ける?」
「え。……えぇ、っ、?」
「糸偏に卓上の卓、それに繰り返す、だよ。意外と簡単だよね」
「う、うん。……じゃなくて!」
「はい、なあに?」
 やさしく問うと、少女は主導権を取り戻そうとしたのかいきなりきんきん声で叫んだ。
「あなたがコウさんを殺そうとしたんでしょ!」
多少人が流れたとはいえまだその場に残る視線がこちらに集中したのが分かった。どうでもいい。
「駄目だよ」
 声のトーンを少し落とし自分より身長の高い少女の頭に触れた。
「まるでこれからニノ コウが死ぬみたい。そんなこと、絶対に言ったら駄目」
「……あ……」
「でもね、話したいことは分かったよ。場所を移そう?」
少女は警戒した顔つきのまま、けれども悔しそうにうなずいた。
「お名前は? 私の名前は、」
「知ってる。ミカゲでしょ。下の名前は、」
「お嬢さん」
 遮るように声を重ねた。
「今回は相手が私だからあれだけど、初対面のひとにはさんを付けたほうがいいよ。付けるまでもない大人はたくさんいるけど、言葉の敬意を払うってことは結局あなた自身の防御になるよ。今後どう接していくのかは、あなたが改めて考えればいいけれど」
「……ミカゲ、さん」
「ユキでいいよ。うちの同居人と一部のひと以外はそう呼ぶ」
「あたし。……は、キョウコ」
「フルミ? ニノ?」
「……フルミ」
「そっか。……フルミ ナオキとは兄妹?」
「あたしは違う。あたしはナオキさんとナオミさんの従姉妹。コウさんとは又従姉妹」
「そうなんだ」
というとはどのようなポジションなのだろうか。ニノ コウの又従姉妹と言えば遠いが、ニノ コウと一心同体とも言えるフルミの従姉妹と言い換えれば───いやなんだろうこれ、どちみち関係ないしくだらないことだ、本来なら。
「っ……悪かった、の」
「え?」
「だからっ、悪かっ……た、の! いきなり叫んだり、つけたりして!」
きゃんっと通る声で叫ばれ、周りの人間がぎょっとした顔で注目した。思わず黙っているとキョウコは恥ずかしそうな顔をした。もしかしたら一瞬心底面倒くさそうな顔になっていたのかもしれない。
「ああ、違うの。ちょっと考えちゃって」
「……あんたが、っ、……あなたが、コウさんを……その、」
「してないよ。信じてもらえるとは思ってないけど、信じてくれるとうれしい」
「……」
「……お腹減ってない?」
「え?」
「お腹減ってない? 私お腹ぺこぺこで。なにか食べない?」
「え、……う、うん、」
「じゃあおいで。今日はカレーだよ」
 笑いかけて、ともりに連絡するためスマートフォンを取り出した。




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