マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と箱庭

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 それから五日間、ともりやディーと交代でフルミ ナオミを見張れるだけ見張った。その間にニノ コウが目覚めることはなかったし、その他に何も進展はなかった。せいぜいマノがまた朝襲撃して来てどれほど仕事が詰まっているかを嘆きながら朝食を平らげ、ともりと火花を散らしながら去って行ったくらいだ。本当何しに来てるんだあのひとは。
 そして六日目の朝、ほんの少しだが事態が動いた。警察が来たのだ。
「おはようございます。こんな時間にすみません」
 以前来たキノシタとカサイだった。前回と同様リビングに通す。今度はお茶があったのでそれを出した。
「ニノ コウさんはまだ目を覚ましません」
「……そうですか」
「ミカゲさんの方は何か変わったことはありましたか?」
「いいえ」
 襲撃されたり自分が不法侵入したり。せいぜいそれくらいだ。言うレベルではない。
「そうですか。……ですが、私たちが訪ねた次の日に病院に行かれていましたね? どこか具合が?」
 見られていたのか。
「最近仕事で根を詰めていたので一気に疲れが出た……のと、こう言うとちょっとあれですが、今まで刑事さんと接する機会もなかったもので……えっと、慣れないことでの緊張疲れと言いますか、精神的に疲れが出たみたい……で、熱が出てしまいました」
 せいぜい申し訳なさそうに小さく言うとキノシタが苦笑した。
「それは申し訳ありません。そうですね、確かに我々が負担になってしまいますね」
「……すみません、責めてるわけではないんです」
「いえ、当然のことです。ただあなたの無実を証明するという意味でも、どうかご容赦願いたい」
 少し笑ってうなずく。あなたたちには無理だろう。
 警察がまた来た、という以上に進展はなく二人は帰っていった。何も進展はない。何も。ぞっとするほどに。
『だから、みーさんは家にいた方がいいって言ったでしょ?』
「……そうは言うけどね、警察も二日連続では来ないと思うよ」
 結局、私がフルミ ナオミを張り込んだのは初日と三日目だけだった。その三日目ですらともりと一緒にだ。なんだかんだとともりが止めに入る。
『ツベコベ言わないで、ちゃんとやってるから』
「疑ってるわけじゃないよ。……フルミ ナオミは相変わらず?」
『うん。キヨラってひとと会って、別れて、それからしばらく経ったら自分も帰る。そんな長時間喋ってるわけじゃないけどね。たまに聞こえるのは、やっぱり作品を見せるとか見せないとか前と似たような内容。雑談だね』
 フルミ ナオミは自分の作品を見せるのを躊躇っている。カフェテリア以外でキヨラに会おうとはしない。どうして。大学内は安全じゃないのか?
『それから今日もスマートフォンちらちら見てた』
「キヨラからの連絡を待ってるわけではないみたいだね」
『だね。キヨラと別れたすぐあとも見てたから』
 ……いや、もしかして。
「ともり今カフェテリアだよね? フルミ ナオミはひとりだよね?」
『うん』
「ちょっと繋いだままでいて」
 二階に上がり手帳に挟んでいた紙片を引っ張り出す。フルミ ナオミの電話番号。急いでリビングに戻り、固定電話のボタンを押し受話器を耳に当てる。右耳にコール音。
『……あれ。フルミ ナオミ、誰かから電話かかってきたみたい───』
 左耳にともりの声。そして。
『ミカゲさん───ですか?』
 右耳に───フルミ ナオミの声。
「……こんにちは」
 はっと、左耳の向こうでともりが息を吞んだのが分かった。
『この番号、お家からですか?』
「そうです。しばらく鳴らしてたら私のスマートフォンに転送されるんですけど」
『そうなんですか。……連絡、待ってたんですけど』
「でしょうね」
『え?』
「いいえ。───すみません、でもかける用件がなくて。そういえば鍵、ありました?」
『ああ、はい、ありました。家に落としていたみたいで。お騒がせしました』
「いいえ」
 それから少し他愛のない雑談をした。警察が来たこと。何も進展はしてないようだったこと。フルミ ナオミも言葉を返す。ニノ コウはまだ意識が戻らないこと。フルミも大変そうにしていること。
 またかけます、と約束して電話を切った。
『……みーさんを待ってたんだ』
 左耳に、ともりがささやきかけるように言った。驚いているような声だった。
『ずっと、みーさんの電話を待ってたんだ』
 そう。ようやく気付いた。でも───
『……なんで?』
 そう。なんで?



「納得がいかない」
 日本酒をぐいっと飲み干してともりが不満げに顰め面をした。空になったぐい吞みにおかわりを注ぐのはミキだ。
「分かる。けど女って常にそんなよ。面倒よ」
「だけどさ、ミキさん。ぽっと出て来た女がこともあろうに俺のみーさんに『私あなたが犯人だと思ってますー』とか抜かして、それでも毎日毎日俺のみーさんからの電話を待って、で俺のみーさんもみーさんだから二日置きに律儀に電話なんかかけちゃって、相手も相手でみーさんがかけてこない日にみーさんに電話するもんだから結局毎日! 毎日みーさんと電話してんだよ! 散々疑って酷いこと言っておきながら楽しそうに! 楽しそうにみーさんと! 俺のみーさんと毎日電話!」
「なにそれぶっ潰す」
「二人とももうお酒はやめようか」
 やめろ酒を下げるな奪うなとやんややんやうるさい酔っ払い共に烏龍茶を押し付け、テーブルの上のだいぶ食い散らかされたおつまみを摘む。二十二時過ぎ、なかなかいい時間、こんなにもぐでんぐでんに騒げるのはひとえに自宅だったからだ。仕事がひと段落ついたミキが夕飯を食べに来てそのままの流れで宅飲みになった。
「しかも女だからたちが悪い。男だったら簡単なんだよ、捻り潰せばいいんだから」
「任せてる」
「うん任されてる。ただ女、これはもう駄目。だってみーさん庇うんだよ? 女に激甘だよこのひと」
「知ってる。口ではあーだこーだ言いつつも結局こいつは人類全般に甘い。女にはさらに甘い」
「あと年下。性別問わず年下にはめっぽう弱い」
「分かる。弟くんと歳が近いと尚更」
「女に激甘で、年下にも弱くて、って範囲広過ぎんだよもー! そこもいいとこなんだけど!」
「分かる」
「でもそれ結局悪口だよね……」
 割り用で使っていたオレンジジュースを注ぎながら呻く。酔っ払い共の耳には入っても入らなくても同じだったらしく、烏龍茶をがばがばと飲みはじめた。熱いお茶に変えてやろうか。
「だからマノ! 貴様は守備範囲外だざまーみろ」
「ともり、今ここにマノさんはいないよ。どこ指差してるの怖いな」
「あ、みーさんだ。俺の」
「最後に若干疑問は感じるけど、まあ、みーさんではあるよ」
「だろうね。俺が間違えるわけないから」
 満足そうに言って膝の上に頭を乗せた。胎児のように体を丸め、もそもそと動いて位置を調整する。
「君ねえ」
「俺酔っ払いだから何も聞こえない。おやすみなさーい」
「……おやすみなさい」
 何を言っても無駄だ、とあきらめた。それでもすやすやとやすらかな寝顔に好き勝手言いやがってこいつはと軽い殺意が芽生える。このきれいな顔、どんな落書きでもさぞかし映えるでしょうに。
「……何ていうか、こうナチュラルにいちゃつかれると逆に頭に来ないね」
 キャラの問題かな、と呟きながらミキが烏龍茶を注いだ。ともりが離脱したことによってテンションも落ち着いたらしい。そもそも酔い潰れる女ではない。
「でも、確かに変だよ妹」
 フルミ ナオミのことをそんな風に呼んで、顰め面を作った。
「ユキのことを疑ってるって明言してる。けどユキに甘えてる」
「……甘え」
「甘えだよ、分かってるでしょ? ユキがやってることは今、中学生の女の子みたいな友達関係だよ」
 過剰な友達アピール。頻繁に行う連絡。それは確かに、ある種の女子がやるような行為だった。そう、本当に中学生みたいな、子供じみた。
「どうして乗ってやってるのか私は疑問なんだけどね。毎日何の話題があるの?」
「ものすごく他愛のないこと。何食べたとか、空模様とか、本の話とか」
「それ一回の電話で済む話だよね」
「……そうだね」
「……妹はユキに友達を求めてるの? 自分が疑ってるのに?」
 ミキが真っ直ぐにこちらを向く。そして問いは、あの問いに再び戻る。
「なんで?」
 ───そう、なんで。
 日常ならば自分は警戒されにくいタイプの人間であることは自覚している。けれども状況が状況だし、どうしてこんな風になっているのかなんて自分自身にも分からない。
「何か言ったんだろうね、妹の琴線に触れる何かを」
 それが何なのかは分からない。もしかしたらフルミ ナオミにも分かっていないのかもしれない。だからこそこんなにもちぐはぐな言動に繋がっているのかもしれない。
「分からないけど」
 もぞもぞとともりが膝の上で動くのを感じながら、呟く。
「理由はどこかにあるんだろうね」




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