マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と箱庭

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 考えた挙句、昨日の喫茶店で張ろうと思った。電話番号はあるがこれは最終手段にしたい。ニノの家に行けばどうにかなるかもしれないが論外だ。ディーにもそう告げて電話を切り、ともりを見送って身支度をしていたところでインターフォンが鳴った。
「はい」
『ミカゲさまのお宅でよろしいでしょうか』
 落ち着いた、老人の声だった。
『チグサと申します。───ニノ コウさまの執事をしております』
 目を見開いた。が、呼吸は止まらなかった。唇を舐め、通話ボタンを押す。
「───今、開けます」
なるべく冷静を装いつつ廊下を踏みしめふうっと深く息を吐いた。ドアを開ける。
 外に立っていたのは、すらりと背筋ののびたグレーの髪をした六十代くらいの老人だった。面長の顔立ちに刻まれた皺が外の光を受け濃い陰影を造り、その老人がどれだけの時間を過ごして来たのかを知らせている。
「はじめまして。ミカゲと申します」
 はっきりと言うと、老人は、チグサは一礼した。洗練された動作だった。
「急な訪問をお許しください」
「いいえ。どうぞ、中へ」
「いえ、お気遣いなく。用件はひとつでございます」
 僅かに微笑んだように思えたが、それはどこか遠いものだった。眼の前にいるのに本当に微笑んでいるのかが曖昧でよく分からない。それは、どういった形のものだ?
「ナオミさまの鍵を、返して頂きたく存じます」
 口調は穏やかで、変わらなかった。
「……」
 じっと見つめる。しばらくそうしてから、視線を逸らさないままポケットの中で震えていた鍵をゆっくりと差し出した。
「恐れ入ります」
「見ていたんですね」
「ええ」
「何故止めなかったんですか」
「止める理由はございませんでした」
 白い手袋に包まれた長い指が、それを包むようにして受け取った。
「確かに名義はコウさまのものですが、実際使われているのはナオミさまです」
「中で何をしているのかご存知なのですか」
「いいえ」
 ほんの僅か、チグサは首を横に振った。
「知ろうとは思わないのですか」
「はい」
「どうして?」
「ニノ家に関係のないことです」
 さらりと柳のようにチグサは答えた。
「仮にニノ家に関係ないのなら、ニノ コウがどうなってもいいと?」
「ニノ家にコウさまが関係のない存在でしたら、そうです。ですが、コウさまはニノ家の次期当主。関係のないこととは言えません」
「その割には、フルミ ナオミさんには興味がないと?」
「ええ」
「フルミ ナオキにも?」
「ナオキさまもナオミさまもコウさまに深く関わる方ですが、次期当主ではありません」
「似たようなものでしょう? フルミ ナオキは右腕になり、フルミ ナオミは妻になる」
「関係はございません。当主はひとりです」
 答えは変わらない。機械の心のように。すうっと、背筋が寒くなった。
「鍵のことはナオミさまには伏せておきます。屋敷内に落ちていたとでも」
 何でもないことのようにチグサは言った。鍵を盗ったことも不法侵入したことも伏せておくと、そういう風に。
「では、失礼致します」
 形なった一礼を再び受け、こちらの返事を待つ間もなく老人は踵を返して歩き去った。じっと、その背中を見つめる。
 家の前に停めてあった黒い車に乗り込み、そのエンジン音が聞こえなくなるまで瞬きもせずじっと待ち───
 音の終わりの余韻すら掻き消えた時、背中にびっしょりと冷や汗をかいていることにようやく気付いた。



 鍵は返すことが出来た。思わぬ形で。じゃあ次の行動に移るしかないと思い、再びディーに電話した。フルミ ナオミを着けてほしいと。
『いいよ』
 異国の青年はいとも簡単に引き受けてくれた。
『また連絡するよ。あとで会おう』
 それから一瞬悩んで、結局ともりにも連絡した。昨日の今日でまた勝手に行動するのは気が引けた。
 ちょうど授業の合間だったらしいともりはやはり『俺も行く』と当然のように言ったので、あきらめてきっちりと待ち合わせ場所を決めた。車で大学まで迎えに行くことにする。
 支度を終えるとディーからの着信があった。少しおもしろそうな声で、
『君の家に向かってる』
「え?」
『彼女、駅方面から歩いて来る。もうすぐつくよ』
 何で会いに来る。
 車で出かけることをなんとなく見られたくなくて、コンビニ袋に適当にものをつめて裏口から飛び出した。ぐるっと家の周囲を回って、ちょうど鉢合わせするようにゆっくりと歩いた。
「あ……ミカゲ、さん」
「え? ……フルミさん。どうも。……今日はそういう格好なんですね」
 先手を打つとフルミ ナオミは赤面してぱたぱたと手を振った。以前家に来た時の格好を指したのだが、きちんと伝わったらしい。今日の服装は昨日と同じ地味なものだった。
「どうされたんです?」
「え? あ、ああ、あの……」
 口篭もる。顔色が悪かった。じっと黙って待っていると逆にその沈黙に耐え切れなくなったのかもごもごと、
「あの……鍵」
「鍵?」
「家の鍵が、なくて。昨日どこかで落としてしまったみたいなんですけど、ご存知ありませんか?」
「えっと……すみません、知らないです」
「鞄の中とか……落とした時に」
「昨日帰って鞄の中全部出して片付けたんですよ……その時にそういうのはなかったです」
「……そうですか」
 青ざめた顔のまま、小さくうなずく。唇を噛んだ。
箱庭や人形たちのための部屋。プロではないだろうが、初心者という枠ではないレベルのもの。まだ大学生のはずだから、これからその手の職に就くのだろうか。……違う、無理か。それを許す家では恐らくない。
 可能性を打ち消していく。そうであるという可能性。ひとつひとつ潰していって、それで最後に残ったものがどれだけ不愉快でも飲み込むしかない。
「……あの、万が一あれば私に連絡お願いします」
 暗に兄には何も言うな、と言われたように思えた。
「分かりました」
 にっこり笑って受け取る。
 不愉快な事実に、あなたが残らないことを祈ろう。





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