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詐欺師と箱庭
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しおりを挟む一度、遺言を書いたことがある───大学を卒業してしばらく経った時のことだ。処分する財産が多くあるとは言えなかったが、照明部という仕事柄失敗すれば勝手に死んでしまう。映画の裏側は覚悟していた以上に過酷で、眠れず、そして危険だった。高所から落ちる危険を何度孕んだことか、考えるのが嫌になったのでもう数えるのはやめた。
これは危険だ、死んでしまうかもしれない───そう考えていた、本来持っていた危機感というのがごっそりと薄くなっていることに気付いたのは、長期現場を二つ終えた時のことだった。大学を卒業してたった半年後のこと。
危機感の薄さ。命綱も何もなしにそれなりの高さの梁の上を歩き、ライトを下ろす。落ちて頭を打ったら死ぬ。それでも仕事は続くだろうけど。
ああ、遺言書いといた方がいいかもしれない。唐突に事故死したら、きっとみんな驚くだろうから。
考えに考えて書いた遺言は、机の引き出しに一応仕舞ってある。でも、それを自分の死後どんな顔で読まれるのかは考えたくなかった。恐らく、それを一番最初に読むであろう同居人のことを思えば。
「警察、俺も一緒に行くよ?」
「大丈夫、事情聴取ともりも必要なようなら呼ぶから。だから大学に行って。逆に気がかりになっちゃう」
そう言うとともりは困ったような顔をした。反論出来ない。そんな顔。
少し申し訳なくなりながらもともりの作ってくれた朝食を口に運ぶ。かりかりベーコンとチーズのとろけるクロックムッシュに温玉の乗ったサラダ。もうどこに出しても恥ずかしくない立派な主夫だ。ストーカーだけど。
「……じゃあ、終わったら連絡ちょうだい。今日そんなに遅くならないから。三限までだし」
「うん」
約束をして、ともりを見送った。───さて。
スマートフォンを取り出す。レコーダーのアプリを起動させて、いつでも録音出来るようにさせる。服装は少し考えてから、照明部用として買った仕事着にした。黒のジーンズに濃いグレーのシャツ、黒の上着。内側にスマートフォンを仕込み、上着に隠れるように照明部の装備品の一つ、大振りなカッターを仕込んだ。ポケットにはヘッドライト。念のため、うしろ側のベルト通しにリピート帯を四本ほど仕込む。続いてグローブピンチも。皮手袋はそれに挟み、目立たないようポケットに押し込んだ。照明部の装備品は大抵犯罪に必要そうなものだ。誘拐とか。
そんな風に簡易装備をしたあと(照明部としての完全装備をしたのなら何にも負ける気がしない)、気休めの変装としてPC用の黒縁眼鏡をかけ黒のキャップを被り髪を隠した。私の髪は父親譲りで少し不思議な色をしている───日の当たらないところでは茶色がかった黒髪に見えるのだが、僅かでも光が当たればがらりと極端に色を変え不思議に染まる。父の子という証なのでとても気に入っているし、かつて彼が心から褒めてくれた色でもある───が、目立つのもまた事実だった。相手が自分の顔を特徴を既に知っているとしても、素直に自分の顔を至近距離で晒すのには抵抗がある。
最後にホイッスルの革紐を首にかけてシャツの下に落とした。
さて、どうなるか。
考えていたって仕方がない───助けを求めていたって仕方がない。だってこれは、わたしのやることなんだから。
I駅は家の最寄駅から電車で三十分くらいのところの都心にある。ひとが常に多い若者の街だ───あそこならばあのゴスロリはそんなに目立たないだろうか。どうなのか。
考えながら電車に揺られ、I駅に到着する。あらかじめ調べておいたトリスの位置を脳内で呼び起こす。東口から歩いて五分ちょっと。今は十時、約束の時間まであと一時間。
早めに来て、最初は近くで見張るつもりだった。調べたところトリスの前は通ったことがあるし、その向かい側にあるチェーン店の喫茶店は使ったことが何度かある。知らない場所ではないのだ。その喫茶店の窓際に座ればトリスが監視出来るはず。
ひとの流れに従いながら駅の外に出ると、大通り特有の空気の流れと都会特有の路地の隅の汚さが迎い入れてくれた。賑わう街。一瞬だけ足を止めてから、歩き出す。
スクランブル交差点に向かう最中、ふらふらと歩く長身痩躯の背中を見付け、今度は一瞬ではなく少しの間足を止めた。具合が悪いのか前日のアルコールがまだ残っているのかはたまた単に少しゆらめきながら歩いているだけなのか。見知らぬ他人は、見つめられていることに気付かずふらふらと歩き続ける。
彼のことを思った。唐突に現れ、流れるように共に過ごし、唐突に消えた彼のことを。
逃げ損ねたわたしのことを。
シャツの上から肌の上にあるホイッスルに触れる。すっかり体温を移していて、ひんやりとした感覚は何も感じられない。もし自分の胸元に鼻先を擦り付けることが出来れば、わたしの肌は金属の冷たい匂いがするのだろうか。それとも、ホイッスルが覚えた元の持ち主の残り香を少しでもわたしに移してくれているのだろうか。
トリスの向かいの、全国展開している海外大手チェーンの喫茶店。少し高いが色々カスタマイズ出来るコーヒーやコーヒーとは最早言えない甘ったるいものも、落ちついた雰囲気の店内も長居出来る空気も、客が使うPCの異様なマッキントッシュ率も、全部気に入っているのでたまに足を運ぶ。よく使うスタジオの最寄り駅にもあるのだ……まあ、利用出来る時間帯にそこにいることは少ないのだけれど。
窓際の席は最初空いていなかったが、少し他の席で待っていると一席だけカウンター席が空いた。カップを持ってそこに移動する。十時三十二分、まだそれらしきゴスロリは来ていない。というより、そもそも本当に来るのか……いや、わざわざ早朝に直接投函しに来たくらいだ、来ることは来るだろう。ただしこちらの前に姿は現さないかもしれない。それが問題だった。
あくまでも一方的。不利なのは最初から分かっている。どうする。
黙ってカップを口に運ぶ。家でも外でもコーヒーは苦くて飲めないのでお世話になるのはいつもコーヒーとは最早言えない甘ったるいものの方。ミルクを多めにカスタマイズしたもの。
ぶーっと、スマートフォンが鳴った。確認するとともりからのメッセージ。『まだ警察かな?』……少し考えて、『まだ行ってない、気持ち落ち着かせるためにコーヒー飲んでる』と半分以上嘘で返す。
十時五十分。まだゴスロリは来ない。スーツ姿の男性二名と、ロングスカートの地味めな女性が中に入っていっただけ。直接姿を現さない気か。
時間を潰す方法はカップを空にすることしかない。ゆっくりと口に含む。もう既に半分くらいになっていて、冷めてぬるくなっている。甘ったるい。もうおいしくはない。けれどもゆっくりと胃の中に流し込む。飲み込む。
十一時七分。約束の時間は過ぎた。ゴスロリ女はまだ来ない。
「……」
ゆっくりと瞬きをする。違和感を感じた。なにに?
トリスの窓際に座った女───彼女の前に置かれたものは水の入ったグラスだけで、いっこうに違うものが来ない。何も注文していないのか。
それは誰かを待っているから?
「……」
カップの残りを飲み干し立ち上がった。
空いている向かいの席が用意された席ならば、そこに座る以外に前進する方法はないのだろう。
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