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詐欺師と箱庭
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しおりを挟むはっと目を開けると、日は昇り切りそれすら過ぎて午後になっていた。時計を見ると丁度直角。午後三時。いつの間にか眠っていたらしい。
ベッドからもそもそと起き上がる。スマートフォンを見るがメールはなかった。フルミ、やはり忙しいのか。
気持ちよくのびたいところだったが体の痛みがそれを許さない。なるべく動かさないように最小限の動きで立ち上がり、部屋を出た。階段を下りる。
しんと静まったリビング。外から微かに車の音がし、世界が止まっていないことを教えてくれる。別に止まる心配なんてしていない───私が世界から逃げ出そうとしたあの時も、容赦なく世界は動き続けていたのだから。
ともりが帰ってくるのは何時だったか、と考えながらテレビを付ける。ミステリーものの二時間ドラマの再放送をぼんやりと眺めながら、考えた。
フルミ ナオキ
ニノ コウの従兄弟だ。
ニノ家は古くから続く家系で、現在は大きな総合病院を経営している。ニノ コウが本家の跡取り。兄弟はいない。父親は彼が小学生の時に亡くなり、それから母親が代理で当主になった。いずれはニノ コウが当主になるはずだ。
ふと、ニノ コウが今当主なのかが気になった。彼は今どんなポジションなのだろう。
フルミはそれを支えているのだろうか。
フルミは立ち振る舞いの器用な男だった。ニノ コウが私を虐めていることを知る特待生の一人だった。週に一回の特待生のみの放課後講習で会うのとは別に、校内ですれ違えばあいさつもしたし話もした。ニノ コウが近くにいなければ、フルミは私に普通の同級生として接した。
ニノ コウがいる前では、強制的にニノ コウを止めることはなかったものの、軽く嗜めたり散乱した教科書を一緒に集めてくれたりと、上手い身の振り方をしていた。今思うと出世するタイプだったんじゃないだろうか。
と、そこまで考えたところでスマートフォンが鳴った。登録されていないアドレスからの受信。メールを開くと、タイトルにはフルミの名前があった。
お久しぶりです。フルミ ナオキです。
ミキさんからアドレスを教えてもらいました。
俺も会いたいと思っていました。
もし都合が合えば、今日、O駅で二十時に会えますか。
返信待ってます。
最後に署名付きの丁寧なメールだった。デジタルの文字越しに感じ取れるフルミという男が、高校の時のフルミとぴたりと重なり、変わっていないんだな、と、小さく思う。了解の旨を丁寧に返した。
ミキにお礼のメッセを送り、もう少し眠ろう。
洒落ているが歩きやすいスニーカーというのは持っていて損ではない。ブライダルの方でない、本職の方の仕事用の無骨なスニーカーはお世辞にもファッション性があるとは言えないし、機能的であることには間違いないのだが、普段の服装だとどうしても浮く。だからこそ、ある程度歩きやすくてかわいげのあるスニーカーという存在はありがたかった。
どちらにしても仕事ばかりで、滅多に履くことはないのだけれど、と靴箱を閉じながら思う。一軒家なので比較的大きな靴箱の作り、それを今二人で使っているのだからまだまだ余裕はある。両親と弟は海外から当分帰って来ないだろう。ひょっとしたら永住する可能性だってある。帰ってくる可能性より残る可能性の方が高いのだ。
万が一帰ってきたとして───どうするだろう。流石にともりを置いておく訳にはいかないが、ともりをひとり放り出す気もさらさらなかった。何が起きてもいいように貯金しているのは、何となくでも、この家を出たあともともりと二人で暮らすイメージがあったからなのかもしれない。ともりが自分から離れるまで。ともりが自分から離れても大丈夫になるまで。
敢えてこの話をともりとしたことはない。これからもするつもりはない。
ガウチョパンツにシャツに薄手の上着というカジュアルを極めたような服装に洒落たスニーカー。おかしなところがないか鏡で確認し、家を出た。ここからO駅まで二十分くらいだ。
家の近くの停留所からバスに乗り込み、ゆらゆらと揺れる夜の住宅地を眺めている内に、またいろいろなことを考えていた。いろいろあった代わりに一生物の友を得た高校を卒業したり、いろんな意味で人生を掻き回してくれた大学を卒業したり、家族が海外に行ったり、一生の痕になるような出会いがあり、強制的に別れて、ひとりになったと思った瞬間ともりと出会い逃げ損ねて、離れて、ともりにまた再会したり、それからずっと、一緒にいたり。
これからどうなるか分からないが、それでもまだ暫くは一緒にいるだろう。……ひとまず、私が死ななければ。
O駅で待ち合わせした時、ミキとの場合と違い、フルミはまだ来ていなかった───早めに出ていたので逆にほっとする。勝手知った仲でないのでそういったことは避けたかった。
それでもフルミは、指定した時間五分前には待ち合わせ場所に来た。高校の時よりも背がのびたがそれでも面影はそのままだ。軽く手を上げて歩み寄り、眼鏡の奥の目を細める。
「久しぶり、ミカゲさん」
「久しぶり。フルミくん」
「待たせちゃってごめんね。仕事が長引いちゃって」
「時間前だよ。それより急に呼び出してごめんね。時間作ってくれてありがとう」
にこりと笑う。フルミもそれに返し、来た方と反対側を指した。
「いい店知ってるんだ。日本酒は好き?」
「大好物です」
「いい返事」
日本酒が好き、と言っても強いわけではないのでアルコールの度数が低いものにした。怪我も治り切っていないのにかぱかぱとアルコール摂取をする程愚か者ではない。
「その怪我、どうしたの?」
「仕事でね……」
「ミカゲさん何の仕事してるの……?」
再会を祝い乾杯をし、お猪口に口を付ける。おいしい。でも口の中が染みる。痛い。
「フルミくんは今何の仕事をしてるの?」
「弁護士の卵だよ。今勉強中」
「先生でしたか……」
「やめてよ。まだ合格してもいないのに。ミカゲさんは?」
「いろいろやってるよ。メインは映画スタッフ」
「映画スタッフって、出る方の?」
「ううん、役者さんとかじゃない。スタッフの方……照明の助手やってるよ」
「へえ!」
驚いたようにフルミが声を上げ、興味深げに私を見た。
「予想外。というか、いい意味で一般的じゃない職業だね。楽しそう」
笑うだけで肯定も否定もせず、あけられたフルミの盃にお酒を注いだ。
「ありがとう。……そっか、映画……なんていうか、ミカゲさんこそ別次元のひとじゃん」
「そんなことないよ。全然稼げないんだから」
「またまた。───給料未払いの際は連絡を。いい人を紹介するよ」
「うわあ、それはいつかお世話になる可能性があるかも……」
呻く。本当に。制作会社が何を考えているのかさっぱり分からないのだ。払えよ、ギャラ。ちゃんと働いたんだからさ。
「まあ六割本音は置いておいて、」
「生々しい割合だね」
「まあね……ニノ コウのことなんだけれど」
微笑む。困ったように。
それ以上に困ったような顔で、フルミが見返した。
「意識はまだ、戻ってないんだ」
「───そう」
「気になる?」
「そりゃそうだよ……正直、この状況でフルミくんが私に時間を作ってくれるとは思わなかった」
高校時代を思い出す。あの広くて閉ざされた空間に、私たちは同時にいたのだ。違うクラスで、時には階すら違ったけれど、それでも私たちはお互いを意識していた───息を殺して、相手の気配を探るように。
「ミカゲさんはコウのことを恨んでるかと思ってた。俺のことも」
「フルミくんのことも? ……フルミくんは庇ってくれてたじゃん」
「庇ってないよ。コウの前だと軽く嗜めるくらいのことしか言わなかった。コウを止めることはしなかった」
「……立場もあったでしょう。ニノ コウのいないところでは私に普通に接してくれてたじゃない。それで十分だった」
ニノ コウとフルミ ナオキ。
同級生であり従兄弟同士であり、本家と分家の関係。
今時そんな話があるのだと、それがどういうことなのかと漸く私が理解した時にはもう、既にその形は完成されていた───いや、生まれる前から脈々と続いていたのだ。
「俺たちの家についてどこまで知ってる?」
「全然。本家と分家の話くらい」
「それで十分、というより、それが全てなんだけどね。俺はフルミの長男で、コウはニノの長男だ。ゆくゆくはニノの家を継ぐ」
ニノの家───資産家であり、古くから医者の家系だ。ニノ コウも医学部に通っていたはず。
代々続く、ニノの本家とフルミの分家。
───遡ればやんごとなき身分に辿り着くその系譜は、デジタルの眼に見えない周波に世界が覆われていても脈々と続いている。
それを時代錯誤だ、という者もあるだろう。けれど、伝統と言うのは誰かが護らなければ続かないのだ───それが血筋であろうと、在り方であろうと。
「フルミはニノをサポートする。ニノは何があってもフルミを守る。歴史はそんな風に繋がってる」
だから俺も何かあった時にニノをサポート出来るような職に就こうとしてるとフルミは続けた。
「だけど、最近その体制も崩れつつあってね。古い習慣だと、そう言う人間が中にも外にもいる」
中にも、外にも───フルミはどちら側なのだろう。軽い口調はそれを当然のように思っているようにも、時代錯誤だと軽視しているようにも見えた。
「フルミくんは?」
「え?」
「フルミくんはどう思ってるの?」
「……正直、どちらでもいい」
そこそこ呆れたような、疲れたような溜め息をひとつ落とした。
「俺は弁護士になりたいから、この体制は悪くない。学費や周りの理解のことを気にしなくてもいいから恵まれてるし、コウのことも兄弟みたいなものだから将来あいつに何かあったらそれは戦うよ。そのための力を付けることを、諸手を挙げて賛成してもらえるのは楽でいい。……でもそれはニノもフルミもなくて、コウだからだ。コウだから、そうしたい。ミカゲさんには悪いけど。
でもフルミの中の人間で、他の道しか歩けない人間もいる。だったらそれはそれでいいだろうと、まあ、そんな感じだ」
「……そうだね」
そう。そうだ。
「まあでもそれを年寄りに言っても伝わらないわけで───窮屈な思いをしてる奴も、いるだろうね」
鳥籠を飼い慣らしたような、箱の狭さを利用しているような。
それがフルミ ナオキという人間だった。私はそれを、思い出す。
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