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平野雪明が二十八歳で脱サラをし、叔父が経営するこの雪多い片田舎のバー「Flat」に住み込みで働き始めて、一年が経とうとしていた。
大学を卒業し、両親の望み通り安定した職に就職したまでは良かった。だが、三十路を手前にして今度は早く結婚しろと見合い話を持ちかけられた。まだ早い、と最初はやんわりと断っていたが、毎日のように見合い写真を送りつけてくる母親にウンザリし始めた。
結婚など、女性に興味のない雪明には無理な話だった。とうとう雪明は自分が同性愛者である事を両親に告げた。
父親は絶句し母親は怒り狂った。父親は何も言っては来なかったが、母親の自分を汚れた物を見るような目に耐えられなくなり、家を出た。
その話を聞いた叔父の芳雄が雪明を心配し、うちのバーで住み込みで働かないか? そう声を掛けてくれ、今では叔父の経営するバーに住み込みで働かせてもらっていた。
最初は、こんな飲み屋などで勤まるのか心配だったが、地元の顔見知りが集い、お客たちは訳ありの雪明を暖かく迎えてくれた。
ずっと叔父の芳雄が一人で切り盛りしてきたこの店に、華ができたと喜んでくれている。
中性的で涼やかな目元とシャープな顔立ち、そして透き通るような白い肌は、男にしては色気が漏れ、あっという間にお客たちのアイドルのような存在になっていた。
中には雪明が目当てくる客もできる程だった。
越してきたこの街は、冬になると毎日のように雪が降る。こちらに来て初めての冬を迎える。
雪明は都内の生まれであった為、こちらの雪の多さにうんざりしていた。最初こそ、散らつく雪が綺麗だと思った事もあったが、こう毎日降られると感動も何もなくなるものだ。
それでも、しんしんと降り積もった雪が一面に広がるさまは、真っ白な絨毯が敷かれているようで綺麗だとは思う。
だが、今回の雪はそんなロマンティックなものではない。
『爆弾低気圧』
外はゴゥゴゥと雪が横殴りに吹き荒れ、灰色の視界の先は一メートル先も見えない。外には一歩も出る事は不可能だ。
爆弾低気圧の予報が出た時、雪国の《爆弾低気圧》の恐ろしさを知らない雪明に客は、しっかり準備をしておけ、そう口うるさく言ってきた。言われた通り、水や食料、燃料を大目に確保し、停電に備えて懐中電灯やカイロ、携帯ラジオをベットの脇に常備した。
全て客たちに教えてもらった事だ。
言われた通り準備はしたが、それでも雪明の予想を上回る荒れ狂った天気に不安と恐怖が込み上げる。
カタカタと窓が鳴り、時折ミシミシと家が揺れる。一度大きく、ドンっと大きな音がし雪明はびくりと肩を揺らした。大柄な雪男が家に体当たりをしているさまが浮かび、雪明は幼稚な想像に一人苦笑した。
不安な気持ちを少しでも拭い去ろうと、一息つく為コーヒーメーカーをセットした。
その時、一階の店の呼び鈴が鳴った。
(こんな天気に誰?)
宅配業者かもしれない、そう思い一階に続く階段を降りた。もう一度呼び鈴が鳴り、立て続けに二回鳴った。
雪明はびくつきながら、薄く扉を開けた。
その途端、雪が混ざる強風が痛いくらいに雪明の顔を殴りつける。その強風のせいで、扉が勢い良く開いてしまった。咄嗟に目をキツく閉じると風と雪が雪明の全身を覆い、強風のせいで足がよろめいた。
バシッと腕を掴まれると同時に、突風が止んだ。どうやら扉が閉められたようだった。
雪明はそっと目を開けると、目に飛び込んできたのは全身雪塗れの大柄な男。
その光景に思わず「ぎゃっ!!雪男!?」そう叫んで後退りした。
「あん!?誰が雪男だ!」
聞き覚えのある声に、雪明はマジマジとその雪男を見た。
「げ、源さん!?」
黒のロングダウンのフードを被り、顔の半分が分厚いマフラーでぐるぐる巻きになっている。この大雪で全身真っ白になり、まるでそれは大きな雪だるまのようだった。雪男と思わず口から出たのは、その前に雪男を連想していたせいなのだろう。
「ど、どうしたんですか?」
「あー、この近くの現場の様子が気になって見に行ったんだけど、天候が悪化するのが思ったより早くて帰れなくなった。悪いんだけど、しばらく避難させてくれねぇか?」
「え……」
一瞬、躊躇うも、
「別にいいですけど……」
雪明は戸惑い気味に返事を返す。男はそれを察したのか顔をしかめた。
雪明は目の前にいるこの雪塗れの男、真中源一郎が苦手だった。
「おまえ、頭凄い事になってるぞ。ベートーベンか?」
源一郎は馬鹿にしたように、雪明のくしゃくしゃになった黒髪を指差して笑っている。慌てて髪を手櫛で整えると、源一郎をひと睨みした。
「今、タオル持ってくるんで、そこで待ってて下さい。濡れたまま上がられるの嫌なので」
一言多く物申して、二階に上がりバスタブにお湯を溜めバスタオルを手に取り、再び下に降りた。
源一郎は来ていたロングダウンを脱ぎ、壁にかけている所だった。色落ちの良いデニムにチャコールグレーのハイネックのローゲージニット姿。長身の源一郎に似合っていると思った。飲みに来る時も、仕事帰りなのか普段はスーツか作業服姿が多く、カジュアルな姿の源一郎を見る機会は初めてだった。
正直、カッコいいと思った。本来なら源一郎のような、男らしい雄の匂いがする男は、雪明のタイプだ。
苦手になったのには理由があった。
真中源一郎は「Flat」の常連客で、毎日のように店に現れる太客だ。時には、派手な女性と店に現れる事も有り、女関係が派手な事が窺え知れた。そんな男が一人の女性に落ち着くわけがなく、三十代半ばにして独身。今は独身貴族を満喫しているようだった。
大学を卒業し、両親の望み通り安定した職に就職したまでは良かった。だが、三十路を手前にして今度は早く結婚しろと見合い話を持ちかけられた。まだ早い、と最初はやんわりと断っていたが、毎日のように見合い写真を送りつけてくる母親にウンザリし始めた。
結婚など、女性に興味のない雪明には無理な話だった。とうとう雪明は自分が同性愛者である事を両親に告げた。
父親は絶句し母親は怒り狂った。父親は何も言っては来なかったが、母親の自分を汚れた物を見るような目に耐えられなくなり、家を出た。
その話を聞いた叔父の芳雄が雪明を心配し、うちのバーで住み込みで働かないか? そう声を掛けてくれ、今では叔父の経営するバーに住み込みで働かせてもらっていた。
最初は、こんな飲み屋などで勤まるのか心配だったが、地元の顔見知りが集い、お客たちは訳ありの雪明を暖かく迎えてくれた。
ずっと叔父の芳雄が一人で切り盛りしてきたこの店に、華ができたと喜んでくれている。
中性的で涼やかな目元とシャープな顔立ち、そして透き通るような白い肌は、男にしては色気が漏れ、あっという間にお客たちのアイドルのような存在になっていた。
中には雪明が目当てくる客もできる程だった。
越してきたこの街は、冬になると毎日のように雪が降る。こちらに来て初めての冬を迎える。
雪明は都内の生まれであった為、こちらの雪の多さにうんざりしていた。最初こそ、散らつく雪が綺麗だと思った事もあったが、こう毎日降られると感動も何もなくなるものだ。
それでも、しんしんと降り積もった雪が一面に広がるさまは、真っ白な絨毯が敷かれているようで綺麗だとは思う。
だが、今回の雪はそんなロマンティックなものではない。
『爆弾低気圧』
外はゴゥゴゥと雪が横殴りに吹き荒れ、灰色の視界の先は一メートル先も見えない。外には一歩も出る事は不可能だ。
爆弾低気圧の予報が出た時、雪国の《爆弾低気圧》の恐ろしさを知らない雪明に客は、しっかり準備をしておけ、そう口うるさく言ってきた。言われた通り、水や食料、燃料を大目に確保し、停電に備えて懐中電灯やカイロ、携帯ラジオをベットの脇に常備した。
全て客たちに教えてもらった事だ。
言われた通り準備はしたが、それでも雪明の予想を上回る荒れ狂った天気に不安と恐怖が込み上げる。
カタカタと窓が鳴り、時折ミシミシと家が揺れる。一度大きく、ドンっと大きな音がし雪明はびくりと肩を揺らした。大柄な雪男が家に体当たりをしているさまが浮かび、雪明は幼稚な想像に一人苦笑した。
不安な気持ちを少しでも拭い去ろうと、一息つく為コーヒーメーカーをセットした。
その時、一階の店の呼び鈴が鳴った。
(こんな天気に誰?)
宅配業者かもしれない、そう思い一階に続く階段を降りた。もう一度呼び鈴が鳴り、立て続けに二回鳴った。
雪明はびくつきながら、薄く扉を開けた。
その途端、雪が混ざる強風が痛いくらいに雪明の顔を殴りつける。その強風のせいで、扉が勢い良く開いてしまった。咄嗟に目をキツく閉じると風と雪が雪明の全身を覆い、強風のせいで足がよろめいた。
バシッと腕を掴まれると同時に、突風が止んだ。どうやら扉が閉められたようだった。
雪明はそっと目を開けると、目に飛び込んできたのは全身雪塗れの大柄な男。
その光景に思わず「ぎゃっ!!雪男!?」そう叫んで後退りした。
「あん!?誰が雪男だ!」
聞き覚えのある声に、雪明はマジマジとその雪男を見た。
「げ、源さん!?」
黒のロングダウンのフードを被り、顔の半分が分厚いマフラーでぐるぐる巻きになっている。この大雪で全身真っ白になり、まるでそれは大きな雪だるまのようだった。雪男と思わず口から出たのは、その前に雪男を連想していたせいなのだろう。
「ど、どうしたんですか?」
「あー、この近くの現場の様子が気になって見に行ったんだけど、天候が悪化するのが思ったより早くて帰れなくなった。悪いんだけど、しばらく避難させてくれねぇか?」
「え……」
一瞬、躊躇うも、
「別にいいですけど……」
雪明は戸惑い気味に返事を返す。男はそれを察したのか顔をしかめた。
雪明は目の前にいるこの雪塗れの男、真中源一郎が苦手だった。
「おまえ、頭凄い事になってるぞ。ベートーベンか?」
源一郎は馬鹿にしたように、雪明のくしゃくしゃになった黒髪を指差して笑っている。慌てて髪を手櫛で整えると、源一郎をひと睨みした。
「今、タオル持ってくるんで、そこで待ってて下さい。濡れたまま上がられるの嫌なので」
一言多く物申して、二階に上がりバスタブにお湯を溜めバスタオルを手に取り、再び下に降りた。
源一郎は来ていたロングダウンを脱ぎ、壁にかけている所だった。色落ちの良いデニムにチャコールグレーのハイネックのローゲージニット姿。長身の源一郎に似合っていると思った。飲みに来る時も、仕事帰りなのか普段はスーツか作業服姿が多く、カジュアルな姿の源一郎を見る機会は初めてだった。
正直、カッコいいと思った。本来なら源一郎のような、男らしい雄の匂いがする男は、雪明のタイプだ。
苦手になったのには理由があった。
真中源一郎は「Flat」の常連客で、毎日のように店に現れる太客だ。時には、派手な女性と店に現れる事も有り、女関係が派手な事が窺え知れた。そんな男が一人の女性に落ち着くわけがなく、三十代半ばにして独身。今は独身貴族を満喫しているようだった。
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