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049 懸命のラストステージ(3)
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「ああもう、何だよ……何がどうなってんだよ、ここ」
開場時間になり、人波にのまれてロスジェネシアターに踏み入った昌真は、しばらくもしないうちに音を上げた。これまで経験したことのない異様な熱気にあてられたというのもあるが、単純に人に酔ったというのが大きい。
チケットは席指定なのになぜ長い列を作っているのかという昌真の疑問は、会場に入ってすぐ明らかになった。このツアー限定のグッズが販売されるということで、それを買うためのものだったのだ。もとより昌真はそんなグッズには毛ほどの興味もない。だがここでしか手に入らないお宝アイテムをゲットしようとするファンにより建物の中はさながら戦場のごとき有様であり、昌真は這々の体で逃げ出さざるを得なかった。
……それに、考えてみればそもそも最初から中に入ることなどなかったのだ。他の人につられてうっかり入ってしまったが、席は確保できているのだから開演まで建物の中に用はない。確認しなければならないのは建物の外――あやかと落ち合うことになっている六番出口の位置だ。
そう思って建物のぐるりを一回りしてみたのだがどこが六番出口かということはもちろん建物全体がどんな構造になっているのかさえさっぱりわからない。会場の人に訊こうにも、一般客が通ることのないスタッフオンリーの通用口の場所は訊きづらく、その場所がわからないままフェンス際にへたり込む体たらくである。
……ぶっちゃけ疲れた。ライブが始まる前にこれでは先が思いやられる。だが六番出口がどこかだけは確認しておかないと――そう思って、けれどもそこで昌真の思考は立ち止まった。
「……て言うか、ライブが終わったあと俺がそこ行く意味あんのか?」
あやかに対する最低限の義理を果たすためライブは観に来た。それはいいだろう。だがそのあとの小芝居についてはもういいのではないか……いや、もういい。大切なステージに立つなと言って諫めた自分が、心底どうでもいい存在になりつつある高岡への復讐のためにあやかに無理をさせることなどできるわけがない。
今からでもそれをあやかに伝えられれば……そう思ってスマホを取り出しかけ、けれどもすぐまたポケットにしまう。今のあやかにメールなど見ている暇があるとは思えなかったからだ。……約束通り、ライブが終わればあいつはすぐにその六番出口から出てくるだろう。そこにいるべき者の姿がなければ、必死になって探しまわるに違いない。
……ダメだ、やはりどうしても六番出口がどこか確認しておかなければならない。そう思ってまた腰を上げる昌真の耳に、ふと横合いから穏やかな声が届いた。
「……君、こんなところでどうしたの?」
驚いて顔を向けると、気遣わしげにこちらを見るおじさんと目が合った。
年の頃は四十……あるいは五十がらみといったところか。頭にバンダナを巻き、誰かわからないがメンバーのプリントTシャツを着てリュックを背負っている。だいぶ気合いの入ったその風体からすると、どうやら会場のスタッフではなさそうだ。
「……ちょっと道に迷っちゃって」
「あ、そうなの? たしかにねえ。こっちまで入ってくるとわかんないからねえ、この建物」
うんうんと頷きながらそう言っておじさんは昌真に近づいてくる。悪い人ではなさそうだが、いったいなぜ俺に声をかけてきたのだろう……そう思って少し身構える昌真に、おじさんは壮年らしいニカッとした笑みを浮かべて言った。
「初めてでしょ」
「え?」
「ロスジェネのライブ観に来るの。初めて?」
「あ……はい。初めてです」
「ようこそ!」
そう言って差し出されたおじさんの手を、昌真は思わず握った。どうして俺はこの人と握手などしているのだろう……だがそんな昌真の胸の内などお構いなしに、ほとんど昌真の手を引くようにしておじさんは歩き始めた。
「そういうことなら準備しないと! ほら、最初って大事だから!」
「あ……ちょっと」
――そうして昌真はおじさんに連れられ、ライブを観るために必要なアイテムとやらを買い求めさせられるハメになった。
限定グッズの販売が一区切りついたのか、建物の中の喧噪はさっきよりだいぶ落ち着いており、おじさんに引き回されて歩く分にはもうそれほどのストレスではなかった。「どうしても必要!」と言われて買うことになったグッズもペンライトとうちわくらいで、経済的負担があったわけではない。むしろこのおじさんはなぜ俺のような見ず知らずの男を相手にこんな親身になって世話を焼いてくれるのかと、そっちの方が昌真には気になった。
やがてロスジェネシアターガイダンスが一段落すると、おじさんはベンチに座るよう昌真に勧め、ジュースさえ奢ってくれた。これにはさすがに昌真も恐縮した。
「……どうしてこんな親切にしてくれるんですか?」
「ん? だって君、ライブ初めてなんだろ? 良い思い出にして欲しいから」
そんなおじさんの回答に、昌真はますます恐縮してしまう。この人は本当にアイドルが――いや、ロストジェネレーションというグループが好きなんだと、そう思って。
「ねえ君、誰推し?」
開場時間になり、人波にのまれてロスジェネシアターに踏み入った昌真は、しばらくもしないうちに音を上げた。これまで経験したことのない異様な熱気にあてられたというのもあるが、単純に人に酔ったというのが大きい。
チケットは席指定なのになぜ長い列を作っているのかという昌真の疑問は、会場に入ってすぐ明らかになった。このツアー限定のグッズが販売されるということで、それを買うためのものだったのだ。もとより昌真はそんなグッズには毛ほどの興味もない。だがここでしか手に入らないお宝アイテムをゲットしようとするファンにより建物の中はさながら戦場のごとき有様であり、昌真は這々の体で逃げ出さざるを得なかった。
……それに、考えてみればそもそも最初から中に入ることなどなかったのだ。他の人につられてうっかり入ってしまったが、席は確保できているのだから開演まで建物の中に用はない。確認しなければならないのは建物の外――あやかと落ち合うことになっている六番出口の位置だ。
そう思って建物のぐるりを一回りしてみたのだがどこが六番出口かということはもちろん建物全体がどんな構造になっているのかさえさっぱりわからない。会場の人に訊こうにも、一般客が通ることのないスタッフオンリーの通用口の場所は訊きづらく、その場所がわからないままフェンス際にへたり込む体たらくである。
……ぶっちゃけ疲れた。ライブが始まる前にこれでは先が思いやられる。だが六番出口がどこかだけは確認しておかないと――そう思って、けれどもそこで昌真の思考は立ち止まった。
「……て言うか、ライブが終わったあと俺がそこ行く意味あんのか?」
あやかに対する最低限の義理を果たすためライブは観に来た。それはいいだろう。だがそのあとの小芝居についてはもういいのではないか……いや、もういい。大切なステージに立つなと言って諫めた自分が、心底どうでもいい存在になりつつある高岡への復讐のためにあやかに無理をさせることなどできるわけがない。
今からでもそれをあやかに伝えられれば……そう思ってスマホを取り出しかけ、けれどもすぐまたポケットにしまう。今のあやかにメールなど見ている暇があるとは思えなかったからだ。……約束通り、ライブが終わればあいつはすぐにその六番出口から出てくるだろう。そこにいるべき者の姿がなければ、必死になって探しまわるに違いない。
……ダメだ、やはりどうしても六番出口がどこか確認しておかなければならない。そう思ってまた腰を上げる昌真の耳に、ふと横合いから穏やかな声が届いた。
「……君、こんなところでどうしたの?」
驚いて顔を向けると、気遣わしげにこちらを見るおじさんと目が合った。
年の頃は四十……あるいは五十がらみといったところか。頭にバンダナを巻き、誰かわからないがメンバーのプリントTシャツを着てリュックを背負っている。だいぶ気合いの入ったその風体からすると、どうやら会場のスタッフではなさそうだ。
「……ちょっと道に迷っちゃって」
「あ、そうなの? たしかにねえ。こっちまで入ってくるとわかんないからねえ、この建物」
うんうんと頷きながらそう言っておじさんは昌真に近づいてくる。悪い人ではなさそうだが、いったいなぜ俺に声をかけてきたのだろう……そう思って少し身構える昌真に、おじさんは壮年らしいニカッとした笑みを浮かべて言った。
「初めてでしょ」
「え?」
「ロスジェネのライブ観に来るの。初めて?」
「あ……はい。初めてです」
「ようこそ!」
そう言って差し出されたおじさんの手を、昌真は思わず握った。どうして俺はこの人と握手などしているのだろう……だがそんな昌真の胸の内などお構いなしに、ほとんど昌真の手を引くようにしておじさんは歩き始めた。
「そういうことなら準備しないと! ほら、最初って大事だから!」
「あ……ちょっと」
――そうして昌真はおじさんに連れられ、ライブを観るために必要なアイテムとやらを買い求めさせられるハメになった。
限定グッズの販売が一区切りついたのか、建物の中の喧噪はさっきよりだいぶ落ち着いており、おじさんに引き回されて歩く分にはもうそれほどのストレスではなかった。「どうしても必要!」と言われて買うことになったグッズもペンライトとうちわくらいで、経済的負担があったわけではない。むしろこのおじさんはなぜ俺のような見ず知らずの男を相手にこんな親身になって世話を焼いてくれるのかと、そっちの方が昌真には気になった。
やがてロスジェネシアターガイダンスが一段落すると、おじさんはベンチに座るよう昌真に勧め、ジュースさえ奢ってくれた。これにはさすがに昌真も恐縮した。
「……どうしてこんな親切にしてくれるんですか?」
「ん? だって君、ライブ初めてなんだろ? 良い思い出にして欲しいから」
そんなおじさんの回答に、昌真はますます恐縮してしまう。この人は本当にアイドルが――いや、ロストジェネレーションというグループが好きなんだと、そう思って。
「ねえ君、誰推し?」
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