逆襲のドッペルゲンガー

Tonks

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038 親睦のプライベートクラブ(5)

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「『ヤリチンの面目丸潰れ大作戦』よ」

「……そう。そのナントカ作戦に同意」

 そう言って昌真は内心に深い溜息をついた。全身の力が抜けるような敗北感があった。……知恵比べにはそこそこ自信があるつもりだったが、自分など佐倉の足元にも及ばないことがこれでわかった。世界は広い。

 ともあれ、これでこの問題についても明確なゴールが見えた。そのゴールにたどり着くまでの筋道もはっきりしており、あとは実行に移すのみだ。

 ただそれを実行に移すためには俺だけでなく相棒の同意が必要になってくる。それがわかってか佐倉から、例によって昌真をまたぎ越してあやかへの質問が飛んだ。

「そう言えばロスジェネって、これから夏の全国ツアーよね。あやかちゃんも出るの?」

「うん、出ることになった」

「え、そうなの?」

「ゴメン、昌真には言ってなかったよね。実はあたしも出られるって教えてもらえたの、昨日なんだ」

「……いや、別に謝る必要ないけど」

「全国十都市とかまわって、千秋楽がロスジェネシアターだっけ?」

「うん」

「だったらその千秋楽のライブを昌真クンが観に行く、っていうのでどう?」

「え、昌真がライブ観に来てくれるの!?」

 それまでなぜか消沈していたあやかが佐倉の一言で色めき立った。ロスジェネシアターというのはロスジェネの本拠地であるホームスタジオで、たしかここからそう遠くない場所にある。だから作戦のために昌真がそこへ出向くことは物理的には可能なわけだが、昌真としてはそう言われて「はいそうですか」と頷くわけにはいかない。

「待て待て待て。なにも俺がライブ観に行く必要ないだろ」

「大アリよ。落とそうと思ってる子のステージ見に行かなくてどうするのよ」

「……そうかあ?」

「本気で高岡の風評下げたいんなら全部のライブでさっき言ったのやるべきなんだろうけど、さすがにそれじゃ昌真クンのお金が続かないだろうし、高岡がストーカーになっちゃうのよね。だから千秋楽ピンポイント」

「……むう」

「私としてはそれがベストだと思うけどなぁ。それとも、どうしてもあやかちゃんとこのライブ観に行きたくない理由でもあるの?」

「……いや、別にそういうわけじゃないけど」

 ……どうしても観に行きたくないわけではない。あやかと出会う前の自分だったらアイドルのライブに行くことなど死んでもご免と断ったのだろうが、あやかや佐倉と知り合った今、昌真の中でアイドルへの偏見は急速に薄れつつある。ぶっちゃけ、今はあやかが立つというそのライブにわずかではあるが興味さえあるのだ。

 それでも俺が行かないということになれば、やはりそれは食わず嫌いということになるのだろう。いずれにしてもここは俺が我を張るシーンではない。あまり気は進まないが、作戦自体非の打ち所がないものであることははっきりしているのだ。

「わかったよ。そのライブ観に行く」

「なら決まりね。最終日の一発勝負。流れとしては、そうねぇ。人目につくところで無理矢理キスしようとしてバチーン、ってとこでどうかしら」

「そこまですんの!?」

「当たり前よ。そのくらいインパクトがないとね」

「……それはそうかもだけど」

 たしかに一回でキメるのであればそのくらいの演出は必要なのかも知れない。それに……そうだ。ここで重要なのは高岡のアプローチをあやかが毅然とした態度で拒絶して見せることだ。そうすることで初めて、あやかは単に言い寄られているだけで自分からはなびくつもりがないことをはっきりと示せる。

 そう考えれば佐倉の提案はやはりパーフェクトと言うべきか、ここまできても隙がない。だがそれでも俺があやかにキスを迫ってひっぱたかれるというのは……。

「……」

 そこでふと、昌真は隣で所在なさそうにしているあやかに気づいた。最初の方のハイテンションが嘘のように、押し黙ってグラスを眺めている。

 あやかが真っ先に食いついてきそうな話の流れになっているのにどうしたのだろう。……ただ、そういえばさっきも様子がおかしかった。思い当たる節があるとすれば俺を好きだの何だのと言っていたあの告白まがいのやり取りだが、あれだけノリノリで喋りまくっていたものを今さら恥ずかしがっているとも思えない。

 いぶかしく思って見つめていると、あやかは一瞬こちらに目を向け、だがすぐに逸らしてしまう。恥ずかしがっているというより気まずそうだ。……いったいどうしたというのだろう。話しかけられないでいる昌真を尻目にまた横からさらっていったのは佐倉だった。

「さっきから静かだけど、あやかちゃんはそれでいいの?」

「え? ……うーん、あたしに昌真ひっぱたくとかできるかなあ」

「女優志望なんでしょ? それくらいできないと」

「そっか……うん、そうだよね。昌真がライブ観に来てくれるんならやってみる!」

「なら決まり。私は顔も口も出すつもりないし、あとは二人でよろしくね。ひっぱたかれた昌真クンの写真どっかのSNSで見るの楽しみにしてるから」

「へいへい」

「あと、言っとくけどくれぐれも――」

「ん? なに?」

「……ま、いっか。頑張ってね」

 高岡への復讐についてはそれで終わりだった。そのあとはほぼ佐倉のモノローグによる業界の四方山話――と言うより愚痴にしばらく付き合って、それでお開きになった。

 気がつけばもう九時だった。あやかは佐倉がタクシーで送って行くということで、昌真とは店の前で別れた。佐倉の申し出に一応は遠慮する素振りを見せながらも結局タクシーに乗っていったところをみるとあやかはやはりそれなりのお嬢さんなのだろう。そして佐倉はやはり面倒見の良い先輩だったということになる。

 一人電車に揺られて帰る家までの道すがら、車窓に映る夜景を眺めながら昌真は今日の会合を振り返った。

 ……結果だけ見ればベストと言って良かった。佐倉への禊ぎは果たせたし、あやかは今日一日でずいぶん佐倉と親しくなったように思う。高岡への復讐に関しても懸念していたような佐倉の介入はなく、そればかりか理想的なゴールにたどり着くためのロードマップまで得られた。

 ……けれども昌真の心は晴れなかった。終わり際にあやかが見せていたダウナーな態度が気にかかり、店を出て別れるときも何となく後ろ髪引かれる思いだったのだ。あやかが途中まではウザいほどのテンションで佐倉とやりとりしていたことも、後半以降の態度を気にする理由になっているのかも知れない。

 それでも家に着く頃には、所詮あの場限りのことだったのだろうという結論に落ち着いた。今夜はもうないにしても、明日になればまた彼女から電話がかかってくる。そうして今後は『ヤリチンの面目丸潰れ大作戦』についての打ち合わせがそこに加わる。一難去ってまた一難ではないが、まだまだ終わらない。明日学校に行けばもう夏休みだが、そこではきっとまた嵐のように騒がしい日々が待ち受けているのだ。
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