逆襲のドッペルゲンガー

Tonks

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034 親睦のプライベートクラブ(1)

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「――って私が言ったらさぁ、この子なんて言ったと思う?」

「なんてなんて?」

「すっごいキメポーズで『そんなんでこの俺が落とせると思ったら大間違いだぜ、お嬢さん』だって」

「うわ、なんかアダルトな台詞! それでそれで?」

「でもね、この子ってば声が震えちゃってるの。憧れの先輩に告白する中学生みたいに。もうお姉さん可愛くって、可愛くって」

「えー、昌真が? いいなー、あたしも見たかったなー、昌真がそんな風になるとこ」

 ……ウザい。こいつらマジでウザい。

 そう思いながら昌真は佐倉のお薦めということで頼んだノンアルコールカクテルのグラスを傾けた。いっそ酒でも飲みたい気分だがホストである佐倉の手前そんなことができるはずもない。

 そもそも会員制で小規模とはいえクラブなどという場所に自分がいることからして「非行」の二文字が浮かぶ。シンガポールにいる親が聞いたらいったいどんな顔をするだろう……だがそんな昌真の述懐はまたしてもかしましい声に掻き消される。

「それでね、シャワー浴びて部屋に戻ったとき言ったのよ。『で、キミって誰?』って。そしたらすごかったの」

「どんな風に? どんな風に?」

「ベッドからぴょーん! って跳んで土下座したの。もう高々とぴょーん! って。ホントすごかった。あんなの漫画でも見たことない」

「わー、それも見たかった! やっぱりあたしも着いてけばよかったなー」

「ラブホテルまで?」

「ラブホテルまで!」

 ……本当にウザい。ウザいことこの上ない。

 俺の話で盛り上がるのはいいがせめて二人でいるときにやってくれと声を大にして言いたい。……と言うか、こんな場所に連れてきた者の責任として注意深く観察していたからそんなはずはないのだが、このテンションを見るだにあやかにはアルコールが入っているとしか思えない。

 ……まあ実際は初めての空間にはしゃいでいるだけなのだろうがそれにしてもはしゃぎすぎだ。俺たちがここに来た目的はそれだけではないが、ひとつには謝罪のためだということを忘れたのだろうか。

 ――あの日、悲壮な覚悟をもって待ち受ける昌真に対し、佐倉の口から告げられた落とし前の内容は、『面白そうだから自分も高岡への復讐計画に混ぜろ』というものだった。あまりにも寛大なその処置に昌真は危うく落涙しそうになり……というか普通に少し泣き、ひれ伏して何度も礼を言ったが、帰宅後、冷静になって考えてみるとこれがなかなか厄介な注文であることに気づいた。

 まず、これで高岡への復讐を簡単にはやめられなくなった。昌真としては今回の佐倉へのアクションが作戦のクライマックスであり、ひとつの区切りだと考えていたわけだが、佐倉が合流して仕切り直しとなればまだ先は長いということになる。

 だがそれ以上に、佐倉の真意が掴めないというのが怖い。悪ふざけの延長でちょっと首を突っ込んでみたいといった程度であればいいのだが、何か含むところがあって真剣に高岡を潰したいから協力を申し出たということであれば大問題だ。ほぼ不能犯である俺たちとは違い、佐倉が本気になればガチで高岡を潰しかねない。その片棒を担ぐ俺たちも当然無事では済まないだろう。もしそんな展開になったら俺はどうすればいいのか……。

 そんな懊悩の中に三日間を過ごし、戦々恐々として昌真はこの日を迎えたのである。……それが蓋を開けてみればこの有様だ。

 佐倉が指定してきたのは繁華街の少し奥まったところにあるマンションのようなビルの一室で、インターフォンを押すと佐倉が応対し、わざわざ入り口まで出迎えてくれた。会員制のクラブであるというそこは意外に落ち着いた内装の二十帖ほどのホールで、ヒスパニック系と思しき外人が二人、スペイン語の洋楽に合わせてゆったりしたダンスを踊っていた。

 事前に言い含めておいた通り、あやかは最初こそしかつめらしく頭を下げて謝罪の言葉を口にしたが、佐倉の『そういうのいいから』の一言で態度を和らげ、二人してキャッキャウフフと盛り上がる今の状態になるまでに何分もかからなかった。

 昌真を真ん中に三人並んでカウンターに座る構図はいわば両手に花だが、疎外感のあまり昌真は何度も逃げ出すことを考えた。

 あやかとは毎日電話で話しているものの実際に顔を合わせるのはこれが二度目であり、佐倉に至っては三日前に初めて会ったばかり。そんな女子二人と、クラブなどという完全にアウェイな空間で会って話すことなど、女慣れしていない昌真にとっては拷問以外のなにものでもなかったのである。

 それでも救いがあるとすれば、彼女たちの間で交わされるほとんど言葉責めとも言うべき会話の内容を理解できる者が昌真以外店の中にいないことだ。

 まだ午後七時と時間が早いこともあってか客は昌真たち三人と踊っている二人の外人しかおらず、勤務中だろうにさっきからスマホをいじっているバーテンダーも見るからに外人である。踊っている二人がこの恥ずかしい会話の中身を理解しているかは未知数だが、バーテンダーが日本語を受け付けないことはファーストオーダーで確認済みだ。

 ……それにしても「嫐」という漢字そのものの位置関係で両サイドからの陵辱に晒されているためか喉が渇いてしょうがない。最初の一杯は奢りだと言って佐倉が頼んでくれたが、瀟洒なカクテルグラスにがれたそれはもう飲み干してしまった。

 メニューを手にとって眺めてみるとさすが会員制というべきかおしなべて高い。一杯二千円のカクテルとか何の冗談かと思う。昌真は仕方なく、これも定価に比べれば驚くほど高いがメニューの中では一番安かったペリエをボトルで頼み、最初に注文したときの佐倉に倣ってその場でバーテンダーに料金を支払った。

「あれ? キミって帰国子女?」

「俺が? まさか」

「へえ……それにしちゃなかなかの発音ね」

 佐倉の褒め言葉に昌真は応えなかったが、内心悪い気はしなかった。勉学とはもっぱら関係なく、きれいな英語の発音を身に付けるために人知れず頑張ってきたからだ。

 と言うのも、いつかテレビで見たいわゆる素人カラオケ選手権での一人の女性の歌唱に衝撃を受けたのがトラウマになっているのである。その女性の歌唱力は相当なもので、サビに向かうパートなど手に汗握りながら聴いていたのだが、いよいよサビに入り熱唱する女性が口にした“automatic”の“ti”がモロに『ち』だったのだ。

 サビの最も盛り上がったところでそれがきただけに昌真は唖然として声も出ず、歌唱後にもっともらしい講評を並べている審査員の話もまったく頭に入って来なかった。

 その事件があってからというもの、昌真は向上心と言うよりほとんど恐怖心から発音のトレーニングに取り組んできた。もちろん、自分が歌うときに似たようなことにならないためである。だから佐倉の言葉は素直に嬉しかったし、店に入ってからずっとささくれ立っていた心が少しだけ慰められた――そんな昌真のそこはかとない心の動きを無視してまたしても隣の酔っ払いあやかが割って入ってくる。

「じゃじゃーん! 実は薫ヶ丘なんだよこの人!」
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