逆襲のドッペルゲンガー

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027 決行のエントラップメント(9)

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 そこで昌真は我に返った。

 ……そうだ。佐倉がいくら魅力的でも彼女の目に映っているのは高岡涼馬のガワだ。この俺――片桐昌真を見ているわけではない。甘いリップも眼差しも、トップアーティストである高岡をモノにするための手練手管であり、俺が一介の高校生であるとわかれば彼女は見向きもしない。

 それに……そうだ。あやかの言う通りだ。俺たちはこの女を騙し、高岡への復讐のための駒として利用しようとしているのだ。その計画線上においてこの女を落とすべく俺は今ここにいる。それなのに俺がこの女に落とされてどうする!

 そんな叱咤激励の言葉を自分に投げかけ、この場面でクラッときてしまったことを悟らせずに上手く立て直す切り返しの言葉をほとんど必死になって探した。

「……そんなんでこの俺が落とせると思ったら大間違いだぜ、お嬢さん」

 だが昌真の口から出てきたのはそんなどうしようもない台詞だった。昌真としてはプレイボーイを気取ってせいぜいクールにキメようと試みたのだが、明らかに声がこわばっていたし、肘をテーブルに立てて口元にあてた指先も震えていた。

 ボクシングに喩えるなら効いて倒れてどうにか立ち上がったものの生まれたての仔馬のように脚がガクガクしている状態で「そんなんでこの俺が倒せると思ったら大間違いだぜ、チャンピオン」などと嘯いているようなものだ。

 そんな昌真に佐倉は少し照れ臭そうな笑顔のまま「あら、そう?」と言って小さく舌を出して見せた。……くっそう、可愛い。ここで佐倉のペースに呑まれるわけにはいかない。ほとんど蛮勇を奮いおこすような思いで、昌真は佐倉マキに向き直った。

 ――なお、ここで昌真がとるべきだった正しい対応は、佐倉の誘い水に乗ってラブラブモードの会話に切り替えることであったと考えられる。

 なんとなれば、佐倉に劣らず高岡も浮いた噂に事欠かないモテ男なのだからして、この程度のアプローチなど余裕で受け止めて然るべきなのだ。だがもちろん昌真にそんな離れ業ができようはずもなく、その発想さえ出てこなかった。

 代わりに昌真がとった対応といえば、それまで通りガチの音楽論をくどくどと並べ立てつつ、今さらながら本日の着地点を模索し始めるといういかにも場当たり的なものだった。

 高岡涼馬でないことがバレるのは論外だとしても、ここまで盛り上がってしまったのでは昌真が思い描いていた既定路線『やっぱり上手くいかなかったね、チャンチャン』で終わらせるわけにはいかない。不承不承ながら今回は裏方に徹してくれているあやかのためにも目に見える形での成果――次に繋がる何かがほしい。

 そうなるとゴールはひとつしかない。高岡涼馬として佐倉マキと連絡先を交換する――これだ。

 これが果たされれば今度は自分から直接誘えるし、作戦の幅は一気に広がる。失敗すると決めてかかっていたことを思えば上々の結果……というよりも率直に奇跡的大勝利ジャイアントキリングと言っていいだろう。

 ゴールがそこと決まった以上、とっとと連絡先を聞いてお開きにすればよさそうなものだが、持ち前の優等生気質というか、昌真の生真面目な性格がそうすることを良しとしなかった。佐倉がわかりやすいモーションをかけ始めた直後に「もう帰ろう」では彼女に失礼であろうという考えがきてしまったのである。

 せめてもうしばらくこれまで通り会話を続けてから頃合いを見計らって店を出、「せっかくだから」みたいな流れで連絡先を交換――そんな初めて合コンに参加する大学一年生フレッシュマン然としたことを考えていたわけだが、惜しむらくは相手が悪すぎた。

 件の不意打ち以降、佐倉はもう昌真たかおかに対する好意を隠そうとしなかった。好き好きオーラ全開とでも言うべきか、女子中学生のように清純な色香を感じさせる愛くるしい笑顔で『涼馬クンのそういうとこ好きだな』だの『もっと涼馬クンのこと知りたいな』だのとストレートな口説き文句を織り交ぜてくる。

 それが高岡に向けられた言葉であることは重々承知していても、佐倉の滑舌が悪いせいかあるいは別に理由があってのことか、昌真には彼女が口にする『りょ』が『しょ』に聞こえてしまいドギマギする心をどうすることもできない。

 すぐにでもこの場を離れなければどうにかなってしまいそうだという気持ちと、いつまでもこうして彼女と同じ時間を過ごしていたいという気持ち、更にはまかり間違って高岡でないことがバレたら全て終わりだという気持ちが綯い交ぜになって一種異様な精神状態にあった。

 ――だからだろうか。あくまで音楽論に引き戻そうとするベクトルと色づいた会話へ誘導しようとするベクトルのせめぎ合いが頂点に達したところで佐倉から投げかけられたその質問に、昌真の胸はこの日一番のざわめきをみせた。

「そういえばずっと聞きたかったんだけど、涼馬クンの曲ってドラムないの多いよね。それってどうして?」

 佐倉にしてみれば他意のない、言葉通りの質問だったのだろう。だが昌真はその質問に過敏に反応した。高岡の――と言うより昌真自身の音楽の根幹。熱いこだわりを持ち続けてきたそこに佐倉が土足で踏み込んできた――そんな気がしたのである。

「ドラムがなくて何がいけないの?」

「え? ……ううん、違うの。別にいけないとかじゃなくて、ただどうしてかなあって」

 つい強い調子で返した昌真に佐倉は驚いた顔をし、それから少し慌てたように身振り手振りを交えながら弁明の言葉を口にした。

 そんな佐倉の様子に昌真はわずかに持ち直し、キツい言い方をしてしまったことを反省した。

 ……思えば佐倉が聞いてきたことは高岡ファンであれば誰もが胸にいだいている基本的な疑問だ。なぜ高岡がドラムを使わずにベース一本でリズムを組み立てているのか。正確なところは高岡本人に聞いてみなければわからない。だがこの件について高岡がはっきりと何らかの理由を口にしたことはこれまでにない。だからこの佐倉の質問に対し、昌真は自分の信じるところを自分の言葉で語らざるを得ない。

「完成されたベースがいればドラムはいらないんだよ」

 バンドになぜドラムがいないのか問われたとき、昌真が決まって口にしてきた常套句である。だがその言葉を口にしたとき、またしても昌真の胸は大きくざわめいた。

 そのとき昌真の脳裏に浮かんだのはコータローの顔だった。なぜそんなものが思い浮かんでくるのか――考え始める頭を無理矢理切り替え、いかつい男の顔を振り払うようにつとめて無機的に昌真は言葉を継いだ。

「リズムパートとしてじゃなくて、ベースラインをメロディアスに聴かせたいと思ったら、ドラムはやっぱり邪魔になる。もちろんドラムのついた曲のあり方を否定するものじゃないけど」

「ふうん。でもさ、それって涼馬クンの本音と少し違うでしょ」
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