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019 決行のエントラップメント(1)
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「……はあ」
翌日。目的の場所に向かい道を歩きながら、昌真はまたひとつ溜息をついた。
母親のコンシーラーをこっそり借りて自分のほくろを隠し、その代わり左目の目尻につけぼくろをつけた。頭にはこのクソ暑いのにニット帽をかぶり、長髪と耳を余さずそこに押し込めた。
やったことはそれだけ。だが、高岡涼馬の扮装としては完璧だった。その証拠に昌真は家を出てここまで、都合三人の女に声をかけられている。
『あ! 高岡涼馬だ!』
『高岡涼馬さんですか!? 高岡涼馬さんですよね!?』
『サインして下さい! 大ファンなんです!』
いや、人違いだから――いつも通り無機的な声で応え、逃げるようにその場をあとにしながら、昌真の心はいつになくずっしりと重かった。
当然、想定しておくべきことだったのだが、高岡涼馬になりきって佐倉マキを落とすということは、昌真が高岡に変装しなければならないということだ。それはとりもなおさず、これまで蛇蝎のごとく忌み嫌ってきた顔を自ら進んで受け容れるということであり、それだけでも不愉快なところへもってきて、こうも高岡に間違われるのではイライラゲージも否応なくMAXに近づいてゆく。
もちろん、これから臨もうとしている作戦の趣旨に鑑みれば高岡に間違われることは本望と言うべきだし、喜んでいいことなのだろう。だがそれでも、昌真は高岡涼馬のガワをかぶった自分というものをどうしても受け容れることができないのだった。
「……接触できたならできたで、早くバレてほしいんだけどなあ」
そればかりではない。むしろ昌真を憂鬱にしている要素としてはこちらの方が大きいのだが、作戦の現場となる複合ビルへと向かう道すがら、昌真は佐倉に接触して自分が高岡涼馬ではないとバレたあとどんな申し開きをしようかとそればかりを考えてきた。
昨日、深夜にまで及んだ作戦会議の後、昌真が漠然と抱いていた心証としては、朝にあやかがメールを入れる流れとしたことで佐倉が来てくれるかどうかは五分五分――いや、おそらく来てはくれないだろう、というネガティブなものだった。
もちろんそれを狙ったわけではなく、それだけのリスクを負ってでも直前ドタキャンという傍若無人な行為によりあやかが被るであろう礼儀知らずのレッテルを避けようとした結果なわけだが、今朝、実際にあやかがメールを送って佐倉から返ってきたレスは、『けど来れるかも知れないんでしょ? なら私は行ってるね。あやかちゃんが来なくても買い物して帰るから気にしないで』という極めて好意的な内容だったのだという。
……耳を疑うような話だが、あやかが嘘を言っているとも思えない。あるいは佐倉マキという人は巷で噂されているようなブラックな一面ばかりでなく、面倒見の良い先輩としての顔を隠し持っていたということなのだろうか。
いずれにしても佐倉は来るものとして作戦を遂行するしかない。だがそうなると昌真がこの作戦の最終目標として位置づけている『高岡涼馬のフリをして佐倉と二言、三言の会話を交わす』というアクションの成立が現実味を帯びてくる。
それはいい……もちろん、それはいいのだ。だが、そのアクションが成立した後にどう振る舞うべきか――それについて自分がほとんど何のビジョンも持てていないことを、昼食を終えて家を出る直前、昌真は卒然と気づいたのである。
「問題は喫茶店まで一緒に行けちまった場合だ。可能性は低いが、あり得ない話じゃない。上手くいった場合の心配をするってのも変な話だけど……」
二人が会合の場所として予約したのは複合ビルの地下二階に入っている喫茶店。何でも芸能人御用達の店ということで、そのために店員が特別の教育を受けているばかりでなく、携帯やスマホを含む写真撮影、他のテーブルの客に声をかけること、店内で起こったことをウェブ上に投稿することなど、お忍びで来店する芸能人が嫌う行為の一切を店のルールとして禁止しているのだという。
まさに注文の多いなんとやらである。実際のところ、そのルールが完全に守られているわけではないのだろうが、客が表だってそうした行動をとれないだけでも違う。そんなわけで知る人ぞ知る芸能人密会のメッカとなっているということであり、不倶戴天のライバルグループに属するアイドル二人がキャッキャウフフするにはまずもって都合が良い。
そんな店よく知ってたな、と感心する昌真にあやかから返ってきた答えは、マキちゃんが教えてくれたというものだった。今日の約束を取り付けたところで佐倉の方から店の提案があり、予約も佐倉の名前でしてあるのだという。
……何というか、至れり尽くせりだ。単にまわりでうるさくされるのが嫌というだけの話かも知れないが、このあたりを見ると佐倉が実は面倒見が良いという憶測もあながち間違いではないのではという気がしてくる。
ともあれ、待ち合わせは午後三時。場所は東館三階の女子トイレ前。ありきたりな待ち合わせスポットではなくそんな場所を選んだのは、目立つ所に立っていて声をかけられたくないという芸能人特有の理由による。
それなら店で待ち合わせれば良さそうなものだが、そうしなかったのはあやかが来られなくなるかも知れないと伝えたからだ。予約してある店は芸能人向けの特別仕様としているだけにチャージが高く、流れる可能性があるなら外で待ち合わせたいと佐倉の方から申し出があったのだという。
おかげで昌真の目的地は自動的に決まった。東館三階の女子トイレの様子がうかがえる場所に張り込み、佐倉の姿が見えた時点で行動を開始すればいい。しかも好都合なことに、東館三階はワンフロア本屋である。本を読むフリをしながらターゲットが現れるのを待つ――この作戦において昌真が唯一気に入っている要素はそこだった。
……逆に言えば、それ以外の要素はぜんぶ気に入らないということなのだが。
「……はあ。一瞬でバレてくれればなあ。本当は来てくれないのが一番なんだけど」
翌日。目的の場所に向かい道を歩きながら、昌真はまたひとつ溜息をついた。
母親のコンシーラーをこっそり借りて自分のほくろを隠し、その代わり左目の目尻につけぼくろをつけた。頭にはこのクソ暑いのにニット帽をかぶり、長髪と耳を余さずそこに押し込めた。
やったことはそれだけ。だが、高岡涼馬の扮装としては完璧だった。その証拠に昌真は家を出てここまで、都合三人の女に声をかけられている。
『あ! 高岡涼馬だ!』
『高岡涼馬さんですか!? 高岡涼馬さんですよね!?』
『サインして下さい! 大ファンなんです!』
いや、人違いだから――いつも通り無機的な声で応え、逃げるようにその場をあとにしながら、昌真の心はいつになくずっしりと重かった。
当然、想定しておくべきことだったのだが、高岡涼馬になりきって佐倉マキを落とすということは、昌真が高岡に変装しなければならないということだ。それはとりもなおさず、これまで蛇蝎のごとく忌み嫌ってきた顔を自ら進んで受け容れるということであり、それだけでも不愉快なところへもってきて、こうも高岡に間違われるのではイライラゲージも否応なくMAXに近づいてゆく。
もちろん、これから臨もうとしている作戦の趣旨に鑑みれば高岡に間違われることは本望と言うべきだし、喜んでいいことなのだろう。だがそれでも、昌真は高岡涼馬のガワをかぶった自分というものをどうしても受け容れることができないのだった。
「……接触できたならできたで、早くバレてほしいんだけどなあ」
そればかりではない。むしろ昌真を憂鬱にしている要素としてはこちらの方が大きいのだが、作戦の現場となる複合ビルへと向かう道すがら、昌真は佐倉に接触して自分が高岡涼馬ではないとバレたあとどんな申し開きをしようかとそればかりを考えてきた。
昨日、深夜にまで及んだ作戦会議の後、昌真が漠然と抱いていた心証としては、朝にあやかがメールを入れる流れとしたことで佐倉が来てくれるかどうかは五分五分――いや、おそらく来てはくれないだろう、というネガティブなものだった。
もちろんそれを狙ったわけではなく、それだけのリスクを負ってでも直前ドタキャンという傍若無人な行為によりあやかが被るであろう礼儀知らずのレッテルを避けようとした結果なわけだが、今朝、実際にあやかがメールを送って佐倉から返ってきたレスは、『けど来れるかも知れないんでしょ? なら私は行ってるね。あやかちゃんが来なくても買い物して帰るから気にしないで』という極めて好意的な内容だったのだという。
……耳を疑うような話だが、あやかが嘘を言っているとも思えない。あるいは佐倉マキという人は巷で噂されているようなブラックな一面ばかりでなく、面倒見の良い先輩としての顔を隠し持っていたということなのだろうか。
いずれにしても佐倉は来るものとして作戦を遂行するしかない。だがそうなると昌真がこの作戦の最終目標として位置づけている『高岡涼馬のフリをして佐倉と二言、三言の会話を交わす』というアクションの成立が現実味を帯びてくる。
それはいい……もちろん、それはいいのだ。だが、そのアクションが成立した後にどう振る舞うべきか――それについて自分がほとんど何のビジョンも持てていないことを、昼食を終えて家を出る直前、昌真は卒然と気づいたのである。
「問題は喫茶店まで一緒に行けちまった場合だ。可能性は低いが、あり得ない話じゃない。上手くいった場合の心配をするってのも変な話だけど……」
二人が会合の場所として予約したのは複合ビルの地下二階に入っている喫茶店。何でも芸能人御用達の店ということで、そのために店員が特別の教育を受けているばかりでなく、携帯やスマホを含む写真撮影、他のテーブルの客に声をかけること、店内で起こったことをウェブ上に投稿することなど、お忍びで来店する芸能人が嫌う行為の一切を店のルールとして禁止しているのだという。
まさに注文の多いなんとやらである。実際のところ、そのルールが完全に守られているわけではないのだろうが、客が表だってそうした行動をとれないだけでも違う。そんなわけで知る人ぞ知る芸能人密会のメッカとなっているということであり、不倶戴天のライバルグループに属するアイドル二人がキャッキャウフフするにはまずもって都合が良い。
そんな店よく知ってたな、と感心する昌真にあやかから返ってきた答えは、マキちゃんが教えてくれたというものだった。今日の約束を取り付けたところで佐倉の方から店の提案があり、予約も佐倉の名前でしてあるのだという。
……何というか、至れり尽くせりだ。単にまわりでうるさくされるのが嫌というだけの話かも知れないが、このあたりを見ると佐倉が実は面倒見が良いという憶測もあながち間違いではないのではという気がしてくる。
ともあれ、待ち合わせは午後三時。場所は東館三階の女子トイレ前。ありきたりな待ち合わせスポットではなくそんな場所を選んだのは、目立つ所に立っていて声をかけられたくないという芸能人特有の理由による。
それなら店で待ち合わせれば良さそうなものだが、そうしなかったのはあやかが来られなくなるかも知れないと伝えたからだ。予約してある店は芸能人向けの特別仕様としているだけにチャージが高く、流れる可能性があるなら外で待ち合わせたいと佐倉の方から申し出があったのだという。
おかげで昌真の目的地は自動的に決まった。東館三階の女子トイレの様子がうかがえる場所に張り込み、佐倉の姿が見えた時点で行動を開始すればいい。しかも好都合なことに、東館三階はワンフロア本屋である。本を読むフリをしながらターゲットが現れるのを待つ――この作戦において昌真が唯一気に入っている要素はそこだった。
……逆に言えば、それ以外の要素はぜんぶ気に入らないということなのだが。
「……はあ。一瞬でバレてくれればなあ。本当は来てくれないのが一番なんだけど」
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