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048 練兵(5)
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というのも、この国は古来より駿馬の産地として名高く、良き馬が容易に得られるという土壌が背景にある。主戦だった古強者達が死に絶え、若者と馬だけが残った。そこで甲斐武田の如く単純に騎馬隊の増強に走るのではなく、難しいながらも新たな戦の型を模索し、一点突破の活路を見出そうとしていることについて、ルクレチアの采配は大いに評価できる。
ルクレチアが鉄砲騎馬の鍛錬に乗り出した理由はまだある。東方から圧迫を繰り返してくるサラディーの脅威に対抗するためである。
サラディーとは国の名ではなく、蒙古のように遊牧を事とする民族の名である。馬を操ることの巧みさにかけては他の追随を許さず、この国に産する良馬と農作物他の食物を求めて度々攻め込んでくるのだという。
鉄砲は持たず、専ら弓矢を武器とする古めかしい戦の仕様ではあるが、神出鬼没であることに加え騎馬隊のみで構成された軍勢の機動性ゆえに、何度も苦戦を強いられているということなのである。
鉄砲が弓矢に取って代わったのは、人畜を殺傷する性能において比較にならぬほど優れているからであるのは言うまでもない。鉄砲騎馬で軍勢を構成できればサラディーの騎馬隊は言うに及ばず、ガルトリアの鉄砲隊に対しても大いなる優位を確保できる――これがルクレチアの狙いである。
このルクレチアの思惑をクリスから伝え聞いたとき、五郎太は思わずその場で演習への同行を願い出ていた。と言うのも、お屋形様の下にありし頃、それとまったく同じことを五郎太は密かに思い描いていたからだ。
鉄砲の火力と馬の機動性。この二つを兼ね備えた軍勢はつくり得ないものか――そんな疑問を長の年月考え抜いた五郎太が出した答えが、矢張り鉄砲騎馬だったのである。
もとより茶席でエルゼに嘆じてみせたように、五郎太は鉄砲が好きではない。だが一方で、常に進んだ戦の仕様を取り入れることで常勝の軍団となった織田家家中の武士でもあった。好むと好まざるとに関わらず、有為な戦術は積極的に用いてゆこうという気概は持ち続けていたのである。
であるからして、同じことを試み、実現せんとしている者がこの国にもあると聞き、共感と期待を大いに膨らませていたのだが……。
「――話を通さなくて正解だったな」
「ん?」
「レイテに話を通さなくて正解だった。官吏でも遣わされていれば恥を晒すところだった」
「成る程」
ガルトリアとの国境いにおける南の端に、丁度この国を護る盾のように位置するレイテ公国は、遡ればクリスのお家に繋がる公家が代々治める同盟国であり、ガルトリアとの戦における戦略上、目下頼みの綱というべき存在である。
「ガルトリアに気取られぬようにとこの谷を演習の場に選んだのだが、レイテに近過ぎるのも考えものだな。練兵が成った暁には当然レイテの騎士団にも広めてゆくことになろうが、形にならぬうちは帝国の奥まった所ででも鍛錬を積んでゆくべきなのかも知れない」
無聊も手伝ってのことであろうか。訊ねてもいないのにルクレチアは、演習の場をここにした理由をつらつらと五郎太に語った。それを聞いたあたりから五郎太は――どういうわけだろう、何となく落ち着かない心持ちになってきた。
同盟を結ぶ国を信ずるのは結構。だが乱世において、国と国との約束が鴻毛のように軽いことを、五郎太は身に染みて知っている。
右大将様が最も窮地に陥ったのはいつか。今川の治部大輔様上洛の折であったと言う者もいるが、五郎太はそれを近江の浅井長政様のご謀叛であったと信じている。掌中の玉というべき妹御のお市様を娶らせていたことで、裏切るなど露ほども疑わなかった浅井様が朝倉方に寝返ったことで、今もって語り種となっているあの決死の退き口を余儀なくされたのだ。
「……」
五郎太は周囲を見回した。
平原ばかりのこの国には珍しく山がちな地形である。両側を切り立った崖に挟まれる、丁度谷底のような場所で演習は行われている。
確かに、演習を敵方に気取られぬには良いのかも知れぬ。だが狭隘な谷の底に軍勢が屯する様を見れば、織田家ゆかりの者としてはひとつの戦を想起せざるを得ない。……そう、ここはまるで田楽狭間ではないか。
そこまで考えて、五郎太は妙な胸騒ぎを覚えはじめた。
戦場で何度か命を救われたことがある危険の兆候である。自慢にもならぬが、この手の悪い予感はよく中る。エルゼの言っていた虫の知らせもある。何か良くないことが起きる……そんな感覚に襲われ、五郎太は改めて周囲を見回した。
「……」
兵の数は五十に満たない。まずは手始めとて騎乗に巧みな者を選りすぐって連れてきたのだという。めいめい鉄砲を手にしてはいるが、長らくの演習でどの顔にも疲れが見える。万が一、今ここで敵襲でも受ければひとたまりもあるまい。
……越権にあたるやも知れぬ。だがここは大事をとって、そろそろ練兵を切り上げてはどうかと自分から進言すべきか――
わずかな逡巡があって口を開きかけた五郎太は、だがそこで頭上にかすかな人の気配を感じた。……一つ二つではない、明らかに伏勢がいる。遅きに失したことを思い内心に溜息をつきながら、五郎太はその言葉を告げるために口を開いた。
「ルクレチア殿」
「何か?」
「即座に兵を退かれよ」
「それはどういう――」
だが、ルクレチアはその言葉を最後まで言い切ることができなかった。
五郎太が北斗の腹を蹴るのと時を同じくして、前触れのない驟雨のように夥しい鉄砲の音が谷底に響き渡った。
ルクレチアが鉄砲騎馬の鍛錬に乗り出した理由はまだある。東方から圧迫を繰り返してくるサラディーの脅威に対抗するためである。
サラディーとは国の名ではなく、蒙古のように遊牧を事とする民族の名である。馬を操ることの巧みさにかけては他の追随を許さず、この国に産する良馬と農作物他の食物を求めて度々攻め込んでくるのだという。
鉄砲は持たず、専ら弓矢を武器とする古めかしい戦の仕様ではあるが、神出鬼没であることに加え騎馬隊のみで構成された軍勢の機動性ゆえに、何度も苦戦を強いられているということなのである。
鉄砲が弓矢に取って代わったのは、人畜を殺傷する性能において比較にならぬほど優れているからであるのは言うまでもない。鉄砲騎馬で軍勢を構成できればサラディーの騎馬隊は言うに及ばず、ガルトリアの鉄砲隊に対しても大いなる優位を確保できる――これがルクレチアの狙いである。
このルクレチアの思惑をクリスから伝え聞いたとき、五郎太は思わずその場で演習への同行を願い出ていた。と言うのも、お屋形様の下にありし頃、それとまったく同じことを五郎太は密かに思い描いていたからだ。
鉄砲の火力と馬の機動性。この二つを兼ね備えた軍勢はつくり得ないものか――そんな疑問を長の年月考え抜いた五郎太が出した答えが、矢張り鉄砲騎馬だったのである。
もとより茶席でエルゼに嘆じてみせたように、五郎太は鉄砲が好きではない。だが一方で、常に進んだ戦の仕様を取り入れることで常勝の軍団となった織田家家中の武士でもあった。好むと好まざるとに関わらず、有為な戦術は積極的に用いてゆこうという気概は持ち続けていたのである。
であるからして、同じことを試み、実現せんとしている者がこの国にもあると聞き、共感と期待を大いに膨らませていたのだが……。
「――話を通さなくて正解だったな」
「ん?」
「レイテに話を通さなくて正解だった。官吏でも遣わされていれば恥を晒すところだった」
「成る程」
ガルトリアとの国境いにおける南の端に、丁度この国を護る盾のように位置するレイテ公国は、遡ればクリスのお家に繋がる公家が代々治める同盟国であり、ガルトリアとの戦における戦略上、目下頼みの綱というべき存在である。
「ガルトリアに気取られぬようにとこの谷を演習の場に選んだのだが、レイテに近過ぎるのも考えものだな。練兵が成った暁には当然レイテの騎士団にも広めてゆくことになろうが、形にならぬうちは帝国の奥まった所ででも鍛錬を積んでゆくべきなのかも知れない」
無聊も手伝ってのことであろうか。訊ねてもいないのにルクレチアは、演習の場をここにした理由をつらつらと五郎太に語った。それを聞いたあたりから五郎太は――どういうわけだろう、何となく落ち着かない心持ちになってきた。
同盟を結ぶ国を信ずるのは結構。だが乱世において、国と国との約束が鴻毛のように軽いことを、五郎太は身に染みて知っている。
右大将様が最も窮地に陥ったのはいつか。今川の治部大輔様上洛の折であったと言う者もいるが、五郎太はそれを近江の浅井長政様のご謀叛であったと信じている。掌中の玉というべき妹御のお市様を娶らせていたことで、裏切るなど露ほども疑わなかった浅井様が朝倉方に寝返ったことで、今もって語り種となっているあの決死の退き口を余儀なくされたのだ。
「……」
五郎太は周囲を見回した。
平原ばかりのこの国には珍しく山がちな地形である。両側を切り立った崖に挟まれる、丁度谷底のような場所で演習は行われている。
確かに、演習を敵方に気取られぬには良いのかも知れぬ。だが狭隘な谷の底に軍勢が屯する様を見れば、織田家ゆかりの者としてはひとつの戦を想起せざるを得ない。……そう、ここはまるで田楽狭間ではないか。
そこまで考えて、五郎太は妙な胸騒ぎを覚えはじめた。
戦場で何度か命を救われたことがある危険の兆候である。自慢にもならぬが、この手の悪い予感はよく中る。エルゼの言っていた虫の知らせもある。何か良くないことが起きる……そんな感覚に襲われ、五郎太は改めて周囲を見回した。
「……」
兵の数は五十に満たない。まずは手始めとて騎乗に巧みな者を選りすぐって連れてきたのだという。めいめい鉄砲を手にしてはいるが、長らくの演習でどの顔にも疲れが見える。万が一、今ここで敵襲でも受ければひとたまりもあるまい。
……越権にあたるやも知れぬ。だがここは大事をとって、そろそろ練兵を切り上げてはどうかと自分から進言すべきか――
わずかな逡巡があって口を開きかけた五郎太は、だがそこで頭上にかすかな人の気配を感じた。……一つ二つではない、明らかに伏勢がいる。遅きに失したことを思い内心に溜息をつきながら、五郎太はその言葉を告げるために口を開いた。
「ルクレチア殿」
「何か?」
「即座に兵を退かれよ」
「それはどういう――」
だが、ルクレチアはその言葉を最後まで言い切ることができなかった。
五郎太が北斗の腹を蹴るのと時を同じくして、前触れのない驟雨のように夥しい鉄砲の音が谷底に響き渡った。
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