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047 練兵(4)
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(……矢張り、中々に難しきものよ)
腹の内にそう嘆ずる五郎太の前でまた一人、鎧武者が馬から転がり落ちた。谷底に鉄砲の音が響くのと同時に驚いた馬が後ろ脚で立ち上がり、背の者が堪らず振り落とされてしまったのだ。
尋常の馬が耳元で鉄砲の音を聞かされればこうなる。そのあたりは五郎太も重々よくわかっていたことだ。
日ノ本の馬に比べおしなべて大きな体躯を持つこの国の馬の中には、己が跨がっている北斗と遜色ない惚れ惚れするような馬体のものが少なくない。だが、矢張り馬は馬ということのようだ。ときに飼い主の自分でさえその不貞不貞しさが鼻につく北斗の如き放胆さを備えた馬は、そうそういないものと見える。
そして、それは取りも直さず、目の前でルクレチア麾下の軍勢が試みている演習が一筋縄ではいかぬことの何より大きな要因でもある。
「――サカモト殿はどう見る」
「む……」
唐突に隣から質問を投げられ、五郎太は返答に窮した。
眼前で演習を繰り広げる軍勢の頭領であるルクレチアは騎上にあり、北斗の背なる五郎太と轡を並べて兵どもを検分している。
五郎太としてはそのように下にも置かぬ待遇を求めたわけではなかったのだが、クリスを介して頼み込んだ上での帯同だったこともあってか、このようにあたかも客将の如き扱いを受けているのである。
初めて投げかけられた問いも、いかにも同等の立場にある将に向けられたもののように聞こえる。この国において己は一介の食客に過ぎないという意識が未だに抜けない五郎太にとっては面映ゆい限りである。
……だがそれにしても返答に困る問いであった。どう見ると問われても、見たままである。言葉を返せないでいる五郎太を急き立てるように、ルクレチアは尚も問いを重ねた。
「忌憚なき意見を伺いたい」
「……率直に申して、これではな。馬をどうにかせねば戦にならぬわ」
期せずして吐き捨てるような言い方になった。だがその返答を口にしてはじめて、五郎太はそれが偽らざる己の思いであることに気付いた。
期待が大きかった分、落胆も大きい。的に中てられぬどころか大半の者がまともに鉄砲を撃つこともできぬこのていたらくでは、どうあれ実戦での使い物にはなるまい。実のところ五郎太も鉄砲持参で来ているのだが、これではとても混ざろうという気にはならない。
「そうか……その通りだな」
五郎太の回答に、落胆が手に取るようにわかる声でルクレチアは言った。
出来不出来は別にして、このような演習を試みること自体を悪し様に言うつもりはない。そう付け加えようとして――けれども五郎太は口を開くことができなかった。ルクレチアが求めているのがそんなつまらない慰めの言葉ではないということが、演習に勤しむ兵どもを見つめるその顔からありありと伝わってきたからだ。
(俺はこの者のことが、嫌いではない)
クリスとの二人旅の途次にはじめて会ったその日から五郎太がルクレチアに覚えていた漠とした印象は、今日、確かなものになった。
クリスの近習にしてエルゼの許婚という立場こそあれ、明らかに位が劣るであろう自分に対して一切驕ることなく、あくまで一武将としての礼節をもって向き合うてくれるルクレチアに、五郎太は好感を抱かずにはいられなかった。
何よりルクレチアのこの見事な佇まいはどうだ。
葦毛の北斗よりも尚白い、限りなく純白と言っていい白馬に跨がるルクレチアは、あのときと同じように黄金色に輝く甲冑に身を包んでいる。美麗なる白馬の上にあって、その豪奢な甲冑がいやが上にも映え、こう言っては何だがクリスなどより余程王者の風格がある。
もちろん、見栄えが良ければいいというものではない。だがこの者ならば付いて行きたいと配下に思わせるに足る威風は、一軍の将にとって不可欠の資質である。その資質を、この女丈夫は備えている。それが五郎太をしてルクレチアに好感を抱かしめた何よりの理由であった。
「サカモト殿は、なぜ今日の演習を見に来られたのだ?」
「……興味があったからよ」
ルクレチアの問いに、五郎太は短くそう返した。
その言葉通り、五郎太はルクレチアが行わんとする演習――騎馬武者が流鏑馬の如く騎乗のまま鉄砲を撃つ戦の仕様を試みるその練兵に並々ならぬ興味があった。
それが容易ならざるものであることは五郎太も熟知している。それ故に、クリスが信を置くこの国屈指の侍大将であるルクレチアが如何にしてそれを成し遂げんとしているのか、その工夫の程を垣間見たかったのである。
ただ目の前の有り様を見ればわかるように、それはまだ道半ば……というより、途上に一歩を踏み出すことさえできておらぬようだ。
それでもルクレチアがこうしてその革新的な戦法を試みるのには理由がある。それは、西に国を接するガルトリアなる新興国の存在である。
『流血の平原』と、この国では呼び習わされる三年前の戦――クリスの父君をはじめ数多くの宿将があたら命を散らしたその戦において、この国はガルトリアに大敗を喫した。以来、ルクレチア補佐の元にクリスとエルゼが両輪となってこの国を盛り立ててきたことは五郎太も聞き及んでいたが、ごく最近まで知らなかったことに、ガルトリアとの戦が未だにうち続いているということがある。
大軍同士がぶつかり合うような合戦は鳴りを潜めている。だが小競り合いは今も随所で行われているようだ。そのあたりの事情は、国は違えど乱世に生を送ってきた五郎太にはよくわかる。一度戦となれば、何れかの国が滅びるか太守が膝を屈して和議を結ばぬ限り、どの道そうなることは避けられないのだ。
そこで問題となってくるのが、ガルトリアの軍勢における精強無比の鉄砲隊である。件の戦でも最強を謳われていた自前の精霊魔法師団への過信があったとはいえ、高度に練り上げられたその鉄砲隊の火力を前に為す術もなく一敗地にまみれたということなのである。
その後、いち早く先進の鉄砲を取り入れていたルクレチアが中心となってこの国でも鉄砲隊――帝国第二騎士団ないしは錬金術師団と称されるそれを編成したということだが、数の上でも練度でも、今もってガルトリアには一歩及ばないのだという。
このまま手をこまねいていれば先の戦の二の舞である。ガルトリアの鉄砲隊に対抗し得る強みを、何としてもこの国の鉄砲隊に具有せしめねばならぬ。そこでルクレチアが困難を承知で果敢にも取り組もうとしているのがこの鉄砲騎馬隊の練成――ということなのだ。
腹の内にそう嘆ずる五郎太の前でまた一人、鎧武者が馬から転がり落ちた。谷底に鉄砲の音が響くのと同時に驚いた馬が後ろ脚で立ち上がり、背の者が堪らず振り落とされてしまったのだ。
尋常の馬が耳元で鉄砲の音を聞かされればこうなる。そのあたりは五郎太も重々よくわかっていたことだ。
日ノ本の馬に比べおしなべて大きな体躯を持つこの国の馬の中には、己が跨がっている北斗と遜色ない惚れ惚れするような馬体のものが少なくない。だが、矢張り馬は馬ということのようだ。ときに飼い主の自分でさえその不貞不貞しさが鼻につく北斗の如き放胆さを備えた馬は、そうそういないものと見える。
そして、それは取りも直さず、目の前でルクレチア麾下の軍勢が試みている演習が一筋縄ではいかぬことの何より大きな要因でもある。
「――サカモト殿はどう見る」
「む……」
唐突に隣から質問を投げられ、五郎太は返答に窮した。
眼前で演習を繰り広げる軍勢の頭領であるルクレチアは騎上にあり、北斗の背なる五郎太と轡を並べて兵どもを検分している。
五郎太としてはそのように下にも置かぬ待遇を求めたわけではなかったのだが、クリスを介して頼み込んだ上での帯同だったこともあってか、このようにあたかも客将の如き扱いを受けているのである。
初めて投げかけられた問いも、いかにも同等の立場にある将に向けられたもののように聞こえる。この国において己は一介の食客に過ぎないという意識が未だに抜けない五郎太にとっては面映ゆい限りである。
……だがそれにしても返答に困る問いであった。どう見ると問われても、見たままである。言葉を返せないでいる五郎太を急き立てるように、ルクレチアは尚も問いを重ねた。
「忌憚なき意見を伺いたい」
「……率直に申して、これではな。馬をどうにかせねば戦にならぬわ」
期せずして吐き捨てるような言い方になった。だがその返答を口にしてはじめて、五郎太はそれが偽らざる己の思いであることに気付いた。
期待が大きかった分、落胆も大きい。的に中てられぬどころか大半の者がまともに鉄砲を撃つこともできぬこのていたらくでは、どうあれ実戦での使い物にはなるまい。実のところ五郎太も鉄砲持参で来ているのだが、これではとても混ざろうという気にはならない。
「そうか……その通りだな」
五郎太の回答に、落胆が手に取るようにわかる声でルクレチアは言った。
出来不出来は別にして、このような演習を試みること自体を悪し様に言うつもりはない。そう付け加えようとして――けれども五郎太は口を開くことができなかった。ルクレチアが求めているのがそんなつまらない慰めの言葉ではないということが、演習に勤しむ兵どもを見つめるその顔からありありと伝わってきたからだ。
(俺はこの者のことが、嫌いではない)
クリスとの二人旅の途次にはじめて会ったその日から五郎太がルクレチアに覚えていた漠とした印象は、今日、確かなものになった。
クリスの近習にしてエルゼの許婚という立場こそあれ、明らかに位が劣るであろう自分に対して一切驕ることなく、あくまで一武将としての礼節をもって向き合うてくれるルクレチアに、五郎太は好感を抱かずにはいられなかった。
何よりルクレチアのこの見事な佇まいはどうだ。
葦毛の北斗よりも尚白い、限りなく純白と言っていい白馬に跨がるルクレチアは、あのときと同じように黄金色に輝く甲冑に身を包んでいる。美麗なる白馬の上にあって、その豪奢な甲冑がいやが上にも映え、こう言っては何だがクリスなどより余程王者の風格がある。
もちろん、見栄えが良ければいいというものではない。だがこの者ならば付いて行きたいと配下に思わせるに足る威風は、一軍の将にとって不可欠の資質である。その資質を、この女丈夫は備えている。それが五郎太をしてルクレチアに好感を抱かしめた何よりの理由であった。
「サカモト殿は、なぜ今日の演習を見に来られたのだ?」
「……興味があったからよ」
ルクレチアの問いに、五郎太は短くそう返した。
その言葉通り、五郎太はルクレチアが行わんとする演習――騎馬武者が流鏑馬の如く騎乗のまま鉄砲を撃つ戦の仕様を試みるその練兵に並々ならぬ興味があった。
それが容易ならざるものであることは五郎太も熟知している。それ故に、クリスが信を置くこの国屈指の侍大将であるルクレチアが如何にしてそれを成し遂げんとしているのか、その工夫の程を垣間見たかったのである。
ただ目の前の有り様を見ればわかるように、それはまだ道半ば……というより、途上に一歩を踏み出すことさえできておらぬようだ。
それでもルクレチアがこうしてその革新的な戦法を試みるのには理由がある。それは、西に国を接するガルトリアなる新興国の存在である。
『流血の平原』と、この国では呼び習わされる三年前の戦――クリスの父君をはじめ数多くの宿将があたら命を散らしたその戦において、この国はガルトリアに大敗を喫した。以来、ルクレチア補佐の元にクリスとエルゼが両輪となってこの国を盛り立ててきたことは五郎太も聞き及んでいたが、ごく最近まで知らなかったことに、ガルトリアとの戦が未だにうち続いているということがある。
大軍同士がぶつかり合うような合戦は鳴りを潜めている。だが小競り合いは今も随所で行われているようだ。そのあたりの事情は、国は違えど乱世に生を送ってきた五郎太にはよくわかる。一度戦となれば、何れかの国が滅びるか太守が膝を屈して和議を結ばぬ限り、どの道そうなることは避けられないのだ。
そこで問題となってくるのが、ガルトリアの軍勢における精強無比の鉄砲隊である。件の戦でも最強を謳われていた自前の精霊魔法師団への過信があったとはいえ、高度に練り上げられたその鉄砲隊の火力を前に為す術もなく一敗地にまみれたということなのである。
その後、いち早く先進の鉄砲を取り入れていたルクレチアが中心となってこの国でも鉄砲隊――帝国第二騎士団ないしは錬金術師団と称されるそれを編成したということだが、数の上でも練度でも、今もってガルトリアには一歩及ばないのだという。
このまま手をこまねいていれば先の戦の二の舞である。ガルトリアの鉄砲隊に対抗し得る強みを、何としてもこの国の鉄砲隊に具有せしめねばならぬ。そこでルクレチアが困難を承知で果敢にも取り組もうとしているのがこの鉄砲騎馬隊の練成――ということなのだ。
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