41 / 50
040 近習(5)
しおりを挟む
メロメの言葉に、二人は無言でじっと五郎太を見つめる。毛穴の数まで数え上げんとするが如き視線の圧を受けながら、五郎太は歯を食いしばってその恥辱に耐えた。
……惚気ならまだ良い。だが、これは惚気にすらならない。口にするのも情けない女嫌いという積年の病を、将来の妻と成り得る者の助力により治さんと試みている最中なのである。
救いがあるとすれば、この問題に取り組むエルゼの態度であろう。当事者の一方であるエルゼは、クリスが苦言を呈したその状況をまったく苦にしないばかりか、むしろ嬉々として楽しんでいる節さえある。
だが、五郎太は違う。エルゼへの申し訳なさと己への情けなさとで憤懣遣る方なく、あまつさえいつでも抱いて良いと言われながら、触れたくとも触れられぬ女体を夜毎に眺め、正に垂涎ものの大御馳走を前に吐き気を堪えて身悶えるような曰く言い難い拷問の日々を送っているのである。
押し黙る五郎太の胸の内を知ってか知らずか、メロメはやおら夢見る童女のような華やいだ表情を浮かべると、芯から嬉しそうな声で言った。
「ただひとつだけ確かなのはぁ、エルゼベート様は生まれてはじめての恋をしてらっしゃるということでございますぅ!」
「ああ、それな。オレもウチの妹があんな風になっちまうなんて思ってもみなかったぜ。なにせ『わたくしはもうゴロータ様とでなければ生涯誰とも結婚致しませぬ』とまで言い切られちまったからなあ」
エルゼはそんなことまで口にしたのか……追い討ちをかけられたように更なる羞恥でいっぱいになる五郎太を、またぞろ二人分の眼差しがじっと見つめる。そしてまた歯噛みしてそれを遣り過ごそうと必死になる五郎太。
「それにしてもこのお兄さんの何がそこまであのエルゼベート様の乙女心を鷲掴みにしたのか、ボクとしてはそのあたりにとっても興味がありますねえ」
「それなんだがな、こないだウチの妹にちょっと聞いてみたところが――」
そう言ってクリスはぼそぼそとメロメに耳打ちする。やがて驚きに大きく目を見開いたメロメが、世紀の秘事でも打ち明けられたように辺り構わぬ大声で叫んだ。
「ええ!? あのエルゼベート様が頬を赤らめて『あのお方の前ではわたくしはか弱い一人の娘でいられる』ですって!?」
「バッカ、声がデカいって! 誰かに聞かれたらどーすんだ」
そう言って、さも大事と言うように顔を見合わせあったあと、二人は揃ってちらりと五郎太に目を遣る。ちらり、ちらりと。
芝居がかったその仕草に調子を合わせる気にもなれず、唯々歯を食いしばって耐える五郎太などお構いなしに、二人は尚もその狂言じみた掛け合いを続ける。
「ということは、やっぱりエルゼベート様の方がお兄さんにホの字ってことになるんでござりましょうか?」
「いや、どうもそればっかりじゃないらしい。こないだウチの妹にちょっと聞いてみたところが――」
そう言ってクリスはまたしてもメロメに耳打ちする。そうして先程のそれを焼き直すように目を丸くしたメロメが勝ち鬨のような大声で叫ぶ。
「ええ!? あのエルゼベート様がもじもじと恥じらいながら『この世でお前が一番美しいとあのお方にはっきり言われた』ですって!?」
「バッカ、声がデカいって! 誰かに聞かれたらどーすんだ」
クリスは口の前に指を立ててそう言い、メロメと顔を見合わせると、やはり二人揃ってちらりと五郎太に目を遣る。ちらり、ちらりと。
このような猿芝居にはとてもではないが付き合うていられぬ……そう思いながら、さりとて逃げ出すこともできず、もはや羞恥とも怒りともわからぬ情念のため真っ赤になった顔を俯かせて、五郎太は声も出せずにいた。
そこへ、それまでより幾分真摯なクリスの声が掛かった。
「なあ、ゴローさんよ。ダンマリを決め込むのもいいが、妹を思うオレの気持ちも少しは慮ってくれねーか」
「……」
「オレとしちゃ、二人が望まない縁談を押し付けちまったんじゃねーかって負い目がある。実際のところ、オマエがウチの妹のことどう思ってんのか、兄として率直なところを聞かせて欲しいんだわ」
薄ら笑いを浮かべてそう言うクリスからは妹への思い遣りなど微塵も感じられない。だがその一方において、言っていることは至極もっともなようにも聞こえる。
両親亡き今、唯一人残った妹の仕合わせを案ずる兄の言であることを思えば無碍にはできない。そう思い、五郎太は大きく溜息をついた。
「……俺に言えることはひとつだけよ。あれほど可憐でいじらしい女子を、俺は他に知らぬ」
口にした本人ならずとも赤面を禁じ得ない初な人物評はその実、嘘偽りのない五郎太の本心でもあった。羞恥に身を焼きながら五郎太は、どれ程にやついた顔で己を見ているのであろうかと二人を垣間見た。
だが、クリスとメロメは揃ってあんぐりと口を開け、呆けたように五郎太を見ていた。やがて二人はゆっくりと顔を見合わせ、苦笑いのようで苦笑いではない何とも微妙な表情を浮かべ、口を開いた。
「『火炎でイビるらしい』の聞き間違い……かとも思ったんですが、どうやらそうでもないようで」
「ああ……『可憐でいじらしい』か。帝国広しと言えどもウチの妹のことそんな風に言うやつ、こいつくらいだろうなあ」
呆然とした表情を顔に張り付けたまま、クリスとメロメは感に堪えたと言うように何度も頷き合っている。
そんな二人の様子を横目に眺めながら、五郎太はにわかに苛立ちを覚え始める自分を感じていた。己が小馬鹿にされるだけならまだ良い。だがあの凛々しくも美しい女性まで一絡げにして嘲弄するのは断じて捨て置けぬ。たとえそれがこの国の太守であっても……。
「ま、あいつがゴローに夢中になるわけが何となくわかった。これからもひとつその調子で頼むぜ。さっきも言った通り、あのジャジャ馬をここの厩につなぎとめておくことがこの国の至上命題なわけだからな」
「……おい、クリス。口の聞き方に気を付けよ。あの老爺にも言ってやりたかったのだが、いかな兄とは言え一国の姫を馬呼ばわりは――」
「あ、そういや用事あったの思い出した」
わずかに怒気を孕んだ五郎太の警句をそんな言葉で遮ると、クリスは踵を返し、「そんじゃな」と言って元来た道を駆け戻っていった。
気勢を削がれた五郎太は最初呆気にとられ、それからしばらく口の中でぶつぶつ呟いていたが、やがて頭の裏を乱暴に掻きむしり、気持ちを切り替えるように大きくひとつ息をついた。
「……まったく。人をさんざんにお嘲繰りよってからに」
「んー、どうだろ。お兄さんはあれ、からかってただけだと思う?」
……惚気ならまだ良い。だが、これは惚気にすらならない。口にするのも情けない女嫌いという積年の病を、将来の妻と成り得る者の助力により治さんと試みている最中なのである。
救いがあるとすれば、この問題に取り組むエルゼの態度であろう。当事者の一方であるエルゼは、クリスが苦言を呈したその状況をまったく苦にしないばかりか、むしろ嬉々として楽しんでいる節さえある。
だが、五郎太は違う。エルゼへの申し訳なさと己への情けなさとで憤懣遣る方なく、あまつさえいつでも抱いて良いと言われながら、触れたくとも触れられぬ女体を夜毎に眺め、正に垂涎ものの大御馳走を前に吐き気を堪えて身悶えるような曰く言い難い拷問の日々を送っているのである。
押し黙る五郎太の胸の内を知ってか知らずか、メロメはやおら夢見る童女のような華やいだ表情を浮かべると、芯から嬉しそうな声で言った。
「ただひとつだけ確かなのはぁ、エルゼベート様は生まれてはじめての恋をしてらっしゃるということでございますぅ!」
「ああ、それな。オレもウチの妹があんな風になっちまうなんて思ってもみなかったぜ。なにせ『わたくしはもうゴロータ様とでなければ生涯誰とも結婚致しませぬ』とまで言い切られちまったからなあ」
エルゼはそんなことまで口にしたのか……追い討ちをかけられたように更なる羞恥でいっぱいになる五郎太を、またぞろ二人分の眼差しがじっと見つめる。そしてまた歯噛みしてそれを遣り過ごそうと必死になる五郎太。
「それにしてもこのお兄さんの何がそこまであのエルゼベート様の乙女心を鷲掴みにしたのか、ボクとしてはそのあたりにとっても興味がありますねえ」
「それなんだがな、こないだウチの妹にちょっと聞いてみたところが――」
そう言ってクリスはぼそぼそとメロメに耳打ちする。やがて驚きに大きく目を見開いたメロメが、世紀の秘事でも打ち明けられたように辺り構わぬ大声で叫んだ。
「ええ!? あのエルゼベート様が頬を赤らめて『あのお方の前ではわたくしはか弱い一人の娘でいられる』ですって!?」
「バッカ、声がデカいって! 誰かに聞かれたらどーすんだ」
そう言って、さも大事と言うように顔を見合わせあったあと、二人は揃ってちらりと五郎太に目を遣る。ちらり、ちらりと。
芝居がかったその仕草に調子を合わせる気にもなれず、唯々歯を食いしばって耐える五郎太などお構いなしに、二人は尚もその狂言じみた掛け合いを続ける。
「ということは、やっぱりエルゼベート様の方がお兄さんにホの字ってことになるんでござりましょうか?」
「いや、どうもそればっかりじゃないらしい。こないだウチの妹にちょっと聞いてみたところが――」
そう言ってクリスはまたしてもメロメに耳打ちする。そうして先程のそれを焼き直すように目を丸くしたメロメが勝ち鬨のような大声で叫ぶ。
「ええ!? あのエルゼベート様がもじもじと恥じらいながら『この世でお前が一番美しいとあのお方にはっきり言われた』ですって!?」
「バッカ、声がデカいって! 誰かに聞かれたらどーすんだ」
クリスは口の前に指を立ててそう言い、メロメと顔を見合わせると、やはり二人揃ってちらりと五郎太に目を遣る。ちらり、ちらりと。
このような猿芝居にはとてもではないが付き合うていられぬ……そう思いながら、さりとて逃げ出すこともできず、もはや羞恥とも怒りともわからぬ情念のため真っ赤になった顔を俯かせて、五郎太は声も出せずにいた。
そこへ、それまでより幾分真摯なクリスの声が掛かった。
「なあ、ゴローさんよ。ダンマリを決め込むのもいいが、妹を思うオレの気持ちも少しは慮ってくれねーか」
「……」
「オレとしちゃ、二人が望まない縁談を押し付けちまったんじゃねーかって負い目がある。実際のところ、オマエがウチの妹のことどう思ってんのか、兄として率直なところを聞かせて欲しいんだわ」
薄ら笑いを浮かべてそう言うクリスからは妹への思い遣りなど微塵も感じられない。だがその一方において、言っていることは至極もっともなようにも聞こえる。
両親亡き今、唯一人残った妹の仕合わせを案ずる兄の言であることを思えば無碍にはできない。そう思い、五郎太は大きく溜息をついた。
「……俺に言えることはひとつだけよ。あれほど可憐でいじらしい女子を、俺は他に知らぬ」
口にした本人ならずとも赤面を禁じ得ない初な人物評はその実、嘘偽りのない五郎太の本心でもあった。羞恥に身を焼きながら五郎太は、どれ程にやついた顔で己を見ているのであろうかと二人を垣間見た。
だが、クリスとメロメは揃ってあんぐりと口を開け、呆けたように五郎太を見ていた。やがて二人はゆっくりと顔を見合わせ、苦笑いのようで苦笑いではない何とも微妙な表情を浮かべ、口を開いた。
「『火炎でイビるらしい』の聞き間違い……かとも思ったんですが、どうやらそうでもないようで」
「ああ……『可憐でいじらしい』か。帝国広しと言えどもウチの妹のことそんな風に言うやつ、こいつくらいだろうなあ」
呆然とした表情を顔に張り付けたまま、クリスとメロメは感に堪えたと言うように何度も頷き合っている。
そんな二人の様子を横目に眺めながら、五郎太はにわかに苛立ちを覚え始める自分を感じていた。己が小馬鹿にされるだけならまだ良い。だがあの凛々しくも美しい女性まで一絡げにして嘲弄するのは断じて捨て置けぬ。たとえそれがこの国の太守であっても……。
「ま、あいつがゴローに夢中になるわけが何となくわかった。これからもひとつその調子で頼むぜ。さっきも言った通り、あのジャジャ馬をここの厩につなぎとめておくことがこの国の至上命題なわけだからな」
「……おい、クリス。口の聞き方に気を付けよ。あの老爺にも言ってやりたかったのだが、いかな兄とは言え一国の姫を馬呼ばわりは――」
「あ、そういや用事あったの思い出した」
わずかに怒気を孕んだ五郎太の警句をそんな言葉で遮ると、クリスは踵を返し、「そんじゃな」と言って元来た道を駆け戻っていった。
気勢を削がれた五郎太は最初呆気にとられ、それからしばらく口の中でぶつぶつ呟いていたが、やがて頭の裏を乱暴に掻きむしり、気持ちを切り替えるように大きくひとつ息をついた。
「……まったく。人をさんざんにお嘲繰りよってからに」
「んー、どうだろ。お兄さんはあれ、からかってただけだと思う?」
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
高天神攻略の祝宴でしこたま飲まされた武田勝頼。翌朝、事の顛末を聞いた勝頼が採った行動とは?
俣彦
ファンタジー
高天神城攻略の祝宴が開かれた翌朝。武田勝頼が採った行動により、これまで疎遠となっていた武田四天王との関係が修復。一致団結し向かった先は長篠城。
俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる