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039 近習(4)
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「げ。嫌なヤツが来た……」
相変わらず奇矯な装束に身を包んだ侏儒の姿を認めるやクリスは露骨に眉を顰め、開口一番そんな悪態をついた。
「おや! これは異な仰せ! 本当は愛しいこのメロメめの顔が見たくてたまらなかったのではありませんか?」
「ああ、見たからもういいよ、とっとと帰れ」
曲舞でも舞うような軽妙な身振りで纏いついてくる侏儒に、クリスはそう言ってしっしと手を振る。
そんな二人の遣り取りを横目に見ながら、五郎太はつい吹き出しそうになった。なんとなれば、それは先刻岩屋に老爺を訪ねたとき、クリスと老爺との間で交わされた遣り取りに瓜二つであったからだ。
「それはそうと、陛下におかれましてはまた義弟君とご一緒であらせられますですか」
「悪いかよ。つか、まだ義弟じゃねーし」
「まだ義弟君ではない? いやはや、それではなおのこと。こうして耳をそばだてておりますと口さがない下々の者が囁き合う噂が、このメロメめの耳にも届くようでござりまする」
「ほう、どんな噂が?」
「そりゃもう言わずもがな。我らが敬愛するあの皇帝陛下が、お許嫁様であらせられる公女様とのご婚儀を前に、どこぞで拾ってきた異国情緒豊かなる色男に入れあげていると」
「そりゃいい。そんな噂なら大歓迎だ。なんならメロメ、オマエがそこいらに触れ回ってくれてもいいぞ?」
「左様でございますか! いやはや、これは何とも楽しいことになって参りました。皇帝陛下の仰せとあらばお断りすることなどもってのほか。このメロメ、喜んで承りましてござぁい」
「……おい、いい加減にせぬか」
メロメが恭しく一礼し早々に立ち去ろうとするのを見るに及んで、それまで黙って聞いていた五郎太が堪らず止めに入った。
メロメが足を止め、クリスと目を合わせる。それから二人示し合わせたように、どこか似たような眼差しを五郎太に向けてくる。
「なんか問題でもあったか?」
「大ありだ。言うに事欠いて何を口走るかと思えば俺がクリスの色小姓だと? 事実無根にも程があろう。第一、メロメとか言ったな、この者は曲がりなりにもこの国の太守ではないか。かような身の恥が出回ったのでは、鼎の軽重を問われることにもなりかねまいぞ」
「いやいや、それは見当違いというものです。お兄さんのお国はいざ知らず、ここ千年帝国において男色は高貴なるお方の嗜みとして古来より貴ばれているのですよ。ですんで、ボクが陛下とお兄さんの仲を触れ回ったところで、お二人にとってそれはいさおしにこそなれ、身の恥になどなることはまずもってございませぬ!」
意気揚々と胸をのけぞらせて言うメロメに、五郎太は言葉に詰まった。
五郎太の国はいざ知らず、とメロメは言ったが、そのあたりの事情は日ノ本においても概ね似たようなものである。右大将様の衆道にお盛んなることは織田家家中で知らぬ者とてない公然の秘密であったし、討ち果たされるその時まで、森三左様がご子息の美童をお傍に侍らせていたことは五郎太も伝え聞いている。
お屋形様がどうであったかは五郎太の与り知るところではない。けれども、羽柴筑前が女子しか相手にせぬ無粋の者とて陰で笑いものにされていたことを思えば、メロメの言葉ではないが日ノ本においても衆道を嗜むことがある種のいさおしとなっていたことは想像に難くない。だが、しかし……。
「……兎にも角にも、そのように根も葉もない流言飛語は断じて許さぬ。だいたいクリスもクリスであろう。人もあろうに妹の婿となるやも知れぬ男との間にそのような噂を立てられて何とする」
「つか、そのあたりどうなんだ?」
「……? そのあたりとは」
「実際のところ、ウチの妹とはどうなってるのかって聞いてんだよ」
「あ、それボクも聞きたいなあ!」
そんな一言を皮切りに、クリスとメロメはまたしても示し合わせたように五郎太を見た。
食い入るような四ツの眼差しがちりちりと己の身に注がれるのを感じながら、五郎太はいずれかかる問いを投げ掛けられたときのためにと予め用意してあったお仕着せの回答を口にのぼらせた。
「……どうもこうも、エルゼベート殿から奏上いただいた通りだ。婚約の儀は謹んで承る。ただ、いきなりの話にお互い思うところもある故、祝言はいずれ春永にということで――」
「お互い思うところねえ……。オレとしては毎晩あいつの部屋で寝泊まりしといて今さらなに言ってんだか、って気持ちでいっぱいなんだが」
その言葉に、五郎太は愕然としてクリスを見た。
「知っておったのか!?」
「知らねーとでも思ったか。つーかよ、確かに決闘のとき『貞操かけて』とか言ったけどさ、それって結婚した暁には、って意味だったんだぞ? 父代わりの兄としては、大事な妹の結婚前にそういうのはなあ……」
「……」
内容とは裏腹にさして案ずる様子もないその言葉に、けれども五郎太は俯いて押し黙った。
クリスの言は至極もっともである。嫁入り前の、しかも一国の姫君と寝所を共にするなど言語道断。日ノ本であれば即座に叩っ斬られていてもおかしくない。
……ただ、五郎太にも言い分はある。寝所の件は五郎太から望んでのことでは決してなく、エルゼに押し切られる形で止むなくそうしているのだ。重ねて言えば姫君の貞操に傷をつける行為になど及んでおらぬことは言うに及ばず、指一本触れていないというのが実情なのである。
もっともこれについては、嫁入り前の娘とて我慢してそうなっているのではなく、触れたくとも触れられぬ切ない事情あってのことなのだが。
その事情はクリスも――いや、秘密を共にするクリスなればこそ理解してくれる筈である。クリスだけにであれば真の所を打ち明けなくもない。だが、この道化の前では……。
そこで助け舟を出してきたのは、意外にもその道化であった。
「いやいや、それについては大丈夫。ご心配はご無用でございますよ、陛下」
「はあ? 何が大丈夫だってんだ」
「エルゼベート様はまだ正真正銘の生娘にございます! つまり、エルゼベート様の貞操はまだこのお方に手をつけられてはおりません!」
自信満々にそう言い放つメロメに、クリスは訝しげな眼差しで五郎太を見る。苦虫を噛み潰したような五郎太の顔をしばらく見つめたあと、またメロメに目を戻し、呆れたような声で言った。
「……どうやらそうらしいけど、なんでオマエそんなことわかるの」
「それはもう! 踏んできた色恋沙汰の場数が違いますんでありますから!」
「……色恋沙汰の場数ねえ。まあ根っからの遊び人のオマエが言うと説得力もあるか。けど、だったらうら若い男と女が毎晩一緒の部屋で、いったいなにやってるってんだ?」
「さあ? そのあたりはご本人に訊いてみないことにはなんとも……」
相変わらず奇矯な装束に身を包んだ侏儒の姿を認めるやクリスは露骨に眉を顰め、開口一番そんな悪態をついた。
「おや! これは異な仰せ! 本当は愛しいこのメロメめの顔が見たくてたまらなかったのではありませんか?」
「ああ、見たからもういいよ、とっとと帰れ」
曲舞でも舞うような軽妙な身振りで纏いついてくる侏儒に、クリスはそう言ってしっしと手を振る。
そんな二人の遣り取りを横目に見ながら、五郎太はつい吹き出しそうになった。なんとなれば、それは先刻岩屋に老爺を訪ねたとき、クリスと老爺との間で交わされた遣り取りに瓜二つであったからだ。
「それはそうと、陛下におかれましてはまた義弟君とご一緒であらせられますですか」
「悪いかよ。つか、まだ義弟じゃねーし」
「まだ義弟君ではない? いやはや、それではなおのこと。こうして耳をそばだてておりますと口さがない下々の者が囁き合う噂が、このメロメめの耳にも届くようでござりまする」
「ほう、どんな噂が?」
「そりゃもう言わずもがな。我らが敬愛するあの皇帝陛下が、お許嫁様であらせられる公女様とのご婚儀を前に、どこぞで拾ってきた異国情緒豊かなる色男に入れあげていると」
「そりゃいい。そんな噂なら大歓迎だ。なんならメロメ、オマエがそこいらに触れ回ってくれてもいいぞ?」
「左様でございますか! いやはや、これは何とも楽しいことになって参りました。皇帝陛下の仰せとあらばお断りすることなどもってのほか。このメロメ、喜んで承りましてござぁい」
「……おい、いい加減にせぬか」
メロメが恭しく一礼し早々に立ち去ろうとするのを見るに及んで、それまで黙って聞いていた五郎太が堪らず止めに入った。
メロメが足を止め、クリスと目を合わせる。それから二人示し合わせたように、どこか似たような眼差しを五郎太に向けてくる。
「なんか問題でもあったか?」
「大ありだ。言うに事欠いて何を口走るかと思えば俺がクリスの色小姓だと? 事実無根にも程があろう。第一、メロメとか言ったな、この者は曲がりなりにもこの国の太守ではないか。かような身の恥が出回ったのでは、鼎の軽重を問われることにもなりかねまいぞ」
「いやいや、それは見当違いというものです。お兄さんのお国はいざ知らず、ここ千年帝国において男色は高貴なるお方の嗜みとして古来より貴ばれているのですよ。ですんで、ボクが陛下とお兄さんの仲を触れ回ったところで、お二人にとってそれはいさおしにこそなれ、身の恥になどなることはまずもってございませぬ!」
意気揚々と胸をのけぞらせて言うメロメに、五郎太は言葉に詰まった。
五郎太の国はいざ知らず、とメロメは言ったが、そのあたりの事情は日ノ本においても概ね似たようなものである。右大将様の衆道にお盛んなることは織田家家中で知らぬ者とてない公然の秘密であったし、討ち果たされるその時まで、森三左様がご子息の美童をお傍に侍らせていたことは五郎太も伝え聞いている。
お屋形様がどうであったかは五郎太の与り知るところではない。けれども、羽柴筑前が女子しか相手にせぬ無粋の者とて陰で笑いものにされていたことを思えば、メロメの言葉ではないが日ノ本においても衆道を嗜むことがある種のいさおしとなっていたことは想像に難くない。だが、しかし……。
「……兎にも角にも、そのように根も葉もない流言飛語は断じて許さぬ。だいたいクリスもクリスであろう。人もあろうに妹の婿となるやも知れぬ男との間にそのような噂を立てられて何とする」
「つか、そのあたりどうなんだ?」
「……? そのあたりとは」
「実際のところ、ウチの妹とはどうなってるのかって聞いてんだよ」
「あ、それボクも聞きたいなあ!」
そんな一言を皮切りに、クリスとメロメはまたしても示し合わせたように五郎太を見た。
食い入るような四ツの眼差しがちりちりと己の身に注がれるのを感じながら、五郎太はいずれかかる問いを投げ掛けられたときのためにと予め用意してあったお仕着せの回答を口にのぼらせた。
「……どうもこうも、エルゼベート殿から奏上いただいた通りだ。婚約の儀は謹んで承る。ただ、いきなりの話にお互い思うところもある故、祝言はいずれ春永にということで――」
「お互い思うところねえ……。オレとしては毎晩あいつの部屋で寝泊まりしといて今さらなに言ってんだか、って気持ちでいっぱいなんだが」
その言葉に、五郎太は愕然としてクリスを見た。
「知っておったのか!?」
「知らねーとでも思ったか。つーかよ、確かに決闘のとき『貞操かけて』とか言ったけどさ、それって結婚した暁には、って意味だったんだぞ? 父代わりの兄としては、大事な妹の結婚前にそういうのはなあ……」
「……」
内容とは裏腹にさして案ずる様子もないその言葉に、けれども五郎太は俯いて押し黙った。
クリスの言は至極もっともである。嫁入り前の、しかも一国の姫君と寝所を共にするなど言語道断。日ノ本であれば即座に叩っ斬られていてもおかしくない。
……ただ、五郎太にも言い分はある。寝所の件は五郎太から望んでのことでは決してなく、エルゼに押し切られる形で止むなくそうしているのだ。重ねて言えば姫君の貞操に傷をつける行為になど及んでおらぬことは言うに及ばず、指一本触れていないというのが実情なのである。
もっともこれについては、嫁入り前の娘とて我慢してそうなっているのではなく、触れたくとも触れられぬ切ない事情あってのことなのだが。
その事情はクリスも――いや、秘密を共にするクリスなればこそ理解してくれる筈である。クリスだけにであれば真の所を打ち明けなくもない。だが、この道化の前では……。
そこで助け舟を出してきたのは、意外にもその道化であった。
「いやいや、それについては大丈夫。ご心配はご無用でございますよ、陛下」
「はあ? 何が大丈夫だってんだ」
「エルゼベート様はまだ正真正銘の生娘にございます! つまり、エルゼベート様の貞操はまだこのお方に手をつけられてはおりません!」
自信満々にそう言い放つメロメに、クリスは訝しげな眼差しで五郎太を見る。苦虫を噛み潰したような五郎太の顔をしばらく見つめたあと、またメロメに目を戻し、呆れたような声で言った。
「……どうやらそうらしいけど、なんでオマエそんなことわかるの」
「それはもう! 踏んできた色恋沙汰の場数が違いますんでありますから!」
「……色恋沙汰の場数ねえ。まあ根っからの遊び人のオマエが言うと説得力もあるか。けど、だったらうら若い男と女が毎晩一緒の部屋で、いったいなにやってるってんだ?」
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