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037 近習(2)
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「――恩を売ったつもりか」
厩に北斗をつなぎ、クリスの待つ庭園に戻った五郎太は、幾分の皮肉を込めてそう告げた。
「んー? まあ、そうなんのかなあ」
石造りの長椅子に腰掛け、庭園の花々を眺めていたクリスは、気の抜けた声でそんな返事を返した。
老爺を訪ねた岩屋までの行き帰り、クリスは供回りの者も連れず五郎太と二人、あの旅路のように北斗の背にあった。
決闘の日からこの方、クリスと五郎太は三日にあげず二人で城を抜け出しては、こうして領内のそこかしこを巡っている。無論、五郎太が所望してのことではない。毎度毎度クリスに腕引かれ、否応なく連れ出されるのである。
もっとも五郎太にしてみれば部屋に引き篭もっていたところでやることなどないのであるから、クリスに引き回されること自体をそれほど迷惑に思っているわけではない。ただ、こうして連日に渡りクリスに付き従う己の姿は、さながらこの者の近習であるという思いが、五郎太の心に靄をかけるのであった。
周囲の者にそう見做されるのは別段構わない。だがクリスが手練手管をもって済し崩しに自分を家臣に取り込もうとしているのだと思うと、五郎太は矢張り反発を覚えずにはいられないのである。
「まあ、あいつらがあの谷でコソコソやってんのはだいぶ前から掴んでたんだわ。で、どう落とし前つけてやろうかってのも、つらつらと考えてはいたのさ」
言いながらクリスは長椅子を立ち、頭の裏に手を組んで王宮に向かい歩き出す。五郎太も黙ってそのあとに続いた。
「あそこは元々そういうもんが埋まってるってことわかってて、だからご先祖が皇家の聖域にしたって話だ。けど帝国がこのザマだってのに、今さらそんなこと言ってたってはじまらねえ。むしろオレとしてはあいつらに積極的に掘ってもらって資源を有効活用していこうって腹なんだわ」
「……」
「ただ、連中が法を破ったのは事実だし、簡単に許したんじゃ示しがつかねえ。無理難題のひとつでも解いてもらわねえことにはな。だからまあ、恩を売るには売ったんだろうが、売りっぱなしってわけでもねえ。月イチで利子ついて返ってくるみてえだから、まあ見てろって」
「……そうではないわ」
「ん?」
「あの者達に恩を売ったつもりかと訊いたのではない。緋々色金などという貴重な材で槍を拵えさせ、俺に恩を売ったつもりなのかと訊いておるのだ」
溜息混じりにそう告げる五郎太の声には、身に覚えのない手柄で褒美を賜ったような戸惑いが滲んでいた。
槍を直すという約束をクリスが守ってくれたのは有り難い。鉄では同等のものが打てぬからこの国に産する類い稀な材でそれを造ってくれるということにも、感謝こそすれ不満など覚えるべくもない。
唯ひとつ五郎太の気に掛かるのは、槍を直すだけの話だったはずが、いつの間にか露骨に政の絡んだ話になっていることだ。採掘の御免を与えるだの自治を許すだの、どう考えても槍から大きくかけ離れている。
政でそれだけ譲歩してでも緋々色金で槍を造らせたこと――五郎太の目に、それはクリスが自分を家臣に取り込むために恩を売っているように見えてならなかったのである。
だがそんな五郎太の問いに、クリスは心外だと言わんばかりにべっと舌を突き出し、「んなわけねーだろ」と吐き捨てるように言った。
「オマエに恩を売ったつもりはさらさらねえ。むしろオレはオマエを使って実験させてもらおうと思ってんだよ」
「実験?」
「ああ、実験だ。錬金術が精霊魔法を駆逐し、戦法の主流になりつつあるこの現状にどデカい風穴をあけるための、それはそれは壮大な実験をな」
「……ふむ」
呟いて、五郎太はそれ以上追及するのをやめた。
クリスの言は、五郎太を捨て駒として利用すると言っているようにも聞こえた。だがそれならばそれで良い、と五郎太は素直にそう思った。
――老爺との話にものぼっていたが、先の太守だった父君の逝去に伴いクリスは十五にして家督を継ぎ、それから今日まで東奔西走しながらどうにか国を保ってきたのだという。
その話は五郎太に右大将様の若い砌を思わせる。右大将様もお父上が亡くなられたことで十七、八で家督を継がざるを得なかったと聞く。それも東は今川、北は斎藤という難敵に挟まれ、尾張一国もまとまらぬような内憂外患の中で、だ。
クリスの父君はさる地での大戦で新たに台頭した勢力の夥しい鉄砲隊の前に敗れ、敢えなく討死したのだという。ただ、ここで身罷ったのは父君ばかりではない。共に戦場にあったクリスの母君も、主だった家臣も諸共に戦場の露と消えてしまったということなのである。
思えばあの果し合いのあとの宴で引き合わされたクリスの家臣はそのほとんどが若い顔ぶれで、五郎太は内心にそれを訝しく感じていたのだが、そういう絡繰りだったのだ。これはちょうど長篠の戦で老臣の大半を喪った甲斐武田の構図によく似ている。
ただ違いがあるとすれば、クリスは信玄公の戦い方を何ひとつ変えようとしなかった諏訪四郎とは異なり、若き日の右大将様のようにあらゆるものを変えようとする気概に充ち満ちているということである。
「もっとも、ジジイに言ったことにウソはねえ。オレはオマエにそれだけの価値を見込んでる。地竜退治のときからひょっとしたらと思ってたんだが、エルゼベートとの決闘で確信に変わった。どこから来たともわからねえこの男は、錬金術一辺倒の今のやり方を大きく変える進化のキーになり得るんじゃねえか、ってな」
「……またその話を持ち出すか。繰り返すがあんなものは勝ったうちに入らぬ。それこそ奇跡のようなものだと何度も言っておるではないか」
そう言ってふんと鼻を鳴らす五郎太を、クリスはにやにやと笑いながら横目に眺め、「奇跡ねえ」と呟いた。
「地竜を屠ったのも奇跡、決闘でエルゼベートに勝ったのも奇跡。オマエの身にはいったい奇跡が幾つ起こるんだろうなあ?」
「……ふん」
追従じみたクリスの揶揄に、五郎太はまたひとつ鼻を鳴らした。
捨て駒になれということならまだ良い。一度は捨てようと思い定めた命である。日ノ本を遠く離れたこの国の土に還ることについてはまだ承伏しかねる思いもあるが、死んでしまえばそれも瑣末な問題に過ぎまい。
だが右大将様にとってのお屋形様の如きものになれ、とクリスが俺にそう言っているのだとすればそれは見込み違いもいいところである。五郎太はそう思い、否定の意味合いを込めて大きく息を吐いた。
「好きにするが良い。但し、政に関わらせようなどと妙なことは思わぬことだな。所詮、俺には槍働きしかできぬ」
厩に北斗をつなぎ、クリスの待つ庭園に戻った五郎太は、幾分の皮肉を込めてそう告げた。
「んー? まあ、そうなんのかなあ」
石造りの長椅子に腰掛け、庭園の花々を眺めていたクリスは、気の抜けた声でそんな返事を返した。
老爺を訪ねた岩屋までの行き帰り、クリスは供回りの者も連れず五郎太と二人、あの旅路のように北斗の背にあった。
決闘の日からこの方、クリスと五郎太は三日にあげず二人で城を抜け出しては、こうして領内のそこかしこを巡っている。無論、五郎太が所望してのことではない。毎度毎度クリスに腕引かれ、否応なく連れ出されるのである。
もっとも五郎太にしてみれば部屋に引き篭もっていたところでやることなどないのであるから、クリスに引き回されること自体をそれほど迷惑に思っているわけではない。ただ、こうして連日に渡りクリスに付き従う己の姿は、さながらこの者の近習であるという思いが、五郎太の心に靄をかけるのであった。
周囲の者にそう見做されるのは別段構わない。だがクリスが手練手管をもって済し崩しに自分を家臣に取り込もうとしているのだと思うと、五郎太は矢張り反発を覚えずにはいられないのである。
「まあ、あいつらがあの谷でコソコソやってんのはだいぶ前から掴んでたんだわ。で、どう落とし前つけてやろうかってのも、つらつらと考えてはいたのさ」
言いながらクリスは長椅子を立ち、頭の裏に手を組んで王宮に向かい歩き出す。五郎太も黙ってそのあとに続いた。
「あそこは元々そういうもんが埋まってるってことわかってて、だからご先祖が皇家の聖域にしたって話だ。けど帝国がこのザマだってのに、今さらそんなこと言ってたってはじまらねえ。むしろオレとしてはあいつらに積極的に掘ってもらって資源を有効活用していこうって腹なんだわ」
「……」
「ただ、連中が法を破ったのは事実だし、簡単に許したんじゃ示しがつかねえ。無理難題のひとつでも解いてもらわねえことにはな。だからまあ、恩を売るには売ったんだろうが、売りっぱなしってわけでもねえ。月イチで利子ついて返ってくるみてえだから、まあ見てろって」
「……そうではないわ」
「ん?」
「あの者達に恩を売ったつもりかと訊いたのではない。緋々色金などという貴重な材で槍を拵えさせ、俺に恩を売ったつもりなのかと訊いておるのだ」
溜息混じりにそう告げる五郎太の声には、身に覚えのない手柄で褒美を賜ったような戸惑いが滲んでいた。
槍を直すという約束をクリスが守ってくれたのは有り難い。鉄では同等のものが打てぬからこの国に産する類い稀な材でそれを造ってくれるということにも、感謝こそすれ不満など覚えるべくもない。
唯ひとつ五郎太の気に掛かるのは、槍を直すだけの話だったはずが、いつの間にか露骨に政の絡んだ話になっていることだ。採掘の御免を与えるだの自治を許すだの、どう考えても槍から大きくかけ離れている。
政でそれだけ譲歩してでも緋々色金で槍を造らせたこと――五郎太の目に、それはクリスが自分を家臣に取り込むために恩を売っているように見えてならなかったのである。
だがそんな五郎太の問いに、クリスは心外だと言わんばかりにべっと舌を突き出し、「んなわけねーだろ」と吐き捨てるように言った。
「オマエに恩を売ったつもりはさらさらねえ。むしろオレはオマエを使って実験させてもらおうと思ってんだよ」
「実験?」
「ああ、実験だ。錬金術が精霊魔法を駆逐し、戦法の主流になりつつあるこの現状にどデカい風穴をあけるための、それはそれは壮大な実験をな」
「……ふむ」
呟いて、五郎太はそれ以上追及するのをやめた。
クリスの言は、五郎太を捨て駒として利用すると言っているようにも聞こえた。だがそれならばそれで良い、と五郎太は素直にそう思った。
――老爺との話にものぼっていたが、先の太守だった父君の逝去に伴いクリスは十五にして家督を継ぎ、それから今日まで東奔西走しながらどうにか国を保ってきたのだという。
その話は五郎太に右大将様の若い砌を思わせる。右大将様もお父上が亡くなられたことで十七、八で家督を継がざるを得なかったと聞く。それも東は今川、北は斎藤という難敵に挟まれ、尾張一国もまとまらぬような内憂外患の中で、だ。
クリスの父君はさる地での大戦で新たに台頭した勢力の夥しい鉄砲隊の前に敗れ、敢えなく討死したのだという。ただ、ここで身罷ったのは父君ばかりではない。共に戦場にあったクリスの母君も、主だった家臣も諸共に戦場の露と消えてしまったということなのである。
思えばあの果し合いのあとの宴で引き合わされたクリスの家臣はそのほとんどが若い顔ぶれで、五郎太は内心にそれを訝しく感じていたのだが、そういう絡繰りだったのだ。これはちょうど長篠の戦で老臣の大半を喪った甲斐武田の構図によく似ている。
ただ違いがあるとすれば、クリスは信玄公の戦い方を何ひとつ変えようとしなかった諏訪四郎とは異なり、若き日の右大将様のようにあらゆるものを変えようとする気概に充ち満ちているということである。
「もっとも、ジジイに言ったことにウソはねえ。オレはオマエにそれだけの価値を見込んでる。地竜退治のときからひょっとしたらと思ってたんだが、エルゼベートとの決闘で確信に変わった。どこから来たともわからねえこの男は、錬金術一辺倒の今のやり方を大きく変える進化のキーになり得るんじゃねえか、ってな」
「……またその話を持ち出すか。繰り返すがあんなものは勝ったうちに入らぬ。それこそ奇跡のようなものだと何度も言っておるではないか」
そう言ってふんと鼻を鳴らす五郎太を、クリスはにやにやと笑いながら横目に眺め、「奇跡ねえ」と呟いた。
「地竜を屠ったのも奇跡、決闘でエルゼベートに勝ったのも奇跡。オマエの身にはいったい奇跡が幾つ起こるんだろうなあ?」
「……ふん」
追従じみたクリスの揶揄に、五郎太はまたひとつ鼻を鳴らした。
捨て駒になれということならまだ良い。一度は捨てようと思い定めた命である。日ノ本を遠く離れたこの国の土に還ることについてはまだ承伏しかねる思いもあるが、死んでしまえばそれも瑣末な問題に過ぎまい。
だが右大将様にとってのお屋形様の如きものになれ、とクリスが俺にそう言っているのだとすればそれは見込み違いもいいところである。五郎太はそう思い、否定の意味合いを込めて大きく息を吐いた。
「好きにするが良い。但し、政に関わらせようなどと妙なことは思わぬことだな。所詮、俺には槍働きしかできぬ」
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