38 / 50
037 近習(2)
しおりを挟む
「――恩を売ったつもりか」
厩に北斗をつなぎ、クリスの待つ庭園に戻った五郎太は、幾分の皮肉を込めてそう告げた。
「んー? まあ、そうなんのかなあ」
石造りの長椅子に腰掛け、庭園の花々を眺めていたクリスは、気の抜けた声でそんな返事を返した。
老爺を訪ねた岩屋までの行き帰り、クリスは供回りの者も連れず五郎太と二人、あの旅路のように北斗の背にあった。
決闘の日からこの方、クリスと五郎太は三日にあげず二人で城を抜け出しては、こうして領内のそこかしこを巡っている。無論、五郎太が所望してのことではない。毎度毎度クリスに腕引かれ、否応なく連れ出されるのである。
もっとも五郎太にしてみれば部屋に引き篭もっていたところでやることなどないのであるから、クリスに引き回されること自体をそれほど迷惑に思っているわけではない。ただ、こうして連日に渡りクリスに付き従う己の姿は、さながらこの者の近習であるという思いが、五郎太の心に靄をかけるのであった。
周囲の者にそう見做されるのは別段構わない。だがクリスが手練手管をもって済し崩しに自分を家臣に取り込もうとしているのだと思うと、五郎太は矢張り反発を覚えずにはいられないのである。
「まあ、あいつらがあの谷でコソコソやってんのはだいぶ前から掴んでたんだわ。で、どう落とし前つけてやろうかってのも、つらつらと考えてはいたのさ」
言いながらクリスは長椅子を立ち、頭の裏に手を組んで王宮に向かい歩き出す。五郎太も黙ってそのあとに続いた。
「あそこは元々そういうもんが埋まってるってことわかってて、だからご先祖が皇家の聖域にしたって話だ。けど帝国がこのザマだってのに、今さらそんなこと言ってたってはじまらねえ。むしろオレとしてはあいつらに積極的に掘ってもらって資源を有効活用していこうって腹なんだわ」
「……」
「ただ、連中が法を破ったのは事実だし、簡単に許したんじゃ示しがつかねえ。無理難題のひとつでも解いてもらわねえことにはな。だからまあ、恩を売るには売ったんだろうが、売りっぱなしってわけでもねえ。月イチで利子ついて返ってくるみてえだから、まあ見てろって」
「……そうではないわ」
「ん?」
「あの者達に恩を売ったつもりかと訊いたのではない。緋々色金などという貴重な材で槍を拵えさせ、俺に恩を売ったつもりなのかと訊いておるのだ」
溜息混じりにそう告げる五郎太の声には、身に覚えのない手柄で褒美を賜ったような戸惑いが滲んでいた。
槍を直すという約束をクリスが守ってくれたのは有り難い。鉄では同等のものが打てぬからこの国に産する類い稀な材でそれを造ってくれるということにも、感謝こそすれ不満など覚えるべくもない。
唯ひとつ五郎太の気に掛かるのは、槍を直すだけの話だったはずが、いつの間にか露骨に政の絡んだ話になっていることだ。採掘の御免を与えるだの自治を許すだの、どう考えても槍から大きくかけ離れている。
政でそれだけ譲歩してでも緋々色金で槍を造らせたこと――五郎太の目に、それはクリスが自分を家臣に取り込むために恩を売っているように見えてならなかったのである。
だがそんな五郎太の問いに、クリスは心外だと言わんばかりにべっと舌を突き出し、「んなわけねーだろ」と吐き捨てるように言った。
「オマエに恩を売ったつもりはさらさらねえ。むしろオレはオマエを使って実験させてもらおうと思ってんだよ」
「実験?」
「ああ、実験だ。錬金術が精霊魔法を駆逐し、戦法の主流になりつつあるこの現状にどデカい風穴をあけるための、それはそれは壮大な実験をな」
「……ふむ」
呟いて、五郎太はそれ以上追及するのをやめた。
クリスの言は、五郎太を捨て駒として利用すると言っているようにも聞こえた。だがそれならばそれで良い、と五郎太は素直にそう思った。
――老爺との話にものぼっていたが、先の太守だった父君の逝去に伴いクリスは十五にして家督を継ぎ、それから今日まで東奔西走しながらどうにか国を保ってきたのだという。
その話は五郎太に右大将様の若い砌を思わせる。右大将様もお父上が亡くなられたことで十七、八で家督を継がざるを得なかったと聞く。それも東は今川、北は斎藤という難敵に挟まれ、尾張一国もまとまらぬような内憂外患の中で、だ。
クリスの父君はさる地での大戦で新たに台頭した勢力の夥しい鉄砲隊の前に敗れ、敢えなく討死したのだという。ただ、ここで身罷ったのは父君ばかりではない。共に戦場にあったクリスの母君も、主だった家臣も諸共に戦場の露と消えてしまったということなのである。
思えばあの果し合いのあとの宴で引き合わされたクリスの家臣はそのほとんどが若い顔ぶれで、五郎太は内心にそれを訝しく感じていたのだが、そういう絡繰りだったのだ。これはちょうど長篠の戦で老臣の大半を喪った甲斐武田の構図によく似ている。
ただ違いがあるとすれば、クリスは信玄公の戦い方を何ひとつ変えようとしなかった諏訪四郎とは異なり、若き日の右大将様のようにあらゆるものを変えようとする気概に充ち満ちているということである。
「もっとも、ジジイに言ったことにウソはねえ。オレはオマエにそれだけの価値を見込んでる。地竜退治のときからひょっとしたらと思ってたんだが、エルゼベートとの決闘で確信に変わった。どこから来たともわからねえこの男は、錬金術一辺倒の今のやり方を大きく変える進化のキーになり得るんじゃねえか、ってな」
「……またその話を持ち出すか。繰り返すがあんなものは勝ったうちに入らぬ。それこそ奇跡のようなものだと何度も言っておるではないか」
そう言ってふんと鼻を鳴らす五郎太を、クリスはにやにやと笑いながら横目に眺め、「奇跡ねえ」と呟いた。
「地竜を屠ったのも奇跡、決闘でエルゼベートに勝ったのも奇跡。オマエの身にはいったい奇跡が幾つ起こるんだろうなあ?」
「……ふん」
追従じみたクリスの揶揄に、五郎太はまたひとつ鼻を鳴らした。
捨て駒になれということならまだ良い。一度は捨てようと思い定めた命である。日ノ本を遠く離れたこの国の土に還ることについてはまだ承伏しかねる思いもあるが、死んでしまえばそれも瑣末な問題に過ぎまい。
だが右大将様にとってのお屋形様の如きものになれ、とクリスが俺にそう言っているのだとすればそれは見込み違いもいいところである。五郎太はそう思い、否定の意味合いを込めて大きく息を吐いた。
「好きにするが良い。但し、政に関わらせようなどと妙なことは思わぬことだな。所詮、俺には槍働きしかできぬ」
厩に北斗をつなぎ、クリスの待つ庭園に戻った五郎太は、幾分の皮肉を込めてそう告げた。
「んー? まあ、そうなんのかなあ」
石造りの長椅子に腰掛け、庭園の花々を眺めていたクリスは、気の抜けた声でそんな返事を返した。
老爺を訪ねた岩屋までの行き帰り、クリスは供回りの者も連れず五郎太と二人、あの旅路のように北斗の背にあった。
決闘の日からこの方、クリスと五郎太は三日にあげず二人で城を抜け出しては、こうして領内のそこかしこを巡っている。無論、五郎太が所望してのことではない。毎度毎度クリスに腕引かれ、否応なく連れ出されるのである。
もっとも五郎太にしてみれば部屋に引き篭もっていたところでやることなどないのであるから、クリスに引き回されること自体をそれほど迷惑に思っているわけではない。ただ、こうして連日に渡りクリスに付き従う己の姿は、さながらこの者の近習であるという思いが、五郎太の心に靄をかけるのであった。
周囲の者にそう見做されるのは別段構わない。だがクリスが手練手管をもって済し崩しに自分を家臣に取り込もうとしているのだと思うと、五郎太は矢張り反発を覚えずにはいられないのである。
「まあ、あいつらがあの谷でコソコソやってんのはだいぶ前から掴んでたんだわ。で、どう落とし前つけてやろうかってのも、つらつらと考えてはいたのさ」
言いながらクリスは長椅子を立ち、頭の裏に手を組んで王宮に向かい歩き出す。五郎太も黙ってそのあとに続いた。
「あそこは元々そういうもんが埋まってるってことわかってて、だからご先祖が皇家の聖域にしたって話だ。けど帝国がこのザマだってのに、今さらそんなこと言ってたってはじまらねえ。むしろオレとしてはあいつらに積極的に掘ってもらって資源を有効活用していこうって腹なんだわ」
「……」
「ただ、連中が法を破ったのは事実だし、簡単に許したんじゃ示しがつかねえ。無理難題のひとつでも解いてもらわねえことにはな。だからまあ、恩を売るには売ったんだろうが、売りっぱなしってわけでもねえ。月イチで利子ついて返ってくるみてえだから、まあ見てろって」
「……そうではないわ」
「ん?」
「あの者達に恩を売ったつもりかと訊いたのではない。緋々色金などという貴重な材で槍を拵えさせ、俺に恩を売ったつもりなのかと訊いておるのだ」
溜息混じりにそう告げる五郎太の声には、身に覚えのない手柄で褒美を賜ったような戸惑いが滲んでいた。
槍を直すという約束をクリスが守ってくれたのは有り難い。鉄では同等のものが打てぬからこの国に産する類い稀な材でそれを造ってくれるということにも、感謝こそすれ不満など覚えるべくもない。
唯ひとつ五郎太の気に掛かるのは、槍を直すだけの話だったはずが、いつの間にか露骨に政の絡んだ話になっていることだ。採掘の御免を与えるだの自治を許すだの、どう考えても槍から大きくかけ離れている。
政でそれだけ譲歩してでも緋々色金で槍を造らせたこと――五郎太の目に、それはクリスが自分を家臣に取り込むために恩を売っているように見えてならなかったのである。
だがそんな五郎太の問いに、クリスは心外だと言わんばかりにべっと舌を突き出し、「んなわけねーだろ」と吐き捨てるように言った。
「オマエに恩を売ったつもりはさらさらねえ。むしろオレはオマエを使って実験させてもらおうと思ってんだよ」
「実験?」
「ああ、実験だ。錬金術が精霊魔法を駆逐し、戦法の主流になりつつあるこの現状にどデカい風穴をあけるための、それはそれは壮大な実験をな」
「……ふむ」
呟いて、五郎太はそれ以上追及するのをやめた。
クリスの言は、五郎太を捨て駒として利用すると言っているようにも聞こえた。だがそれならばそれで良い、と五郎太は素直にそう思った。
――老爺との話にものぼっていたが、先の太守だった父君の逝去に伴いクリスは十五にして家督を継ぎ、それから今日まで東奔西走しながらどうにか国を保ってきたのだという。
その話は五郎太に右大将様の若い砌を思わせる。右大将様もお父上が亡くなられたことで十七、八で家督を継がざるを得なかったと聞く。それも東は今川、北は斎藤という難敵に挟まれ、尾張一国もまとまらぬような内憂外患の中で、だ。
クリスの父君はさる地での大戦で新たに台頭した勢力の夥しい鉄砲隊の前に敗れ、敢えなく討死したのだという。ただ、ここで身罷ったのは父君ばかりではない。共に戦場にあったクリスの母君も、主だった家臣も諸共に戦場の露と消えてしまったということなのである。
思えばあの果し合いのあとの宴で引き合わされたクリスの家臣はそのほとんどが若い顔ぶれで、五郎太は内心にそれを訝しく感じていたのだが、そういう絡繰りだったのだ。これはちょうど長篠の戦で老臣の大半を喪った甲斐武田の構図によく似ている。
ただ違いがあるとすれば、クリスは信玄公の戦い方を何ひとつ変えようとしなかった諏訪四郎とは異なり、若き日の右大将様のようにあらゆるものを変えようとする気概に充ち満ちているということである。
「もっとも、ジジイに言ったことにウソはねえ。オレはオマエにそれだけの価値を見込んでる。地竜退治のときからひょっとしたらと思ってたんだが、エルゼベートとの決闘で確信に変わった。どこから来たともわからねえこの男は、錬金術一辺倒の今のやり方を大きく変える進化のキーになり得るんじゃねえか、ってな」
「……またその話を持ち出すか。繰り返すがあんなものは勝ったうちに入らぬ。それこそ奇跡のようなものだと何度も言っておるではないか」
そう言ってふんと鼻を鳴らす五郎太を、クリスはにやにやと笑いながら横目に眺め、「奇跡ねえ」と呟いた。
「地竜を屠ったのも奇跡、決闘でエルゼベートに勝ったのも奇跡。オマエの身にはいったい奇跡が幾つ起こるんだろうなあ?」
「……ふん」
追従じみたクリスの揶揄に、五郎太はまたひとつ鼻を鳴らした。
捨て駒になれということならまだ良い。一度は捨てようと思い定めた命である。日ノ本を遠く離れたこの国の土に還ることについてはまだ承伏しかねる思いもあるが、死んでしまえばそれも瑣末な問題に過ぎまい。
だが右大将様にとってのお屋形様の如きものになれ、とクリスが俺にそう言っているのだとすればそれは見込み違いもいいところである。五郎太はそう思い、否定の意味合いを込めて大きく息を吐いた。
「好きにするが良い。但し、政に関わらせようなどと妙なことは思わぬことだな。所詮、俺には槍働きしかできぬ」
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。


もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
旧陸軍の天才?に転生したので大東亜戦争に勝ちます
竹本田重朗
ファンタジー
転生石原閣下による大東亜戦争必勝論
東亜連邦を志した同志達よ、ごきげんようである。どうやら、私は旧陸軍の石原莞爾に転生してしまったらしい。これは神の思し召しなのかもしれない。どうであれ、現代日本のような没落を回避するために粉骨砕身で働こうじゃないか。東亜の同志と手を取り合って真なる独立を掴み取るまで…
※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください

のほほん異世界暮らし
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる