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035 茶席(5)
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熱の篭もったエルゼベートの口説文句に、五郎太は遂にそんな言葉をもらした。
エルゼベートの話はいちいち納得のいくものだった。……と言うより、内心ではそれが己の進むべき道であると思い定めていたのかも知れない。
下克上――それが乱世の習いであることは五郎太にもよくわかっている。お屋形様も浪々の身からそうしてのし上がった。針売りから身を起こしたという筑前守もそう。右大将様とて尾張の田舎大名から天下様にまで成り上がったのだ。
……五郎太とて戦国の世の武士である。己の中にそうした野心がなかったかと問われれば、はっきりなかったと返すことは矢張りできない。
「お前様を娶り、この国でのし上がる……か」
だがそこまで言われても、五郎太には決心がつかなかった。クリスの妹御であるエルゼベートを娶り、その家臣となること……それはあちらでの家中に準えれば、主君にとって娘婿と妹婿という違いこそあれ、左馬助様――弥平次秀満様と同じ立場になるということだ。
生半可な覚悟では済まない。クリスのためにはいつでも命を投げ出す気構えがなければお役目を果たすことなど到底できまい。同時にそれは五郎太が故郷である日ノ本を捨て、このイスパニアに骨を埋めるということでもある。
己にとってまたとない話ではある。またとない話ではあるが……ここで膝を打ち、わかったと口に出してしまうのはどうか――
「なによ、煮え切らないわねえ」
「仕方あるまい。俺にとっては一生の大事だ」
「あたしにとっても一生の大事なんだけど?」
「お前が俺にとってまたとない女であることは重々わかった。……わかったが、さりとて仕官も絡む話となって参るとなあ……」
そう言って、五郎太は大きな溜息をついた。
自分でも潔うないと呆れる気持ちだったが、こればかりは致し方ない。生涯に己が仕える主はお屋形様唯お一人……ほんの数日前までそう信じて疑わなかった五郎太にとって、そう簡単に割り切れる類の話ではなかったのである。
「だったら、また勝負するってのはどう?」
「勝負?」
「俺と結婚してくれってゴロータに言わせたらあたしの勝ち。言わせられなかったらあたしの負け」
「……」
「女に触れない? 面白いじゃない! そんなんであたしが諦めると思ったら大間違いよ。女としてのプライドにかけて、あんたのその女嫌い、あたしが治してあげる」
「……エルゼベート殿」
「ねえ、ゴロータ……もうゴロータって呼ばせてもらうけど、この国にはきっとゴロータの居場所がある。あたしはそう思うの。……お屋形様って人が亡くなって絶望してるゴロータに、『だったらこの国で居場所を見つけろ』って、お兄はそう言ってるんじゃない?」
「……」
「あたしは今、ゴロータの中にあたしの居場所を見つけた。ゴロータのためにあたしがしてあげられること、あるんだってわかった。……色んなもの喪って、絶望して……それでも小さな光が見えたんだから、あたしはそれに賭けてみたいの。だからお願い、もう一回あたしと勝負して!」
「――その勝負、しかと承った」
総ての葛藤を呑み込んで、五郎太はそう返していた。
これほどの女には二度と巡り逢えぬ――今日、もう何度思ったかわからないそんな思いが、五郎太をして亡きお屋形様への裏切りともとれるその言葉を吐かしめたのだった。
そんな五郎太の姿に満足そうな顔でうんうんと頷いていたエルゼベートは、やがて五郎太に向き直ると、自信に満ちた晴れやかな笑顔で告げた。
「よし! なら、ゴロータは今夜からあたしの部屋で一緒に寝ること!」
「……あ?」
「ゴロータだって女嫌い治したいんでしょ? だったら、まずは女に慣れないと! 毎日あたしと同じ寝台で寝てたら、そんなのすぐ治っちゃうわよ!」
「同じ寝台!? なにをばかな、そのようなことできる道理が――」
「いいから! この勝負はあたしの仕切り! 反論は認めない!」
まだ不平を言い立てようとする五郎太だったが、自信満々にそう言い切るエルゼベートを見、黙って首を振った。
まだ祝言もあげていない内から早くも尻に敷かれている自分に不甲斐ないものを感じながら――その不甲斐ない思いと共にこれからを生きてゆくのも、まあ悪くなかろうと思った。
「まったく、エルゼベート殿には敵わぬわ」
「エルゼ、って呼んで」
「……では、エルゼ殿」
「エルゼ」
「……エルゼ。宜しく頼む」
「うん、宜しくね!」
エルゼベートはそう言うと、この日一番の笑顔を五郎太に向けてきた。夏の日の陽射しのように眩しい、それは笑顔であった。
願わくば、この笑顔を曇らせることなきよう――そんな決意の中に五郎太は、己が初めて催した茶席がこの上無い成功の内にその挙句を迎えたことを、万感胸に迫る思いで認めた。
エルゼベートの話はいちいち納得のいくものだった。……と言うより、内心ではそれが己の進むべき道であると思い定めていたのかも知れない。
下克上――それが乱世の習いであることは五郎太にもよくわかっている。お屋形様も浪々の身からそうしてのし上がった。針売りから身を起こしたという筑前守もそう。右大将様とて尾張の田舎大名から天下様にまで成り上がったのだ。
……五郎太とて戦国の世の武士である。己の中にそうした野心がなかったかと問われれば、はっきりなかったと返すことは矢張りできない。
「お前様を娶り、この国でのし上がる……か」
だがそこまで言われても、五郎太には決心がつかなかった。クリスの妹御であるエルゼベートを娶り、その家臣となること……それはあちらでの家中に準えれば、主君にとって娘婿と妹婿という違いこそあれ、左馬助様――弥平次秀満様と同じ立場になるということだ。
生半可な覚悟では済まない。クリスのためにはいつでも命を投げ出す気構えがなければお役目を果たすことなど到底できまい。同時にそれは五郎太が故郷である日ノ本を捨て、このイスパニアに骨を埋めるということでもある。
己にとってまたとない話ではある。またとない話ではあるが……ここで膝を打ち、わかったと口に出してしまうのはどうか――
「なによ、煮え切らないわねえ」
「仕方あるまい。俺にとっては一生の大事だ」
「あたしにとっても一生の大事なんだけど?」
「お前が俺にとってまたとない女であることは重々わかった。……わかったが、さりとて仕官も絡む話となって参るとなあ……」
そう言って、五郎太は大きな溜息をついた。
自分でも潔うないと呆れる気持ちだったが、こればかりは致し方ない。生涯に己が仕える主はお屋形様唯お一人……ほんの数日前までそう信じて疑わなかった五郎太にとって、そう簡単に割り切れる類の話ではなかったのである。
「だったら、また勝負するってのはどう?」
「勝負?」
「俺と結婚してくれってゴロータに言わせたらあたしの勝ち。言わせられなかったらあたしの負け」
「……」
「女に触れない? 面白いじゃない! そんなんであたしが諦めると思ったら大間違いよ。女としてのプライドにかけて、あんたのその女嫌い、あたしが治してあげる」
「……エルゼベート殿」
「ねえ、ゴロータ……もうゴロータって呼ばせてもらうけど、この国にはきっとゴロータの居場所がある。あたしはそう思うの。……お屋形様って人が亡くなって絶望してるゴロータに、『だったらこの国で居場所を見つけろ』って、お兄はそう言ってるんじゃない?」
「……」
「あたしは今、ゴロータの中にあたしの居場所を見つけた。ゴロータのためにあたしがしてあげられること、あるんだってわかった。……色んなもの喪って、絶望して……それでも小さな光が見えたんだから、あたしはそれに賭けてみたいの。だからお願い、もう一回あたしと勝負して!」
「――その勝負、しかと承った」
総ての葛藤を呑み込んで、五郎太はそう返していた。
これほどの女には二度と巡り逢えぬ――今日、もう何度思ったかわからないそんな思いが、五郎太をして亡きお屋形様への裏切りともとれるその言葉を吐かしめたのだった。
そんな五郎太の姿に満足そうな顔でうんうんと頷いていたエルゼベートは、やがて五郎太に向き直ると、自信に満ちた晴れやかな笑顔で告げた。
「よし! なら、ゴロータは今夜からあたしの部屋で一緒に寝ること!」
「……あ?」
「ゴロータだって女嫌い治したいんでしょ? だったら、まずは女に慣れないと! 毎日あたしと同じ寝台で寝てたら、そんなのすぐ治っちゃうわよ!」
「同じ寝台!? なにをばかな、そのようなことできる道理が――」
「いいから! この勝負はあたしの仕切り! 反論は認めない!」
まだ不平を言い立てようとする五郎太だったが、自信満々にそう言い切るエルゼベートを見、黙って首を振った。
まだ祝言もあげていない内から早くも尻に敷かれている自分に不甲斐ないものを感じながら――その不甲斐ない思いと共にこれからを生きてゆくのも、まあ悪くなかろうと思った。
「まったく、エルゼベート殿には敵わぬわ」
「エルゼ、って呼んで」
「……では、エルゼ殿」
「エルゼ」
「……エルゼ。宜しく頼む」
「うん、宜しくね!」
エルゼベートはそう言うと、この日一番の笑顔を五郎太に向けてきた。夏の日の陽射しのように眩しい、それは笑顔であった。
願わくば、この笑顔を曇らせることなきよう――そんな決意の中に五郎太は、己が初めて催した茶席がこの上無い成功の内にその挙句を迎えたことを、万感胸に迫る思いで認めた。
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