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034 茶席(4)
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「ん……」
神妙な面持ちで五郎太を見つめていたエルゼベートは、やがて徐に下を向き、喉を詰まらせたような声をもらした。
「んんんんん……」
俯いたまま低く籠もった声で呻くエルゼベートに、どうかしたのかと五郎太は声をかけようとした。そのとき、勢いよくエルゼベートの頭が跳ね上がった。
「面白いっ!」
ぱっと花が咲いたようなエルゼベートの笑顔が五郎太に向けられた。
「なんて面白い趣向! まるで謎解きじゃない! こんなエレガントで知的な宴、初めて! あんたの国じゃみんなこんなことやってんの!?」
「ああ……まあ皆が皆、茶を嗜んでおるわけではないが、概ねそうなろうか」
「連れてって! いつかあんたの国にあたしを連れてって! ねえお願い! あたしが知らないこといっぱい、いっぱいありそうだもの!」
目を輝かせ、身を乗り出して躙り寄ってくるエルゼベートに、五郎太は冷や汗をかきはじめた。半分はエルゼベートの豹変に意表を突かれたため、だが半分は女に近寄られたことに拠るものである。
ほとんど接吻するほど間近に顔を近付けていたエルゼベートは、眼前で蒼くなってゆく五郎太の顔にはっと我に返り、慌てて元の場所に戻り居住まいを正した。
「……失礼致しました」
「いや……工夫を喜んでいただけたのなら何より」
五郎太は小さく咳払いし、エルゼベートに倣い背筋を伸ばして座り直した。そしてエルゼベートに向き直り、その顔を真っ直に見て、言った。
「そういった次第であるから、俺にはエルゼベート殿を嫁御にいただく値がない。誠に有り難いお話なれど、謹んで辞退申し上げる。ついては今朝にご進言いただいたよう、エルゼベート殿から兄上にその旨お伝えいただけぬだろうか」
そう言って、五郎太は深々と頭を下げた。……言うべきことは言った。そう思い、頭を上げた。
けれども、エルゼベートは五郎太を見てはいなかった。壁に掛けられた絵に茫漠とした眼差しを向けたまま、天気について訊ねるように気のない声で言った。
「……ゴロータ様は、生涯、ご結婚なさらないおつもりなのですか?」
「ん? いや……そのようなつもりはない。できるものならば、俺も嫁御が欲しい」
「ゴロータ様の妻として、わたくしは申し分ないという評価をいただいたと考えて宜しいのですね?」
「申し分ないどころか身に余る。だが先程も申したように俺は――」
「この薔薇、わたくしがいただいても?」
「え? ああ、構わぬが……」
何を言われているか判然せぬまま、五郎太はそう返した。
エルゼベートはすっと立ち上がると薔薇を手に取り、五郎太に止める暇も与えずそれを右耳の上に挿した。
一条の血が白い頬を伝い落ちる。それを意に解することなく、エルゼベートは五郎太に向かい、穏やかに微笑んで見せた。
「どうでしょう。似合いますか?」
五郎太は声が出ない。総身に痺れを覚えながら、目の前の女性の姿を見つめていた。
見様見真似だった己の茶に、今、ひとつの答えが与えられた――そう思い、五郎太は大きく息をついた。日ノ本を遠く離れた異国でこのような感動を味わえるとは、思ってもみなかった。
(一座建立か)
棘のある花を取り上げ、我と我が身を傷つけてまでそれを髪に挿したエルゼベートの作意は、誰の目にも明らかだった。
その有り難い想いもさることながら、初めての茶席に臨んでここまでの当意即妙な振る舞いを見せるエルゼベートという女に、五郎太は心底参ってしまった。
輝くばかりに美しく、獅子のように勇猛で、遠い東の果てに息づく見も知らぬ者達の心さえ解する。このような女性が二人といるとは思えなかった。しかし――
「負けたわ。是非とも俺の嫁御になってくれ――と言いたいところだが、よくよく考えてみるとこの件は男女の問題ばかりではない。容易には頷けぬ」
「どういうことでしょう?」
「エルゼベート殿と夫婦になるということは、俺がクリスの家臣になるということよ。……二君に仕えるは俺の本意ではない」
「ですが、ゴロータ様のお仕えしていたご主君は亡くなられたのでは?」
「……」
「兄から伺いました。それが理由でゴロータ様はご主君のあとを追い、死にたがっておられると」
「……お屋形様のあとを追わんとしているわけではないのだがな」
「同じことです。ゴロータ様ほどのお方が、そのような理由であたら若い命を散らしてしまわれるのは何とも惜しい……と、兄が申しておりましたが、これについてはわたくしもまったく同意見です」
「……」
「お察しの通り、兄は何かと問題がある人ですが、異邦人である貴方様に見所があるとみるや、わたくしと娶せてでも取り込もうとしていることからもわかりますように、為政者としてはなかなかに非凡なものを持っております」
「……」
「ゴロータ様に、故国への未練が少しでもあるようでしたら、このようなことは申し上げません。ですが、ご主君もお亡くなりになり、もうそこへお戻りになる理由がないということでしたら、折角の機会です。わたくしを娶って、この国で成り上がるというのはいかがでしょうか?」
「……下克上か」
神妙な面持ちで五郎太を見つめていたエルゼベートは、やがて徐に下を向き、喉を詰まらせたような声をもらした。
「んんんんん……」
俯いたまま低く籠もった声で呻くエルゼベートに、どうかしたのかと五郎太は声をかけようとした。そのとき、勢いよくエルゼベートの頭が跳ね上がった。
「面白いっ!」
ぱっと花が咲いたようなエルゼベートの笑顔が五郎太に向けられた。
「なんて面白い趣向! まるで謎解きじゃない! こんなエレガントで知的な宴、初めて! あんたの国じゃみんなこんなことやってんの!?」
「ああ……まあ皆が皆、茶を嗜んでおるわけではないが、概ねそうなろうか」
「連れてって! いつかあんたの国にあたしを連れてって! ねえお願い! あたしが知らないこといっぱい、いっぱいありそうだもの!」
目を輝かせ、身を乗り出して躙り寄ってくるエルゼベートに、五郎太は冷や汗をかきはじめた。半分はエルゼベートの豹変に意表を突かれたため、だが半分は女に近寄られたことに拠るものである。
ほとんど接吻するほど間近に顔を近付けていたエルゼベートは、眼前で蒼くなってゆく五郎太の顔にはっと我に返り、慌てて元の場所に戻り居住まいを正した。
「……失礼致しました」
「いや……工夫を喜んでいただけたのなら何より」
五郎太は小さく咳払いし、エルゼベートに倣い背筋を伸ばして座り直した。そしてエルゼベートに向き直り、その顔を真っ直に見て、言った。
「そういった次第であるから、俺にはエルゼベート殿を嫁御にいただく値がない。誠に有り難いお話なれど、謹んで辞退申し上げる。ついては今朝にご進言いただいたよう、エルゼベート殿から兄上にその旨お伝えいただけぬだろうか」
そう言って、五郎太は深々と頭を下げた。……言うべきことは言った。そう思い、頭を上げた。
けれども、エルゼベートは五郎太を見てはいなかった。壁に掛けられた絵に茫漠とした眼差しを向けたまま、天気について訊ねるように気のない声で言った。
「……ゴロータ様は、生涯、ご結婚なさらないおつもりなのですか?」
「ん? いや……そのようなつもりはない。できるものならば、俺も嫁御が欲しい」
「ゴロータ様の妻として、わたくしは申し分ないという評価をいただいたと考えて宜しいのですね?」
「申し分ないどころか身に余る。だが先程も申したように俺は――」
「この薔薇、わたくしがいただいても?」
「え? ああ、構わぬが……」
何を言われているか判然せぬまま、五郎太はそう返した。
エルゼベートはすっと立ち上がると薔薇を手に取り、五郎太に止める暇も与えずそれを右耳の上に挿した。
一条の血が白い頬を伝い落ちる。それを意に解することなく、エルゼベートは五郎太に向かい、穏やかに微笑んで見せた。
「どうでしょう。似合いますか?」
五郎太は声が出ない。総身に痺れを覚えながら、目の前の女性の姿を見つめていた。
見様見真似だった己の茶に、今、ひとつの答えが与えられた――そう思い、五郎太は大きく息をついた。日ノ本を遠く離れた異国でこのような感動を味わえるとは、思ってもみなかった。
(一座建立か)
棘のある花を取り上げ、我と我が身を傷つけてまでそれを髪に挿したエルゼベートの作意は、誰の目にも明らかだった。
その有り難い想いもさることながら、初めての茶席に臨んでここまでの当意即妙な振る舞いを見せるエルゼベートという女に、五郎太は心底参ってしまった。
輝くばかりに美しく、獅子のように勇猛で、遠い東の果てに息づく見も知らぬ者達の心さえ解する。このような女性が二人といるとは思えなかった。しかし――
「負けたわ。是非とも俺の嫁御になってくれ――と言いたいところだが、よくよく考えてみるとこの件は男女の問題ばかりではない。容易には頷けぬ」
「どういうことでしょう?」
「エルゼベート殿と夫婦になるということは、俺がクリスの家臣になるということよ。……二君に仕えるは俺の本意ではない」
「ですが、ゴロータ様のお仕えしていたご主君は亡くなられたのでは?」
「……」
「兄から伺いました。それが理由でゴロータ様はご主君のあとを追い、死にたがっておられると」
「……お屋形様のあとを追わんとしているわけではないのだがな」
「同じことです。ゴロータ様ほどのお方が、そのような理由であたら若い命を散らしてしまわれるのは何とも惜しい……と、兄が申しておりましたが、これについてはわたくしもまったく同意見です」
「……」
「お察しの通り、兄は何かと問題がある人ですが、異邦人である貴方様に見所があるとみるや、わたくしと娶せてでも取り込もうとしていることからもわかりますように、為政者としてはなかなかに非凡なものを持っております」
「……」
「ゴロータ様に、故国への未練が少しでもあるようでしたら、このようなことは申し上げません。ですが、ご主君もお亡くなりになり、もうそこへお戻りになる理由がないということでしたら、折角の機会です。わたくしを娶って、この国で成り上がるというのはいかがでしょうか?」
「……下克上か」
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