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032 茶席(2)
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「……このお飲み物は?」
器から唇を離すと、エルゼベートは初めて口にするその飲み物の味を口の中に残したまま、陶然とした心持ちで五郎太に訊ねた。
「茶と申す。初めて飲まれたか」
「はい……初めてに御座います」
「気が沈んでおるときに飲めば意気高揚し、眠気があるときには払うてくれる霊薬よ。日ノ本へはだいぶ昔に唐より伝わったと聞く。お前様が初めてお飲みになるということであれば、この国にはまだ伝わっておらぬのであろう」
「はい。苦みがありますが、味のなかに気品を感じます」
「心して味わわれよ。それが最後の一杯ゆえ」
「え――」
「かような機会もあろうかと印籠の中に忍ばせてきたとっておきよ。この国に茶がないのであれば、それが最後の一杯じゃ」
「そのように貴重なものを、お兄様ではなくわたくしに……」
「クリスになぞ飲ませるわけがなかろう。……生まれ落ちて初めて、俺の嫁御になりたいと申してくれたお前様に茶を点てられるのであれば、勿怪の幸いよ」
その言葉に、エルゼベートははっとした。五郎太の口から昨夜の一件に繋がる話が出たからである。
「しばし、席を外し申す」
しかし五郎太はそう言い残すと、そのまま部屋を出ていってしまった。
一人、部屋に残されたエルゼベートは、五郎太が茶と呼んだ不思議な飲み物を少しずつ飲みながら、ぼんやりと部屋の中を見回した。
――そこでふと、エルゼベートは花の匂いを嗅いだ。
壁にかけられた婦人画――幼い頃より何度も目にしてきたクレマンティーヌ大后の肖像画を見、同時にその絵を見る者の目を遮るように活けられた一輪の赤い薔薇を目にした。
「……」
奇妙な取り合わせだった。普通、絵の前に薔薇は飾らない。ましてこの国にその人ありと近隣にまでその美貌が噂されたというクレマンティーヌ様の肖像画である。その大輪の花を前に、なぜあのような薔薇など活けてあるのだろう……。
そんな疑問を抱きながらエルゼベートが茶をすするうち、扉を開け五郎太が戻ってきた。その手には木椀を携えている。匙と共にその木椀をエルゼベートの前に差し出すと、五郎太はまた元の場所に座り直した。
「――これは」
「梅粥と申す。ありあわせでかようなものしか作れなんだが、ご容赦くだされ」
「……ゴロータ様が、お作りになったのですか?」
「ああ。厨をお借りしてな。梅干と飯は俺の持参したものだが、葉物は厨にあったものを分けて頂いた。三ツ葉に似た香りがして、合うのではないかと思ってな」
「テミウスの葉と申します。ゴロータ様がおっしゃるように、香気を愛でるため料理に添えるものです」
「ほう、成る程」
「ですが、この国ではもっぱら肉料理に添えます。リゾットに添えるのをみたのは初めて。それにしてもこの不思議な味はなんでしょう。塩気のような、酸味のような……」
「それは梅肉よ。梅の実を塩漬けにし、干してやわらかくしたものじゃ。そちらも、お前様は初めてか」
「はい。初めてに御座います。少々癖がありますが、どこか懐かしい感じのする……」
「それは何とも嬉しい所見よ。俺にとってそれは正しく懐かしい故郷の味であるによって」
一口、また一口とエルゼベートは梅粥を口に運んだ。小振りの木椀一杯分の、空腹をほんの少し癒すだけのあっさりした食べ物が、エルゼベートにはなぜかやさしく、滋養に満ちたものに感じられた。
エルゼベートが粥を食べ終わるのを待って、五郎太は小さな四角い紙を差し出した。それがどのようなものか、訊かなくてもエルゼベートにはわかった。その紙で軽く口許を拭い、折り畳んで膝元に置いた。
そこで、五郎太の声がかかった。
「弾込めせずとも撃てる鉄砲があるとは思わなんだわ」
「え?」
「果し合いでお前様が使うておられた武具のことよ。この国から海を越え日ノ本へも伝わっておってな。俺の国ではあれを鉄砲と言う。もっとも、伝わってからまだそれほど経ってはおらぬが」
「エリクシルのことですか。……そうですね、錬金術がこれほど世の中に広まったのはここ最近のことですし」
「日ノ本の鉄砲は一発撃つごとに弾込めが要るのだ。火縄に火も点けねばならぬ。それゆえ連射が利かぬのだが、流石鉄砲を生み出した国よな。あれほど間断なく撃たれたのではたまらぬわ。槍や刀では、もうどうにもならぬ」
「わたくしの錬金術に、ゴロータ様は勝ったではありませんか」
「勝てたのはお前様が俺を殺さぬとわかっていたからよ。お前様のやさしさにつけ込んでの勝利じゃ。最初から腹を狙われていれば、俺は今頃ここにはおらなんだ」
「……そうですね。遺言状を用意しておけなどと言いながら、わたくしもまったく詰めが甘い」
そう言ってエルゼベートはくすくすと笑った。だがやがて口許に笑みを浮かべたまま、寂しげな表情でふっと目を伏せた。
「わたくし、錬金術はどうしても好きになれないのです」
「……」
「金属の鏃を創り出して撃ち出す――突き詰めれば錬金術とはただそれだけの単純なものです。人を殺める機能において、極めて優れた手段であることは疑いありません。……けれども、それだけです。本当にただそれだけなのです」
「……」
「戦争の道具として錬金術が広まるにつれ、精霊魔法は古い時代の遺物として忘れ去られつつあります。いずれ誰も精霊魔法など学ばなくなるでしょう。わたくしには、それが残念でならないのです」
「……わかるわ」
肺の腑から絞り出すような、五郎太の呟きだった。驚きに見開かれたエルゼベートの目が、真っ直に五郎太を見た。
「俺には、お前様の気持ちがようわかる。俺も同じよ。鉄砲は好かぬ。唯人を殺すためだけの無粋な道具よ。槍や刀で打ち合うが戦場の華であると思うておるし、得手でもある」
「……」
「だが、気が付けばすっかりこの鉄砲の世の中よ。今さら槍や刀の腕を磨いて何になろうと疑う気さえ湧いてくる。……だが、俺は刀槍から離れられぬ。離れとうない」
「……似たもの同士ですね。わたくしたち」
「或いは、そうかも知れぬ」
器から唇を離すと、エルゼベートは初めて口にするその飲み物の味を口の中に残したまま、陶然とした心持ちで五郎太に訊ねた。
「茶と申す。初めて飲まれたか」
「はい……初めてに御座います」
「気が沈んでおるときに飲めば意気高揚し、眠気があるときには払うてくれる霊薬よ。日ノ本へはだいぶ昔に唐より伝わったと聞く。お前様が初めてお飲みになるということであれば、この国にはまだ伝わっておらぬのであろう」
「はい。苦みがありますが、味のなかに気品を感じます」
「心して味わわれよ。それが最後の一杯ゆえ」
「え――」
「かような機会もあろうかと印籠の中に忍ばせてきたとっておきよ。この国に茶がないのであれば、それが最後の一杯じゃ」
「そのように貴重なものを、お兄様ではなくわたくしに……」
「クリスになぞ飲ませるわけがなかろう。……生まれ落ちて初めて、俺の嫁御になりたいと申してくれたお前様に茶を点てられるのであれば、勿怪の幸いよ」
その言葉に、エルゼベートははっとした。五郎太の口から昨夜の一件に繋がる話が出たからである。
「しばし、席を外し申す」
しかし五郎太はそう言い残すと、そのまま部屋を出ていってしまった。
一人、部屋に残されたエルゼベートは、五郎太が茶と呼んだ不思議な飲み物を少しずつ飲みながら、ぼんやりと部屋の中を見回した。
――そこでふと、エルゼベートは花の匂いを嗅いだ。
壁にかけられた婦人画――幼い頃より何度も目にしてきたクレマンティーヌ大后の肖像画を見、同時にその絵を見る者の目を遮るように活けられた一輪の赤い薔薇を目にした。
「……」
奇妙な取り合わせだった。普通、絵の前に薔薇は飾らない。ましてこの国にその人ありと近隣にまでその美貌が噂されたというクレマンティーヌ様の肖像画である。その大輪の花を前に、なぜあのような薔薇など活けてあるのだろう……。
そんな疑問を抱きながらエルゼベートが茶をすするうち、扉を開け五郎太が戻ってきた。その手には木椀を携えている。匙と共にその木椀をエルゼベートの前に差し出すと、五郎太はまた元の場所に座り直した。
「――これは」
「梅粥と申す。ありあわせでかようなものしか作れなんだが、ご容赦くだされ」
「……ゴロータ様が、お作りになったのですか?」
「ああ。厨をお借りしてな。梅干と飯は俺の持参したものだが、葉物は厨にあったものを分けて頂いた。三ツ葉に似た香りがして、合うのではないかと思ってな」
「テミウスの葉と申します。ゴロータ様がおっしゃるように、香気を愛でるため料理に添えるものです」
「ほう、成る程」
「ですが、この国ではもっぱら肉料理に添えます。リゾットに添えるのをみたのは初めて。それにしてもこの不思議な味はなんでしょう。塩気のような、酸味のような……」
「それは梅肉よ。梅の実を塩漬けにし、干してやわらかくしたものじゃ。そちらも、お前様は初めてか」
「はい。初めてに御座います。少々癖がありますが、どこか懐かしい感じのする……」
「それは何とも嬉しい所見よ。俺にとってそれは正しく懐かしい故郷の味であるによって」
一口、また一口とエルゼベートは梅粥を口に運んだ。小振りの木椀一杯分の、空腹をほんの少し癒すだけのあっさりした食べ物が、エルゼベートにはなぜかやさしく、滋養に満ちたものに感じられた。
エルゼベートが粥を食べ終わるのを待って、五郎太は小さな四角い紙を差し出した。それがどのようなものか、訊かなくてもエルゼベートにはわかった。その紙で軽く口許を拭い、折り畳んで膝元に置いた。
そこで、五郎太の声がかかった。
「弾込めせずとも撃てる鉄砲があるとは思わなんだわ」
「え?」
「果し合いでお前様が使うておられた武具のことよ。この国から海を越え日ノ本へも伝わっておってな。俺の国ではあれを鉄砲と言う。もっとも、伝わってからまだそれほど経ってはおらぬが」
「エリクシルのことですか。……そうですね、錬金術がこれほど世の中に広まったのはここ最近のことですし」
「日ノ本の鉄砲は一発撃つごとに弾込めが要るのだ。火縄に火も点けねばならぬ。それゆえ連射が利かぬのだが、流石鉄砲を生み出した国よな。あれほど間断なく撃たれたのではたまらぬわ。槍や刀では、もうどうにもならぬ」
「わたくしの錬金術に、ゴロータ様は勝ったではありませんか」
「勝てたのはお前様が俺を殺さぬとわかっていたからよ。お前様のやさしさにつけ込んでの勝利じゃ。最初から腹を狙われていれば、俺は今頃ここにはおらなんだ」
「……そうですね。遺言状を用意しておけなどと言いながら、わたくしもまったく詰めが甘い」
そう言ってエルゼベートはくすくすと笑った。だがやがて口許に笑みを浮かべたまま、寂しげな表情でふっと目を伏せた。
「わたくし、錬金術はどうしても好きになれないのです」
「……」
「金属の鏃を創り出して撃ち出す――突き詰めれば錬金術とはただそれだけの単純なものです。人を殺める機能において、極めて優れた手段であることは疑いありません。……けれども、それだけです。本当にただそれだけなのです」
「……」
「戦争の道具として錬金術が広まるにつれ、精霊魔法は古い時代の遺物として忘れ去られつつあります。いずれ誰も精霊魔法など学ばなくなるでしょう。わたくしには、それが残念でならないのです」
「……わかるわ」
肺の腑から絞り出すような、五郎太の呟きだった。驚きに見開かれたエルゼベートの目が、真っ直に五郎太を見た。
「俺には、お前様の気持ちがようわかる。俺も同じよ。鉄砲は好かぬ。唯人を殺すためだけの無粋な道具よ。槍や刀で打ち合うが戦場の華であると思うておるし、得手でもある」
「……」
「だが、気が付けばすっかりこの鉄砲の世の中よ。今さら槍や刀の腕を磨いて何になろうと疑う気さえ湧いてくる。……だが、俺は刀槍から離れられぬ。離れとうない」
「……似たもの同士ですね。わたくしたち」
「或いは、そうかも知れぬ」
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