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029 初夜(5)
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クリスから事情を聞いておらぬのか――言いかけて、五郎太はその言葉を呑み込んだ。そう……誰にも知られとうない秘中の秘だと言って打ち明けたあの話を、自分の妹とはいえ、クリスが漏らすはずもない。
だが……だとすればクリスはなぜこのような縁談を持ちかけてきたのだろう。明晰なあやつの頭をもってすれば、遅かれ早かれこの手の面倒な事態が持ち上がるのは目に見えていたはずだのに……。
進みも退きもできぬ己の状況に、五郎太は思わず歯噛みをした。そんな五郎太を見てエルゼベートははっとした顔をし、それから花がしおれるように悄然と俯いてしまった。
「……そっか。あんたもお兄に乗せられた口だったんだ」
「……」
「別にあたしのことお嫁にしたいわけじゃなかったのに、成り行きで決闘までさせちゃったんだね」
正しくその通りよ――五郎太は心の中でそう思い、だがもちろん、それを口には出せなかった。
エルゼベートの言うことは正にその通り。だがそこにはひとつだけ間違いがある。……五郎太はエルゼベートを嫁にしたくないわけではない。むしろ諸手を挙げて嫁に迎えたいのである。
エルゼベートの言う通り女子にここまで言わせ、しかも本心では嫁に来てくれと声を大にして叫びたいものを、己の呪わしい宿痾のためにそうすることができない。それが、五郎太には歯痒くてならなかった。
いっそ身の恥を晒して、好いた女子と一緒になれぬ己の業をこの姫御に説いて聞かせようか――遂にそんなことまで考え出した五郎太の意識は、エルゼベートの次の一言で根こそぎ持っていかれた。
「……やっぱりあんたも、こんな黒い髪の女の子は嫌いなんだ」
その言葉に、五郎太はひっぱたかれたようにエルゼベートを見た。目の前の女が何を言っているのか五郎太にはわからなかった。悄然と俯いたまま、エルゼベートは尚も続けた。
「今はこんなだけど、あたしも昔は『黄金の花』なんて言われてちやほやされてたんだ。でも、エリクシル創製のとき髪の色持っていかれちゃって……。髪がこの色になってからは、みんな掌返したみたいに……あたしは何も変わってないのに」
「……」
「……あんたにだって選ぶ権利あるもんね。同じ髪の色したあんただったら……って思ったんだけど、あたしの思い込みだったみたい。こんな黒い髪だから、あんたがあたしのこと好みじゃなくて、それでお嫁に欲しくないってことなら、あたしは――」
「そんなことはないッ!」
堪りかねて吼える五郎太に、エルゼベートは弾かれたように頭をあげた。五郎太は、エルゼベートの肩にかかる烏珠の黒髪を見つめながら、何も考えることのできぬ頭で唯一心に己の思うところを打ち明けた。
「そんなはずがあるか! 周りの男どもはどこに目をつけておる! お前より美しい女子などこの世に一人とておらぬわ! 髪の色が悪い? なにをばかな! その黒髪がいいのではないか! お前のその黒髪を見たとき、俺は息さえ吐けなんだわ! おおそうよ、一目惚れじゃ! 俺はお前に一目惚れしたのよ! お前の容色を、その美しい髪を目の当たりにして、一目でぞっこん参ってしまったのじゃ!」
そこまで捲し立てたところで、五郎太は我に返った。同時に己が向き合っている女性が陶然とした、だがどこか訝しむような眼差しで自分を見つめていることに気付き、狼狽した。
自分が口走ったことを思い返し、狼狽に拍車がかかった。これではまるで自分が容色だけでエルゼベートに惚れたと言っているようではないか。それが恐ろしく己の沽券に関わることのように思え、最早自分の置かれた状況も思い出せぬまま、五郎太は更に訥々とエルゼベートへの想いを連ねた。
「いや、一目惚れと言うても……その、容色が好みだったのもあるが、それだけではないのだ。……うむ、決してそれだけではないぞ。あやつの理不尽な要求にたじろぎもせず、凛として己の生き様を貫き通すその心意気に参ってしまったのよ。お前と夫婦になれるのであれば何も言うことはない。だがしかし、俺は――」
「待って」
静かな、けれども決然としたエルゼベートの声が、五郎太の長口上を遮った。
「……ちゃんと言います。どうか、わたくしから言わせて下さい」
そう言ってエルゼベートは居住まいを正した。両手を膝の上に揃え、背筋を真っ直に伸ばし、わずかに潤んだ双眸で聢と五郎太を捕まえて、一生一世の大事を打ち明けるようにひとつひとつ丁寧に、その言葉を告げた。
「お逢いしてまだ数日ですが、貴方様の勇敢な戦い振りと、大きく包み込むようなお人柄に、わたくしは心を奪われました。貴方様を深くお慕い申し上げております。このようなわたくしですが、どうか末永く宜しくお願い致します」
そう言ってエルゼベートは深々と頭を下げ、やがて頭をおこした。潤む瞳で五郎太を見つめながら瞼をおろし、うすく唇を開いて、それからゆっくりと顔を近づけてくる。
五郎太が猛烈な悪心に襲われたのは、そのときだった。涙が出るような思いで、五郎太はほとんど必死になって祈り始めた。
おお、神よ……いや、神でも仏でも構わぬが、どうか平にお願い致し申す。
何卒、俺をこの姫御に――生まれ落ちてはじめて混じりけのない女子の真を捧げて下されたこの有難いお方に、嘔吐き上がってきたものを吐きかけるような情けない男にだけはして下さるな……。
目を閉じたエルゼベートの美しい面差しが眼前に迫るのを絶望的な思いで眺めながら、五郎太は遂に、己の意識が暗闇に落ちるのを感じた――
だが……だとすればクリスはなぜこのような縁談を持ちかけてきたのだろう。明晰なあやつの頭をもってすれば、遅かれ早かれこの手の面倒な事態が持ち上がるのは目に見えていたはずだのに……。
進みも退きもできぬ己の状況に、五郎太は思わず歯噛みをした。そんな五郎太を見てエルゼベートははっとした顔をし、それから花がしおれるように悄然と俯いてしまった。
「……そっか。あんたもお兄に乗せられた口だったんだ」
「……」
「別にあたしのことお嫁にしたいわけじゃなかったのに、成り行きで決闘までさせちゃったんだね」
正しくその通りよ――五郎太は心の中でそう思い、だがもちろん、それを口には出せなかった。
エルゼベートの言うことは正にその通り。だがそこにはひとつだけ間違いがある。……五郎太はエルゼベートを嫁にしたくないわけではない。むしろ諸手を挙げて嫁に迎えたいのである。
エルゼベートの言う通り女子にここまで言わせ、しかも本心では嫁に来てくれと声を大にして叫びたいものを、己の呪わしい宿痾のためにそうすることができない。それが、五郎太には歯痒くてならなかった。
いっそ身の恥を晒して、好いた女子と一緒になれぬ己の業をこの姫御に説いて聞かせようか――遂にそんなことまで考え出した五郎太の意識は、エルゼベートの次の一言で根こそぎ持っていかれた。
「……やっぱりあんたも、こんな黒い髪の女の子は嫌いなんだ」
その言葉に、五郎太はひっぱたかれたようにエルゼベートを見た。目の前の女が何を言っているのか五郎太にはわからなかった。悄然と俯いたまま、エルゼベートは尚も続けた。
「今はこんなだけど、あたしも昔は『黄金の花』なんて言われてちやほやされてたんだ。でも、エリクシル創製のとき髪の色持っていかれちゃって……。髪がこの色になってからは、みんな掌返したみたいに……あたしは何も変わってないのに」
「……」
「……あんたにだって選ぶ権利あるもんね。同じ髪の色したあんただったら……って思ったんだけど、あたしの思い込みだったみたい。こんな黒い髪だから、あんたがあたしのこと好みじゃなくて、それでお嫁に欲しくないってことなら、あたしは――」
「そんなことはないッ!」
堪りかねて吼える五郎太に、エルゼベートは弾かれたように頭をあげた。五郎太は、エルゼベートの肩にかかる烏珠の黒髪を見つめながら、何も考えることのできぬ頭で唯一心に己の思うところを打ち明けた。
「そんなはずがあるか! 周りの男どもはどこに目をつけておる! お前より美しい女子などこの世に一人とておらぬわ! 髪の色が悪い? なにをばかな! その黒髪がいいのではないか! お前のその黒髪を見たとき、俺は息さえ吐けなんだわ! おおそうよ、一目惚れじゃ! 俺はお前に一目惚れしたのよ! お前の容色を、その美しい髪を目の当たりにして、一目でぞっこん参ってしまったのじゃ!」
そこまで捲し立てたところで、五郎太は我に返った。同時に己が向き合っている女性が陶然とした、だがどこか訝しむような眼差しで自分を見つめていることに気付き、狼狽した。
自分が口走ったことを思い返し、狼狽に拍車がかかった。これではまるで自分が容色だけでエルゼベートに惚れたと言っているようではないか。それが恐ろしく己の沽券に関わることのように思え、最早自分の置かれた状況も思い出せぬまま、五郎太は更に訥々とエルゼベートへの想いを連ねた。
「いや、一目惚れと言うても……その、容色が好みだったのもあるが、それだけではないのだ。……うむ、決してそれだけではないぞ。あやつの理不尽な要求にたじろぎもせず、凛として己の生き様を貫き通すその心意気に参ってしまったのよ。お前と夫婦になれるのであれば何も言うことはない。だがしかし、俺は――」
「待って」
静かな、けれども決然としたエルゼベートの声が、五郎太の長口上を遮った。
「……ちゃんと言います。どうか、わたくしから言わせて下さい」
そう言ってエルゼベートは居住まいを正した。両手を膝の上に揃え、背筋を真っ直に伸ばし、わずかに潤んだ双眸で聢と五郎太を捕まえて、一生一世の大事を打ち明けるようにひとつひとつ丁寧に、その言葉を告げた。
「お逢いしてまだ数日ですが、貴方様の勇敢な戦い振りと、大きく包み込むようなお人柄に、わたくしは心を奪われました。貴方様を深くお慕い申し上げております。このようなわたくしですが、どうか末永く宜しくお願い致します」
そう言ってエルゼベートは深々と頭を下げ、やがて頭をおこした。潤む瞳で五郎太を見つめながら瞼をおろし、うすく唇を開いて、それからゆっくりと顔を近づけてくる。
五郎太が猛烈な悪心に襲われたのは、そのときだった。涙が出るような思いで、五郎太はほとんど必死になって祈り始めた。
おお、神よ……いや、神でも仏でも構わぬが、どうか平にお願い致し申す。
何卒、俺をこの姫御に――生まれ落ちてはじめて混じりけのない女子の真を捧げて下されたこの有難いお方に、嘔吐き上がってきたものを吐きかけるような情けない男にだけはして下さるな……。
目を閉じたエルゼベートの美しい面差しが眼前に迫るのを絶望的な思いで眺めながら、五郎太は遂に、己の意識が暗闇に落ちるのを感じた――
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