28 / 50
027 初夜(3)
しおりを挟む
エルゼベートの口から最初に出た言葉がそれであったことに、五郎太は安堵を覚えた。これが和議のための訪問であったとわかったからである。
思えばクリスの采配で五分ということになりはしたが、エルゼベートとの和解はまだであった。しこりを残さぬためであろう、今日のうちにそれを為しに来てくれたエルゼベートに感謝を覚えながら、五郎太は言葉を選んだ。
「お前様のせいではないわ。元はと言えばクリスが――」
「そうじゃなくて!」
また大声が来て、五郎太の耳がきぃんとする。顔をしかめながら目を向けると、エルゼベートは怒ったような顔のまま眼前の薄闇を睨めつけていた。
「決闘のときのこと」
「……ん?」
「決闘で、あたしが柱の上に立ってたとき、『背中に羽がはえてる』ってあんた言ったでしょ?」
「……ああ、言ったやも知れぬが」
「実はあれ、ちょっと精霊魔法つかっちゃってたの」
そう言ってエルゼベートは悄然とうなだれた。それからまた消え入るような声で、独り言のように続けた。
「気を抜くと精霊魔法つかっちゃうんだ、あたし。だからあんたにああ言われて、ドキッとした」
「……」
「走るのだってそう。精霊の力借りて速く走るの、もう身体に染み付いちゃってるの。だから……ごめんなさい」
そこでエルゼベートははじめて五郎太に向き直り、深々と頭を下げた。
「なぜ、頭など下げられる」
「だって、あんた相手に精霊魔法なんてつかわないって言ったじゃない。それなのにあたし……」
そう言って唇を噛むエルゼベートに、五郎太はふっと力が抜けるのを覚えた。
「今更であろう。そのようなこと、俺は気付いてもおらなんだわ」
「でも……!」
尚も食い下がろうとするエルゼベートに、五郎太は親愛の情を込め、完爾と笑いかけた。
「むしろその話を聞き、見事じゃと改めて感じ入っておる」
「見事?」
「精霊魔法とやらのことよ。使おうと思わずとも独りでに使うてしまう……それだけの境地に達するまでにどれほどの修練が必要であったものかと思うてな」
「……」
「繰り返しになるが、女であることの一事をもってその者を侮ることは金輪際致さぬ。己にそう戒めることができたが、俺にとって今日一番の収穫よ」
「やっぱり、おっきいなあ……」
そんな呟きをもらしたあと、エルゼベートはまた前に目を戻した。そして幾分小さな声で、独り言のように言った。
「だったら、あたしの負けだって認めてくれる?」
「ん?」
「みんなの前ではさ、あたしの立場考えてあんなふうに収めてくれたんだよね」
「……まあ、そうなるかのう」
「そっち撤回しろとか言わないからさ、あたしたち二人の間では、あたしの負けだって認めてよ。じゃないとあたしの気が済まない」
「お前様がそう言われるのであれば、俺に異存などないわ」
「なら、決闘はあんたの勝ちってことで」
「うむ。俺の勝ちに相違ない」
そう口に出して、五郎太の心を爽やかな風が吹き抜けていった。
もとより、勝負に勝ったことが嬉しかったわけではない。命を懸けて死合った相手と分かり合えたこと――そして何より、その相手が世にもめでたい心映えの女丈夫であるとわかって、身体の疲れも心労も一息に吹き飛んだ気になったのである。
気が付けばエルゼベートの口調は随分と砕けたものになっている。真剣に立ち合ったことで気心が知れたのか、あるいはあの姉にしてこの妹ありと言ったところか。
……それにつけても一本気な女性である。そう思って、再び前を向いてしまったエルゼベートの横顔を五郎太はつくづくと眺めた。惚れ直したと言っていい。
もし己の宿痾さえなければ、頼み込んででも嫁に来て欲しいところである。だがこうして男女二人でひとつ部屋の中に過ごす今もこれ以上身を寄せることが能わぬ情けない男では、この見事な女性にはとても見合わぬだろう。
そこでふと、エルゼベートが口を開いた。
「……負けちゃったから、約束は守んないとね」
「約束?」
「……約束した通り、あたし、あんたのお嫁になるわよ」
「……」
エルゼベートの言葉に、五郎太は絶句した。
そこではじめて、肌も露わな薄衣のみ身に纏った世にも美しい女性と二人、夜の寝所に差し向かっているという事実に、五郎太は気付いた。
「さっき、こんな夜更けに何しに来たんだって聞いたよね」
「……ああ、聞いたが」
「そのために来たの」
そう言ってエルゼベートは真っ直ぐに五郎太を見た。
「今夜あたしがここに来たのは、あんたのお嫁になりに来たの」
思えばクリスの采配で五分ということになりはしたが、エルゼベートとの和解はまだであった。しこりを残さぬためであろう、今日のうちにそれを為しに来てくれたエルゼベートに感謝を覚えながら、五郎太は言葉を選んだ。
「お前様のせいではないわ。元はと言えばクリスが――」
「そうじゃなくて!」
また大声が来て、五郎太の耳がきぃんとする。顔をしかめながら目を向けると、エルゼベートは怒ったような顔のまま眼前の薄闇を睨めつけていた。
「決闘のときのこと」
「……ん?」
「決闘で、あたしが柱の上に立ってたとき、『背中に羽がはえてる』ってあんた言ったでしょ?」
「……ああ、言ったやも知れぬが」
「実はあれ、ちょっと精霊魔法つかっちゃってたの」
そう言ってエルゼベートは悄然とうなだれた。それからまた消え入るような声で、独り言のように続けた。
「気を抜くと精霊魔法つかっちゃうんだ、あたし。だからあんたにああ言われて、ドキッとした」
「……」
「走るのだってそう。精霊の力借りて速く走るの、もう身体に染み付いちゃってるの。だから……ごめんなさい」
そこでエルゼベートははじめて五郎太に向き直り、深々と頭を下げた。
「なぜ、頭など下げられる」
「だって、あんた相手に精霊魔法なんてつかわないって言ったじゃない。それなのにあたし……」
そう言って唇を噛むエルゼベートに、五郎太はふっと力が抜けるのを覚えた。
「今更であろう。そのようなこと、俺は気付いてもおらなんだわ」
「でも……!」
尚も食い下がろうとするエルゼベートに、五郎太は親愛の情を込め、完爾と笑いかけた。
「むしろその話を聞き、見事じゃと改めて感じ入っておる」
「見事?」
「精霊魔法とやらのことよ。使おうと思わずとも独りでに使うてしまう……それだけの境地に達するまでにどれほどの修練が必要であったものかと思うてな」
「……」
「繰り返しになるが、女であることの一事をもってその者を侮ることは金輪際致さぬ。己にそう戒めることができたが、俺にとって今日一番の収穫よ」
「やっぱり、おっきいなあ……」
そんな呟きをもらしたあと、エルゼベートはまた前に目を戻した。そして幾分小さな声で、独り言のように言った。
「だったら、あたしの負けだって認めてくれる?」
「ん?」
「みんなの前ではさ、あたしの立場考えてあんなふうに収めてくれたんだよね」
「……まあ、そうなるかのう」
「そっち撤回しろとか言わないからさ、あたしたち二人の間では、あたしの負けだって認めてよ。じゃないとあたしの気が済まない」
「お前様がそう言われるのであれば、俺に異存などないわ」
「なら、決闘はあんたの勝ちってことで」
「うむ。俺の勝ちに相違ない」
そう口に出して、五郎太の心を爽やかな風が吹き抜けていった。
もとより、勝負に勝ったことが嬉しかったわけではない。命を懸けて死合った相手と分かり合えたこと――そして何より、その相手が世にもめでたい心映えの女丈夫であるとわかって、身体の疲れも心労も一息に吹き飛んだ気になったのである。
気が付けばエルゼベートの口調は随分と砕けたものになっている。真剣に立ち合ったことで気心が知れたのか、あるいはあの姉にしてこの妹ありと言ったところか。
……それにつけても一本気な女性である。そう思って、再び前を向いてしまったエルゼベートの横顔を五郎太はつくづくと眺めた。惚れ直したと言っていい。
もし己の宿痾さえなければ、頼み込んででも嫁に来て欲しいところである。だがこうして男女二人でひとつ部屋の中に過ごす今もこれ以上身を寄せることが能わぬ情けない男では、この見事な女性にはとても見合わぬだろう。
そこでふと、エルゼベートが口を開いた。
「……負けちゃったから、約束は守んないとね」
「約束?」
「……約束した通り、あたし、あんたのお嫁になるわよ」
「……」
エルゼベートの言葉に、五郎太は絶句した。
そこではじめて、肌も露わな薄衣のみ身に纏った世にも美しい女性と二人、夜の寝所に差し向かっているという事実に、五郎太は気付いた。
「さっき、こんな夜更けに何しに来たんだって聞いたよね」
「……ああ、聞いたが」
「そのために来たの」
そう言ってエルゼベートは真っ直ぐに五郎太を見た。
「今夜あたしがここに来たのは、あんたのお嫁になりに来たの」
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】そして、誰もいなくなった
杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」
愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。
「触るな!」
だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。
「突き飛ばしたぞ」
「彼が手を上げた」
「誰か衛兵を呼べ!」
騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。
そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。
そして誰もいなくなった。
彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。
これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。
◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。
3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。
3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました!
4/1、完結しました。全14話。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる