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026 初夜(2)

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「……ふう」

 肺腑を絞り出すような溜息が五郎太の口からもれた。

 このまま倒れ伏したいという欲求をこらえ、用意されていた夜着に着替える。これも昨夜は着方がわからなかったが、夜着だけあって今身に着けている南蛮服に比べれば簡素な仕組みであるし、二度目ということもあって着るのにはそれほど手間取らない。

 もちろん、できるなら寝巻が欲しいところではある。だが、食客の身分で贅沢など言えぬし、それに一昨日までの野宿には比べるべくもない。

「それにしても――」

 背の高い几案つくえの上で明々あかあかと光っているあかりに、五郎太は思わず見入った。

 玻璃はりのように透明な石で造られたうつわの中に火が灯り、部屋の中を照らしている。これはランプという名で呼ばれる、この国ではごくありふれたあかりのための道具なのだという。

 玻璃でできた器など、日ノ本ではみかどの宝物庫でもなければ見つかりはしないだろう。このような道具ひとつとってみても、イスパニアが日ノ本に比べどれほど進んだ国であるか伺い知ることができる。

 ランプに照らされた部屋の中には、矢張り五郎太の見慣れない調度が並んでいる。几案つくえに組で置かれているものと見える床几しょうきのような椅子。堅牢そうな材でできた箪笥と、昨夜はじめてとこを取った、高さが膝までもある豪奢な寝台――

「こればかりは慣れぬな……」

 寝台を見つめながら、五郎太はまたしても溜息をつく。畳に蒲団を敷いて寝かせてくれとは言わないが、このように上げ底の寝床で寝ていたのでは落ちたとき身体を痛めるのではないかという懸念が尽きない。

 だが、考えていても詮無いことであった。郷に入りては郷に従え。何の因果か俺はイスパニアへ飛ばされてきてしまったのであるから、大人しゅうイスパニアの人々に倣って暮らすしかない……。

 そう思い、ランプの灯を消すために几案に近づいた。だがそこで五郎太は部屋の扉が敲かれる音を聞いた。

「誰か」

 扉の向こうにも聞こえるよう、幾分大きな声で五郎太は呼びかけた。けれども返事はない。そのまま待っていると、またしばらくしてこつこつと扉が敲かれる。

「入られよ」

 クリスが今日の労いにでも参ったのであろうか。そんなことを思いながら五郎太は扉の向こうのぬしに入室を促した。

 ややあって扉が開いた。だがおずおずと部屋の中に入ってきたのは、五郎太が思いもしなかった人物であった。

「これは……」

 驚きのあまり言葉が続かない。それは今日の果し合いの相手――エルゼベートであった。

 ともすれば中が透けて見えるほど薄い、繊麗せんれいでゆったりした夜着を身に纏ったエルゼベートは、無言で部屋に入ってくると、後ろ手に扉を閉めた。そのまま何をするでもなく、扉の前に立っている。その腕には白くて耳の長い……何であろう、おそらく兎を模した人形のようなものを抱きしめている。

 五郎太が反応できないでいると、エルゼベートは矢張り無言のままつかつかと歩き、寝台にどっかりと腰をおろした。

「……このような夜更けにいかがなされた」

 どうにかそれだけ言葉が出た。だがエルゼベートからの返事はない。胸の前にしっかと人形を抱き、五郎太の方を見ずにじっと動かずにいる。

 そんなエルゼベートの姿に、五郎太の困惑はいやが上にも高まった。すわ今日の意趣返しにでも来たのであろうか。だがそれにしては……。

 そこではじめて、エルゼベートの口が動いた。

「……りきて」

 相変わらず五郎太に目を向けぬまま、エルゼベートは小声でぼそぼそと何やら呟いた。だが、その声は小さすぎて、何を言っているのか五郎太にはまったく聞き取ることができない。

「今、何と?」

 聞き返しても返事はない。ただエルゼベートの、人形を抱く腕に力が入ったのが見えただけだ。

「すまぬ。声が小さくて聞き取れなんだ。何と言われたか今一度――」

「そんなとこ突っ立ってないで隣に来てって言ってんの!」

 今度は耳をつんざくような大声が来た。ほとんど弾かれたように、五郎太はエルゼベートに走り寄った。

「隣に座って!」

「……」

 言われるまま五郎太はエルゼベートの隣に、ひと一人分の間を空けて腰かけた。これが、五郎太が女に近寄れるぎりぎりの距離なのである。

 エルゼベートはちらと五郎太を一瞥したあと、また視線を前に戻した。そのまましばらく黙っていたが、やがて思い出したように口を開いた。

「……今日はその、ごめんなさい」
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