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022 死合い(6)
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エルゼベートの声に続いて、観衆からどっと笑い声があがる。だがそんなものはもう五郎太の耳には届かなかった。
揶揄を投げかけてくる間もエルゼベートの狙撃は切れ目なく続いていた。心の臓が二度鼓動する毎に一発――今はその程度の間隔だが油断はできない。もっと早く撃てるものをゆるゆる使っているだけということも充分に考えられる。
それにしても――と、謁見の間でのエルゼベートの剣幕を思い出して五郎太は我知らず苦笑いを浮かべた。
一町近くも離れた場所から撃ちかけているというのに鉄砲の狙いは正鵠を射ており、今も様子を見ようとわずかに柱から出た五郎太の頬を一発の弾がかすめていった。
成る程、女性の力でも撃て、弾込めせずとも連射が利く鉄砲があれば、女性が男に勝つ線も当然できよう。ましてこれほどの鉄砲の上手である、余程根を詰めて修行に励んだに違いない。
……それを女だからの一事をもって歯牙にもかけられなかったのでは怒りを覚えるのも道理だ。この果し合いが終わった暁には頭を下げて詫びねばなるまい。もっとも、果し合いが終わったときこちらが生きておればの話ではあるが――
「そろそろお姿を見せてはくださいませんか? 女相手に剣など要らぬと威勢の良いことを仰っていたお口はどこへ? それとも貴方様のお国では対戦相手に背を向けて逃げ回ることが決闘の流儀なのですか?」
辛辣なエルゼベートの挑発にまた観衆の笑い声が響く。だが何と言われようとも五郎太は柱の陰から身体を出すことはできない。
――己の側に鉄砲がない状況で、鉄砲の上手と相対したときの対処法は決まっている。逃げの一手だ。
とりわけこの状況は、名うての鉄砲撃ちが弾込めのための小者を三人ほども伴い、何丁もの鉄砲に小者が弾を込めるそばから取っ替え引っ替え撃ちかけてくるのに似ている。鉄盾でもあれば別だが、こんないでたちでどうこうできるわけがない。
だから本来であれば何と罵られようが尻に帆かけて逃げるべき状況なのだが、果し合いの場ではそれもできない。
……となれば己にできるのは死角となる場所に隠れて狙撃をやり過ごしつつ、相手が焦れて出てくるのを待つことだけだ。この果し合いの場から逃れられぬのはあちらも同じ。ひとたび千日手に陥ってしまえば何れかが動くより他ないのだ。
「致し方ありませんね。それでは、こちらから参りましょうか」
(……!?)
だが、ある意味で五郎太の思惑通りエルゼベートがそう宣言して進み出たとき、五郎太は信じられないものを見る目でそれを認めた。
焦れて出てきたにしてはあまりにも早すぎる。近づけばこちらに利するだけだということがわからぬ手合いでもあるまい。それがなぜこんなにも早く動いたのか――
そんな疑問にかられる五郎太が柱の陰から垣間見る情景の中、エルゼベートは次第に歩を速め、やがて女性とは思えぬほどの脚でみるみるこちらに近づいてくる――
(――拙い)
刹那、全身が総毛立ち、弾かれたように五郎太は駆け出した。
「……ぐ!」
またひとつの銃声に続いて右の腰骨のあたりに焼けつくような感覚があり、己が被弾したことを知覚した。
だが、走ることができている――走ることができているからには、深手ではない。そしてどれほど深手を負ったのであろうと、五郎太にできるのは逃げることだけである。
走りながら背後を垣間見ると、驚くべきことにエルゼベートは柱の頂に立ち、そこから鉄砲を撃ちかけていた。
どうやってあんな所へ登ったのだ――と五郎太が思ったのも束の間、エルゼベートは猿のごとき身のこなしで跳躍し、五丈ほども離れていようかという隣の柱へ易々と飛び移って見せた。
「なんだあれは……人間の動きではないぞ」
必死の思いで駆け回る五郎太の口から呻くような呟きがこぼれた。
得体の知れぬものに相対したときの畏れ――ちょうどクリスを助けるためにあの物ノ怪と対峙したときのような畏怖嫌厭の情が、腹の底から沸き上がってくるのを覚えた。
見目麗しき姫君かと思いきや、どうやら人外の類であったものとみえる。少なくともこの場はそう思わなければすぐさま殺されることになる。
――そう思って五郎太は覚悟を決めた。殺さねばこちらが殺される手強い一個の敵として、目の前の相手と向き合う腹を定めたのである。
「ゴキブリの次はネズミですか? いつまでもそうして逃げ回っていても埒があきませんよ? さあそろそろ地竜を屠ったその力とやらをお見せ下さい。皆、手に汗握って貴方様がわたくしを打ち倒すのを待ち望んでいるのですよ?」
三度の挑発。だが五郎太はそれどころではない。
身を隠すことのできぬ場で鉄砲に狙われたときできることは、闇雲に動き続けて的を絞らせないこと――ただそれだけだ。右へ左へ九十九折りに軌道を変えながら、まさにエルゼベートの口にしたとおり追い立てられた鼠のようにあたりを駆け巡った。
けれどもそれが急場しのぎに過ぎないことは火を見るより明らかだった。いつまでもこのように走り続けられるものではない、早晩限界が来る。
そう思う傍から一発の弾が左の脹脛をかすめていった。こちらも打って出なければならない。だがあの柱の上に陣取られていてはこちらには手の出しようもない。
さしあたって姫君にはあそこから降りてきていただかねばなるまい。そう思って五郎太は大きく息を吸い込んだ。
「ああ愉快、愉快! これはなんとも愉快じゃ!」
揶揄を投げかけてくる間もエルゼベートの狙撃は切れ目なく続いていた。心の臓が二度鼓動する毎に一発――今はその程度の間隔だが油断はできない。もっと早く撃てるものをゆるゆる使っているだけということも充分に考えられる。
それにしても――と、謁見の間でのエルゼベートの剣幕を思い出して五郎太は我知らず苦笑いを浮かべた。
一町近くも離れた場所から撃ちかけているというのに鉄砲の狙いは正鵠を射ており、今も様子を見ようとわずかに柱から出た五郎太の頬を一発の弾がかすめていった。
成る程、女性の力でも撃て、弾込めせずとも連射が利く鉄砲があれば、女性が男に勝つ線も当然できよう。ましてこれほどの鉄砲の上手である、余程根を詰めて修行に励んだに違いない。
……それを女だからの一事をもって歯牙にもかけられなかったのでは怒りを覚えるのも道理だ。この果し合いが終わった暁には頭を下げて詫びねばなるまい。もっとも、果し合いが終わったときこちらが生きておればの話ではあるが――
「そろそろお姿を見せてはくださいませんか? 女相手に剣など要らぬと威勢の良いことを仰っていたお口はどこへ? それとも貴方様のお国では対戦相手に背を向けて逃げ回ることが決闘の流儀なのですか?」
辛辣なエルゼベートの挑発にまた観衆の笑い声が響く。だが何と言われようとも五郎太は柱の陰から身体を出すことはできない。
――己の側に鉄砲がない状況で、鉄砲の上手と相対したときの対処法は決まっている。逃げの一手だ。
とりわけこの状況は、名うての鉄砲撃ちが弾込めのための小者を三人ほども伴い、何丁もの鉄砲に小者が弾を込めるそばから取っ替え引っ替え撃ちかけてくるのに似ている。鉄盾でもあれば別だが、こんないでたちでどうこうできるわけがない。
だから本来であれば何と罵られようが尻に帆かけて逃げるべき状況なのだが、果し合いの場ではそれもできない。
……となれば己にできるのは死角となる場所に隠れて狙撃をやり過ごしつつ、相手が焦れて出てくるのを待つことだけだ。この果し合いの場から逃れられぬのはあちらも同じ。ひとたび千日手に陥ってしまえば何れかが動くより他ないのだ。
「致し方ありませんね。それでは、こちらから参りましょうか」
(……!?)
だが、ある意味で五郎太の思惑通りエルゼベートがそう宣言して進み出たとき、五郎太は信じられないものを見る目でそれを認めた。
焦れて出てきたにしてはあまりにも早すぎる。近づけばこちらに利するだけだということがわからぬ手合いでもあるまい。それがなぜこんなにも早く動いたのか――
そんな疑問にかられる五郎太が柱の陰から垣間見る情景の中、エルゼベートは次第に歩を速め、やがて女性とは思えぬほどの脚でみるみるこちらに近づいてくる――
(――拙い)
刹那、全身が総毛立ち、弾かれたように五郎太は駆け出した。
「……ぐ!」
またひとつの銃声に続いて右の腰骨のあたりに焼けつくような感覚があり、己が被弾したことを知覚した。
だが、走ることができている――走ることができているからには、深手ではない。そしてどれほど深手を負ったのであろうと、五郎太にできるのは逃げることだけである。
走りながら背後を垣間見ると、驚くべきことにエルゼベートは柱の頂に立ち、そこから鉄砲を撃ちかけていた。
どうやってあんな所へ登ったのだ――と五郎太が思ったのも束の間、エルゼベートは猿のごとき身のこなしで跳躍し、五丈ほども離れていようかという隣の柱へ易々と飛び移って見せた。
「なんだあれは……人間の動きではないぞ」
必死の思いで駆け回る五郎太の口から呻くような呟きがこぼれた。
得体の知れぬものに相対したときの畏れ――ちょうどクリスを助けるためにあの物ノ怪と対峙したときのような畏怖嫌厭の情が、腹の底から沸き上がってくるのを覚えた。
見目麗しき姫君かと思いきや、どうやら人外の類であったものとみえる。少なくともこの場はそう思わなければすぐさま殺されることになる。
――そう思って五郎太は覚悟を決めた。殺さねばこちらが殺される手強い一個の敵として、目の前の相手と向き合う腹を定めたのである。
「ゴキブリの次はネズミですか? いつまでもそうして逃げ回っていても埒があきませんよ? さあそろそろ地竜を屠ったその力とやらをお見せ下さい。皆、手に汗握って貴方様がわたくしを打ち倒すのを待ち望んでいるのですよ?」
三度の挑発。だが五郎太はそれどころではない。
身を隠すことのできぬ場で鉄砲に狙われたときできることは、闇雲に動き続けて的を絞らせないこと――ただそれだけだ。右へ左へ九十九折りに軌道を変えながら、まさにエルゼベートの口にしたとおり追い立てられた鼠のようにあたりを駆け巡った。
けれどもそれが急場しのぎに過ぎないことは火を見るより明らかだった。いつまでもこのように走り続けられるものではない、早晩限界が来る。
そう思う傍から一発の弾が左の脹脛をかすめていった。こちらも打って出なければならない。だがあの柱の上に陣取られていてはこちらには手の出しようもない。
さしあたって姫君にはあそこから降りてきていただかねばなるまい。そう思って五郎太は大きく息を吸い込んだ。
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