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020 死合い(4)
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五郎太は弾かれたように侏儒を見た。そこではじめて、性別不詳ながら妙に崩れた感じの色気を醸し出す女としての侏儒を見た。
……そう、五郎太にはこの侏儒が女であるとわかっていた。なぜならこうして三間を隔てて離れていても尚、女に触れられたときのようなおぞましさを五郎太はかすかに感じていたのだ。
「ねえねえ、そうしようよ! ボク、お兄さんのこと好みだから何でもしてあげる! お兄さんにとってもいい話だと思うけどなあ。ほら、ボクってばさあ、色んな男の人から具合がいいって言われるんだよ?」
そう言って侏儒は唇を薄く開き、接吻でも乞うようにちろちろと舌を突き出して見せる。そんな侏儒の姿を、五郎太ははっきりと醜悪なものに見た。
同時に女に触れられた時とまったく同じ悪心が胸の奥に嘔吐きあがってくるのを覚えた。三間隔てた場所に立つ侏儒との距離は変わらない。女とこれほど距離が開いていて悪心を覚えたのは、流石の五郎太にとっても初めてのことであった。
「……去ね」
吐き気から逃れるように五郎太は呟いた。露骨にまぐわいを想起させるような仕草を続ける侏儒から目を逸らし――なぜだろう、そこで五郎太の脳裏にはこれから戦うことになる姫君の姿が浮かびあがってきた。
(……矢張り、あの女性は美しい)
昨日、広間で見た女性の姿――居丈高に己を睨めつけるその姿が鮮やかに蘇り、五郎太は改めて内心にそう嘆じた。
見目形ばかりではない、心映えがめでたいのだ。理不尽な要求を突きつけられてなお背筋を真っ直に伸ばし、己の矜持を懸け死合いを求めさえするその凛然たる生き様が美しいのだ。
あの姫君にであればこの命、くれてやってもいい。そんなことまで考え始める自分に、俺はあの姫御に惚れてしまったのだろうかと五郎太が戸惑いを覚えかけたところで、「ほら」とまた侏儒からの声がかかった。
「ほら、やっぱり欲しいんじゃないのさ」
「……何?」
「やっぱりお兄さんは、エルゼベート様のこと欲しいんでしょ?」
まるで己の心を見透かしたような侏儒の言葉に、五郎太は血が凍るのを感じた。
直後、侏儒に殺意を覚えた。気を抜けば女であることも忘れ目の前の侏儒に斬りつけずにはいられぬような、それは激しい殺意だった。
「疾く去ね」
「ええ、どうして? これから決闘するんだし、なんで戦うかはっきりさせておいた方がやりやすいと思うんだけどなあ」
「去ねと言っておろう」
「あ? ひょっとしてそういうこと? さっきあんなこと言ったからボクのことも欲しくなっちゃった?」
「去ねッ!」
「いいよいいよ? それならいいよ? ボクはお妾さんでいいから、ときどきこっそりやってきてボクのこと可愛がってくれれば――」
踏み込みざま、五郎太は逆袈裟に剣を振るっていた。
「……っ!」
だがそこにもう侏儒の身体はなく、剣は虚しく空を斬った。
振り返ると侏儒はそこにいた。
身動きができずにいる五郎太を前に、侏儒は悪戯を見つかった子供のようににやにやと笑って見せた。
「おお、こわいこわい」
「……誰ぞに言われて、俺の心を掻き乱しに来たか」
「だとしたら?」
「たいしたものよ」
そう言って、五郎太は大きく息を吐いた。憤怒に我を忘れて斬りかかったのだ。完全に己の負けである。
何を姑息な真似を――などとは間違っても思わない。戦場に野次はつきものであり、真に受けて激昂などしようものなら即座に死ぬことになる。
その点、五郎太は己の剛腹に自信があった。戦場往来、これまで何度も聞くに堪えぬ罵詈雑言を投げかけられながら、ついぞ眉ひとつ動かしたこともなかった。
その自分が逆上して女に斬りかかったのだという事実を、五郎太は深く胸に刻み込んだ。
二度と同じ轍は踏まない。そう思い、己の至らなさを思い知らせてくれた侏儒に感謝さえ覚えながら頭を上げた。そこに、また侏儒の声がかかった。
「やっぱりお兄さんは格好いいね」
「……」
「でも、そんなつもりなかったんだ。お兄さんの心を乱そうだなんて、ボク、ぜんぜんそんなつもりじゃなかった」
「……そうか」
「お詫びと言っちゃなんだけど、お兄さんのために歌を歌うよ」
「歌?」
聞き返す五郎太に構わず、侏儒はこほんとひとつ咳をついた。そして小さく手を打ち鳴らし、傀儡子の動きに似た奇妙な踊りを舞いながら、その歌を歌い出した。
四ツの柱の立つそこは 今は昔の血祭り場
皇帝陛下のご機嫌損ねりゃ 獅子を相手の舞踏会
そいつ見ながら一杯やるのが 臣民風情の愉しみさ
生き残りしは唯一人 その名も高きポンペウス
見事に獅子の首獲って 皇帝の娘と娶さる
けれども人は知っている 娘は端から彼のもの
戦い前夜の閨の中 彼に抱かれて娘は言った
お気をつけあれ我が背の君
四ツの柱の立つそこは 今は昔の血祭り場
血飛沫あがれば日が翳り 雲雀たつとき風が吹く――
ぐわん、と銅鑼の音がした。
弾かれたように頭を向ける五郎太の目に、鉄格子がゆるゆると引き上げられてゆくのが映った。
背後を振り返った。侏儒の姿はもうそこにはなかった。
「出ろ」
上がりきった鉄格子の傍らに立つ男から声がかかった。五郎太は頷き、大きく息を吸うと、皇女エルゼベートとの死合いの場へ進み出た。
……そう、五郎太にはこの侏儒が女であるとわかっていた。なぜならこうして三間を隔てて離れていても尚、女に触れられたときのようなおぞましさを五郎太はかすかに感じていたのだ。
「ねえねえ、そうしようよ! ボク、お兄さんのこと好みだから何でもしてあげる! お兄さんにとってもいい話だと思うけどなあ。ほら、ボクってばさあ、色んな男の人から具合がいいって言われるんだよ?」
そう言って侏儒は唇を薄く開き、接吻でも乞うようにちろちろと舌を突き出して見せる。そんな侏儒の姿を、五郎太ははっきりと醜悪なものに見た。
同時に女に触れられた時とまったく同じ悪心が胸の奥に嘔吐きあがってくるのを覚えた。三間隔てた場所に立つ侏儒との距離は変わらない。女とこれほど距離が開いていて悪心を覚えたのは、流石の五郎太にとっても初めてのことであった。
「……去ね」
吐き気から逃れるように五郎太は呟いた。露骨にまぐわいを想起させるような仕草を続ける侏儒から目を逸らし――なぜだろう、そこで五郎太の脳裏にはこれから戦うことになる姫君の姿が浮かびあがってきた。
(……矢張り、あの女性は美しい)
昨日、広間で見た女性の姿――居丈高に己を睨めつけるその姿が鮮やかに蘇り、五郎太は改めて内心にそう嘆じた。
見目形ばかりではない、心映えがめでたいのだ。理不尽な要求を突きつけられてなお背筋を真っ直に伸ばし、己の矜持を懸け死合いを求めさえするその凛然たる生き様が美しいのだ。
あの姫君にであればこの命、くれてやってもいい。そんなことまで考え始める自分に、俺はあの姫御に惚れてしまったのだろうかと五郎太が戸惑いを覚えかけたところで、「ほら」とまた侏儒からの声がかかった。
「ほら、やっぱり欲しいんじゃないのさ」
「……何?」
「やっぱりお兄さんは、エルゼベート様のこと欲しいんでしょ?」
まるで己の心を見透かしたような侏儒の言葉に、五郎太は血が凍るのを感じた。
直後、侏儒に殺意を覚えた。気を抜けば女であることも忘れ目の前の侏儒に斬りつけずにはいられぬような、それは激しい殺意だった。
「疾く去ね」
「ええ、どうして? これから決闘するんだし、なんで戦うかはっきりさせておいた方がやりやすいと思うんだけどなあ」
「去ねと言っておろう」
「あ? ひょっとしてそういうこと? さっきあんなこと言ったからボクのことも欲しくなっちゃった?」
「去ねッ!」
「いいよいいよ? それならいいよ? ボクはお妾さんでいいから、ときどきこっそりやってきてボクのこと可愛がってくれれば――」
踏み込みざま、五郎太は逆袈裟に剣を振るっていた。
「……っ!」
だがそこにもう侏儒の身体はなく、剣は虚しく空を斬った。
振り返ると侏儒はそこにいた。
身動きができずにいる五郎太を前に、侏儒は悪戯を見つかった子供のようににやにやと笑って見せた。
「おお、こわいこわい」
「……誰ぞに言われて、俺の心を掻き乱しに来たか」
「だとしたら?」
「たいしたものよ」
そう言って、五郎太は大きく息を吐いた。憤怒に我を忘れて斬りかかったのだ。完全に己の負けである。
何を姑息な真似を――などとは間違っても思わない。戦場に野次はつきものであり、真に受けて激昂などしようものなら即座に死ぬことになる。
その点、五郎太は己の剛腹に自信があった。戦場往来、これまで何度も聞くに堪えぬ罵詈雑言を投げかけられながら、ついぞ眉ひとつ動かしたこともなかった。
その自分が逆上して女に斬りかかったのだという事実を、五郎太は深く胸に刻み込んだ。
二度と同じ轍は踏まない。そう思い、己の至らなさを思い知らせてくれた侏儒に感謝さえ覚えながら頭を上げた。そこに、また侏儒の声がかかった。
「やっぱりお兄さんは格好いいね」
「……」
「でも、そんなつもりなかったんだ。お兄さんの心を乱そうだなんて、ボク、ぜんぜんそんなつもりじゃなかった」
「……そうか」
「お詫びと言っちゃなんだけど、お兄さんのために歌を歌うよ」
「歌?」
聞き返す五郎太に構わず、侏儒はこほんとひとつ咳をついた。そして小さく手を打ち鳴らし、傀儡子の動きに似た奇妙な踊りを舞いながら、その歌を歌い出した。
四ツの柱の立つそこは 今は昔の血祭り場
皇帝陛下のご機嫌損ねりゃ 獅子を相手の舞踏会
そいつ見ながら一杯やるのが 臣民風情の愉しみさ
生き残りしは唯一人 その名も高きポンペウス
見事に獅子の首獲って 皇帝の娘と娶さる
けれども人は知っている 娘は端から彼のもの
戦い前夜の閨の中 彼に抱かれて娘は言った
お気をつけあれ我が背の君
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血飛沫あがれば日が翳り 雲雀たつとき風が吹く――
ぐわん、と銅鑼の音がした。
弾かれたように頭を向ける五郎太の目に、鉄格子がゆるゆると引き上げられてゆくのが映った。
背後を振り返った。侏儒の姿はもうそこにはなかった。
「出ろ」
上がりきった鉄格子の傍らに立つ男から声がかかった。五郎太は頷き、大きく息を吸うと、皇女エルゼベートとの死合いの場へ進み出た。
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