上 下
21 / 50

020 死合い(4)

しおりを挟む
 五郎太は弾かれたように侏儒を見た。そこではじめて、性別不詳ながら妙に崩れた感じの色気を醸し出す女としての侏儒を見た。

 ……そう、五郎太にはこの侏儒が女であるとわかっていた。なぜならこうして三間さんげんを隔てて離れていても尚、女に触れられたときのようなおぞましさを五郎太はかすかに感じていたのだ。

「ねえねえ、そうしようよ! ボク、お兄さんのこと好みだから何でもしてあげる! お兄さんにとってもいい話だと思うけどなあ。ほら、ボクってばさあ、色んな男の人から具合がいいって言われるんだよ?」

 そう言って侏儒は唇を薄く開き、接吻でも乞うようにちろちろと舌を突き出して見せる。そんな侏儒の姿を、五郎太ははっきりと醜悪なものに見た。

 同時に女に触れられた時とまったく同じ悪心おしんが胸の奥に嘔吐えずきあがってくるのを覚えた。三間隔てた場所に立つ侏儒との距離は変わらない。女とこれほど距離が開いていて悪心を覚えたのは、流石の五郎太にとっても初めてのことであった。

「……ね」

 吐き気から逃れるように五郎太は呟いた。露骨にまぐわいを想起させるような仕草を続ける侏儒から目を逸らし――なぜだろう、そこで五郎太の脳裏にはこれから戦うことになる姫君の姿が浮かびあがってきた。

(……矢張り、あの女性にょしょうは美しい)

 昨日、広間で見た女性の姿――居丈高に己をめつけるその姿が鮮やかに蘇り、五郎太は改めて内心にそう嘆じた。

 見目形ばかりではない、心映えがめでたいのだ。理不尽な要求を突きつけられてなお背筋を真っすぐに伸ばし、己の矜持を懸け死合いを求めさえするその凛然たる生き様が美しいのだ。

 あの姫君にであればこの命、くれてやってもいい。そんなことまで考え始める自分に、俺はあの姫御に惚れてしまったのだろうかと五郎太が戸惑いを覚えかけたところで、「ほら」とまた侏儒からの声がかかった。

「ほら、やっぱり欲しいんじゃないのさ」

「……何?」

「やっぱりお兄さんは、エルゼベート様のこと欲しいんでしょ?」

 まるで己の心を見透かしたような侏儒の言葉に、五郎太は血が凍るのを感じた。

 直後、侏儒に殺意を覚えた。気を抜けば女であることも忘れ目の前の侏儒に斬りつけずにはいられぬような、それは激しい殺意だった。

ね」

「ええ、どうして? これから決闘するんだし、なんで戦うかはっきりさせておいた方がやりやすいと思うんだけどなあ」

ねと言っておろう」

「あ? ひょっとしてそういうこと? さっきあんなこと言ったからボクのことも欲しくなっちゃった?」

ねッ!」

「いいよいいよ? それならいいよ? ボクはお妾さんでいいから、ときどきこっそりやってきてボクのこと可愛がってくれれば――」

 踏み込みざま、五郎太は逆袈裟に剣を振るっていた。

「……っ!」

 だがそこにもう侏儒の身体はなく、剣は虚しく空を斬った。

 振り返ると侏儒はそこにいた。

 身動きができずにいる五郎太を前に、侏儒は悪戯を見つかった子供のようににやにやと笑って見せた。

「おお、こわいこわい」

「……誰ぞに言われて、俺の心を掻き乱しに来たか」

「だとしたら?」

「たいしたものよ」

 そう言って、五郎太は大きく息を吐いた。憤怒に我を忘れて斬りかかったのだ。完全に己の負けである。

 何を姑息な真似を――などとは間違っても思わない。戦場に野次はつきものであり、真に受けて激昂などしようものなら即座に死ぬことになる。

 その点、五郎太は己の剛腹に自信があった。戦場往来、これまで何度も聞くに堪えぬ罵詈雑言を投げかけられながら、ついぞ眉ひとつ動かしたこともなかった。

 その自分が逆上してのだという事実を、五郎太は深く胸に刻み込んだ。

 二度と同じ轍は踏まない。そう思い、己の至らなさを思い知らせてくれた侏儒に感謝さえ覚えながら頭を上げた。そこに、また侏儒の声がかかった。

「やっぱりお兄さんは格好いいね」

「……」

「でも、そんなつもりなかったんだ。お兄さんの心を乱そうだなんて、ボク、ぜんぜんそんなつもりじゃなかった」

「……そうか」

「お詫びと言っちゃなんだけど、お兄さんのために歌を歌うよ」

「歌?」

 聞き返す五郎太に構わず、侏儒はこほんとひとつ咳をついた。そして小さく手を打ち鳴らし、傀儡子くぐつの動きに似た奇妙な踊りを舞いながら、その歌を歌い出した。



四ツの柱の立つそこは 今は昔の血祭り場

皇帝陛下のご機嫌損ねりゃ 獅子を相手の舞踏会

そいつ見ながら一杯やるのが 臣民風情の愉しみさ

生き残りしは唯一人 その名も高きポンペウス

見事に獅子の首獲って 皇帝おうの娘とめあわさる

けれども人は知っている 娘ははなから彼のもの

戦い前夜の閨の中 彼に抱かれて娘は言った

お気をつけあれ我がの君

四ツの柱の立つそこは 今は昔の血祭り場

血飛沫あがれば日が翳り 雲雀ひばりたつとき風が吹く――



 ぐわん、と銅鑼の音がした。

 弾かれたように頭を向ける五郎太の目に、鉄格子がゆるゆると引き上げられてゆくのが映った。

 背後を振り返った。侏儒の姿はもうそこにはなかった。

「出ろ」

 上がりきった鉄格子の傍らに立つ男から声がかかった。五郎太は頷き、大きく息を吸うと、皇女エルゼベートとの死合いの場へ進み出た。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

パワハラ騎士団長に追放されたけど、君らが最強だったのは僕が全ステータスを10倍にしてたからだよ。外れスキル《バフ・マスター》で世界最強

こはるんるん
ファンタジー
「アベル、貴様のような軟弱者は、我が栄光の騎士団には不要。追放処分とする!」  騎士団長バランに呼び出された僕――アベルはクビを宣言された。  この世界では8歳になると、女神から特別な能力であるスキルを与えられる。  ボクのスキルは【バフ・マスター】という、他人のステータスを数%アップする力だった。  これを授かった時、外れスキルだと、みんなからバカにされた。  だけど、スキルは使い続けることで、スキルLvが上昇し、強力になっていく。  僕は自分を信じて、8年間、毎日スキルを使い続けた。 「……本当によろしいのですか? 僕のスキルは、バフ(強化)の対象人数3000人に増えただけでなく、効果も全ステータス10倍アップに進化しています。これが無くなってしまえば、大きな戦力ダウンに……」 「アッハッハッハッハッハッハ! 見苦しい言い訳だ! 全ステータス10倍アップだと? バカバカしい。そんな嘘八百を並べ立ててまで、この俺の最強騎士団に残りたいのか!?」  そうして追放された僕であったが――  自分にバフを重ねがけした場合、能力値が100倍にアップすることに気づいた。  その力で、敵国の刺客に襲われた王女様を助けて、新設された魔法騎士団の団長に任命される。    一方で、僕のバフを失ったバラン団長の最強騎士団には暗雲がたれこめていた。 「騎士団が最強だったのは、アベル様のお力があったればこそです!」  これは外れスキル持ちとバカにされ続けた少年が、その力で成り上がって王女に溺愛され、国の英雄となる物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

戦国を駆ける軍師・山本勘助の嫡男、山本雪之丞

沙羅双樹
歴史・時代
川中島の合戦で亡くなった軍師、山本勘助に嫡男がいた。その男は、山本雪之丞と言い、頭が良く、姿かたちも美しい若者であった。その日、信玄の館を訪れた雪之丞は、上洛の手段を考えている信玄に、「第二啄木鳥の戦法」を提案したのだった……。 この小説はカクヨムに連載中の「武田信玄上洛記」を大幅に加筆訂正したものです。より読みやすく面白く書き直しました。

【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?

俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。 この他、 「新訳 零戦戦記」 「総統戦記」もよろしくお願いします。

処理中です...