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019 死合い(3)
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四柱闘技場――五郎太がこれから死合うことになる場所は、そんな名で呼び習わされる格式ある場なのだという。成る程、擂鉢状の客席にぐるりを囲われたそこには確かに石造りの柱が四本立っている。
「……さて、どうしたものか」
薄暗い坑道の先には錆の浮いた鉄格子が降ろされている。その鉄格子が開け放たれたとき、エスペラス皇帝とやらの御前で、その妹御との生死を懸けた戦いが始まる。そのことを思い、暗澹たる思いで五郎太は己のいでたちを見下ろした。
肩までも覆う金物の長籠手に、鳩尾のあたりで切れた文字通りの胸当。左手には円い盆のような盾、そして右手には短く幅広の刀剣。
……結局、刀剣は持たされることになった。稽古用の刀剣とのことで刃を潰してあるのがせめてもの救いだったが、己の膂力が薪ざっぽうでも充分に相手を殺せるものであることを五郎太はよく知っている。
いずれにせよこのような剣であの女性を打つことなどできぬ。向こうがどんな手で来るかはわからぬが、精々この盾で身を護りつつ逃げ回るが関の山か――
「――わぁ、お兄さん格好いいね」
そんなことを考えていたところへ何の前触れもなく声をかけられたものだから、五郎太が思わず剣を構えたのは是非もないことであったと言えよう。
「……」
いつの間にか背後に立っていたのは、侏儒だった。
背は五郎太の腹に頭がくるほどで、一見童子のように見える。けれどもその身体のつくりは明らかに童子のそれではなかった。
これから猿楽でも舞おうかという奇抜な装束を纏い、赤い髪をばっさりと肩で切り揃えた姿は男のようにも女のようにも見え、薄ら笑いを張り付けた顔と相俟って一種異様な雰囲気を、侏儒はその小さな肢体に漂わせていた。
「……何者だ」
「ボク? ボクはメロメ。皇帝陛下の古馴染みにして勝手気ままを許された自由人。誰よりも愚かで誰よりもちんちくりんの宮廷道化師、メロメ様でござぁい」
そう言って侏儒はしなをつくりながら恭しく一礼して見せた。慇懃無礼ともとれるその振る舞いに、五郎太は珍しく自分が本気で苛立ち始めているのに気づいた。
「このような所へ何をしに参った」
「ええ? そんなの、お兄さんに逢いに来たに決まってるじゃないのさ」
「俺はこれからこの国の太守の妹御と相まみえる身ぞ。そんな俺と逢うて何とする」
「そうだねえ。何しに来たんだろ、ボク。自分でもわかんないや」
――あるいはクリスが差し向けたものだろうか。一瞬、頭にのぼったそんな考えを、だが五郎太はすぐに打ち消した。己と妹御いずれへの肩入れであったとしても、この件に関しあの者が敢えて不公正な立場をとる謂われがない。
まして妹御自身の差し金でもあり得まい。昨日のあの剣幕を見ればあの女性が死合いを前につまらぬ小細工を弄するとも思えぬ。
そうなるとこの侏儒がなぜ今ここで己の前に現れたのか、そのわけが五郎太にはいよいよわからなくなってくる。
「ねえ、そんなことよりさ。昨日の様子じゃ、お兄さんはエルゼベート様との結婚に乗り気じゃないんだろ? それなのに何でお兄さんはエルゼベート様と戦うんだい?」
「そんなもの、俺の方が聞きたいわ」
痛いところをついてくる、と五郎太は思った。
妹御の方にはどうやら俺と死合う明確なわけがあるようだが、俺の方には妹御と戦う理由などない。縁組みを欲しておらぬ以上、勝ちを納めたところで得るものなどないのだ。……にも関わらず命懸けの勝負に臨むのはなぜかと問われれば、五郎太には返す言葉もないのである。
返答に窮する五郎太に追い討ちをかけるように侏儒は続けた。
「自分でも理由がわかんないのに、命を懸けて勝負するの?」
「……ああ、その通りよ」
「やめなよやめなよ。そんなのばからしいじゃないか!」
「馬鹿らしいことは重々承知しておる。それに、今更逃げられるはずもあるまい」
「逃げればいいじゃないか。そしたらボクが匿ってあげるよ!」
「匿う? おぬしがか?」
「そうだよ! ボク、これでもお金持ちだからね。お兄さん一人くらいならいつでも匿ってあげられるよ!」
「そうか……それも良いかもわからぬなあ」
侏儒の無邪気な物言いに、五郎太は半ば真面目にそう返していた。
自分がこの決闘に及び腰なのは今更確認するまでもない。ここで敵前逃亡すれば間違いなく腰抜けと笑われようが、もうそれでいいではないか。考えてみればあの物ノ怪を相手に命知らずの奮闘を見せた俺が、女を相手の死合いを嫌うて逐電するというのも面白い。
いずれ逃げられぬものと思い定めながらも、目前に迫る死合いへの嫌気からそんな思いに駆られていた五郎太は、だが次の侏儒の一言で引き戻されることになる。
「そうしようよそうしようよ! そしたらエルゼベート様のかわりに、ボクがお兄さんのお嫁さんになってあげるよ!」
「……さて、どうしたものか」
薄暗い坑道の先には錆の浮いた鉄格子が降ろされている。その鉄格子が開け放たれたとき、エスペラス皇帝とやらの御前で、その妹御との生死を懸けた戦いが始まる。そのことを思い、暗澹たる思いで五郎太は己のいでたちを見下ろした。
肩までも覆う金物の長籠手に、鳩尾のあたりで切れた文字通りの胸当。左手には円い盆のような盾、そして右手には短く幅広の刀剣。
……結局、刀剣は持たされることになった。稽古用の刀剣とのことで刃を潰してあるのがせめてもの救いだったが、己の膂力が薪ざっぽうでも充分に相手を殺せるものであることを五郎太はよく知っている。
いずれにせよこのような剣であの女性を打つことなどできぬ。向こうがどんな手で来るかはわからぬが、精々この盾で身を護りつつ逃げ回るが関の山か――
「――わぁ、お兄さん格好いいね」
そんなことを考えていたところへ何の前触れもなく声をかけられたものだから、五郎太が思わず剣を構えたのは是非もないことであったと言えよう。
「……」
いつの間にか背後に立っていたのは、侏儒だった。
背は五郎太の腹に頭がくるほどで、一見童子のように見える。けれどもその身体のつくりは明らかに童子のそれではなかった。
これから猿楽でも舞おうかという奇抜な装束を纏い、赤い髪をばっさりと肩で切り揃えた姿は男のようにも女のようにも見え、薄ら笑いを張り付けた顔と相俟って一種異様な雰囲気を、侏儒はその小さな肢体に漂わせていた。
「……何者だ」
「ボク? ボクはメロメ。皇帝陛下の古馴染みにして勝手気ままを許された自由人。誰よりも愚かで誰よりもちんちくりんの宮廷道化師、メロメ様でござぁい」
そう言って侏儒はしなをつくりながら恭しく一礼して見せた。慇懃無礼ともとれるその振る舞いに、五郎太は珍しく自分が本気で苛立ち始めているのに気づいた。
「このような所へ何をしに参った」
「ええ? そんなの、お兄さんに逢いに来たに決まってるじゃないのさ」
「俺はこれからこの国の太守の妹御と相まみえる身ぞ。そんな俺と逢うて何とする」
「そうだねえ。何しに来たんだろ、ボク。自分でもわかんないや」
――あるいはクリスが差し向けたものだろうか。一瞬、頭にのぼったそんな考えを、だが五郎太はすぐに打ち消した。己と妹御いずれへの肩入れであったとしても、この件に関しあの者が敢えて不公正な立場をとる謂われがない。
まして妹御自身の差し金でもあり得まい。昨日のあの剣幕を見ればあの女性が死合いを前につまらぬ小細工を弄するとも思えぬ。
そうなるとこの侏儒がなぜ今ここで己の前に現れたのか、そのわけが五郎太にはいよいよわからなくなってくる。
「ねえ、そんなことよりさ。昨日の様子じゃ、お兄さんはエルゼベート様との結婚に乗り気じゃないんだろ? それなのに何でお兄さんはエルゼベート様と戦うんだい?」
「そんなもの、俺の方が聞きたいわ」
痛いところをついてくる、と五郎太は思った。
妹御の方にはどうやら俺と死合う明確なわけがあるようだが、俺の方には妹御と戦う理由などない。縁組みを欲しておらぬ以上、勝ちを納めたところで得るものなどないのだ。……にも関わらず命懸けの勝負に臨むのはなぜかと問われれば、五郎太には返す言葉もないのである。
返答に窮する五郎太に追い討ちをかけるように侏儒は続けた。
「自分でも理由がわかんないのに、命を懸けて勝負するの?」
「……ああ、その通りよ」
「やめなよやめなよ。そんなのばからしいじゃないか!」
「馬鹿らしいことは重々承知しておる。それに、今更逃げられるはずもあるまい」
「逃げればいいじゃないか。そしたらボクが匿ってあげるよ!」
「匿う? おぬしがか?」
「そうだよ! ボク、これでもお金持ちだからね。お兄さん一人くらいならいつでも匿ってあげられるよ!」
「そうか……それも良いかもわからぬなあ」
侏儒の無邪気な物言いに、五郎太は半ば真面目にそう返していた。
自分がこの決闘に及び腰なのは今更確認するまでもない。ここで敵前逃亡すれば間違いなく腰抜けと笑われようが、もうそれでいいではないか。考えてみればあの物ノ怪を相手に命知らずの奮闘を見せた俺が、女を相手の死合いを嫌うて逐電するというのも面白い。
いずれ逃げられぬものと思い定めながらも、目前に迫る死合いへの嫌気からそんな思いに駆られていた五郎太は、だが次の侏儒の一言で引き戻されることになる。
「そうしようよそうしようよ! そしたらエルゼベート様のかわりに、ボクがお兄さんのお嫁さんになってあげるよ!」
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